第39話「火と刃の盟約」
灰狐商会から返ってきた斧は、静かに倉庫の棚に置かれていた。
もうそこには呪いも怨念も残っていない。ただ一振りの“刃”として、静かに佇んでいた。
フェンは、それをちらと見やったあと、炉の前に立っているオリンへ声をかけた。
「なあ、親方。あの斧、戻ってきたんだろ?」
「……ああ」
「返さなかったの、なんで?」
オリンは手にしていた鋼の棒から目を離さずに答えた。
「まだ“戻る場所”が決まっていない。
持ち主がどう選ぶかは、奴の火の見方次第だ」
フェンは口を噤み、その言葉を反芻するようにうなずいた。
「……オレさ、灰狐にいた頃、刃物が好きってだけで拾われた。
でも、あそこには“火”がなかった。ただ、壊して、奪って、刃を振るだけだった。
オリンさんのとこ来て、初めて思ったよ――“火”って、あったけぇんだなって」
「……火は、見るものだ。
温かいときもあれば、焼けるように痛いときもある。
だが、ちゃんと見ていれば、“消えない”」
その言葉を聞いたフェンの頬が、ほんの少しだけ赤くなった。
「よし、じゃあ今日は、“もっと見てろ”って感じの仕事、頼むぜ。
親方がやるなら、俺もやる」
フェンの言葉に、背後から「ずるい!」とライラの声が飛んだ。
「私も今日の分の鋲打ち、終わらせてるから! 新しい板金、やらせて!」
「グリトも手が空いてます! 昨日試した刻印式、データまとまってます!」
弟子たちの声が一斉に飛ぶ。
オリンは少しだけ肩をすくめ、そして淡く笑った。
「火を見ろ。お前たちの“本当”が映っているか、確かめろ」
三人の弟子は、「はい!」と声を揃え、工房の各持ち場に散っていった。
活気が戻った工房――その中央で、オリンはひときわ太い鋼材を取り出していた。
それは、先日の“村防具改修計画”の一環として届いた巨大な“守護槌”の芯材だった。
王都の職人でも扱いきれなかったという難物。
しかも、この芯材を加工するには、極めて高温で安定した偏温制御が求められる。
(あの商会との接触は、予兆だ)
オリンの脳裏をよぎるのは、昨夜届いた新たな依頼書の一文。
「対魔障壁の中心材の鍛造を依頼する。技術者は任意だが、“信頼できる火を持つ者”が条件」
王都防衛省の印。だが、依頼の文面にある言葉は、誰かが“オリンを名指し”したように思えた。
(灰狐が本格的に動くのなら、王都もまた……)
いずれ、戦火が“火”を飲み込む時が来る。
だが、だからこそ――鍛冶師は、鍛える。
◆
夕刻。
一日の作業を終えた弟子たちは、珍しくそろって食堂に集まっていた。
「ねえ、ねえ! みんなさ、ギルド名の案とか考えてる?」
ライラがパンをかじりながら、突然そう言った。
「ギルド名……?」
グリトが首を傾げる。
「ほら、あたしたち、もうハルド工房の職人ってだけじゃなくて、冒険者ギルドにも登録してるじゃない?
だったら、名前あってもいいと思わない? ほら、“灰狐”とかだって、商会の名前だし」
フェンが苦笑する。
「お前、それを言うなら“元灰狐”の俺は複雑なんだが」
「じゃあ、逆にそれをひっくり返す名前にしたらいいじゃん。
“白狼”とか、“赤鎧”とか!」
「……“火の牙”とか、どうだ?」
フェンが呟いたその言葉に、場の空気が一瞬止まった。
「火の、牙?」
「うん。……火はさ、優しいだけじゃない。時には鋭く、強く、“誰かを守る刃”にもなる。
オリンさんの火って、そういう火だと思うんだ」
ライラもグリトも、ゆっくりと頷いた。
「それ、いい。私も賛成」
「ボクも……かっこいいと思います」
オリンが厨房から湯気を立てた鍋を持って出てきたとき、三人はちょうどその話を終えたところだった。
「何の話だ?」
「ギルド名! “火の牙”ってどうかなって!」
「……ほう」
オリンは目を細めて彼らを見つめ、そして一言、こう言った。
「なら、その牙に“刃”を乗せられるよう、鍛えてみせろ」
「はいっ!」
三人の声が、夕焼けの空に響いた。




