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【短編】婚約者と親友に捨てられた聖女ですが、こっちは楽しくやってます

作者: 結生まひろ

「アーデル。君は国のために犠牲になってくれ」


 婚約者、エドガー様の冷たい言葉に、私は息を呑んだ。


「え……?」


 まるで心臓を握りつぶされたような感覚がして、言葉がすぐに出てこない。


「……何を言っているのですか?」


 なんとか絞り出した声は震えていた。目の前の彼の表情は硬く、その隣で親友のイリスが薄く笑みを浮かべている。


「僕はイリスと愛を誓い合ったんだ。だが、君がいるかぎりそれを公にすることはできない」


 なるほど……それはわかりました。


 でも、どうしてそんな話をこのタイミングで言うのだろう――。



 この国には二人の聖女がいる。私、アーデルと、同い年のイリス。

 私たちは十歳のとき、最強と恐れられた魔王ゼルヴァルドを倒した、伝説の聖女。

 あのときから十年、私たちはずっと国のために尽力してきた。


 そして今、魔王ゼルヴァルドが住んでいた魔の森に誕生した邪悪な魔獣を討伐するため、私はイリスと、神殿長エドガー様とともに、この森に足を踏み入れたのだった。


 五歳年上のエドガー様と婚約が結ばれたのは、もう随分前のことだけど、イリスを好きになってしまったのなら、そう言ってくれればいい。


 婚約破棄だってなんだって、受け入れてあげるから。


 それなのに、〝犠牲になってくれ〟だなんて……。


 彼らの計画は、想像以上に恐ろしいものらしい。


「聖女をあの魔獣に捧げれば、この森の魔物たちは鎮まることがわかっている。君の犠牲は国のためにもなるんだ」

「待って、そんなの……冗談ですよね?」

「残念だけど、君にはここで役目を果たしてもらう」


 目の前には眠っている黒い獣。その周りには、これまで見たことのないような魔力だまりができていた。

 瘴気に包まれた魔の森の中で、その周辺だけが特別に濃く、黒く淀んだ靄に包まれている。


「私を生贄にするということ……?」

「そうだ」


 信じられない……。

 二人とも私の大切な存在だったのに。


 淡々と語るエドガー様の声には、もはや情など一片も感じられなかった。


「イリス……」


 もう一人の聖女である私の親友、イリスに視線を向ける。

 この十年、イリスとはともに励んできた。聖女としてときには辛いこともあったけど、二人で支え合ってきた仲だ。


 だからイリスが私を見捨てるはずは――。


「これでやっと邪魔者がいなくなるわ。ずっとそのいい子ぶった顔が気に入らなかったの。エドガー様が私を選んで当然だわ」

「……そんな」


 彼女は小さく鼻で笑い、エドガー様の腕を組んで私を見下ろした。

 その冷たい声が、私の心をぐしゃりと踏みにじる。


「国のために、犠牲になってくれ。勇敢な聖女、アーデル」


 そう言うと、エドガー様は杖を構え、イリスも同様に手に魔力を込め始めた。


 勝手に私を勇敢な聖女にしないでよ……!


