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泥濘のリュカ〜わたしを殺した彼のルーツ〜  作者: 31040
第三幕 ――第二章 サザラン伯爵領
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第四話 邪教徒の村で生まれたイモゥトゥ(二)

__ロアナ王国サザラン伯爵邸__555年9月8日深夜



 オスカー卿は席を立ってわたしの隣に来ると、ページをめくりながら事件について話し始めた。予想外の話ではなかったが、お伽噺が実際に起きたことだと言われたようなものだった。


『ウチヒスル村奇病事件報告書』においてウチヒスル村が禁教徒の村とされたのは、リーリナ神教の書物や邪術の研究記録が発見されたためだ。禁術の実験はサンガという名の村長の家で行われ、その家は爆発によりほぼ全壊。火災により近隣三軒も燃えたと書かれている。


 研究施設だったサンガ村長の家の内部から死体は発見されていない。だが、まるで怪しい儀式が行われたかのように無数の白骨死体がその建物を囲んでいたという。手桶がいくつも転がっていたことから、儀式などではなく消火に集まった住人が飛散した毒物で中毒症状に陥って倒れたのだろうということだった。


 白骨死体はサンガ村長の家の周りだけでなく集落全体で見つかっている。農作物や周辺の植物は枯死。家畜や野生動物の死骸も確認された。毒物が白骨化を早めたのではという推測がページの隅に小さな字で書かれている。


 また、村長の家の燃え残った壁や床の至るところに土がこびりつき、破れた衣類とともに黒く枯れた根が見つかったそうだ。その記述の横にも推測が書き加えられているが、内容はこうだった。


『泥魂人形の残骸の可能性。爆風で吹き飛んだ?

 農作業のできない泥魂人形が屋内での実験研究を担っていたのでは?

 村民人口と死体数の差が泥魂人形の数か』


 オスカー卿は走り書きのその文字を指差し「これを書いた人物と我々の意見は一致したようです」と、少し冗談めかして口にする。


「最後のページに王国に提出した報告書の写しが挟まれていました。当時のサザラン伯爵は自領に禁教徒が潜んでいたことを隠すために伝染病をでっちあげ、王家には嘘の報告をしたんです。そして集落を周辺の林ごと焼き払って廃村にし、一帯を木塀で囲って出入り禁止にした。

 一人で処理できたはずはありませんし、真実を知る者には口止めをしたでしょう。ウチヒスル奇病事件はクローナ歴二七一年ですから、リーリナ神教がロアナ王国で禁教とされてからわずか二十年ほど。邪教掃討もまだ継続していたはずです。伯爵に口止めされずとも秘密は墓場まで持って行ったのかもしれません」


 〝邪教掃討〟では、禁教弾圧のために疑わしき者を審問にかけたとされている。邪教徒には厳しい罰が下され、中には邪術を使ったとして死罪となった者もいるらしい。また、邪教徒とされなくても審問にかけられた時点で周りから白い目で見られ、その後は不遇な扱いを受けたと聞く。


「ウチヒスル村と邪教の関連は知られていませんし、みんな口を噤んだということでしょうね。でも、当時のサザラン伯爵は生存者や泥魂人形がウチヒスル村から逃げ延びたとは考えなかったのでしょうか?」


「探したけど見つからなかったんだと思います」


 オスカー卿はそう言って報告書を繰り、大量の加筆がされたページで手を止めた。


「ここにキャスリンの家に関する記述が載っています」


「え?」


 レナードにも『キャスリン』という部分が聞き取れたのだろう。目を見開いて次の言葉を待っている。わたしはその視線に促され、旧字体はオスカー卿に教えを請いつつ、該当箇所をヨスニル語で読み上げていった。


「――爆発現場から離れた家で妊婦の遺体が発見されている。徴税記録から八月出産予定の妊婦キャスリンと確認。近くの道に夫と義両親と思われる白骨死体あり。赤ん坊が生活していた痕跡はなく、身動きの取れない妊婦だけ屋内に留まったと考えられる。

 キャスリンは窓辺に倒れており、腐敗は進んでいたものの村全体で唯一白骨化していない死体。腹を切って赤ん坊を取り上げた形跡あり。その人物と子どもは現在も捜索中――」


 ゾクッと背筋に震えが走った。死体から胎児を取り上げたのか、それともお腹を切ったせいで死んだのか。それを確かめられるような記述は報告文には見当たらない。


「ユーフェミア嬢、ここを読んでください」


 オスカー卿は、隅にあるとても小さな字で書かれた文章を指さした。筆跡は別のページにある加筆と同じようだ。


「――爆発は薬の完成後に起きたのかもしれない。不老不死薬は普通の人間にとって劇薬だが、母体に守られていた胎児には適量の(・・・)不老不死薬として作用したのではないか?

 胎児を取り上げたのは泥魂人形では?

