第二話 サザラン伯爵邸の地下書庫
__ロアナ王国サザラン領サザラン伯爵邸__555年9月8日夜
レナードがランタンをかざし、オスカー卿は庭木の支柱に使うような細く長い棒で蜘蛛の巣を払っていった。パラパラと塵が落ちる音。埃が舞って三人ともが咳き込む。ランタンで足元を照らすと虫の死骸が床のそこかしこに落ちていた。
「これは、もしかしたらわたしの予想が当たったかもしれませんよ」
服の埃を払いつつ、オスカー卿が振り返って言った。
「どういう意味です?」
「ここにあるのは作業道具ではなく骨董品のようです。庭の装飾に使われていたものでしょうか、ハサにありそうな彫像に、細々したものは外国製品みたいですね。エリオットの時代のものならそれだけで価値がありそうですが……、おっと」
オスカー卿が何かにぶつかったらしくカタンと音がした。彼は後ろを振り仰いで「おお」と感嘆の声を漏らす。
「絵画ですね。額縁はないようですが……、あれ? 動きませんね」
オスカー卿の視線は足元から天井あたりまで移動する。それくらい大きな絵ということだ。そして、何かに気づいたらしくアッと声を漏らした。
「絵画に偽装してあるけど扉になってるみたいです。隙間から風が」
オスカー卿の言葉を伝えると、レナードはランタンをわたしに預けて二人で絵画扉と格闘し始めた。埃にまみれているが、黒っぽく陰惨な絵がリルナ泥沼に沈みゆく邪神を描いたものだということはわかる。二人はロアナ語とヨスニル語でぶつぶつ言いながら扉を観察し、じきに手掛かりを発見したようだった。
「あっ、開くのは下の方だけみたいです。ここ、繋ぎ目が」
「ああ、なるほど。騙されましたね」
訳さなくても意思疎通できているようなので黙って見守っていると、沼が描かれた下側半分がオスカー卿の手によって開けられた。入口はかがんでやっと通れるほどだが、内部は高さがあるようだ。下りの階段が一メートルほど先から始まっており、数メートル先で闇に包まれどこまで続いているのかわからない。
「リーリナの沼に潜る気分です」
オスカー卿はブルッと肩を震わせた。そして、案内役としての使命感からか「行きましょう」と先頭をきって下りていく。手を伸ばせば両側の壁に触れられるくらいでそう広くなく、内壁は白っぽい色をしていることもあってランタンひとつでもある程度視界は確保できていた。ただ、階段が思いのほか急で、踏み外さないよう慎重に下っていく。
「これだけ深いと、地下室に閉じ込められた泥人形が叫んでも外には聞こえないだろうね」
「レナード様、そういうたちの悪い冗談はやめてください。エリオットがここに泥魂人形を置いて行ったとしてもとっくに脱出しているはずです。扉はどれも鍵がなかったではありませんか」
「鎖に繋がれてるかもしれないよ」
「鎖で繋いでも意味はありません。腕を拘束されているのなら、その腕をちぎってまた繋げれば元通りになるのが泥魂人形でしょう?
棺に閉じ込めて釘で打ち付けるくらいしないと」
「恐ろしいことを言うね」
「その棺を火葬にしても、泥魂人形はセタの元に行けないでしょうけど」
ふと、そんな言葉が口をついて出た。
イヴォンの言ったように魂は最初からセタの国にあり、人間が肉体を通して体験した記憶がそこに渦巻いていて、交霊がその世界を覗き見る行為なのだとしたら。交霊で覗き見ることができない泥魂人形本人の魂は当然セタの国には存在しない――、いや、できないということだろう。
「誰に同情してるの? セラフィ」
レナードに昔の呼び方をされ、見透かされた気分になった。
「同情しているわけじゃありません。そもそも死んだらセタの元に行くなんて非科学的な考えは支持していませんから」
誤魔化したものの、わたしはまだ思考を巡らせている。
――わたしがセラフィアの記憶を交霊で見たということは、セラフィア・エイツの魂はセタの国にあるということ。でも、ルーカスの根がわたしの意識を支配した後に見たものは、交霊で見ることはできないだろう。ロブやベリックのように根に侵入されたイモゥトゥの記憶が見られないのと同じだ。では、ライナスの中にいる三十四番の魂はどうか。
「着いたみたいです」
オスカー卿の声で我に返った。
階段が終わると扉もなく部屋がある。オスカー卿はランタンをかざしてゆっくりと周囲を見廻した。地下書庫というより小ぢんまりした書斎のような雰囲気で、左右の壁に書棚、中央にテーブル。残されているのは火のない燭台がいくつかと棚の一角に並んだ帳簿らしきものだけだが、それでも六、七十冊くらいはあるだろうか。
「土だ」
レナードが部屋の奥の方でしゃがみ込んでいた。その傍らの床にひと抱えほどの土の塊があり、彼が指先で突くとポロポロと崩れ落ちる。
