表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

実は仕事人なご隠居が、隠居してもまだ、仕事を頼まれるお話。

作者: のんちゃ

時は江戸時代。


気のいい旦那が、表の商売も裏の仕事も隠居をしたのだが……。


どうする、ご隠居…?

「だんなぁ!……じゃなかった、ご隠居!」

「はいよお、平さん」

「まあ〜ったく、隠居っちゅうには、まだ若すぎるよなあ!」

「いやいや、人生五十年と言われちゃあおりますが、手前はもう五十四。倅も一人前になった事ですし、とっとと店を譲ったってぇ訳です」



貫禄のある体、穏やかな笑顔。旦那、ないしご隠居、と呼ばれた男が、にこにこと話して頭を下げる。




「物心つくかつかないかでこの店に養子に入って、若い頃には随分とやんちゃだったのに!落ち着いたと思ったら、あっという間に立派な大店になって!!そんな男、なかなか居ねえよ?旦那!」

「隠居だ隠居!」



平さんと呼ばれた男は、昔から今までの旦那、ないしご隠居の話を、次々と思い出しては淀みなく語る。



「一時は貧乏店でどぉなるかと思ったけれど!ほんと、立派な店になったよねえ!」



うんうん、と感心する平さん。ご隠居は呆れ返りながら笑った。



「そんな褒めても、何も出ねえよ?…さって、俺はちょいと行ってくらあ」

「あー、また博打ですかあ?」

「これだけは、やめらんねぇのよ!」

「もう!何故かいつもツイてて、大負けしないで稼いで帰ってくるからいいものを。これさえなけりゃあねえ〜!」

「はは!んじゃ!」




そう言って出掛けた賭場で、一、二回軽く流すと。すぐに出てしまうご隠居。



寺を抜けて、境内の中、森の暗がり。

そこに、闇に潜んで数人が集まっていた。男女様々。その中の一人、目つきの強い壮年の女に声をかける。



「……待たせたかい」

「ああ。よく来てくれた、」

「言っとくが、俺は断りに来たんだ。…大店の主人も隠居した、こっちの仕事も、もう受けるつもりは無いよ」

「……今更、足を洗おうってのかい」



壮年の女が言う。周りの連中も俄かに沸きたつ。




「……俺ももう歳だ。体のあちこちにガタがきてる。

隠居だなんだと腑抜けた俺より、若い連中に任せたい。それだけだ。足を洗おうって今更、身綺麗になれるとも、思っちゃいねえよ」



少しは周りの気配が落ち着く。

「…下手な若いのよりも、あんたの腕は、よっぽど強いと思うがね」

壮年の女がため息を吐きながら言う。



「いやいや、若いのも随分と育ってきてるじゃねぇか。あとは、数こなすだけよ。もう、俺の出る幕はねぇだろ」

表情を崩して笑うご隠居。この穏やかな笑みで、表稼業の大店でも、裏の仕事でも。随分と人に慕われていた。



「それが。…あんたじゃないと、頼めない相手がいるんだ。頼むよ。」


言うなり、

その場の殺し屋全てが頭を下げた。



「あいつを殺して、……助けてやってくれ」







その男は、歳は二十も過ぎた頃で、倅と同じくらいか。



ガキの頃に捨てられ、やくざに拾われ、耐えかね斬り殺し逃げて、生き延びたのだという。

常に身につけるのは、黒い着物。腕のいい一匹狼の人斬り、として、少しは名の知れた男らしい。



腕がいい分、沢山殺した。殺し過ぎて…誰彼構わず、見境なく殺すようになってしまった。



このままじゃ、遠くない内に、こちらの仕事にも影響が出る。街の暮らしも悪くなる。

既に仲間内の何人かが止めにかかったが、太刀打ちできなかった。死人も出ている。



「あいつに、確実に落とし前付けさせる腕の持ち主は。あんたしかいないんだ。頼むよ」






「……まいったよなぁ………」

腕を組んで、家に戻ったご隠居。




