サイボーグ・アシダカグモ戦士 ─ゴキブリ全滅作戦
屋内にいる生き物の中で一番嫌われているおじゃま虫こと害虫は何か。ダニ? それも正しい。が、私が自信を持って推挙できるのはゴキブリです。原始の時代から生き延びてきた兵で、天敵であるにも関わらず人類と寝食をともにしてきた仲である。その長年の付き合いから今や、ゴキちゃんの愛称で呼ばれることもある。
このゴキちゃん、人類以外に天敵などいないのかと思いきや、実はいた。それも屋内で、かつゴキちゃんと同じ生息域にいた。その勇者の名は「アシダカグモ」。このクモは網を張って餌がかかるのを待つのではなく、自ら歩き回って獲物を捕食する。渉猟の狩人である。巷では、アシダカ軍曹なる異名で呼ばれている。こちらから仕掛けないかぎり、咬みついてくることはない。人類にとってまさに益虫である。
このクモは元来、日本には生息していなかった。1878年に長崎県で初めて確認されたそうだ。輸入品に紛れ込んで入国したのであろう。日本にいるクモの中でも最もいい体格をしている。体長は雌が20から30ミリメートル、雄が10から25ミリメートルで、頭の先から脚の先までは100から130ミリメートルもある。成体になるのに2年ほどかかり、寿命は5年から7年。長命と言える。
人類はこれまでにゴキちゃんをやっつけようと色んな科学兵器を発明してきた。その代表格はゴキブリホイホイであろう。しかし、これは長く使っているとゴキちゃんもすっかり慣れてしまい、スルーされてきた。中には人類を小バカにして頬ずりするものまでいる。人類として悔しい! ゴキちゃんを全滅させる兵器の発明はノーベル賞級とも言われている。それほどゴキちゃんは人類にとって永遠のおじゃま虫なのである。悪名高きレジェンドの称号を授与してもいいくらいだ。
ところが人類も黙っちゃいない。21世紀になり、ミクロの世界における技術革新の成果を応用しようと研究者魂に火が点いた。というのもアシダカグモが2、3匹いる家屋ではゴキブリは半年以内に全滅するいう検証がなされていたから。この事実を最新の技術でもって、さらに確実なものにしたい。その担い手である世紀のヒーロを創ろう。ヒーロはいつの時代も創られるものである。
研究者たちはアシダカグモをサイボーグ化し、ゴキちゃん全滅作戦の戦士にしようと考えた。夜は寝ないで、昼は昼寝もせずに、あらゆる知識と知恵を結集して技術開発に励んだ。その結果、「サイボーグ・アシダカグモ戦士」を誕生させた。このネーミング、かっこいい! よくやったー、ブラボー人類!
体長の大きい雌のアシダカグモの背中に無線の受信機を組み込んだ電子回路や小型の充電式電池を載せた。これらの装置の重量は2グラムほどである。クモにとっては軽い! 無線で指令を送り、目や口、脚の根元に埋め込んだ電極を通じて神経を刺激してやると、サイボーグ化する前よりもいっそう、ゴキちゃんを見つける機会が増えた。ゴキちゃん食べるの大好き本能をくすぐったとも言えよう。
研究者たちにとって、次なる課題は実践で成果を出すこと。いくら実験での成果が良くても実用化できなければ、子供のおもちゃ、『絵に描いた餅』も同じこと。
さっそく、この作戦に協力してくれる家屋を探した。日本中を隈なく探しに探しまくった。その結果、独身のある中年男に白羽の矢が当たった。この男、ずんぐりした小太りで、顔は酒焼けしてどす黒く、おまけに猫背であった。頭部はと見れば、満月のごとく一点の曇りさえないお見事なハゲ頭、ツル天ピーカー、逆ボタル、オツルの方様、無限砂漠、ハエの滑り台、ミラーボール、いずれの呼称も当てはまった。〝おっさんは 類希なる 頭かな〟。
男はゴミ屋敷ならぬゴミ箱の中で生活していた。ゴキちゃんを培養し、飼育する箱の中とでも言えようか。ゴキちゃんたちは昼間から、体全体をテカテカ油光させながら、台所で徒競走をし、ジャングルジムのようなゴミ袋と残飯の残った流し台の中で、かくれんぼごっこをして遊んでいる。夜にはゴキちゃんどうしの縄張り争いの喧嘩が耐えず、騒がしかった。その音を気にすることもなく、男はまさにゴキちゃんと同居している、いや男がゴキちゃんに同居させてもらっている、と言うのが正しい表現だろう。部屋にはごたぶんに漏れず、外装が腐敗し埃を被ったゴキブリホイホイがいたる所に置かれていた。しかし、かかっているのはゴキちゃんの唯一無二の天敵であるアシダカグモであった。絶命している戦士もいた。あ~、嘆かわしい~、何てことをしてくれるんだ!