「泥人形の材料かもしれない」
「ヒューバート教司様がリーリナ神教の書物に載っている泥魂人形の作り方を教えてくれました。邪神の神殿の沼にある灰色の粘土と、ハリエンジュ、他にも庭園の草木を入れて、血と唾液を混ぜて捏ねるって」
二言語で説明するとレナードとオスカー卿は苦々しげに顔を見合わせた。土の塊の横には木箱があり、蓋を開けてみるとショベルや手斧、ノミ、木槌などが入っている。
「リュカはここで生まれたのね」
わたしはひとつ息を吐き、ポケットからスキットルと薬包を取り出した。
「それは?」とレナードが眉を顰める。
「ブランデーと幻覚キノコの粉末です。交霊を試してみます」
「それは?」
ヨスニル語で話していると今度はオスカー卿が聞いてくる。彼はランタンの火で燭台に残った蝋燭を灯そうとしていた。わたしがロアナ語で説明すると、手を止めて心配げな眼差しを向ける。
「幻覚キノコと言えばナータン教徒が使う麻薬ですよね? 大丈夫なのですか?」
「麻薬ではなく嗜好品です。ナータン教ではお酒が禁じられているので、代わりにキノコで酔うそうです」
「それでも幻覚剤ですよね。ユーフェミア嬢はお酒と一緒に飲まれるつもりですか?」
「イモゥトゥに薬物は効きにくいので、このふたつを合わせてもそれほど長く交霊できるわけじゃありません。心配しないでください」
スキットルに粉を入れ、振り混ぜてから一気に喉に流し込んだ。男性二人は固唾を飲んで見守っていたが、わたしが「効くまで二十分ほどかかります」と言うと拍子抜けしたように表情を緩める。ふわりと酔いを感じたのは一瞬。平然としているわたしにレナードは苦笑しつつ、再び足元の土に目をやった。
「ユフィ、この辺で灰色の粘土が採れるかどうかオスカー卿に聞いてくれる?」
言われた通りにすると、オスカー卿は「おそらく」とうなずく。
「サザラン領とフォルブス領は焼き物に適した土が結構あるんです。建築物もハサのような石造りではなく煉瓦が主流なのはそのためです。粘土の色はその場所ごとに様々なので、灰色の粘土が具体的にどこで採れるかまではちょっと」
「ウチヒスルにあるのではないでしょうか。ウチヒスル村の人々があそこで泥魂人形を作って共同生活を送っていたのだとしたら、粘土も近くにありそうです。
それに、エリオットが晩年に二体の泥魂人形を作っていますが、その頃彼はウチヒスル城に住んでいたはずです。城の近くで粘土が採れたのかもしれません。
オスカー卿、ウチヒスル村の集落があった場所はラァラ神殿やウチヒスル城の敷地内ですか? 敷地外ですか?」
「わたしはウチヒスル村には詳しくありませんが、ここにある本を読めば何か情報が得られるかもしれません」
オスカー卿は書棚に並んだ本を手に取った。
「ざっと見た限り、ここに残されているのはウチヒスル村関連のもののようです。年次徴税記録、土地調査書などに加えてウチヒスル奇病事件の報告書もあります。シミができているところもありますが、文字は判読できそうです」
オスカー卿の隣で書棚の背表紙に顔を近づけてみると、たしかに『ウチヒスル』の文字が並んでいる。端にあった一冊手に取るとレナードが横からのぞき込んできた。
「それは?」
「クローナ歴二七一年の徴税記録簿のようです。他の年より薄いですね」
最後の記録は二七一年七月。イヴォンの話では、ウチヒスル奇病事件が起きたのがクローナ暦二七一年の夏。つまり、ウチヒスル村はここで終わったということだ。
徴税記録簿には村民の世帯別名簿が記載されており、世帯全員の名前と年齢、性別が書かれていた。探してみると『キャスリン』の名前と、備考欄に『八月出産予定』とある。二十八歳で、家族構成は本人と夫と義父母と義弟。
この妊婦のキャスリンはおそらくイヴォンの産みの親。イヴォンを育てた泥魂人形のキャスリンは別の家族と暮らしていたのかもしれない――そう考えたのは、次のページにもキャスリンの名前があったからだ。年齢は十八歳。
名簿を見ているとキャスリン以外にも同じ名前がいくつか目にとまった。
「これは……」
オスカー卿の声で顔をあげる。彼は神妙な面持ちで開いたページをわたしに向けた。
「ここです」
彼が指でさし示した箇所を、わたしはレナードのためにヨスニル語で読み上げる。
「――七月のウチヒスル村の総人口は九十七人。一方、確認できた遺体は六十余。狼等の野生動物が小柄な子どもを森に連れ去ったとも考えられるが、それだけでは説明がつかない――。
……残りは泥魂人形かもしれませんね」
オスカー卿もレナードも同じ考えのようだった。名簿をざっとながめたが、すべての泥魂人形が本体と同じ名前ということはなさそうだ。――いや、本体は死んで泥魂人形だけが残ったのかもしれない。
