未来虹路
〈scene1〉
海の十和田湖と形容される波静かな船坂湾に沿って続く海辺の道を、犬を連れた小学生・長崎明日海が、飼い犬といっしょに、小走りに駆けていく。
すっかり日が長くなった4月の空は5時を過ぎても明るい。夕色の順光をいっぱいに浴びた積雲が、「虹の入り江」と呼ばれる船坂湾の水面に、淡色の影を落として揺れ浮かんでいた。町の東側に円形カルデラ湖のように広がる船坂湾には、雨上がりには、午後の順光を浴びて虹がかかることがよくあった。湾の出入り口のふたつの岬を結ぶように虹がかかると、船は虹のアーチをくぐって湾と外海を往き来するかのようにも見えた。
街の防災無線から「遠き山に陽は落ちて」のメロディーが流れだす。時刻は午後5時。外で遊んでいる子どもたちは、自宅へ帰らなければいけないと決められている時間だ。
明日海は、スニーカーの靴紐がほどけかけていることに気づいた。掴んでいた犬のリードを離してしゃがみこみ、靴紐を結び直した。
「ランちゃん、ちょっと待ってね」
明日海が、連れていた犬に声をかけた。
ランちゃんと呼ばれた犬は、ゴールデンレトリバーmixの大型犬だった。ランは、その場へお座りして、振り返って明日海の顔をじっと見ている。明日海がリードを離しても、ランはどこへも駆け出したりしない。いつも一緒に遊んでくれるご主人様のことが大好き、といったふうに、ふさふさの大きなしっぽをパタパタさせている。
明日海が立ち上がった。
「さあ。ランちゃん、防災無線も鳴ったし、そろそろうちへ帰ろうか。でも、海がこんなにキレイなんだしさ、ゆっくり行こうよ、ね? ランちゃんの島もだんだん夕焼け色に染まって来たよ」
〈scene2〉
明日海が指さす方向には土地の人たちがオランダ島と愛称する小島が浮かんでいた。
ランという犬の名はこのオランダ島に由来するらしかった。島の名愛称は江戸時代、オランダ船籍の商船」が食糧と水と薪を補給調達するために島のすぐそばに碇を下した事から名づけられたという。
海沿いの小径から、松原の中を抜けて、県道へ出た。県道は、十数年前の東日本大震災によって発生した大津波災害からの復興工事のため、大型のダンプカーがせわしなく行き来している。津波が来ても届かない場所に住宅を建てるのに、平らな土地を作るため、山から削り出した土や砂利を運んだり、以前からの商店街や駅があった町の中心部をかさ上げするための土を運んだりする工事関係の車が走り抜けていく様子を、今春、小学校4年生になった明日海は、物心ついた小さなころからずっと見続けてきた。学校でも、復興についての授業は、折に触れて繰り返されてきた。トラックには気を付けなさい、という、帰りの会での先生の言葉は、さようならのあいさつと同義だった。
〈scene3〉
船坂町は、東北地方の太平洋岸、南北に200㎞以上も続く三陸海岸の、ほぼ真ん中にある、漁業と造船の街だ。漁業としては、養殖業が盛んで、中でも船坂湾で育てられたカキは三陸沿岸地方のどの町で養殖されたものよりも大粒で味も濃厚だ、と評判だ。カキは、1日約200リットルもの海水を吸って呼吸しているという。カキはその吸い込んだ植物プランクトンで大きく育つのだが、その植物プランクトンとは、川によって運ばれてきた森や大地の栄養分だ。三陸の海は、その背後に、厚くて深いに森を抱いた山々を背負っている。森に降る雨は大地沁みて「フルボ酸鉄」などのミネラルを谷川に注ぎ、川水はさらに流域の多彩な土壌に触れながら水を海へと運ぶ。船坂町は海と森の調和の中に暮らしがある豊かな土地なのさと、町の大人たちは胸を張る
三陸海岸は、北は青森県南東部の八戸市から宮城県東部の石巻市の万石浦市)まで続く、総延長600キロメートル余りの海岸だ。三陸という名称は、明治初頭にかつての奥州(東北地方太平洋側)に置かれた三つの令制国「陸奥国(現在の青森県に相当)」、陸中国「(現在の岩手県に相当)」、陸前国「(現在の宮城県に相当)」という、三つの国に、陸の字が共通することに由来する。初めて三陸という呼称が使われたのは、明治29年(1896)の明治三陸大津波の被害を報道する記事中でのことだったと言われている