「だん、…ご隠居、おかえりなさい!」

「「「おかえりなさい!!」」」

「おう、皆もご苦労さん」



番頭をはじめとする店の者達は威勢よく言って頭をさげる。

片手を上げて和やかにそれに応え、どんどんと奥へと引っ込んだご隠居は。

座敷で煙管をふかし、ひと息つく。




喧嘩に明け暮れた若い頃。おやじ、といっても養父が急死して店を継いだ時には、元々大きくはなかった店は貧乏で。

しょっちゅう金に困り、表向きは真面目に働き、博打だけはやめられない、という程で夜な夜な外へ出ては、ひとり裏稼業に精を出し、金を作っていた。



ようやく持ち直した、どころか大店にまでなり。

しくじって大事になる前に。

倅達に家督を譲り、余生を大人しく過ごす。殺した分だけ、仏に手を合わせて弔う。

そう、思っていたのだが。



「とうさん、帰られましたか」

「ああ」

「お父様、お茶お持ちしました」

「おみよさん、ありがとな」



倅とその妻、おみよがやってくる。

「またいつもの博打ですか」

「ああ、今日はついてなくてな、有り金無くなる前にやめて帰ってきた、ははは」

「もう、懲りないんだからあ。気をつけてくださいよ。近頃、物騒なんですから」

「そうなのか?」



「辻斬りだそうですよ。夜に現れては、黒衣に身を隠し、誰彼構わず、だそうで」

「へえ、そいつはまたぁ。物騒な話だねえ…」

素知らぬ顔で、腕を組み唸るご隠居に、倅は尚も言葉を重ねる。



「金目の物なんか持ってるとうさんなんか、いい的ですよ。気をつけてくださいよ、まったく」

「わあかった、わあかった」

「うちは商人であって、人斬りにあったら太刀打ちできませんよ!とうさんなんか、すぐ、ていっ!と、こうですよ」

「ははは、そうだなあ〜」

「お父様、笑い事じゃないですよぅ〜。優しいお父様が、皆心配なんです。うちの人も、素直にそういえばいいんだから」

「おみよ、それを言っちゃあ、うぅ……」



やり込められた倅は、頭を抱えて縮こまる。



「わかったよ。気持ちは、ありがたく頂戴して、気をつける事にするよ」

「「そうしてください」」

「ふふ、夫婦仲良きことはよきかな」

親子に嫁、三人の笑い声が広がった。








誰もが寝静まる深夜。



目立たぬ紺の着物を着たご隠居が、部屋を出ようとして。



「……また、お仕事ですか」

「…っ!…………おせいか」



妻のおせいが膝を揃えて座っていた。



「ご隠居なさったのですから、裏も隠居、そうおっしゃってたのでは」

「すまぬな、おせい………」




しばしの沈黙が二人に流れる。


先に口火を切ったのは、おせいであった。



「……まあ、長い事苦しい勘定事情を、支えてくれたのは旦那様です。危ない思いをして、急場を何度も超えたのも。持ち帰られたものを元手に、店を大きく出来たのも。全て、旦那様のお陰。ですから、私がなにを言える立場にはないことは、重々承知です」


そう言って、両手を突いて頭を下げるおせい。


「おせい……」

「ですが……」



頭を上げたおせいは、真っ直ぐとご隠居を見る。



「裏のお仕事へと見送る度。今日はご無事で、どうか、無事にお戻りになられますようにと、いつも、手を合わせている事、忘れないでくださいましよ」



敵わないな、とご隠居が口を開いた。



「……いつも、心配かけるな、おせい。すまない。だが……」




気持ちと共に、重くなるご隠居の口調。



「此度ばかりは、行かなければならないんだ」

「……例の、辻斬りですか」

「耳が早いな。……俺がもし、早くにしくじって、お前や倅が路頭に迷っていたら。もしくは、俺自身が喧嘩に明け暮れたまま、落ちぶれに落ちぶれてたら。そいつみたいな事に、なってたかもしれない。……そいつ、倅と同じくらいなんだそうだ」