「村民が約百人で遺体が六十ということは、四割が泥人形だった可能性があるということか。しかし、泥人形を村人として申告すればその分の税金も増えるだろうに」
「徴税簿によると世帯人数はだいたい五から八人。総世帯数は十四です。立派な家に住んでいたわけでもないでしょうし、泥人形に水は厳禁だから森に隠れるわけにもいかない。外部の人間に見咎められて追及されるより、最初から堂々と姿を見せることを選んだのでしょう。
労働力に比べて食い扶持はかなり少なく済むわけですから、泥魂人形分の税金を払う意味はあったのかもしれません。彼らにできる作業は限られていたでしょうけど」
「禁術研究をしていたかもしれないね。泥人形は濡れなければ百年でも生きられる。ということは、研究記録が泥頭の中に蓄積されてるってことだ。この名簿に載ってる泥人形の年齢はきっと嘘っぱちだろうね。記録を遡れば何かわかるかもしれない」
レナードが書棚の帳簿に手をかけた時、不意に周囲が明るくなった。
並んだ背表紙に映る影がユラユラと揺れている。テーブルに置かれた燭台にはいくつも火が灯り、地下とは思えないほど十分な明るさがあった。隣には長髪の男性。レナードではなく、白髪で年の頃は五十か六十だ。少年みたいな体格はロアナ人に違いない。
「交霊状態に入ったから話しかけないでください」
わたしは目の前の〝タナーさん〟であろう人物を注視した。タナーを見ているこの視点人物はイヴォンか、エリオットか――。
『思い通りにいかんものだな』
視点人物が発した声は掠れた男性のもの。本が詰まった書棚に視線を移し、ごそっと抜き取って足元の木箱に詰める。『不老不死術研究(二)』という手書き文字が表紙に書かれていた。皺だらけの手は同じ作業を繰り返し、次第に書棚が空になっていく。時折、隣で同じように作業を進めるタナーをちらりと見た。
『すべてはここから始まった。始めるよりも終わらせるほうが難しい』
『エリオット様は何か終わらせたいものがおありなのですか?』
タナーは男性にしては少し高めだが、穏やかな声だ。
『終わらせたいものなどない。終わらせないために足掻いているんだ。わたしが死んだ後はわたしの分身が適宜判断を下してくれるだろう。その場におまえはいないだろうが、おまえも今から分身を作ってみるか?』
『わたしは結構です。自分そっくりの人形を育てるなんてしたくありません』
『わたしはリュカを育てたぞ。唯一の子育てが泥人形だ』
ククッと笑い声がし、エリオットの視界が揺れた。
『リュカ様はエリオット様の分身というよりも双子のように感じられます』
『分身と双子は違うか?』
『ライナス様とネイサン様は双子ですが、どちらかがどちらかの分身とは言えませんでしょう?
入れ替えはできません』
『ああ、たしかにな。ネイサンに堅気の事業を任せようとは思わないし、ライナスに霧の銀狼団を仕切れというのは無理な話だ』
エリオットがふと作業の手を止め、『ウチヒスル村奇病事件報告書』と書かれた表紙の文字に目を留めた。パラパラとページをめくり、箱に入れることなく棚に戻す。
『運び出すのは禁術関連の書物と、わたしが書いた実験記録だけにしよう。荷馬車に積める量にも限りがある』
『ウチヒスル村に関するものは処分しますか?』
『いや、このままここに置いていく。ご先祖様が隠し、わたしが発見するまで百年以上もここにあったのだ。次は誰がこれを見つけるのか、それまでリュカは生きているのか』
『エリオット様。リュカ様の補修用の泥魂人形を作っておくというのはどうでしょう?
泥魂人形は成人になるまでには相応の年月が必要ですが、同時に複数の泥魂人形をつくることは可能です。赤子の状態なら見つからずに生かしておくことができるかもしれません。何かあった時はその泥人形の泥でリュカ様を治せばよろしいのでは?』
ハハッと、エリオットはまた笑った。
『タナーもたまには役立つことを言う。だが赤子のままではダメだ。思考力はあるのに身体的制約が多くて気が狂いそうだったとリュカが言っていただろう?』
『それは、血気盛んな十代のエリオット様の血でリュカ様が生まれたからでしょう。今はその頃より落ち着かれていますから、少しくらい穏やかな第二のリュカ様が生まれるかもしれません』
『嫌なことを言う。わたしは今でも血気盛んなつもりでいるのだがな』
エリオットが立ち上がり、振り返った瞬間に心臓が止まりそうになった。蝋燭の光に照らされてこちらを見ているのはルーカスによく似た壮年の男。鏡に映ったエリオットの姿だった。
「ユフィ」
名前を呼ばれ、急に周囲が暗くなる。レナードが心配そうにわたしの顔をのぞきこみ、交霊が終わったのだと気づいた。