以後、その被災地域のみが、つまり現在の青森県、岩手県、宮城県の三県の沿岸地方だけがそう呼ばれるようになった。内陸部は三県のエリアであっても、三陸とは呼ばれない。概ね海沿いの山に降った雨が東側(海側)へ流れ出す分水嶺が三陸と内陸の境界線になろうか。
小学校では、郷土の歴史や産業について教えたり学ばせたりという学習の時間の枠がたっぷり確保されていた。新しい故郷の町を造って行くことになるであろう子どもたちには、郷土愛を感じて、その気持ちを育んで深めてほしい、というのが船坂小学校の復興プログラムの願うところだった。
いつも大型犬のランと長崎明日海が散歩する姿は、船坂の街の名物でもあった。
明日海の父は船坂町役場の職員だった。のちに知ったことだったが震災や津波で仕事を失った人たちも多かった中、安定的に毎月のお給料が支払われる公務員にたいするやっかみなどもあったらしい。被災した多くの市町村で同様の逸話があるらしい。明日海の記憶の中では、連日の残業で夜遅く疲れた顔で仮設住宅へ帰ってくる父の姿が強く残っている、役場の窓口にのりこんできて、役場は仮設住宅もまだつくれないのか、半壊したうちの隣りの家の工事の音がうるさいからやめさせろ、こっちは職場も仕事も失ったのにお前らは、オレらの税金から給料もらってんだろう、ちゃっちゃと働けや、などと職員を怒鳴り散らす人もいたらしい。母は「お父さんは船坂の町の復興のために毎日頑張って疲れてるのよ」語っていた、事実そうだったろう。しかし、役場の職員だって被災者なのだ。自宅を失い家族を亡くした職員もいる。その葬儀などもままならならない中で、ときにうっぷんを晴らすかのように、窓口で言葉を荒げるような被災者にも、丁寧に、寄り添ったのは、被災市町村の行政職員たちだった。
これものちに知ったことだが、父は町が新設した部署「復興推進課」の課長に抜擢されていた。業務は広範で復興工事のための県や復興庁職員との対応や、会議などはもちろん、仮設住宅建設のための用地確保の交渉、防災集団移転促進事業の施行、災害公営住宅建設のための用地買収などのほか、仮設住宅ができてからは仮設住宅周辺の環境整備(草むしり等の手配)や仮設住宅入居者の生活サポート、公共施設等の清掃業務など、復興に関する情報発信や教訓の伝承など復旧復興に関する業務の多くをワンストップで担った部署だった。東日本大震災ほどの規模の大津波からの復旧・復興行実への対応なんて、大震災が発生するまで日本のどの役場職員も経験したことがなかっただろう。その忙しさはもちろん明日海には想像すらもできなかったが、震災以前には週末になると釜石や宮古の大型店や遠野のおばあちゃんちや、花巻市のマルカンデパートの食堂へ名物のソフトクリームを食べに行くドライブなどへも連れていってくれたやさしい父と過ごす時間がめっきり減って、明日海の低学年時代の記憶は、思い出すと寂しかった感情ばかりがよみがえってくる。
〈scene4〉
明日海は4歳で津波に遭遇。その時のことはもうたくさんは覚えていないが、2歳年上の兄と一緒に両親に連れられて高台へ逃れたことや、避難所(地区公民館)で過ごした数週間の断片、そして仮設住宅暮らしの中で迎えた小学校入学式の日の朝のことなどは覚えている。
ランは避難所に迷い込んだゴールデンレトリバーmixの子犬だった。母犬も飼い主もいなかった。誰もが犬どころではなかったが、明日海が手を差し出すと、子犬は明日海の腕の中に飛び込んできた。町の広報誌もこの犬のことをとりあげ掲載してくれたが、飼い主だと名乗り出る人は現れなかった。純血のゴールデンレトリバーなら、血統書付きだろうし、飼い主さんも木きっと探しているだろうと思ったが、この小犬はmix犬だったし、どうやらひとりぼっちらしいということになった。吠えたり噛んだりすることもなく、誰にでも懐っこい子犬だったが、やはり一番なつかれたのは最初に手を差し出し抱き上げた明日海だった。実はこの子犬にはもう一匹の兄弟犬らしい子犬がいっしょだった。その子犬は避難所運営を手伝っていた消防団の人が引き取って行った。明日海は、いつかその兄弟犬とランを会わせてあげたいと思っていた