 不老不死の胎児の回復力が母親に影響して腐敗が遅れた?」


 不意に涙が溢れそうになって慌てて手で拭った。


 キャスリンの姿をした泥人形が死んだキャスリンの腹を裂き、生まれたばかりのイヴォンを抱きしめて森へと逃げる――そんな光景が頭の中に浮かんでいる。交霊ではなく想像に過ぎないが、イヴォンは確かにあの村から逃げて生き延び、彼女を育てた泥魂人形のキャスリンは川に流されて死んだのだ。


「ユフィ。ぼくが以前、イヴォンは奇病のせいでイモゥトゥになったのかもしれないと言ったのを覚えてる?」


 レナードがそう言いながらハンカチを差し出した。


「覚えてます」


「君とアカツキは笑ったけど、まったくの見当外れというわけではなかったみたいだ。同じ毒物に晒されて、イヴォンだけがイモゥトゥになったのだとしたらね。

 でも、その不老不死薬を再現するのは無理だろう。爆発で飛散したのは不老不死薬だけじゃなく他の薬物も混じっていただろうし、何が胎児に作用したのかわからない」


「エリオットもそう考えたかもしれません。だから不老不死薬を作るのではなく、イモゥトゥからイモゥトゥを生み出す方法を探そうとしたのではないでしょうか」


 気になるのは、この考察に旧字体が使われていないことだ。明らかに報告書が書かれたのとは別の時代のもの。それをオスカー卿に尋ねると、彼はわたしが予想していた通りの答えを口にした。


「この文字はエリオット・サザランのものだと思います。彼が残した書物はいくつか目を通したことがありますが、ところどころ同じ癖が見られますから」


「エリオットは報告書の存在を知っていたから、ウチヒスル村で見つかった狼少女がイモゥトゥだと思ったんですね。百年以上も前の貴重な本に直に考察を書くなんて普通はしませんが」


「考察を書き加えながら本を読むのはエリオットの癖です。価値のあるものならぞんざいな扱いはしないでしょうが、この報告書は処分するつもりだったのかもしれません。あとになって気が変わって、地下書庫に残した。そんな気がします」


 わたしも同じ意見だった。交霊で「処分しない」と言ったエリオットは、どこかいたずらを企む子どものような口調だったから。


 偉人であり罪人で、悪人かと思えば善人のような側面もあるエリオット・サザラン。オスカー卿はその夜、彼が知るエリオットについてわたしたちに話してくれた。


 エリオット・サザランの母親は彼が幼い頃に他界。十六歳で父の急逝により爵位を継いだ。ウチヒスルの隣村であるカラック村で狼少女が捉えられたのはエリオットが二十一才の時だ。エリオットはこの狼少女について自叙伝で触れているという。


 カラック村の獣人や怪人の噂はエリオットが子どもの頃からあったらしく、廃村に子どもが近づかないようにするための作り話だと誰もが思っていた。が、その獣人が実際に領主エリオット・サザランの目の前に連れて来られたのだ。


 狼のように唸り四つん這いで走る泥まみれの少女。その姿に衝撃とともに同情も覚えたが、少女は奇病事件のあった廃村の森に出入りするのを何度も目撃されていた。そのため処分せざるを得なかったのだ。狼少女処刑式はサザラン伯爵家の記録にも残っているらしいが、イヴォンは密かに保護された。


 その後、エリオットは〝ウチヒスル浄化〟に乗り出した。ジチ教ロアナ聖会所属のタルコット侯爵に近づいて娘アリシアを夫人に迎え、侯爵の後押しを得て旧ウチヒスル村にラァラを祀る小さな礼拝堂を建設。それを皮切りに周辺整備を進め三年後にはラァラ神殿、さらに三年後にはウチヒスル城が完成した。


「ウチヒスル城はフォルブス男爵家の居城でもありますが、信徒の中でも有力貴族をもてなすための宿泊施設という側面の方が強いです。最初からあの地で勢力を広めるために設けた城なのでしょう。そして、ウチヒスル城に集まる貴族は自然とラァラ派を自称するようになったんです。

 まあ、教義や宗派などエリオットにとってはどうでも良いことだったはずです。妻のアリシアがこの屋敷に嫁いできた時にはすでにリュカがいた。すでに邪教に手を染めていたということですから」


「イヴォンがこの屋敷に来た時にリュカは三歳くらいだったそうです。交霊では、十代のエリオットの血でリュカが生まれたと言っていたので、爵位を継いですぐの頃ですね」


 夜が更けるに従ってわたしの通訳もずいぶん端折ったものになっていたが、大人しく聞いていたレナードがふと「身代わりか」とこぼした。


「身代わり?」


「若くして爵位を継いだんだから、エリオットを排して伯爵家の実権を握ろうとする輩もいただろう。暗殺でもされかかったのなら、自分の分身を作ろうと考えてもおかしくない。

 邪神の泥魂術は本来そういう目的のものだろう?

 滅邪の説話の中には、ジチに滅ぼされたのは影武者で本物は生きているというものもある」


 身代わりで死ぬべく生まれた泥人形。しかしエリオットの思惑通りにはいかず、成長速度は遅い上に青年期で止まってしまう。リュカの歪みはどこが始まりだったのだろうか。エリオットは、自分の生み出した分身がこんなふうになることを想像できていただろうか。


「身代わりの運命から逃れた者もいるけど」


 レナードがそう言って窓に目をやった。エリオットの泥魂人形の一人だったライナスのことだ。ライナスは「今日、明日中にはサザラン邸で合流する」と言ってウチヒスル城に向かったが、その日深夜になっても姿を見せることはなかった。


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