「ちょっと待って、二人とも、何を――」


 私の言葉を遮るように、エドガー様とイリスが同時に魔法を放つと、光の矢が私を通り越して二人の視線の先に向かっていった。


 その先にいるのは、眠っている獣。

 青みがかった黒い毛皮に覆われて、長いふさふさのしっぽが地面に横たわり、額から金色の角が伸びている。


 二人の魔力がその身体に直撃し、周囲の空気が緊張に包まれた、その瞬間――獣の目が開いた。


 ズズズズ――と大地を揺るがすような強大な魔力の波動に、肌がビリビリと痺れる感覚を受ける。


「……!」


 目を開けた獣は、私に鋭い視線を向けたままゆっくりと身体を起こした。

 それだけで、周囲の木々から鳥たちが一斉に飛び立ち、逃げるように空へ舞い上がる。

 開かれた金色の瞳が私と合った瞬間、この獣がただの魔獣ではないことを悟った。


 この獣は、もしかして――。


『……おまえは、憎き聖女だな』


 低く威厳のある声が、直接頭に響いてきた。その一言で、たちまち肌が凍りつく。


「想像以上に恐ろしい力だ……魔獣よ! 聖女を生贄に捧げる!」


 エドガー様がそう叫ぶと、慌てた様子でイリスに目を向けた。


「僕たちは逃げるぞ!」

「待って、エドガー様、私を置いていかないで!」


 イリスは悲鳴を上げながらも、エドガー様を追って走り出す。


「ちょっと、二人とも……!」


 私も二人を追おうとしたけれど、〝ズシン――〟と地面が揺れ、その場で転んでしまった。


『逃がすものか』

「……!」


 その言葉とともに、獣が一歩、私に近づいたのだと気づく。それだけで辺りに震動が走ったのだ。

 二人の背中は容赦なく遠ざかっていく。イリスが振り向きざまに、満足そうに笑みを浮かべてみせた。


 ――私は捨てられた。


 これまでずっと、二人きりの聖女として一緒に頑張ってきたのに。

 親友だと思っていたのは、私だけだったの……?


 胸の中で何かが砕ける音がする。


『復讐だ……復讐のときがやってきた』


 獣が静かに何かを呟いている。


 ――でもごめん。今それどころじゃないの。


『覚悟しろ、憎き聖女め――ッ!!』

「ねぇ、酷いと思わない!?」

『…………は?』


 ばっと勢いよく顔を上げると、目の前で獣が大きな口を開いていた。

 グァッと開けられた口には、骨をも砕きそうな鋭い牙。


 けれど今の私はそれどころじゃない。


「これまで十年、華の十代を投げ捨てて国のために尽くしてきたのに!!」

『……ほ、ほう』

「婚約だって勝手に決められちゃったけど、私はエドガー様みたいなタイプ好きじゃないのよ! なんかナルシストだし!!」

『そう、なのか……』


 なんだか獣は拍子抜けしたような顔をしている。でも私の話を聞いてくれてるから、案外いい奴なのかも。



「もういい! 私、聖女やめる!!」

『……え?』



 覚悟を決めてそう宣言すると、私は獣に向き合った。


「あなた、魔獣じゃないでしょう。……聖獣、フェンリルね?」

『……何? 俺が、聖獣だと?』

「そうよ、その力……間違いないわ。もしかして、自覚がないの?」


 魔物から感じる邪悪な魔力とは明らかに違う。むしろ私たち聖女に近い、神聖な魔力。けれど聖女ともまた違う、何か特別なものを感じる。

 それでも辺りの瘴気を浄化していることが、彼が聖獣だということを物語っている。


『……俺は随分長い間、眠っていたような気がする』

「そうなのね……生まれて間もなく、力を溜め込んでいたのかしら。でもイリス(聖女)の魔力を受けて、目を覚ました……」


 聖獣ならば、聖女の魔力を受けて目覚めたことにも頷ける。

 でも、エドガー様は確かに〝魔獣〟と言って危ぶんでいた。エドガー様には魔力を見極める力がある。イリスも、彼が聖獣だと気づいていなかった。


 ……二人は私を生贄にしたつもりだろうけど、もしかしたらそのうち再びやってきて、この子を倒そうとするかもしれない。

 そのときは私が守ってあげなければ。

 きっと、この子はまだ生まれたばかり。独りにするのは不安。


『しかしおまえは逃がさぬぞ――』

「私たち、一緒に暮らしましょう!」

『…………は?』

「これからは私が一緒にいてあげるから、安心してね?」


 フェンリルが何か言いかけたような気がするけど、私は安心してもらおうと、笑顔を浮かべて頭を撫でた。


「私は聖女として神殿に仕えてきたけれど、さっき見捨てられてしまったわ。あなたへの生贄なんですって」

『…………』

「だから私、決めたの。見たところあなたはまだ生まれて間もないでしょう? 一人前の聖獣になるまで、私が守ってあげるわ」

『……おまえ、俺が怖くないのか?』

「あなたは聖獣だもの。怖くないわよ」

『…………』


 古来より、聖獣が誕生した際は聖女の守護神となり、ともに戦ってきたとされている。


「私はアーデル。あなた、名前はあるのかしら?」

『……ゼル』

「ゼル、いい名前ね」

『……前世の名だがな』


 ゼルは混乱した様子で呆気にとられているけれど、私は笑顔を崩さず歩み寄った。

 少しずつ安心してくれているのか、先ほどのように牙を剥き出してはいない。


「ゼルには前世の記憶があるの?」

『ああ、あるぞ。しっかりとな』


 そう尋ねると、ゼルの口角がにやりと上がった気がする。誇らしげに見えて、ちょっと可愛い。


「そうなんだ、すごいのね!」

『…………』


 私が手を叩いて称賛すると、ゼルはまた拍子抜けしたような顔を見せた。



『……貴様、何もわかっていないようだが俺は――』

「ゼル様~!!」


 ゼルが何か言おうとした、そのとき。

 遠くのほうから誰かが空を飛んでやってきた。

 ゼルの名前を呼んだけど、知り合いがいたの?