避難所に詰めていた役場職員と自衛隊員が犬好きだったことも幸いし、やがて届き始めた支援物資の中にペットフードもたくさん混じるようになったこともあり、明日海になついた子犬は、避難所で世話できるようになり、子犬は明日海のナイト(騎士)になった。ランという名前は避難所にいた八幡町の魚屋さんの大将が、オランダ島のランにしようと言い出して、やがてみんながラン、ランと呼んでいるうちに定着していった。船坂湾の真ん中に浮かんだこの島がオランダ島と愛称されたれたのは 江戸時代、オランダの商船が食糧や水や薪を補給調達するために島のすぐそばに碇を下した事に由来するのだ、ということは、先述したが、正式な名前は「船坂大島」という。
鮮やかな松の緑色を抱いて、波静かな船坂湾にぽっかり浮かんだ丸いカメの甲羅のような姿は、船坂町のシンボルでもあった。
ランの飼い主は、長崎家の家族の中でははっきり決められていなかったが、誰が見ても飼い主は明日海だった。
明日海の父母も避難所で出会ったランのことがかわいらしかったが、何よりも、明日海とランが、お互いの気持ちを通わせ合っているような様子が、いちばん嬉しかった。避難所を出て仮設住宅に入居することになったらランも連れて行こうと、父が言い出した時、明日海は飛び上がって喜んだ。
けれども仮設住宅での隣人、は猫を連れて入居した人で、イヌは苦手だということで、ランはその後、遠野市の祖母の家にいったん引き取られた、遠野の野山を元気に駆け回りながら、ごはんもたくさんもらって、ランあっという間に大型犬へと成長した。翌年春になるころには仮設住宅から転居する人も増え始め、隣人も引っ越して行った。ランは改めて明日海の仮設住宅へやってきた。明日海が「どうしても飼いたい」といい、明日海とランは再会を果たした。そのころは明日海も、もう6歳になろうとしていた。ランはすっかりりーどを引っ張る力も強い大型犬になっていたけれど、ランは明日海には従順で、散歩は明日海に任せられそうだということで、以後、明日海はランを連れて、復興工事が進むまちを散歩するのが日課になった。
〈scene5〉
ふたりの散歩は、明日海の成長につれて次第に遠くまで足を延ばすようになる。大型車両が行き交う道の散歩を両親は心配したが、やがてふたりは(ひとりと一匹)は、北は隣市との境界である大沢大橋付近、南は隣町の道の駅がある四十八折峠にまで出かけることもあった。
はじめは、大型犬のランが、小柄な明日海を連れて散歩しているように見えた。大きな犬に連れられて歩く小さな女の子の姿は、船坂のまちのささやかな名物にもなった。
行き交うダンプカーの運転手も、スピードを落とし、ときどき手を振ってくれた。
明日海が遠くまで散歩に行くのには理由があった、かつて避難所で明日海とランが出会ったとき実はランにもう一匹の兄弟犬らしい子犬がいっしょだった。そちらの子犬は、避難所にやって来た消防団の人が引き取って行ったらしいと後から聞かされていた。明日海は、いつかその兄弟犬とランを会わせてあげたいと夢想していたから。それでどこかのお家のお庭でかつての兄弟犬が遊んでいたり、相手の飼い主さんがそのときの子犬を散歩させていたりして、偶然でもランと兄弟犬が出会えるようなことあれば、ランはきっと大喜びするに違いない、なんて想像していた。