黙って聞くおせい。



「自分でも歯止めが効かなくなったそいつが、これ以上業を深める前に。そして、街の者たちが安堵出来るように。……行ってくる」




「……わかりました」

頭を下げるおせい。



「ご無事のおかえりを、お待ちしてます。旦那様」

「ああ。わかった」





道の暗がりに。小柄な黒い着物の男がいた。

背を向けた背中が、まだ若い。

こちらに気づき、振り返る。剃刀みたいに鋭い目で、こちらを見た。



冷たく表情も無かった男の口元に、じわあと笑みが浮かんでくる。



「……オマエ、強いんだな」

「さあ、な。……ただ、おまえさんをやれ、と言われて、ここへ来た」

「へぇ…………」



まじまじと見る、男。やがて。

「……ククク、ヒャヒャヒャ、アヒャヒャヒャヒャ!」



笑い出した男。

勢いよく刀を抜き、叫ぶ。



「なら来い!楽しませてもらおうじゃねえか!」


対するご隠居も、ばっと刀を抜く。

駆け出し、振り下ろしかけた刀を、ご隠居は素早く返して横に薙ぐ。



ご隠居の力強い刀を、男は刀で受けた。

「キャハハハハハハ!イイじゃねえか!」




続けて、力一杯男が刀を振る。右、左と荒々しく振られる刀を、ご隠居が確実に落ち着き払って受ける。



ギン、ギン!と激しく刀が鳴り続ける攻防。

そして。




ご隠居が大きく男の胴を薙ぎ払う。

「ウワアアア!………ケケケ、ハハハハ!」



大きく斬られても尚、笑いながら刀を構え直す。目はぎろりと、大きく見開いていて。



その後も、度々ご隠居に大きく斬られるも、男は楽しそうに笑うばかり。



その間も、ご隠居は動揺することもなければ、躊躇うこともなく、落ち着いて受け流し、攻撃していく。



一撃。もう一撃と。

深く斬られた男は、よろけつつも笑いながら、刀を高く振り上げた所で。

急に、足元から崩れ、地面に仰向けで倒れる。



尚も起きあがろうと足や腕を動かすが、体が持ち上がらない。



「がはっ。はあ、はあ、はあ、」



じたばたと、もがく男の手にはまだ刀が握られていて。ご隠居はまだ気を抜けず。迂闊に近寄る事も出来ない。




やがて黒衣の男は、広げていた両腕が、もう上がらないとわかると。

ふいに、刀を持った手を動かし、手首だけ刀で刀を投げる。カラカラカラ、と刀が地面を転がった。



「はあ、………はあ、………」



黒衣の男は、斬り合っている間は熱く沸いていた頭が、徐々に冷めていくのを感じる。

もう、終わりだ、という事も。




自分が死ぬとしたら、とこれまでも考えてはいた。碌な死に方はしないとは思っていたが、その時が来たら、相手に何を思うだろうか、憎む、のだろうかと。



倒されてみれば、案外そんなことは思わなかった。十分に、強かったから、だろうか。

歳の功、なのか、こちらの激しい打ち合いに対しても、落ち着いた、まるで大きな巌のような相手だった。案外、それで、満足、したのだろうか。




男は倒れて、そのまま放っておかれると思ったのだが。

大の字に倒れた男の視界に、ご隠居が入って来た。男のすぐそばに、腰を下ろしたらしい。物好きなものだ。どうやらこのまま、しばらく付き合ってくれるらしい……男が、逝くまで。