『おお……、オリヴァじゃないか! おまえ、生きていたのか……!』


 美しい所作で着地して礼をしたのは、銀色の髪に紫色の瞳をした美青年。


「もちろんです。ゼル様の復活を今か今かと待ちわびておりました」


 やはり二人は知り合いなのね。

 ゼルのしっぽが嬉しそうに揺れた。……可愛い。


「ああ……ゼル様……。こんなに可愛らしいお姿になられて……」

『うるさい。俺は今目覚めたところだ』

「おはようございます。十年間、屋敷は守り続けてあります! さぁ、参りましょう」


 私を無視して話が進んでいく。この男は、一体誰……? 人間ではないわよね? 空を飛んでいたし。


「……あの、盛り上がっているところ悪いけど、あなたは?」

「ん? あ……!! この女、聖女アーデルではありませんか!?」

「はい、そうですが」

「おのれ聖女め……! 再びゼル様の前に現われるとは――」

「え?」


 再びとは、なんのことを言っているのだろうか。それに、なぜかこの人は私のことをとても怒っている。


「今度こそ必ずや私がゼル様を守ってみせま――」

『こいつも連れていくぞ』

「えええ!? ……あ、わかりました! 捕らえるのですね!」


 ツン、と素っ気なく言いながらもしっぽがゆらゆらと揺れているゼルに、困惑しつつもすぐに納得した男。


「私の名前はオリヴァ。ゼル様に前世から仕えている者です!」

「あら前世から。すごいのね、オリヴァ。ゼルを守る者同士、よろしくね」

「なんと馴れ馴れしい――! え、ゼル様を守るって??」


 オリヴァは不思議そうに首を傾げた。


 聖女が聖獣を守ることが、そんなに意外なの?

 それにしても、ゼルの前世はフェンリルではなかったのかしら?

 でもこんなにものすごい力を持っているのだし、きっと神聖な存在だったに違いないわね。



 とにかく私は、オリヴァの案内で彼らの屋敷とやらに向かった。




     ◇◇◇




 俺の名はゼルヴァルド。

 前世は魔王。あの聖女にやられて滅んだ、魔王ゼルヴァルドである。


 目を覚ましたとき、目の前にあの聖女がいた。


 俺は生まれ代わってまたこの世に生を成したのだ。さすが、俺様。


 ふはははは――! 復讐だ!!!


 ――そう思ったが、なぜだか俺は聖獣フェンリルに生まれ代わっていたらしい。


 前世魔王だった俺が、聖獣!?

 そんなおかしなことがあってたまるか!


 これは聖女の力の影響なのだろうか……。

 だが、魔王だった頃の記憶ははっきりしている。


 オリヴァの話ではあれから十年が経ち、子供だった聖女は大人になっていた。しかし、俺にはすぐにわかった。

 忌々しい魔力。これは間違いなくあのとき俺を殺した聖女だと。


 一人は逃げていったが、もう一人は捕らえた(・・・・)

 魔族であるオリヴァが十年間守り続けてくれていた城(屋敷)は、以前と変わらぬ住み心地だった。

 ここに聖女を捕らえて、復讐してやるのだ!


 ふっ……、俺をただの可愛い聖獣だと思っている愚かな聖女め。


 さぁ、どうやって復讐してやろうか――!!!




 ――そう意気込んだあの日から、早一ヶ月。


「あら、ゼル。おはよう。ふふ、今日も寝癖ができているわ。おいで、梳かしてあげる」

『や、やめろ……! 俺を犬のように扱うなと何度も言っているだろう!』

「ゼルは犬じゃなくて、狼だもんね」

『そうだ……って、それも違う!』


 俺はあの最強と言われた魔王、ゼルヴァルドだというのに……!