もちろん残念ながら、そんな偶然は起こらなかったが・・・。震災から6年が過ぎ、長崎家は、震災以前に自宅が立っていた八幡地区から少し山手側に新たに造成された住宅用地に土地を購入し、新しい家を建てて、仮設住宅から引っ越した。そのとき、大工さんが山から切り出してきたたという間伐材で、ランのために小さな木小屋を作ってくれた。宮城県に近い地区で活躍する気仙大工さんと呼ばれる人たちは、昔から腕がいいと引っ張りだこで、家が完成したあとは、余った木材で、神棚や本箱などをつってくれるのが恒例、というか伝統になっているのだという。
明日海にも、自室が一つあたえられ、部屋の窓からはオランダ島が浮かぶ船坂湾が見晴らせた。
明日海の母は、明日海の伯母(母の実家の姉)が、駅前で営業を再開した書店兼ステーショナリーグッズのお店でお手伝いをはじめ、碧海が学校へ行っている時間、母はランをお店に連れて行くようになり、ランはそこで看板犬になった。
明日海は学校からの帰路には、母が働くその書店に立ち寄ってランを自宅へ連れて帰り、玄関先にランドセルを転がしたあと、そのままランと散歩に行くのが日課になった。ランはいつでも明日海との散歩を心待ちにしていたかのように、しっぽを思い切り振り、全身で喜びを表しながら明日海の散歩の準備が整うのを待っていた。
明日海とランの復興が進むまち散歩は続いていた。月日は流れ、明日海は4年生になった。お転婆さんに成長し、小学校の運動会では、日頃の運動量が豊富な明日海が、リレーやグラウンド周回マラソンで優勝するなど大活躍だったし、郡の体育大会には学校代表として数種目に出場して各種目で好成績を収めるなどして、船坂小学校の長崎明日海の名はスポーツ万能女子として他校にまで知られるほどだった。
町の復興も進んでいた。図書館や子どもたちのための自習室などを併設した「まちなか交流センター」が駅前にできたり、町役場の近くに県立病院が再建されたり、国道沿いに共同店舗棟ができたり・・・、三陸自動車道にはそれまでのインターチェンジに加え新しいインターチェンジがつくられ、その入り口には新しい道の駅もがオープンしたり・・・と、明日海とランが歩く船坂のまちは、どんどん変わっていく。
〈scene6〉
ある日曜日、ランを連れて北の大沢大橋付近まで散歩に行ったとき、ランは突然、明日海をぐいぐい引っ張るように急に駆け出した。そのままランが駆け寄った先にランと同様にゴールデンレトリバーの血を引いたらしい、ランよりも濃い毛色の大型犬を連れた少年が立っていた。ランは少年が連れていた犬のお尻のあたりのにおいを確かめるように嗅ぎはじめた。
「こら。ラン、初対面のワンちゃんに失礼よ」
明日海がランをたしなめると、少年は犬同士がお尻のにおいを嗅ぎ合うのは、相手のことをもっとよく知るためのコミュニケーション手段なんだ、だからその子はうちのリアスのことが気に入ってくれたみたいだから、放っておいてだ丈夫だよと解説してくれた。
明日海が「八幡の方から来ました船坂小学校の長崎明日海です」と名乗ると、少年は、あの足の速い船坂小の長崎さん?と返した。「八幡からって4キロ近く離れているのに、すごいね。長崎さんってそうやって鍛えてるんだね」と、感心したように明日海の顔を見つめた。少年もまた、僕の名前は大沢東小学校の大浦海斗ですと名乗った。その名乗りを聞いた明日海もまた、その名前に思い出すことがあった、「4年生なのに走り高跳びで130㎝を飛んだ海斗君?」
海斗は連れていた犬の名前を「リアスだよ、女の子なんだ」と教えてくれた。長崎さんのワンちゃんはなんていう名前なの?ランちゃん?ランくんだね。オランダ島のランか。船坂らしいいい名前だね。うちのリアスは海に関する名前にしたいということで、母さんがわりと単純に名付けたんだ。
海斗の話によると、リアスは、消防団員だった海斗の父が、避難所で保護して自宅に連れてきた犬なのだという。
「あたしがランを保護したとき、避難所にはもう一匹兄弟犬っぽい子犬がいたんだけど、その子は消防団の人が保護して自宅へ連れていったって聞いたわ。海斗くんのお父さんがリアスちゃんを保護した避難所って北浜公民館じゃなかった?」
