第八話 クリフ・オールソンの謝罪と願望
__ロアナ王国フォルブス男爵領ラァラ神殿前__555年9月14日
「あの方をご存知ですよね」
捜査員はヴィンセントを手で指し示し、オールソン卿に尋ねた。数日前にサザラン伯爵邸で会ったときとは違って身につけた衣服はくたびれ、無精髭が生えている。
「弟のヴィンセントです」
「彼もあなたのことがわかるでしょうか」
「顔はこのありさまですが、わからないはずがありません。この怪我を負わせたのは彼ですから。
わたしがヴィンセントの兄だとを証明する必要があるのなら、弟は笑った時に右の口角がやや上がり気味になるのが特徴です。まあ、この状況で彼が笑うことがあるのかは疑問ですが。
それからもうひとつ。わたしの右膝には子どもの頃にできた傷跡があるのですが、父に仕えていた執事なら覚えていると思います」
状況を察したヴィンセントが、青ざめた表情でオールソン卿を凝視していた。二人の距離は十数メートルはあるだろうか。弟の視線に気づいた兄が、声を張り上げた。
「ヴィンセント、おまえもぼくに負けず劣らずひどいありさまだ!」
オールソン卿はそう言ったあと、苦しげに咳き込む。白髪の信者がどこかから木箱を担いできて、「どうぞ」と彼に勧めた。オールソン卿が木箱に腰を下ろすと、その信者は足元に跪き「ウィヌンソルヌ」と涙で声を震わせる。
群衆は静まり返り、林の向こうや神殿の奥の喧騒が、風に乗ってかすかに聞こえてきた。ヴィンセントは神殿の敷地外に出ることを禁じられているらしく、鉄柵の向こうで腕を掴まれたまま佇んでいる。
「ヴィンセント、ぼくを殺したかったんだろう?
自分と同じ顔をした兄を」
「……そんな指示はしていない。あれは、信者の中でも過激な考えを持つ者が勝手にしでかしたことだ」
「そんなはずはない。おまえは、何年も前から、わたしがまだクリフ・フォルブスだった頃からこうなるよう仕向けてきたはずだから」
「意味のわからないことを」
「オールソン伯爵を脅迫して、ぼくをオールソン家に押し付け、フォルブス家から追い出したんだろう?
父を説得するのはそう難しくなかっただろうね。オールソン家はサザランと比べても遜色ない財力を持っているし、北部に目を光らせるためにもオールソン家にフォルブスの人間を送るこむのは悪い手じゃない」
「勝手な憶測で――」
「ヴィンセント。まだ兄が話している途中だ。そうやって、横から口を挟むのは昔からちっとも変わらない。死に損なった兄が苦痛に耐えて喋ってるんだから、大人しく耳を傾けたらどうだ?」
唇を引き結んだヴィンセントに満足したのか、オールソン卿は小さくうなずいて話を続ける。
「フォルブスとオールソンが裏でどんなやりとりを交わしたのかは知らない。けれど、ぼくはオールソン伯爵家の養子になった。まるで貴賓のように丁重にもてなされたよ。でも、伯爵家の人々はフォルブスに家を乗っ取られるんじゃないかといつもビクビクしていた。
そんなある日、ぼくは突然ヨスニル共和国に留学することになった。リュカのためにね。イヴォンがソトラッカ研究所にいるかどうか確認しろと言われて、追い立てられるように手続きを進めた。
あの頃、ぼくはまだリュカに同情していた。憐れんでもいた。リュカを支えるのはぼくの役目だと父にも言われていたし、かなり気負った状態でロアナを出たんだ。ある意味、やる気に満ちていたと言ってもいい。リュカに認められれば、父もぼくを認めてくれるだろうと思っていたから。
でも、父からは手紙ひとつ届かない。父への報告には、いつもヴィンセントの名前で返信が届いたから。
リュカのヨスニル行きが本当に父の意向に添うものだったのか、今では疑問だよ。あの保守的な父が、ぼくだけでなくリュカまでロアナから出ることを望むだろうか――とね。
こんなふうになって、改めてぼくはそれについて考えたんだ。ぼくがロアナを出て喜ぶのは誰だろうかって。
まずはヴィンセント、おまえだ。出来損ないのぼくの、些細な手柄さえ全部かすめ取ってしまう要領のいい弟。ぼくをフォルブス家から、そしてロアナから追い出す計画を綿密に立てていたんだろうね。
そして、ぼくがいなくなって喜んだのはオールソン家の人々も同じだろう。ぼくの知ってるおまえなら、自らオールソンに取り引きを持ちかけたはずだ。いや、取り引きではなく脅迫だね。
ぼくをオールソン家から追い出す代わりに、オングル炭鉱跡地に銃器を運び込む手助けをしろだとか、神聖隊を組織する手伝いをしろと要求したんじゃないか?