 俺の腹の内を知らない聖女アーデルは、すっかり油断しきっている。

 今朝も俺を見つけるなり手にブラシを持ってにこにこしながら近づいてきた。


「もう、あなたの手では櫛を持てないでしょう? 威厳あるフェンリルなら、常に身だしなみを整えておかないとね」


 くそっ、俺を(ほふ)ったこの聖女のいいようにさせてたまるものか……!!


「ゼルの毛並みは艶々のふわふわね」

『…………』


 そうは思うのだが、なぜかこの女に触れられると心地がよくなって拒むことができない。


「とっても綺麗よ」

『…………』


 優しい手つきと話し方に、なぜだか心が落ち着く。


 ……って、いかんいかん! 俺はこの女に復讐するのだ!

 何を本当の犬のように身を委ねているんだ……!!


「ふふ、気持ちいいの?」

『そ、そんなわけないだろう!!』


 俺としたことが、ついうとうとしてしまったではないか……!!

 おのれ聖女め、何か特殊な力を使ったに違いない。侮れん。


「そういえば、ゼルはちゃんとお風呂に入ってるの?」

『おまえには関係ないだろう』


 もちろんたまには風呂にも入るが、この女のように、毎日入っているわけではない。


「……ちょっと獣臭がするわよ」

『何!?』


 しかし、続けられた言葉にぎくりと嫌な汗を感じる。

 この姿では風呂に入るのも簡単ではないのだ。


「もう、面倒くさがっちゃ駄目よ? そうだ、私が洗ってあげる!」

『…………は?』



 なぜか楽しそうにしている彼女が何を言っているのかよくわからないまま、連れていかれたのは浴室だった。


『俺を洗う? ほ、本気で言っているのか!?』

「大丈夫、昔泥に嵌まっちゃった子犬を洗ったことがあるから」


 笑いながらそう言って、自らの服を脱ぎ始める聖女アーデル。

 俺は子犬ではないし、そもそも犬ではない……!


『ば、馬鹿な……!! 俺は男だぞ!?』

「知ってるよ、ゼルがオスだってことは」

『オスではない! 男だ!!』

「ふふ、ゼルは格好いいもんね」

『おまえ……!』


 あまりにも呑気に服を脱いでいく聖女に、思わず鼓動が速まっていく。


 この女は何を考えているのだ!? いくら種族が違うとはいえ、俺は男でこいつは女……!!

 俺の見た目に騙されすぎだ!!


『あああ……、なぜすべての服を脱ぐんだ……!』

「だって濡れちゃうし。それにゼルだって服を着てないじゃない」

『俺には毛皮があるだろう……!』


 反射的に見てしまった聖女の姿に、ハッとして目を閉じ、俯く。


 いやいやいや、何を動揺しているのだ、俺は!!

 俺様は魔王だ、人間ごときの裸に戸惑うはずが……!


「さぁ早く入って。寒いじゃない」

『……っ』


 この聖女は……!!!


 いつまでも脱衣所にいるわけにもいかず、俺は仕方なく(・・・・)浴室に進んだ。


「ふふ、ゼルは紳士なのね」

『…………っ!!』


 ぎゅっと目を閉じている俺に、聖女がやわらかく笑ってお湯をかけてくる。

 とても優しい手つきで泡立て、撫でられる。

 悔しいが、気持ちがいい。


 聖女には復讐をする――。


 ……はずなのだが、俺もこの聖女に気を許し始めていた。



「ゼルはあたたかいね……」

『……お、おい!?』


 早く終わってくれ。そう願っていた俺に、突然そっと抱きつくように身を寄せてきた聖女に、俺の鼓動が大きく跳ねた。


 衣服を身に着けていないというのに……! この見た目に騙されて、俺が男だということをわかっていないな!?

 それならばわからせてやろうか――!


「ゼル……このままずっと一緒にいたい」

『――!』


 そのとき、寂し気に呟かれた言葉に、胸の奥がぎゅっと掴まれるような感覚を覚えた。


 ……思えば彼女は、子供の頃から聖女として神殿に仕え、国のために働いていたのだった。

 俺を滅ぼしたのも十歳のガキの頃。


 ……もしかすると、ろくに親に甘えたこともなかったのかもしれない。


『……好きなだけここにいればいい』

「本当?」

『ああ』


 そもそも復讐するまで、おまえを逃がすつもりはないがな。

 そう心の中で続けた俺の泡だらけになった身体に、彼女は思い切り抱きついてきた。


「ありがとう、ゼル。大好き!」

『……!?!?』


 女性特有のやわらかい感触に心臓が飛び出しそうになるほど大きく脈打ち、一瞬にして身体が熱くなる。


 この俺が、こんな人間の女にくっつかれたくらいで動揺するはずが――!