「避難所としか聞かされてなかったけど、今度、父に聞いてみるね」。
まだ確証はなかったが、ふたりはじゃれ合う二匹をみて、きっと兄弟犬だったんだね。どっちが先に生まれたのか、姉弟なのか兄妹かは分かんないけどと、笑い合った。
秋は駆け足で過ぎて行き、船坂の海辺にも冷たい北西風が吹き渡り、冬になると時折、吹雪が寄せて、湾の見晴らしをすっかりかき消してしまうこともあった。その吹雪が去って陽射しが降り注いで来ると、大福もちのように、雪をかぶったオランダ島を真っ青な海の真ん中に浮かび、その船坂湾を、外輪山のように囲む山並みが、真っ白な雪を頂いて、碧海と青空に映え渡るまぶしい景色は、船坂町自慢の、冬の海景色だった。
明日海とランの散歩は、雪の日も続いていた。海斗とは、お互いに連絡先を交換していなかったため、再会は、運まかせだったが、1月と2月に1度ずつ、八幡と東大沢の中間地点あたりにある道の駅で会うことができた。1月に再会したときは互いの連絡先を交換し、海斗は明日海から預かっていた宿題に答えてくれた。リアスを保護した避難所の名前のことである。北浜公民館だったという。その公民館こそ、明日海がランと出会った避難所だった。
でもこれだけでランとリアスが兄弟犬だったと決めてしまうことはできなかったが、同じ避難所の出身犬?同士であることは確認できたことになる。
「出身って言う言い方でいいのかな?」
「いいんじゃない?」
〈scene7〉
ふたりが五年生になる直前の春休み。久しぶりに明日海と会った海斗は、両親の仕事の都合で盛岡へ転校することとなったということを明日海に告げた。
「お父さんって消防士さんだっけ?」
「消防士じゃなくて消防団員さ。消防団員っていうのは公務員である消防士じゃなくて、お仕事を別に持ってる町の普通の人たちが、火災や自然災害が発生したとき出動して、火を消したり町の人たちを誘導したり避難所に物資を運んだり、避難所のお手伝いをしたりするんだ。」
「消防士って言うのは、きちんと公務員試験を受けて、合格したら消防官になるための学校へ行って、技術を学んで消火活動や人命救助活動などを行うプロの人たちなんだ。うちの父さんは、船坂生まれなんだけど、勤めている会社は盛岡に本社がある建設機械の会社の船坂支店なんだ。今回、盛岡の本社で県内各支店の統括?という仕事をするんだって」
「急だけど来週には盛岡へ引っ越して、自分も新学期から別の小学校へ通うんだ。
リアスも、もちろん連れて行くさ」
「そうなの・・・?急だね?寂しくなるなあ・・・。もう船坂には戻ってこないの?」
「それは、いつになるかはわかないけど、きっと戻ってくよ。船坂には父さんの実家もあるし。それに僕は海がある船坂が大好きなんだ。将来このまちでやりたい仕事もあるから」
〈scene8〉
「明日海ちゃんLINEやってる?」 海斗がポケットからスマホを出しながら明日海に尋ねた。LINEどころか、明日海は中学生になるまで携帯電話は買ってもらえないことになっていた。
明日海はランのリードを海斗に預け、道の駅のインフォメーションセンターへ走っていき係りのお姉さんからメモ用紙をもらいボールペンを借りて戻って来た。
「海斗君、盛岡の新しい住所分かるなら、書いてくれない?」「えーと、今はすぐには分かんないな。明日海ちゃんの住所を、もらってもいい?引っ越したらこっちから手紙出すから」「うん分かった」と言いながら、明日海はメモ用紙に自分の自宅の住所を書いて、海斗に渡した「。ありがとう。きっと手紙出すよ」海斗はメモ用紙を丁寧に降り畳んでポケットから取り出した財布の中へ大切そうにしまった。
今日は、お別れの散歩だね。東大沢からはちょっとだけ遠くなるけど先週できあがった復興祈念公園の船坂湾展望広場へ行ってみない?「祈りのマスト」っていう、復興支援で船坂町へ来てくれた人達へ感謝の気持ちを捧げて、いつの日にかの再会と、亡くなったしまった人達の、ご冥福を祈るモニュメントがあるんだって」