「われらが勇者、味方を捕まえてどうする? おっさんは~、アホかー!」
と怒鳴ると、メスのゴキちゃんからは、
「アホちゃいまんねん。パーでんねん」
オスのゴキちゃんからは、
「パーちゃいまんねん。ボケでんねん」
と返されそうです。
男の部屋に入るにあたり、研究者たちはこれまでの人生において体感したことのない異臭への対処として防毒マスクを2重に着用し、昼間のうちにすべてのゴキブリホイホイを撤収した。そして夜─アシダカグモは夜行性なので─3匹のサイボーグ・アシダカグモ戦士を放し、研究室から遠隔操作を始めた。3匹の戦士は順法の精神を持って、それぞれの狩場へと侵攻して行った。まるで事前に話し合いをして決めたかのような分業作戦をとろうとしていた。3台のモニターは戦士たちの機敏な動きを追っていた。
クモ戦士Aはすばやく流し台の下に侵攻した。そこでは7、8匹のゴキちゃんたちがフライパンに残る油、焼きそばの残りかす、肉片を舐めていた。まさに夕食を摂っている最中であった。戦士の顔を見るやいなやゴキちゃんたちは悲鳴を上げ、パニックに陥った。戦士にとってはいつもの光景である。慌てることもなく、逃げ惑う中から1匹をいとも簡単に捕まえた。消化液を出しながら嚙み砕いて体液を吸い取っていく。実に満足げな顔をしていた。その隙に残りのゴキちゃんたちは逃亡を企てた。うっすらと黴の浮き出たフローリングを四方八方へと逃げる。ゴキブリのくせに、まるで〝クモの子を散らすように〟。
クモ戦士Bはゴミ袋の中へと侵攻した。そこには3群のコロニーができていた。ここも夕食時であった。袋の底にはカップラーメンの残り汁をチューチューと飲んでは歓声を上げるゴキちゃんの一群がいた。袋の中間部には、鳥串に残る─醬油味の─タレを舐める一群がいた。袋の上部には菓子パンの包みに残るこしあんを舐めている一群がいた。その数は総数で30匹ほどいるようであった。戦士Bは手っ取り早くこしあんを舐めているゴキちゃんを捕まえた。ゴキちゃんを齧りつつ至福の時を楽しんでいる。残りのゴキちゃんたちは仲間を見殺しにして─one for all─袋から飛び出し、壁沿いに古新聞の山、ビールの空き缶、ゴミ袋、脱ぎ捨てられた衣服を避けるよう埃を巻き上げて足早に逃げた。まるで障害物競走をしているかのように。
おっと~、クモ戦士Cの姿がモニターから消えていた。どこに侵攻したのか。その姿を追うが、見当たらない。まさか、ご馳走を前にして職務放棄かァと思ったら、柱の陰で身を潜めていた。そして、目の前を逃げ去ろうとする大きめのゴキちゃんをすばく捕らえた。そのスピードは目にもとまなぬ速さであった。なるほどォ、体力を温存するための待ち伏せ作戦を取ったようだ。賢い!
この巧みな連携プレーにより、わずか1時間で15匹のゴキちゃんが餌食となった。この間も男は、缶ビールを片手に焼き鳥、焼肉、ギョーザ、カップラーメンを平らげては、空き缶や残飯をそこら辺に投げ捨てていた。
すべてのゴキちゃを捕食できただろうと判断できるまでに3日ほどかかった。なぜならクモは食い意地の張った人類とは違って毎日、腹八分目の食事を貫くからである。科学をもってしてもクモの胃袋を拡張することはできないのだ。その頃になると、いくら指令を送ってもクモ戦士たちはゴキちゃんを探そうとはしなくなった。大きく膨らんだ腹を上にして寝転がり、微動だにしない。もう、ゴキちゃんはいないのかな? 全滅させたのかな?
研究者たちは全滅作戦を終了するための最終確認として最後の指令を送った。するとそれまで寝転がっていた戦士たちがいっせいに動き始めた。まだ捕食されていない主なるゴキちゃんがいるのか? ここまで逃げおおせたわけだから、きっと超大物に違いない。そいつはどこだ! どこに隠れている。さあ、探し出して思う存分、喰ってくれ!
隊列を組みクモ戦士たちが向った先には今夜もドロンと腐りきった目でビール、焼き鳥、揚げ物を口に運んでいる男がいた。まさか……男はゴキちゃんを服の中で飼っている? そっ、そんなことがあり得るのか。できるのか~。いや~~、この男ならやりかねないぞ。体そのものがゴミ箱だから。そう思考を巡らせていると、戦士たちは静かにもそもそと男の背中を登り、テカテカと油光する頭のてっぺんで止まった。互いに顔と顔をくっつけ合って、情報交換をし始めた。この状況に至ってもアルコールの麻酔漬けになった男は気づかない。能天気にもほどがある。嬉しそうな目で手に持つ鳥串を口に運んでいる。ヘラヘラと何か思い出し笑いを浮かべている。まったくもって気色の悪い男だ。おっといけない、男への感情移入は止めよう。大切な被験家屋のご主人様なのだから。モニターの戦士たちに注目! おォ~、戦士たちは横一列に並んでいる。食後のラジオ体操でもするのかな? それとも頭をゲレンデとして滑降競走を楽しむつもりなのかな?と思った、次の瞬間、モニターには頭皮をかじり始めたクモ戦士たちの勇姿が映っていた。
研究者たちはたまげた。慌てた。恐怖の電流に打たれた。その表情は固まってしまった。急いで頭から降りるよう指令を送ろうとするが、手が小刻みに震えてうまく動かない。それでも何とか指令を送った。がしかし、戦士たちは指令に刃向かうような目─お宝を奪われては堪らない─をして、頭の皮に噛み付いたまま動かなかった。〝最後の晩餐か!?〟。これは人間の創った技術がアシダカグモの本能に負けたことの証でもあった。ピーポー、ピーポー。(了)