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泥濘のリュカ〜わたしを殺した彼のルーツ〜  作者: 31040
第三幕 ――第二章 サザラン伯爵領
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第三話 邪教徒の村で生まれたイモゥトゥ(一)

__ロアナ王国サザラン領サザラン伯爵邸__555年9月8日深夜



 わたしたちは地下書庫にあった十冊ほどを持って本館に戻った。夜はすっかり更けて、レナードもオスカー卿も疲れた顔をしている。わたしは交霊直後こそ青ざめていたらしいが、イモゥトゥならではの回復力で疲労感はまったくない。その代わり、かなりの空腹を感じていた。


 とは言え、埃と蜘蛛の巣にまみれた状態で食事をする気にはならず、勧められるがままに入浴して髪も洗った。着替えに用意されていたのはロアナ風ナイトドレス。フリルはあちこちに付いているが落ち着いた色合いのゆったりしたデザインで、シルクのサラッとした着心地が快適だ。襟ぐりと袖口、裾あたりに上品な刺繍を施せばチェサの貴婦人にも人気が出るかもしれない。


 すべて片付いたら、チェサでのロアナ風ナイトドレスの販売を父に提案してみようか――そんなことを考えつつ食堂に向かうと、男性二人はすでにグラスを手にしていた。テーブルには酒のつまみらしきチーズやハムと、地下書庫から持ってきた十冊ほどの古びた帳簿と報告書。


「お待たせしたみたいですね」


「いえ、我々も今ですよ」


 そう言うわりに二人のグラスに残っているワインは二口ほど。オスカー卿が使用人に料理を持ってくるよう命じ、レナードは隣の椅子を引いてわたしを座らせた。


「いいね、その服。アカツキのためにぼくが買ってあげようかな」


「アカツキのため?」


「アカツキにも見せたいだろう?」


 軽口を交わしているうちにテーブルの上には次々と料理が並べられ、給仕がスモーキーなワインをわたしのグラスに注いだ。鹿肉のパイ包み焼きからは独特のスパイスの香りが漂い、夾竹桃祭りの夜にルーカスの家で出されたロブの手料理を思い出す。あの時に苦手だと感じた匂いに食欲をそそられるのは、この体がロアナ生まれだからだろうか。


「ユフィはロアナ料理が口に合うようだね」


 レナードはパイ包み焼きには手を付けず、ヨスニル共和国でもよく見かけるビーフステーキを口に運んでいる。オスカー卿がわたしたちに配慮して中央クローナの料理も用意したようだ。


「以前とは味覚が変わったみたいです。この体は基本的に好き嫌いがないみたいだし」


 喋る合間にも料理を口に運んでいると、見かねたのかレナードが切り分けた肉をわたしの前に置いた。オトほど世話焼きではないけれど、レナードもかなり面倒見が良いほうだ。テーブルの料理が八割方なくなると、オスカー卿が人払いしてようやく本題に入った。 


「ユーフェミア嬢は交霊では何を見たんですか?」


「大したものは見ていません。エリオット・サザランと執事のタナーが地下書庫にいるところを見ました」


「それにしてはずいぶん驚いた顔をしていましたが」


「エリオットの視点だったのですが、鏡に映った彼の姿を見て驚いたんです。この屋敷のロビーにある晩年の肖像より少し若いくらいでした。

 執事のタナーが長髪だったので、レナード様の長い髪と地下書庫の風景に喚起されてあの場面を見たのだと思います。リュカの補修用の泥魂人形を作ってはどうかとエリオットに勧めたのはタナーでした」


「ユーフェミア嬢が見た地下書庫に、リーリナ神教関連の本はありましたか?」


「ありました。わたしが見たのはリーリナ神教の本とエリオット自身の実験記録を地下書庫から運び出そうとしている場面です。ウチヒスル関連のものは荷馬車に乗らないから置いていくとエリオットが言っていました」


「運び出した本はフォルブスの手に渡ったんでしょうね」 


「おそらくそうだと思います。すでにネイサンが霧の銀狼団を仕切っているようなことを言っていました」


 レナードにもヨスニル語で交霊内容を伝えると、「じゃあ全部フォルブスのせいにすればいい」と企むような顔で口にする。屋敷内で採れたという葡萄を口に運び、さらに続けた。


「サザラン家には邪教関連のものがひとつも残っていないということだよね。だったら、フォルブスがタルコット侯爵にすべての罪を押し付けたように、サザラン伯爵家も全部フォルブスに押し付けて無実を主張すればいいんじゃないかな。

 どこの聖殿でも拝納金の用途を公開していないし、改竄、着服なんて日常茶飯事だろうけど、フォルブスが神殿を利用してやってきたことは度が過ぎている」


 どう思うかと問われ、わたしは今のレナードの発言について考えた。


 フォルブス男爵家は、ほぼ確実にエリオット・サザランが邪教を研究していた証拠を握っている。だが、エリオットが生きていたのは百年前だ。ライナス・サザラン以降の当主は邪教に手を染めてはいないし、彼らが残した極秘資料がその証拠になるだろう。一方で、邪教の温床であるラァラ神殿に対して、サザラン伯爵家は多額の拝納金を納めている。


「サザラン伯爵家から神殿にお金が流れている限り、無関係を主張するのは難しくないかしら?」


「神殿に騙されたと言えばいい」


 レナードの言葉をオスカー卿に伝えると、彼は「おっしゃる通りです」と深くうなずく。


「実は第二王子も同じことをおっしゃいました。

 ライナス君から送られてきた例の告発文書は後で二人にもお見せしますが、あれを使って神殿を大聖会に訴え、審問会を開いてもらわねばいけません。その際、当家はエリオットが邪教に手を染めていたとは知らなかったと主張し、一方でフォルブス家はそれを知りながら邪術を使ってきたと糾弾すべきだと。

 問題は領民たちです。サザラン伯爵領はほぼ全員がラァラ派信徒で、領民にとってエリオット・サザランは英雄です。その偉大な英雄が実は禁教徒で、彼の興したラァラ派が裏で非道な行いをしていたなんて受け入れられるはずがない。非難の矛先は父にも向かうでしょう」


「オスカー卿はラァラ派についてどうお考えなのです?