「今月の役場広報に載ってた公園だね。じゃあ、いつか海斗君が、きっと船坂町に戻って来きて、いつかまた必ず再会できることと、あたしと海斗君が出会ったこと、そして私たちふたりがそれぞれランとリアスに会えたことにも感謝を捧げましょう。同じ避難所へ。迷い込んだあと、別れ別れになっていたランとリアスの二匹が再会できたことも祝いって、そして、感謝しましょう」
公園は、最近整備が終わったばかりで、春もまだ浅く、植栽も、まだまだ小さかったが湾の展望広場もかねてるだけあって海の見晴らしが素晴らしかった。
風も今日は北西風ではな、くほんの少しだったけれども、暖かさを含んだ南西の風に変わっていた。ふたりは「祈りのマスト」の隣りにあった《希望の鐘》のひもをいっしょに引いて打ち鳴らした。そばを走り過ぎた三陸鉄道の汽笛が、鐘の余韻と重なった。
出会いっていえばさ・・・と言いながら、海斗がこんな話を聞かせてくれた。
「犬の先祖が狼だって 知ってるよね?ところでさ、どうして狼が犬になったのかは知ってる? こんな説があるんだ。それはランくんが明日海ちゃんに出会ったときの様子によく似てるんだ」
海が照り返す蒼い光に包まれた公園の展望広場で、それぞれが大型犬を連れた小さなカップルがブランコを小さく揺らしている。
海斗の問いかけに明日海は、ランのあたまをなでながら、
「犬の先祖が狼だってことは知ってるけど、どうして狼が犬になったのかは知らない」。と答えた。
「いくつか説があるんだけど、じゃあボクが好きな説をひとつ教えてあげる。オオカミがイヌになったのは、人間がまだ狩猟生をしていた約3万年以上も前のこと。人間たちは狩猟で得た獲物の残りをゴミ捨て場に捨てていたんだ。するとあるとき、オオカミたちががそれに気づいたんだ。彼らは『人間のそばにいればエサが手に入る』ということ知った。また一方、人間たちは サーベルタイガーといった夜行性の大型肉食獣を恐れていんだけどオオカミはそんな猛獣が近づいてくると、遠吠えなどで仲間たちに知らせていた。
人間たちもそのpp神たちの声を頼りにしたんだ。オオカミたちがそばにいて危険を知らせくれることで、夜は安心してぐっすり眠ることができるようになったんだ。
こうして人間たちとオオカミたちの間にいい意味で影響し合う関係が生まれた。
やがてオオカミは人間たちの狩りにもついてきて 獲物の存在を人間に教えるようになった」
「そんなある日 、人間の女の子が 森の中で、一匹で鳴いていたオオカミの子どもと出会ったんだ。
女の子は本能的に その小さなオオカミの姿をかわいいと思った。
そうして女の子は、オオカミの子どもをなでたいと思って、抱っこしたんだ。。オオカミの子どもも、女の子に自分を攻撃するつもりがないことを察して、差し出された手に警戒心を解き、女の子の手に無邪気にじゃれついて、そしてそのやさしい腕におおらかに抱き上げられた。
やさしい女の子は、ひとりぼっちで鳴いていた狼の子どもをきっと放っておけないと思ったんだろうね? 狼もまた女の子のやさしさが嬉しかったんだ。
明日海ちゃんはランくんのことを、が放っておけないと思ったんだよね? そしてランくんにとっては明日海ちゃんが差し出した手が、幸せ行きのハシゴに見えたんじゃないかな。
ホントに出会いに感謝だね」
〈scene9〉
海斗とリアスが、盛岡へ引っ越しって言った春、
明日海は6年生になった、ある日、織原地区の坂道の途中のバス停そばの、ちいさな公園のベンチに買いもの袋を置き、立ち上がって腰をのばす仕草をしながら湾を眺めている老婆と出会った。
明日海は、荷物が重くてたいへんで休んでいるのかなと思い、「だいじょうぶですか」と声掛けしてみた。
ああ、ありがとうね。ちょっと海を眺めたいと思ってさ。家はもうすぐそこだから。平気だよ。気にしてくれたんだね。やさしい子だね。あんたたちは、震災後、ずっと町を散歩している、二人だね。町で有名な二人だね?」、