向こうはどうせおまえの要求を断れない」
喋り疲れた様子でオールソン卿がフウと息を吐くと、すかさずヴィンセントが口を開く。
「証拠もなく憶測ばかりを。ヨスニル行きはリュカ様が望んだことだ」
不機嫌に吐き捨てたヴィンセントの顔は、元がオールソン卿と同じ顔だとは思えないくらい醜悪だった。
「ヴィンセントの言う通りだろうね。リュカはヨスニルでの生活に浮かれているようだったから。でも、ヨスニル行きをそそのかしたのはヴィンセントじゃないのか?」
「違う」
「⋯⋯ああ、そうか。そういうことか。
リュカがウチヒスル城を離れるのは、おまえにとっては計算外だったんだ。おまえは、ぼくだけを国外に追い出すつもりだった」
ヴィンセントが沈黙し、隙を突くように捜査員が「失礼」と口を挟む。
「オールソン卿のお話では、オールソン伯爵家はフォルブス男爵家に弱みを握られていたようですが、それについておうかがいしても?
場所を移してからで構いませんので」
「オールソン伯爵家は昔イモゥトゥを買ったんだよ」
オトがあっけらかんとした声で答えると、捜査員が顔をしかめて睨んだ。
「おじさん、そんなふうに凄んでも無駄だよ。ぼくがその証拠だからね。
ぼくはイス・シデ戦争のときにオールソン家に買われて養子になったんだ。それで、ブルーノ・オールソンっていう名前で戦地に送られた。左腕がなくなったのは爆撃に遭ったせいだよ」
その告白に信者たちも捜査員も動揺したようだった。
「それをどうやって信じろと?」
「その銃で撃てばぼくがイモゥトゥだってことは証明できるけど、痛いのは嫌だなあ。……あっ、東クローナを転々としてたから、向こうの言語はだいたい話せるよ」
オトが早口でぺらぺらと外国語を披露するのを、捜査員たちは困惑した表情で聞いていた。わたしにも聞き取れないほどの早口だったけれど、表情から悪口を言ってるのは間違いなさそうだ。
「もういいよ」
止めたのはオールソン卿。いつの間に親しくなったのか、ずいぶん気やすい口調だった。
「捜査員殿。あなたがオトの話を信じようが信じまいがどちらでもかまいません。オールソン家がイモゥトゥを買ったのは事実で、フォルブスはそれをネタにオールソン家を脅迫したんです。そして、国家反逆罪という、大罪にまで手を貸してしまった。
今の状況を鑑みると、フォルブス家はサザラン家がラァラ派から離脱することをある程度予想していたのかもしれません。そうなってもオールソンの財力があればなんとかなる。北部の実権を握ることもできますしね。
たしか、ラァラ神聖帝国――だったかな。
ヴィンセントがそんな夢を口にしていたのは十歳くらいの頃です。きっと、その夢を叶えようとしたんでしょうね。でも、それは反逆罪だよ、ヴィンセント」
「あることないことでっち上げるのはやめてくれないか。全部、兄上の妄想に過ぎない」
「⋯⋯兄上? また珍しい呼び方を」
オールソン卿はクッと笑い声を漏らし、その拍子にまた咳き込んだ。彼の背中をかいがいしく擦ったオトが、ふとこちらに視線を向けて目を丸くする。
「ユフィ! アカツキも、なんでここにいるの?」
オトの声でオールソン卿が振り返った。
顔の半分以上が包帯に覆われ、かろうじて見える垂れ目がちの左目が、わたしを見つけて狼狽えたように瞬く。――もしかしたら、オトからわたしの正体を聞いたのかもしれない。
オールソン卿は何か言おうとしたようだったが、無言のままアカツキに目をやり、「すいません」とヨスニル語で謝罪した。
「オールソン卿、今の謝罪は何に対してですか?」
「謝るべきことがたくさんありすぎて、何から口にすればいいのか……。ユーフェミア嬢も、本当に、申し訳ないことをしました。わたしがあなたを彼に⋯⋯」
やはり、わたしがセラフィア・エイツだと知っているようだった。オトがきまり悪そうに視線を泳がせているから、犯人は彼で決まりだ。
「オールソン卿。わたしが死んだのはあなたのせいではありません。でも、これまでわたしに吐いた、たくさんの嘘への謝罪なら受けとります」
「⋯⋯ありがとうございます。でも、わたしにはお二人に謝るべきことがまだあるのです。
もし、お二人がルーカスを亡き者にしようとしているなら、できればやめてほしい。彼は傲慢で、人使いが荒くて、他人をただの虫けらだと考えるような最低の人間ですが、それでも……」
オールソン卿がルーカスのことを『人間』と口にしたことが、酷くわたしの心をかき乱した。
「⋯⋯オールソン卿はルーカスに会いに来たのですか?」
「ええ、そうです。もちろん父のこともありますが、急いでウチヒスル城に戻ったのは彼に会うためです。ぼくをこんなふうにしたのだから、文句のひとつでも言おうと。それに⋯⋯、ルーカスには自分のしでかしたことの結末を見届けてほしかったのです」
オールソン卿はそう言うと、口元にかすかな笑みを浮かべた。絶望の淵でかろうじて悲しみを紛らわそうとしているような、ひどく痛々しい表情だった。
「クリフ、その女とリュカ様の話をしているのか?」
ヴィンセントはわたしを睨み、まるで親の仇とでも言いたげな表情だった。けれど、彼の親を殺したのは彼自身だ。
「その女の仲間のウルクという男がウチヒスル城に潜入していた。リュカ様はそのウルクと一緒に姿を消したんだ。
……女。リュカ様を一体どこへ隠した?」
わたしの口からは苦笑が漏れた。
「ウルクが彼を連れ去った?