 こんな……こんな、子供のように無邪気で、よく笑い、優しく、愛らしい、女に――。


 ドキドキと鳴りやまない鼓動。アーデルの優しくやわらかな温もり。

 俺の身体が沸騰したみたいに高鳴り、熱くなった瞬間。


〝カッ――〟


「わ!? 何?」


 俺の身体は眩い光に覆われていた。




     ◇◇◇




 大きくてあたたかいゼルの身体に抱きついた直後、突然その身体が眩い光に包まれた。


「……ゼル?」


 私が驚いて声を上げると、光の中から現れたのは人間の男性だった。

 私より少し年上くらいの青年。青みがかった黒い髪、金色の瞳はまるで宝石のよう。

 強い意志を宿した鋭い眼差しに、鍛え抜かれた引きしまった身体つき、すらりとした長身。


 神々しいほどに美しい男性が、目の前にいた。

 けれど私にはわかる。その瞳は、間違いなくゼルのもの。


「……人の姿?」


 ゼルも自分の姿に驚いている様子。両手を顔の前に掲げ、握ったり開いたりしてその様子を確かめている。


「アーデル! 俺は人の姿を手に入れ――」


 けれど、人の姿になってしまったゼルの身体は、当然毛皮で覆われていなくて。


「…………ごめん。ゼルが立派な男の子だってこと、よくわかった」

「……!!!」


 お互い泡まみれとはいえ、この状況に私は目を伏せ、ゼルは声にならない悲鳴を上げた(ような気がする)。




「――ゼル様が人の姿を手に入れるなんて! いえ、私は信じていましたけどね!」


 その後お風呂から上がり、もちろん別々に着替えを済ませ、オリヴァと三人で広間に集まった。

 彼はゼルの姿を見て感激している様子。


「前世とは少し違うお姿ですが、今世のゼル様もとても格好いいですよ! ……ところでなぜ二人とも顔が赤いのです?」

「「…………」」


 オリヴァのその言葉には私もゼルも何も答えられなかったけど、話を本題に戻す。


「フェンリルが人の姿になるなんて、初めて聞いたわ」

「あの姿だったときよりも、力がみなぎっている気がする」

「それじゃあその姿が、今世でのゼル様本来の姿なのですよ!!」


 ゼル本来の姿……。

 オリヴァの言葉を聞いて、私には一つの仮説が思い浮かんだ。


「まさかゼルは……聖神だったの?」


 聖神とはその名のとおり、聖女以上に神に近く、神聖で特別な力を持つ存在。

 ゼルにはまだ解放されていない大きな力があるのは感じていたけれど、彼が聖神だったのなら説明がつくのだ。


「ふむ……聖神か。確かに、今の俺にはそれほどの力があるような気がするな」


 ゼルは少し得意げに頷いた。


「すごいわ、ゼル。……もふもふじゃなくなってしまったのはちょっと残念だけど」

「何か言ったか?」

「ううん。別に」


 ぽろりとこぼれてしまった本音にゼルが怪訝そうに眉を寄せたけど、私は笑顔で誤魔化した。



「そういえば、王都の様子を見てきましたが酷いものでしたよ」

「え?」


 ふと思い出したようにオリヴァが口を開く。


「どうやらもう一人の聖女の力だけでは足りないようで、王都周辺に魔物が現れたり災厄が相次いでいるらしく、民からの信仰心が弱まっているのだとか」

「あら……そうなの」


 神殿に対して複雑な思いがある私だけど、民に罪はない。

 それを思うとちくりと心が痛む。


「ふん。あいつらはアーデルを見捨てたのだろう。自業自得ではないか。いい気味だ」


 ゼルはそう言って鼻で笑ったけれど、やっぱり放ってはおけない。


「気休めにしかならないかもしれないけど、私もここから祈りを捧げておくわ」

「そんなことをする必要はない」

「神殿のためじゃないわ。民のためよ」

「……まぁ、好きにするがいい。だが、おまえは絶対に王都には帰さないからな」

「あら」


 まるで独占欲を現したようにそう呟いたゼルの言葉に、少しだけ胸がときめいた。



 やっぱり、ゼルは魔獣なんかではなかった。

 邪悪なものとは真逆の存在。


 ここに来てから、私はとても快適な毎日を送っているし、聖神であるゼルと出会えて本当によかった。