付き合ってくれるらしいので、男が掠れ声で、ご隠居に問いかけた。




「…ナア……その腕になるまで。……どんだけ斬った……….?」

「さあなあ。……百人、は下らないかなぁ。……ああ。おまえさんで、百、八人目、だ」

「へぇ……そんだけ斬って、正気でいられるんだ………」



はは、とご隠居は少し笑って言う。



「必死だったからなあ。金の為と、家、立て直す為に……」

「そうか……」



男の荒い息。呟いた相槌に答えるように、ご隠居は話を続ける。



「……家族の為、なんて言っても。所詮、人を斬ってるには、違いねえけどなあ……何処が、違っちまったんだろうなぁ」



「ぁぁ……そうだなぁ…………もう、わかんねぇや……」



少しずつ、目に力が無くなっていく男に向かって。ご隠居は穏やかに、寝る子をあやすように優しく、声をかけた。



「そうかぁ。……ゆっくり、休め…。もう誰も、斬らなくて、いいんだ…」

「あぁ……そうだ、な………」





ふう、と静かに目を閉じた男に。

ご隠居は手を合わせる。



少しして、遠くから声がする。騒ぎに気づいた者が知らせたのかもしれない。



立ち上がったご隠居は、もう一度、黒衣の男の亡骸を見ると。

素早く、その場を後にした。






「ご隠居!」

「おう、どうした平さん、」

「例の辻斬りの噂、知ってるかい」

「ん〜、あぁ。少しだけ、聞いたことあるかな、」

「あの辻斬り、死んだんだってよお!」

「へぇ」

「誰がやったんだか知らないけど、ばったり倒れてたんだってさあ!」

「そうかい」

「きっと凄腕の……、はあ、ご隠居、ほんと興味ねえのな」

「ははは」



店先で平さんと、そんな話をした後。



ご隠居は家の中で、仏壇に手を合わせ目を閉じた。





……あの男を見たのは、半年程前であったか。



昼間の、街外れの道端で。近くの村のこども達に囲まれていた。

こどもが寄ってたかっているにしては、異様な黒い着物。ああ同業だ、と遠くからでもわかってしまう雰囲気を持つ男だったのだが。

屈託のない笑顔で座り、こどもの頭を撫でていた。

周りには、おやつを頬張るこどもが群がっている。



「ほらあ、腹が減ってるからって、あまり急ぐな、むせっぞ!」

「はあい」

「ねえねえ!おにーさん、わるいひとなの?」

「ぁあ?……あ〜?悪い人だよ?」

「えー」

「なんでー?」

「こんな人斬りが、悪くない訳ねえだろっ」

「そうなのー?」

「ほらー、悪い子は俺に斬られちまうぞー、わー」

「きゃあ!あはは!」

「ほらほら、おやつ食ったら帰んな、こんな大人になんなよー」

「えー」

「えーじゃねえんだよ。…あ、やっべ、役人だ、ほおらお前ら!解散だ解散!」

「「「えーーー」」」

「じゃ俺は行くからな、じゃあな!着いてくんじゃねえぞ!」

「おにいちゃん、じゃあねー」

「ごちそうさまー」

「余計なこと言うなよばあか!」



笑って、すたこらさっさと逃げていく男。

手を振るこども達。男の逃げ足が早く、追いつけない役人。


そんな様子を、まあいいかと、少し微笑ましく見ていたのに。





あの時、どうしていれば。

あの男を斬らずに、済んだだろうか。



せめて気にかけていれば、ああなる前に…と、思った所で終わってしまったことだ、考えても仕方ないこと。



それでも。

男が見境なく人を斬るようになってから。昼ではなく、夜、出歩くようになったのは。

こども達を手にかけない為の、男に僅かに残った、せめてもの正気、だったのだろうか。



今となっては、もう、わからないことだ。

それでも。






しばらく祈っていて。ふと目を開け横を見れば、妻のおせいも隣で手を合わせていた。



「おせい…」

「…ふふ、旦那様、」



おせいが顔を上げ、ご隠居を見て微笑む。



「……ありがとうな、おせい」

「いえいえ。…さ、お茶でも淹れますよ。いいお天気ですから、縁側ででも飲みましょうか」

「ああ。そうだなぁ」



促されて縁側へ出れば、突き抜けるような青い空。




見上げるご隠居は青空に、己が斬って、散った若い男を想った。

読んでいただき、ありがとうございました!

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