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泥濘のリュカ〜わたしを殺した彼のルーツ〜  作者: 31040
第三幕 ――第三章 始まりの場所
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第二話 ウチヒスル城潜入(一)

__ロアナ王国フォルブス男爵領ラァラ神殿近く__555年9月13日



 ラァラ神殿の方角からかすかに聞こえたいななきは、正門前にいる合同捜査隊の馬に違いなかった。数日前の予定では調査(・・)隊にヒューバート教司とロアナ王国第二王子が同行することになっていたが、合同捜査隊という形になったのはここ数日で起こったいくつかの事件の影響だ。


 まずは、十日夕方に起きた王都でのサザラン伯爵邸前襲撃事件。襲われたサザラン伯爵とヒューバート教司は幸いにも無傷ということだが、聴取と保護を兼ねて今はロアナ王城に滞在している。逮捕されたベリックは王都治安維持隊の牢に収監。沈黙を守っているようだった。新聞記事には『襲撃犯は厳しい追求にも黙秘』とあり、敵とはいえ死ねない体のベリックがどんな拷問を受けているか想像するだけで眉間に皺が寄る。


 きっと、ベリックは何も話さないだろう。けれど彼の狙いは明らかだった。


『告発文書はどこだ』


 ベリックはそう言って伯爵の鞄に火を点けようとしたと聞いている。


 襲撃事件の日はリュカとヴィンセントがサザラン邸を訪れた日だったが、あの時の二人はサザランが告発文書を所持しているとは知らないようだった。つまり、ベリックは聖地で情報を得て独断で動いたということ。


 サザラン伯爵が領地に戻れないため、当主代理のオスカー卿はここしばらく目が回るほどの忙しさだ。襲撃の報を聞いた翌日には、フォルブス男爵の事故とイヴォンの失踪が明らかになったのだから。


 馬車の転落事故は十日夜と推測されている。オスカー卿が王都での襲撃事件を知ったのは同日深夜の電報で、その電報を受け取った時には事故はすでに発生していた。にも関わらず、サザランが襲撃事件の報復として事故死に見せかけフォルブス男爵を殺したという噂がフォルブス領民の間で広まっていた。その影響で、神殿に出入りしていたサザラン領の納品業者との間で小競り合いまで起きている。


 そんな一触即発の状況下で、サザラン警察と王都治安維持隊による合同捜査隊の派遣が決まった。ラァラ派信徒が暴動を起こさないよう事は内密に進められ、王都治安維持隊の捜査員は一般人に扮してサザラン領入り。本日十三日、日付が変わった頃にラァラ神殿に向けて出発して、夜明け前に神殿正門前に到着した。


 その後、街道から神殿正門へと続く道は中間地点で封鎖されることになっていたが、ここで問題が発生した。


 ラァラ神殿と合同捜査隊の間で衝突が起こることは予想されていたが、実際に起きたのは一般参拝者の抵抗だ。道を封鎖したサザラン警察に罵詈雑言を投げかけ、林を抜けて強引に神殿に向かおうとする者もあったらしい。早朝に繰り広げられた騒動の結果、正門前までは信徒の立ち入りが許可され、即席の献花台が設置された。また、門前の警備にはサザラン警察ではなく王都治安維持隊が立つことになった。


 この一悶着は直接見たわけではなく、神殿から戻って来た参拝者から聞いた話だ。


 わたしはジュジュと二人で早朝からエンデブルッカ街道沿いに待機して、城に潜入するタイミングをうかがっていた。暗がりの中で合同捜査隊が坂を登って行くのを確認し、憤慨した様子で戻って行く参拝者に信者のふりをして様子を聞き、日が昇って状況が落ち着いた頃に堂々と神殿への坂道を登ったのだ。そして、何食わぬ顔で献花台に花を供えた。


 献花台の脇に立つ王都治安維持隊の男は、ことあるごとに、


「王命である」


 しかつめらしい顔でそう言った。それはうら若い第二王子が直接訪問するよりもよほど効果的に思えた。一般参拝者たちは不満げな顔をしながらも、文句ひとつ言わずその場で祈祷を捧げて大人しく帰途についていたから。


 わたしとジュジュはそんな信徒たちに紛れつつ、門の向こうにいる合同捜査隊の様子をうかがった。捜査には襲撃事件被害者の息子であるオスカー卿が同行し、第二王子の密命によりライナスも捜査員に扮して紛れ込んでいるのだが、すでに建物内に入ったらしく姿は見当たらなかった。

 

 わたしたちは適当に祈祷したふりをした後、来た道を下った。その途中で林の中に入り、ウチヒスル城裏門へと向かう馬車道に出る。業者や使用人が利用する場所で、普段なら頻繁に馬車が行き来しているらしいが、今は閑散としていた。