 幼い頃に聖女と言われて神殿に連れていかれた私に、両親との思い出はあまりない。

 けれど国のため、民のために働くのが聖女として教えられ、日々努力してきた。

 魔王を倒した後も、伝説の聖女として期待を背負い、一心に頑張ってきた。


 そんな生活からの解放は、正直言って最高だった。

 ちょっと素直じゃないけれど、可愛いゼルと、料理上手で気のいいオリヴァのことが、私は大好きになっていた。

 まるで新しい家族ができたみたい。


 ……ゼルがもふもふじゃなくなってしまったのはちょっぴり残念だけど、人の姿になったゼルも、とても格好いいと思う。少し危険な雰囲気が漂うところも含めて。


 できればこのままずっとここで、三人で楽しく暮らしたい。




     ◇◇◇




 俺は、聖神だったらしい。

 まぁ、元は聖女にやられた魔王であることは間違いないが。


 聖神は魂レベルで何百年も生きてきた者にしかなれない存在。

 俺は魔王の時代から異常なほど魔力を持ち、聖女の力によって滅ぼされ、魂が清められるという奇跡的な経緯で聖獣フェンリルに生まれ変わったのだろう。

 その後、更にアーデルとともに過ごしたことで、俺は聖神になったのだろうか。


 元魔王の俺が聖神とは……笑える話だ。

 魔王と聖神は、まさに正反対。相反する存在だというのに。


 だが、まぁいい。

 そんなことより、俺は人の姿を手に入れた。


 さぁ、今まで犬扱いしてくれた礼をたっぷりさせてもらおうか……!



「今までよくも俺を犬のように洗ったり梳かしたりしてくれたな。仕返しをしてやるから、覚悟しろよ、アーデル」

「え? 仕返し?」


 俺の言葉に、きょとんとした表情を浮かべるアーデル。

 大きな瞳がぱちぱちと瞬きをして、俺を見つめてきた。


 ふ……、そんな無邪気で可愛い顔をしても無駄だ。

 この俺を辱めた報い、きっちり受けてもらうぞ。


「……それって、今度はあなたが私の身体を洗ったり、ブローしてくれるってこと?」

「!?」

「気持ちは嬉しいけど、さすがにその見た目だとちょっと恥ずかしいなぁ」

「ゼル様って、意外と大胆なんですね」

「ちちち、違う……! そういうことではなくてだな――!」


 一瞬それを想像しかけて慌てる俺を見て、アーデルはくすくすと笑う。まるで俺の反応を楽しんでいるかのようだ。


「聖神ゼル様。私はこれからもあなたをお守りし、仕えます」


 そして、不意に表情を引きしめ、淑女らしい所作で胸に手を当て、俺の前に跪く。

 そのあまりの豹変ぶりに、鼓動が高鳴った。


「……ふん、おまえは聖女だろう、俺が守ってやる。特別だぞ」

「あら」


 アーデルの慣れない態度に、俺は動揺してしまった。その動揺が悟られないよう、視線を逸らして呟いたが――


「ありがとう、ゼル。大好き!」

「……!!」


 アーデルが可愛らしい笑顔で俺に抱きついてきた瞬間、俺の心臓は一際大きく跳ね上がる。


 ――これは、なんだ? アーデルに抱きつかれると、なぜこんなにドキドキするのだ――。


「か、勘違いするな! 俺には別の目的があるだけだ――!」

「ふふ、そうなのね」


 にこにこしているアーデルを前に、不意に訪れたこの鼓動の乱れに戸惑いながらも、俺はすぐに自分を取り戻す。


 ふ……っ、せいぜい油断しておくがいい、聖女アーデル!


 おまえに復讐するのはこの俺だ! 他の者には指一本触れさせん!!


 俺の復讐は、まだ終わっていないのだからな!


 ふははははは――――!






 ――彼が十年前に自分が滅ぼした魔王・ゼルヴァルドだということをアーデルが知るのは……もう少し先のお話。



お読みくださりありがとうございます。

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― 新着の感想 ―
アーデルとゼルのやり取りが可愛すぎです! 裏切り者達の末路とかどうでもよくなってしまうほど癒されました!
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