老婆はそう言いながらベンチに座り直し、肩から下げてたバッグの中から個包装タイプのチョコレートを取り出して明日海にひとつ分けてくれた。明日海が遠慮しかけると、おばちゃんは、ちょっとだけお話しに付き合ってくれないかしら?いっしょにおやつ食べましょう」と言ってくれた。
〈scene10〉
さあ。あなたもお掛けなさいと促され、明日海もベンチに腰かけた。
「どこから来たの、えっ八幡? そんなに遠くから? こんな大きなワンちゃんも近くで見るのは初めてだわ。ワンちゃんって、チョコレートを食べさせるにはNGなんだっけ?」といいながら、バックから取り出した、おせんべいを割って、ランに分けてくれた。
明日海G差お礼を伝えると、おばちゃんは明日海に「お名前は?」と問うてきた。明日海は自分の名と学校名と学年、そして、ランの名前と、その名の名由来を話した
「まあ、オランダ島のランちゃんなのね。そう教わると覚えやすいわ。」
ここからもオランダ島はよく見えるでしょう。うちのお父さんは、漁師さんだったんだけど津波に流されて、乗ってた船があの島の岩にぶつかって壊れちゃったんだよ。」
「そのあと、おじいちゃんとはもう会えなかった。1ヵ月ぐらい過ぎてから、警察から連絡あって、当時、遺体の安置場所になってた町の総合体育館まで、身元確認に来たいただけませんかって言われて行ったんだよ。で、会えたんだよね。でもさ、もう話かかけても揺さぶっても、じいちゃん何も答えてくれなかった。」
明日海は震災以降、こういう話しはいくつか聞かされてきたけれど、自分に関係のない誰かの話しでも、人が亡くなったなんていう話しはやはり辛くksなしくて、体中が凍るような気持ちなった。
「ごめんね、6年生の子にするようなお話しじゃなかったね」
おばあちゃんは「じいちゃんはきっと天国へ行った。でもあたしの心の中ではまだ生きているんだ」と言う。
「そういう言い方って、ときどき聞くんですけれど、それってどういうことなんだろう?って、いつも思ってました」
「明日海ちゃん、死んだ人はどうなると思う?」
「天国に行く・・・のかな?」
「霊、御霊になったらそうかもね。でもね、地上に残り続けるものも、あるんだよ」
「残るもの?」
「そう。その人の思いね」。
「思い・・・ですか?」
「『魂』」という言葉には、ふたつの意味があってね。ひとつは明日海ちゃんが言ったみたいに、死んだ人の霊魂は、どこか違う世界へ行って暮らしているっていう考え方。たとえば天国とかね」
「そしてもうひとつは、そのひとの思い、気持ちや願い。それも「魂」っていうのよ」
「思いや気持ち?」
「その人が生きている間にやりたかったこと、誰かに伝えたかったこと。その人の生き方の元になっていたもの。生きるためのエネルギーになっていたものって言うか、さ。根性とかパワーの源というか」
「震災すぐあとのころってみんなが『東北魂』ってよく言ってたでしょう『負げでらんねえぇ』っていう気持ちが東北の人たちの根性の源だったのよね。精神っていう言い方もできるかな? 」
「亡くなった人が生きている間に燃やしつくせなかった夢とか希望を、残された人は受け止めてあげなくちゃ。そうすれば、亡くなった人はずっと生きられるのよ」
「その人のことを思い出すんだね」
「それだけじゃないよ。嬉しいとき、悲しいとき、困ったとき、あの人ならこう言ってくれる、きっとこうしなさいって、励ましてくれるって、生きていたときのその人の声や顔も思い出して、心の中で会話するのよ。それが『亡くなった人は心の中にずっと生きているっていうことなのよ。『魂は永遠』ってね。」
おばあちゃんはチョコレートをもう一個手渡してくれた。
「ごめんね明日海ちゃんには重たいお話しだったかな。明日海ちゃんの夢ってなあに? 希望は?」
「あたし? ・・・なんだろう。」
「なんでもいいんだよ。でも、いろんな人の思いや願いが聞こえてくる人におなりよ。そして、自分のやりたいことが、誰かの助けになるといいね」