「ユフィ、あれじゃない?」


 林の合間から見える城壁を指さしてジュジュが言った。薄紫色の花をつけた蔓が細い滝のように城壁の一部に垂れ下がっている。人目につかず侵入するためにライナスが教えてくれた目印だ。


「ユフィ、いけそう?」


 ジュジュの足が自然と速まる。


「たぶん」


「なら、先に行くわね」


 サッと周囲をうかがった彼女は、林から駆け出して勢いのまま壁を乗り越えた。数十メートル先に裏門の門番の姿が見えているが、気づいた様子はない。


 わたしはここ数日の間にジュジュから受けた訓練を思い出し、壁に向かって走った。地面を蹴り、壁を蹴る。その後は風に乗ったように体が軽く感じ、塀の中の庭園を眺める余裕さえあった。


 右手、数十メートル先には裏門。裏門と言ってもお忍び客が出入りするような場所で、人目につきにくいけれど豪奢な造りになっている。裏庭も立派なものだった。ただ、サルビアも夾竹桃もなく、木陰を作っているのはニセアカシアの木々。


 ニセアカシアは今は開花時期ではないが、ソトラッカ研究所のイモゥトゥが交霊でリュカを見たのはこの裏庭に違いなかった。いま花をつけているのは城壁に垂れ下がったアサリナと、ガゼボを囲うように咲き乱れる濃紅色のコスモス。


 花盛りのガゼボ裏に着地すると、ジュジュが「余裕ね」とウィンクして見せた。そしてポケットから四つ折りの紙を取り出して広げる。ネイサンとライナスが作成した神殿と城の地図だ。そこには邪教関連資料が隠してありそうな場所、侵入及び脱出ルート、イヴォンが隠れていそうな場所が書かれている。


「イヴォンはやっぱり逃げたのかもしれないわね。失踪に見せかけて神殿か城に監禁してるなら、警備はもっと厳重なはずだわ」


「捜査隊の目を気にして警備員を増やせないんじゃない? 聴取で神殿に行ってる人もいるわけだし」


「だとしても裏門に門番一人は少な過ぎよ。イヴォンの捜索はサザラン警察が主導するって話だったけど、フォルブスがそれを黙って見ているとは思えないし、密かに捜してるんじゃないかしら。そっちに人手を割いてるから手薄になってるんだと思うわ」


 イヴォン捜索は馬車の転落事故があったエンデブルッカ街道沿いを中心に、サザラン警察が主導して行われているらしい。イヴォンだけでなく、神殿に潜入した黒豹倶楽部からの連絡が途絶えているのも気がかりだった。捜査隊の動きに合わせてこうしてウチヒスル城に忍び込んだのは、黒豹を探すためでもある。


 わたしとジュジュは物陰に隠れつつ移動し、羽織っていたショールを脱ぎ捨ててエプロンをつけ、フォルブスの使用人になりすました。そして、通用口から堂々と城内に入る。


 襲撃事件とイヴォン拉致事件への神殿の関与が疑われている中で再び聖女がいなくなったため、ラァラ派貴族はとばっちりを避けるようにフォルブスと距離を置き、今はウチヒスル城には一人の客もいないと聞いていた。それに加え、使用人は聴取のために神殿に集められ、城内には数えるほどしか人が残っていない。


 耳を澄ませて話し声と足音を避けつつ、誰とも鉢合わせないよう慎重に廊下を進んだ。途中で見つけた洗濯籠を拝借し、何食わぬ顔で中庭に面した外廊に出る。


 ジュジュは洗濯籠を抱えたまま、天気を確認するような素振りで周辺をうかがった。


「城と言うより豪華ホテルね。これがエリオットの時代に建てられたなんて信じられないわ。ある程度は改修してるんでしょうけど、開放的で近代的なデザインだわ。さすがエリオット・サザランと言うべきかしら」


「そう? ここから見ると開放的だけど、裏から見たときはほとんど窓がなかったじゃない。ある意味とてもロアナ的だわ」


「言われてみればそうかも。開放的かどうかで言ったら、サザラン伯爵邸の方が圧倒的だわ。葡萄は食べ放題、水路で水浴びまでできるんだもの。それに、あんなふうにあからさまな見張りもいなかった」


 ジュジュがチラと視線をやったのは、屋根より一段高い場所に位置する物見台だ。城は長方形の中庭の三辺を囲うように建っており、建物の端と角部分は蝋燭をはめ込んだような円筒形になっている。そのてっぺんはとんがり帽子のような三角屋根で、最上階の吹きさらしになった場所から見張りが庭を見下ろしている。高い胸壁でその姿は見えづらいため、一般客がその視線を気にかけることはないだろう。


