第45話「火種は静かに仕込まれる」
王都から届いた一通の封書が、赤溝谷の空気を変えた。
それは、正式な紋章入りの羊皮紙に包まれた依頼状――
「王国騎士団第一大隊より、《火の牙》宛の装備強化依頼。鍛造工房長 オリン・ハルド殿」
工房内がざわめく。
「王国騎士団って……あの、“帝都戦”で無傷だったっていう?」
ライラが硬い声で言った。
「最精鋭じゃねえか。そんな連中の装備、俺たちが?」
フェンが眉をひそめた。嬉しさより、警戒が先に立っていた。
「しかも、わざわざここまで足を運ぶって……」
「おかしいな」
サーシャが呟いた。
「王国の上層部は、灰狐商会と裏でつながってるって話だったよね?」
グリトが声を潜める。
「その灰狐が、俺たちを“潰す”気で動いてるのは確かだ。なのに、騎士団から直接依頼? ……うさんくせえ」
「……断るのか?」
ライラが問うと、オリンは焔を見つめたまま、小さく首を横に振った。
「火は、見なければならん」
その一言で、全員が悟った。
この依頼は、“火を見る”試練――
ただの鍛造仕事ではなく、《火の牙》の存在が王都の“秩序”とどう交差するか、その分岐点に立たされているのだ。
◆
三日後、王国騎士団の装備隊が赤溝谷を訪れた。
先頭に立つのは、黒金の鎧に身を包んだ長身の男。漆黒のマントには王国の紋章――燃え立つ剣と槍の交差が刻まれていた。
「騎士団第一大隊、鍛冶管理官、ゼクス・アラードだ。貴工房の評判は王都にも届いている。ぜひ、その腕前を拝見したい」
低くよく通る声。だが、丁寧な言葉の裏に威圧があった。
弟子たちの背筋がこわばる。
オリンは無言で一歩前へ出た。
「……素材は?」
「こちらだ」
ゼクスが片手で指示すると、部下たちが頑丈な箱をいくつも下ろした。
中身は――
「黒鋼の塊……いや、これは――“灰鋼”だ!」
グリトが息を呑んだ。
灰鋼――
灰狐商会が独占供給している、特殊加工済みの“加工困難素材”。
扱いを誤れば内部爆ぜを起こし、炉ごと吹き飛ぶ“呪物”とも呼ばれる代物だった。
「ふざけてんのか……! こんな素材、鍛えさせる気か!」
フェンが怒鳴りそうになるのを、サーシャが押しとどめた。
「親方……!」
オリンは静かに炉に近づき、鋼塊を一つ取り出した。
――重い。重すぎる。
ただの金属ではない。
素材そのものに、何か“意志”のようなものが纏わりついていた。
「……火を見ろ、か」
呟くと、オリンは鋼を火床に置き、偏温制御を始めた。
炉の一部を凍らせるほど冷やし、素材の“偏り”を浮かび上がらせる。
「見極眼、展開」
右眼に浮かぶ、欠陥線の軌跡。
通常の素材なら真っすぐ伸びるそれが、灰鋼では“渦”を巻いていた。
「これは……焼き入れを逆算するしかない。中心からではなく、縁から――」
全員が見守るなか、オリンは打ち始めた。
一打、また一打。
火が、鋼の“呪い”を打ち砕いていくようだった。
ゼクスの目が、かすかに見開かれる。
「……これは」
素材が赤く光り出す。
灰鋼の“中核”――本来なら制御不能な不純核が、ゆっくりと姿を変えていく。
打音が、変わった。
重々しく、しかし響き渡る音に。
「これが……《火の牙》の焔か」
ゼクスは、初めて笑みを浮かべた。
しかし、その瞳の奥では別の思惑が静かに動いていた。
◆
翌朝、装備隊が引き上げたのと同時に、谷の見張り台が異常を告げた。
「不審な気配が……東の崖上に!」
ライラとフェンが即座に動いた。
崖を駆け上がった先、そこには一人のフードの男が立っていた。
「……見つかったか」
男は静かに呟くと、掌に刻印符を浮かべた。
「灰狐の回し者か!」
フェンが叫び、短剣を抜いた。
「――“呪煙散布”」
呪文とともに、黒煙が辺りを覆い尽くす。
「下がれ、フェン!」
ライラが盾を前に出し、二人を煙から庇う。
男の姿は、すでに消えていた。
「……親方の鍛冶を、試しただけじゃなかったんだな」
ライラの顔が曇る。
王都騎士団の“依頼”は、試練であり、罠でもあったのだ。
そして、それはまだ“序章”にすぎなかった――