 ラァラを神のごとく祀るというのはジチ教の正道から外れていますが、ラァラは他者への愛と慈悲をもって生きた人です。問題なのはラァラ神殿の中枢にいる者たちで、幹部をすげ替えれば問題ないのでは?」


 オスカー卿は「問題あるんです」と首を振った。


「ラァラ派の教義についてルヴィルナグ聖殿の教司様と話したことがあります。ジチの教えには他者への愛とは別にもうひとつ大事なことがあって、それは死を自然の摂理として受け入れることです。

 ラァラは確かに愛をもって生きましたが、死を受け入れるのではなく死を求めた。それはジチの教えと反するものです。

 ラァラの死についてはトゥカ紀総覧五十ニ巻の『放浪記』が有名で、ロアナでは説話師が礼拝時に読み聞かせることがあります。自己犠牲的な愛によって死を得る話ですので、愛についてもジチの教えとは違う種類のものだというのが教司様のお考えでした」


「『放浪記』と言えば『クイナの翼』の元になった話ですよね」


「ああ、そう言えばザッカルング共和国で『放浪記』が戯曲になっているそうですね。知人の話ではラァラ派の説話師が説くのとは結末が違っていて、ジチ正派らしい結末になっていると」


 言われてみれば、クローナ神話の滅邪場面を思わせるクィナの死に様はジチ正派らしいと言える。ラァラが十四本の夾竹桃に刺されて死ぬのだから、ロアナ国内で上演すればラァラ派信者からの非難は必至。


「『クィナの翼』では、ラァラは呪われたイモゥトゥとして体中を夾竹桃で突き刺され、隣人たちの手で火あぶりにされるんです」


「それは酷い。『放浪記』の中でも一番酷い説話が選ばれたようですね。わたしたちロアナ王国民が小さい頃から聞かされる話はこうです。

 ラァラは放浪の旅の末に家族を持ち息子を得ます。不老であることを家族にも周囲にも知られないよう夾竹桃の毒を少しずつ飲み続け、普通の人々と同じように年をとっていくんです。けれど、シワシワのお婆さんになっても死は訪れません。そんなある日、一人の敬虔な教司がラァラの息子がイモゥトゥであると気づきます。教司は使命感から夾竹桃の槍で息子を殺そうとするのですが、ラァラが息子の盾となって死を迎えるという話です」


「話の筋は同じでもずいぶん印象が変わりますね。それに、夾竹桃の毒で普通の人間のように年をとったというのは興味深い内容です。わたしの知るイモゥトゥは夾竹桃の毒が全く効かなかったと言っていたんですが」


「へえ、そうなのですね。

 まあ、霧の銀狼団内にはラァラは不老不死で死んではいないという説を信じる者が多くいるようですが」


「神殿にイヴォンがいたからではないですか?」


 わたしが口にすると、オスカー卿は「やはりそうですよね」と苦笑を浮かべる。


「交霊の恩恵を受けている者はイヴォンとラァラを同一視しているようです。イヴォンは聖女であり、記憶を失っているがラァラその人であると」


「そう考えるようにフォルブスが誘導したのでしょう。イヴォンの金髪と黒目はラァラの特徴でもありますから、信じ込ませるのはそう難しくないかもしれません」


「わたしはあの幼さの残る少女がラァラと言われても戸惑うだけです。そもそも、ラァラが実在するなんて馬鹿馬鹿しい話ですから」


「エリオットもオスカー卿と同じでしょう。わたしはエリオットがラァラやリーリナを信仰していたとは思っていません。利用したのだと思っています」


 オスカー卿はわたしの言葉に曖昧な笑みを返すと、手元に置かれた十数ページの薄い古書を差し出した。『ウチヒスル村奇病事件報告書』と書かれた表紙には『極秘』『持出厳禁』の文字もある。


「オスカー卿はもう読まれたんですか?」


「ざっと目を通しました。これが書かれた時代からロアナ語も変化しているので、ユーフェミア嬢には少し読みづらいかもしれませんが」


 めくってみると旧字体がところどころにあったが、読み飛ばしてもある程度意味はわかる。レナードは読めもしないのに椅子を寄せてのぞき込んできた。


「オスカー卿は何か見つけたのかな?」


 レナードの問いをわたしが代わりに尋ねると、オスカー卿は「ええ」と複雑な表情でうなずいた。


「予想通りというか、ウチヒスル村は人間と泥魂人形が共存する邪教の村だったようです。そして、ウチヒスル村で起きたのは伝染病ではなく事故でした」


「事故?」


「不老不死薬を作っている時に爆発が起き、倒壊した家屋から毒物が拡散して村人が全滅したというのがその報告書にある結論です。ウチヒスル村は禁教徒の村だった、と」



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