第10話「灰狐の召喚状」
コルト村での初任務を終え、工房に戻ったのは二日後のことだった。
まだ荷解きも終えていないというのに、工房の扉の前には一人の配達人が立っていた。背広に身を包んだ男は、手に一通の封書を持っていた。
「オリン・ハルド殿に、王都灰狐商会より召喚状をお届けにあがりました」
その名前を聞いた瞬間、弟子たちの顔色が変わる。
「灰狐……あの、“おじさんを追放した”商会?」
ライラが呟く。
「正確には、“オレを切り捨てた”工房の出資者だ」
俺は封書を受け取りながら言った。
重厚な封蝋には、灰色の狐を模した紋章。
中には、短い一文が記されていた。
《灰狐商会より通達》
オリン・ハルド殿
王都北門にて貴殿の新設ギルド工房が確認されました。
商会管理下の鍛冶技術における重大な逸脱行為の疑いあり。
三日以内に商会本部に出頭せよ。
出頭なき場合は、ギルド法第五条に基づき、活動凍結処分を行う。
「……どういうことだよ、これ」
フェンが怒りをあらわにする。
「向こうが“妨害”してきたってことよね。工房を立ち上げたのが気に入らないのよ、きっと」
サーシャが冷静に言った。
俺は手紙を卓上に置き、しばらく無言のまま火床の前に立った。
――火は、静かだった。
――だが、その奥に潜む熱は、確かに怒りに近かった。
「行くぞ。俺が切り捨てられた真意を、あいつらの口から聞く」
「オレたちも行く!」
フェンが即答する。
「当然です。家族でしょう、師匠」
ライラがまっすぐ俺を見る。
「支援係も同行します。抜けがあってはいけませんので」
グリトが荷物をまとめ始める。
「じゃあ、あたしも。面白くなってきたじゃない」
サーシャが笑った。
俺は少しだけ口元をゆるめて、頷いた。
「――なら、皆で火を見に行こうか。王都でな」
王都は、かつて俺が工房長を務めていた場所だ。
だが今は、見る影もなく商会の色に染まっていた。
石畳の大通り、煌びやかな鍛冶ギルドの看板。
商会の手で鍛冶屋たちが一つの“産業”として管理されている。
そして灰狐商会――
王都最大の鍛冶資源を持つ利権集団が支配する本部は、まるで宮殿のような建物だった。
案内された応接室は、冷たく無機質な空間だった。
「久しいな、オリン」
現れたのは、かつて俺の直属上司だった商会執行官・ゾルダ。
銀髪を整え、完璧に仕立てられたスーツ。
だがその目には、氷のような冷淡さがあった。
「一人で来たのかと思ったが……まさか、子どもを引き連れてくるとはな。教育のつもりか?」
「教育じゃない。こいつらは“弟子”だ。そして、工房の家族だ」
ゾルダは鼻で笑った。
「……お前は、“人”に甘すぎるんだ、オリン。それが、お前が捨てられた理由だ。忘れたか?」
「――忘れてないさ」
俺は短く返す。
「だから聞きに来た。“なぜ”俺を切った?」
ゾルダは一瞬だけ沈黙した。
そして、表情を変えずに言った。
「お前の“見極眼”と“偏温制御”――あれらの技術は、商会にとって“管理不能”だったからだ」
「……何?」
「お前が炉に立つだけで、他の鍛冶師の価値が相対的に落ちる。“天才”は商会には不要だ。必要なのは、均質な成果。誰が打っても同じ品質の、管理された鋼だ」
「つまり、“魂のこもった鍛冶”は、邪魔だったと?」
「そういうことだ。……そして今、貴様はまた“市場”を乱そうとしている。“火の家族”などという異端の集団を作って」
ゾルダの背後に立つ秘書官が、紙束を差し出した。
「こちらが、今後うちの商会から出す“制裁通知”。貴工房の名前は鍛冶ギルドから抹消される。素材の供給、販売ルート、全てを断つ」
「……宣戦布告ってわけか」
サーシャが低く呟いた。
だが俺は、一歩前に出て言った。
「――構わない。火が尽きない限り、俺たちは“鍛え続ける”」
「ほう?」
「俺の火は、もう一人のためじゃない。“皆”のためにある。弟子たちと鍛えた刃は、あんたらの薄利多売の鋼なんかとは比べものにならない」
ゾルダは沈黙した後、冷たい声で言った。
「では、来月の“王都鍛冶品評会”に出てみろ。そこに出せる工房の数は限られている。だが、お前に枠をくれてやってもいい」
「見せろというわけか。“火の家族”の力を」
「ああ。そしてもしそこで、我々を上回る品を出せば、商会は口を閉ざそう。だが、負けたら――即刻、解体だ」
俺は頷いた。
「受けて立つ。俺たちが鍛えた“魂の刃”を、見せてやる」
その夜、工房に戻った俺たちは、品評会に向けた製作を開始した。
「どんな刃を作る?」
グリトが問う。
「“見た目”じゃない。“使われて輝く刃”だ」
フェンが拳を握る。
「じゃあ……“折れず、曲がらず、よく切れる”だけじゃない。手にした瞬間に“心が燃える”ような、そんな一振りに」
ライラが笑った。
「……面白くなってきたわね」
サーシャの目が鋭く光る。
俺は、工房の中央に立った。
「――火を見ろ。今度の相手は、あの商会だ。だけど、火は誰のものでもない。“信じた火”が、一番強い」
そして俺たちは、再び炉に火を入れた。
家族の火を――未来に鍛えるために。