「わたしたち、ちゃんと使用人に見えてるかしら」


「気にしても仕方ないわ。それより、陰気な声で気が滅入るから、早くやるべきことを済ませましょ」


 ジュジュの言う陰気な声とは、聖職者たちによる祈祷だ。


 男爵の火葬はすでに執り行われ、骨壺は祭殿に安置されている。聖職者たちは葬儀の日までそこで祈祷を捧げるらしい。聖職者にも事情聴取は行われるはずだが、今も祈祷の声が続いているということは捜査隊がそれを許可したのだろう。


 わたしたちは庭の中央に鎮座するラァラ像を左手に眺めながら外廊を進み、南棟から東棟、さらに北棟へと移動した。


 女性と三人の幼子の石像は、ラァラとラァラの子であるイモゥトゥだろう。神殿がイモゥトゥへの立場を明らかにしたのは最近だから、霧の銀狼団以外の信徒は子どもの石像がイモゥトゥだとは想像もしていなかったはずだ。


「ユフィ、あの向こうがイモゥトゥ居住区域。南棟の端のすぐ近くに木戸があるらしいけど、木が邪魔で見えないわね」


 ウチヒスル城北棟の端は神殿との連絡ホールになっているが、そこと南棟の端を繋ぐように木塀が設置されており、それが神殿と城の境界線だった。塀沿いには立派な夾竹桃が何本も植わっていて、手前にはサルビアの花壇が鮮やかな三本の筋を描いている。


 イヴォンはウチヒスル城のサルビアと夾竹桃も祀花守が管理していると言っていたから、彼女はあの花壇に水やりをしながらリュカの姿を見たのかもしれなかった。


「イモゥトゥ居住区域はもぬけの殻だと思うわ。ここにいるイモゥトゥは聖職者だから、祭殿で祈祷してるはずよ。この前ヴィンセントと一緒にサザラン邸に来ていたイモゥトゥは別の場所に住んでそうだし、イモゥトゥ居住区自体が捜査範囲に含まれてるから、そこにイヴォンや黒豹倶楽部の仲間が監禁されてるとは思えないわ」


「とにかく、今は無事に半地下に行くことを考えましょう。イヴォンも黒豹も、捕まってるとしたら最有力候補は半地下。イモゥトゥ居住区域は脱出ルートになってるから確認はその時にすればいいわ。

 もし神殿内部に監禁されてるならライナスに任せるしかないしね」


 世間話をしているような表情を保ちながら、わたしはジュジュの言葉にうなずいた。


「じゃあ、そろそろ完璧な使用人になるわよ」


 外廊の突き当たりまで来ると、ジュジュは連絡ホールへの扉を躊躇いなく押し開けた。


 広々とした円形のロビー。警備員は奥の方にある扉の前に二人、中央をうろうろしているのが一人。敢えて彼らと目を合わせ、会釈してからすぐそばの階段の陰に入った。そこには使用人専用の廊下があり、途中で侵入禁止のロープが張られた通路に入って建物の裏手に出る。後ろ手に扉を締めると、周囲の様子をうかがって近くの茂みに洗濯籠を隠した。


「拍子抜けね。使用人が多過ぎてメイドの顔も覚えてないのかしら」


「危険だったらこのルートは選ばなかったと思うわ」


「まったく。よく簡単にあの泥人形たちを信じられるわね。ダーシャもそうだったけど、あなたは安易に他人を信じ過ぎるところがあるわ。だから変な男に引っかかるのよ」


「ディドリーの男のことじゃないわよね」


「この前、愛を叫んでた男よ。それにしても、ここは中庭や裏庭とずいぶん違うわね」


 ジュジュはすぐ間近に迫る森の木々を見上げた。左手方向には神殿との間を仕切る壁、右手方向には建物沿いに馬車一台がやっと通れるくらいの道が伸びている。鬱蒼した木々が道に覆いかぶさってトンネル状になり、下草があちこちに生え、人や馬車が頻繁に行き来している様子はなかった。建物の壁面には採光用の小さな窓しかなく、城内から外は見えないはずだ。


「えっと、隠し扉はこのあたりかしら」


 ジュジュは地図を確認し、今出て来た扉の左側の壁を押した。すると、音もなく奥へと引っ込んでいく。横幅六十センチ、縦は百六十センチほどの穴ができ、さらに押して片腕がすっぽり入るくらいになると、穴の中に下へと向かう階段があるのがわかった。


「ランタンが置いてあるわ」


 階段の一段目に古びたランタンがふたつ。ジュジュは持参したマッチをポケットから取り出し、両方に火を灯した。中に入って石の扉を押し戻し、足音を忍ばせて階段を降りる。


 人けはなく、ランタンがなければ一歩進むのも難しいだろう。サザラン邸の地下書庫に行った時とは種類の違う緊張感を覚えた。あそこは百年以上誰も足を踏み入れなかった場所で、得体の知れない何かに遭遇するかもしれないという恐怖心があったが、この半地下は少なくとも数日前までネイサンが生活していた場所だ。遭遇するとしたら知った顔の可能性が高い。


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