「たまたま声をかけてくれたあなたとおしゃべりがしたいって思ったのは、あなたが、いろんな人の思いやちょっと困っている様子に気が付く人だと思ったからなの。
そうところをずっと大事にしていってね。いろんな人が「ちょっと困っていたり、ちょっとしたお手伝いを待っていたりするわ、それに気が付いて、声をかけられる人はあんがい多くないの。だからもしも気づいたら、今日みたいに声をかけてあげてね」
この日は、これだけでおばちゃんとはお別れした。なんだか学校の先生のようなやさしい話し方。明日海はもう一度会いたいと思った。せめてお名前だけも伺っておけばよかったと思った。名前が分かれば、おばあちゃんのことを知る人に会ったりしたら、、その人を通じて、おばあちゃんともまた会えるかもしれない。その後も折原の方へ出かけたときは、あの日と同じ時間帯に公園のベンチで待ってみたりもしたが、もうおばあちゃんに会うことはできなかったが、明日海は、おばあちゃんとの会話を、ずっと、忘れることができなかった。
〈scene11〉
翌春。船坂町では、町内に3校あった中学校が、ひとつの中学校に統合された。町内6つの小学校の卒業生はみんな統合・新船坂中学校に入学することになった。
その中学校の入学式の日、明日海は体育館へ向かう渡り廊下で、海斗と再会した。大浦海斗は二年ぶりに船坂町へ戻ってきて、同じ中学校に入学することになったのだった。口をあんぐりと開けて驚く明日海。海斗の左肩の付近をばしっと平手で叩いて、背が伸びた海斗の顔を見上げる。はにかみの笑顔を返す海斗。
その週末、明日海はランを、海斗はリアスをそれぞれ連れて、復興祈念公園の船坂湾展望広場の「祈りのマスト」の前で会うことにした。
〈scene12〉
ランとリアスは再会を喜び合って飛びはねる。
「それにしても船坂へ戻ってくるのなら手紙で知らせてくれればよかったのに」
「きっとびっくりするだろうなって思ったから、黙っていたんだ。予想通りのリアクションだったから嬉しかったよ」
「だけど海斗くん、背が伸びたね。ときどきくれたお手紙に写真が入っていたこともあったけど背が伸びたことまでは分からなかったわ」
「部屋でゲームしているときに、母さんがこっそり撮った写真だったからね」たくましくなった海斗の姿が明日海には、ちょっとだけ、まぶしかった。
「そういえばあたし、携帯電話を買ってもらったらったんだよ。中学生になったら買ってあげるっていう、お父さんとの約束だったから。ねえ、海斗くん、LINEを交換してもらっても、いい?」そう言いながら、明日海は真新しいスマホを嬉しそうにポケットから取り出して、海斗に見せた。「これで、これからは、あたしたち、町のどこででも、待ち合わせできるね」
「ところで2年前、ここでお別れするとき海斗君が『将来このまちでやりたい仕事がある』っ言ってたよね、覚えてる?」
「うん、覚えてるよ。」と言って、海斗は津波犠牲者の慰霊碑の前で手を合わせたあと、「僕はいつか消防士になるのが夢なんだ」と言った「父さんも船坂に戻って来て、さっそく町の消防団に復帰したんだ。自分はできれば救命救急士の資格なども取って、大好きなこの船坂のまちでずっと暮らしたいし、この町のことを助けたり、町の人たちの役に立ちたいんだ」と言った。
その海斗の告白に明日海もまた、勇気をもらい、そして明日海自身が漠然と考えていた将来の自分像を、海斗に打ち明けた。
「あたしは、看護士になりたいかな?」
「いいね。明日海ちゃんは、やさしいからきっといい看護士さんになれるよ。夢を語りあったり、励ましあったりできる友だちと再会できたこと、希望の鐘を打ち鳴らして感謝しようよ」
〈scene13〉
ふたりが並んで打ち鳴らした鐘の音を合図にしたかのように、遊覧船が汽笛を鳴らした。ふたりが港の方を振り返ると、先ほど短く通り過ぎた雨の向こうに続く航路に、虹のアーチがかかり、その下を、もう一度、汽笛を鳴らしながら、遊覧船がゆっくりと出航して行った――。