そんなことできるはずがないでしょう?
ウルクが洗脳されていたことは、あなたも知ってるはずだわ。もし二人が一緒にいなくなったのなら、連れ去られたのはリュカではなくウルクよ」
「嘘をつくな! おまえ、もしかしてリュカ様を――」
ヴィンセントは話している途中に、サッと顔色を変えて口を噤んだ。
きっと彼の頭にはサザラン邸での出来事が浮かんでいたはずだ。いなくなったネイサンと、残された子どもの服。そして、人格の変わったロブ。リュカもそうなったのではと考えたのだろう。
「悪いけど、本当に彼の行方は知らない。知っていたらわざわざこんなところまで来ないわ。火事だと聞いて、リュカの仕業かもしれないと思ったから来たのよ」
ヴィンセントは疑念のこもった眼差しを向けたが、そのとき、城の方で警笛が鳴り響いた。
「……これは、侵入者か?」
捜査員がぼそりとつぶやき、それに反応するようにオールソン卿が木箱から腰を浮かせる。
「リュカ……」
親を探す子どものようなか弱い彼の声に、わたしは胸の底から得体の知れない感情が突き上げてくるのを覚えた。衝動に身を任せて信徒の間を駆け抜け、その肩に手をかけて捜査員を飛び越える。「おおっ」と、どよめきが起こった。前方には捜査員が三人。全員が腰の銃に手をかけている。
「止まれ!」
「ユフィ! 無茶するな」
アカツキの声で我に返り、わたしは大人しく両手を上げた。――が、そのとき道の先に二つの影が見えた。追われるようにこちらに走ってくるマント姿の人影、それを追いながらピーッと警笛を鳴らす捜査員。
「放火犯だ! 城内に潜伏していた!」
侵入者は林の中に逃げ、捜査員たちが一斉に発砲したがまったく当たらない。常人離れした動きは、明らかに訓練されたイモゥトゥのものだった。
「オト! 行くわよ」
「えっ?」
「追いつけるのはわたしたちくらいでしょ? 先に行くからね」
アカツキが、拙いロアナ語で発砲を止めるよう捜査員たちに言っているのが聞こえてきた。信徒たちは道を開け、わたしはスカートをめくり上げて林に駆け入る。相手は林の中で方向転換し、斜面を下った先の馬車道へと向かい始めた。
「ユフィ、さすがに追いつけないんじゃない?」
オトの方が足が速いらしく、彼はわたしを追い越しながらそんなことを言う。そうしているうちに敵は再び方向を変え、ウチヒスル城の裏手の方へと斜面を登りはじめた。
「あっちに行ったら袋のネズミなのに」
木々の合間には捜査員の姿が見えている。わたしとオトは首をひねりつつ追いかけ、侵入者は林に入ったり出たりと足掻いていたが、結局、城の裏手から下ってきた捜査員たちに捕まった。
「おかげで挟み撃ちにできました」
捜査員は、「第二小隊長」と呼ばれている年配の男と、部下らしい若手が三人。フードを脱がされた犯人は知った顔だった。
「あなた、サザラン伯爵邸に侵入したヴィンセントの部下よね」
あの日、一番最後にどこからともなく現れたイモゥトゥの少女。あの時のような町娘風の格好ではなく、マントの下にはウチヒスル城のメイドのような服を着ている。
「知らないわ」と、少女ははすっぱな口調で言った。
「ねえ、あなたはどうして街道の方に逃げないでこっちに向かったの? もしかしてこっちに仲間が⋯⋯、リュカがいるの?」
「知らないってば。地下書庫に火をつけたのはわたし。殺すなら殺しなさいよ!」
「自分が死なないと思ってるわけじゃないわよね。カラック村出身なんでしょう?」
少女はビクッと肩をすくめ、捜査員たちは怪訝そうな顔をわたしに向ける。
「この少女はイモゥトゥです。おそらくリュカの逃亡を手伝い、そのリュカの命令で城に火を点けに戻ったのだと思います。火災の発生源は南棟のどのあたりですか?」
捜査員たちは返答を躊躇ったが、第二小隊長が髭を撫でつつ口を開いた。
「南棟の端にある、リュカという人物が使っていた場所の地下に隠し部屋があった。最初の捜査では見つけられていなかった場所だ。内部にあったものは全焼し、何が隠されていたのかはわからない」
「あなた、何を燃やしたの?」
「知らないわ」
「知らないはずないでしょ。あなたが火を点けたのよ」
「絶対に見てはダメだって、リュカ様に言われたのよ! 暗かったし、わざわざ中身を確認したりしない」
「それで、リュカ様はどこに?」
「知らない」
「いいの? もうじき雨が降るわよ」
「だから何よ」
少女のその反応に、わたしはリュカの孤独を悟った。




