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泥濘のリュカ〜わたしを殺した彼のルーツ〜  作者: 31040
第三幕 ――第二章 サザラン伯爵領
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第一話 クローナ大陸横断鉄道終着駅

__ロアナ王国サザラン伯爵領ブルッカ駅__555年9月8日



 クローナ大陸横断鉄道の終着点、ブルッカ駅。わたしたちの乗った急行列車が到着したときにはすっかり夜になっていたが、駅前通りの街の灯は昼間のように明るかった。駅舎を含めた周囲の建造物が淡い色をしているせいもあるだろう。ロアナ王国でも南部と北部では建築様式が異なっているのか王都ハサを特徴づけていた凝った建築彫刻は見あたらず、淡黄色の煉瓦造りが主流のようだった。


 街並みは違っても道行く人々の服装は変わらず、貴婦人たちの纏ったロアナドレスは夜道に映えて妖艶な雰囲気を漂わせている。しかし、それ以上に人目を惹きつけるのは金髪をハーフアップにした異邦の美青年レナード・ウィルビー。


 彼は何の変装もしておらず、ヨスニル共和国ウィルビー公爵家のレナード・ウィルビーとしてここにいた。サザラン家の客人として相応しい身分を持っているのだから、下手に偽装するより素性を明かしたほうが自然に振る舞えるだろうという判断だった。


 通行人たちはまずレナードに目をとめ、その後に隣にいるのがサザラン伯爵家の後継者だと気づいて驚きの表情を浮かべる。ハサ駅を出発した時はライナスも一緒だったが、彼はひとつ前の駅で下車して一人でウチヒスル城の偵察に向かった。距離的にはブルッカ駅で降りた方が城に近いのだが、神殿側の追手を警戒しての別行動だ。従って今はわたしとレナードとオスカーの三人。

 

「馬車はあちらです」


 オスカー卿の言葉をわたしがヨスニル語に訳してレナードに伝えると、通行人の誰かが「通訳士なのね」と囁いた。下っ端の使用人が着るような地味な服を着ていたため、荷物持ちか何かだと思っていたのだろう。オスカー卿がわたしを振り返って苦笑を浮かべた。


「否定したほうが良かったですか?」


 彼がそう聞いてきたのは馬車に乗り込んでからのことだ。


「いえ。わざわざ説明する必要もありません。実際、通訳士みたいなものです」


 オスカー卿はロアナ語とナスル語以外にも二つの言語を話せるらしいが、残念ながらその中にヨスニル語とザッカルング語は含まれていない。


「やはりヨスニル語を学んでおくべきでした。中央クローナの言語では南部の数カ国が公用語としているスウィドゥル語が話せるんですが」


「スウィドゥル語と言えば、ハスニ民国の公用語ですよね?

 サザラン伯爵様と一緒にルヴィルナグ聖殿を訪れたのがハスニ民国の建築家だったと聞きました」


「カーリッド・ヨーク氏のことですね。アッシュフィールド嬢は本当に色々とご存知のようだ。ところで、ウィルビー卿もあなたやライナス君と同じくらい今回の件に詳しいのですか?」


 オスカー卿はわたしとレナードを交互にながめ質問した。急行列車で十五時間を共に過ごして打ち解ける時間は十分にあったが、利用したのはロアナ国内を往復する座席のみの急行列車。他人に聞かれてまずい話はまったくできなかったと言っていい。


「レナード様もほぼご存知だと思ってくださって結構です」


「そうですか。ひとつお聞きしておきたいのですが、ウィルビー卿はどういった理由であなたやライナス君と一緒に行動されているのでしょうか?

 昨夜、父からライナス君とあなたの事情は聞きましたが、駅に着いてからウィルビー卿が同行されると知って驚きました」


 オスカー卿の言葉を訳すと、レナードは口元に手をあて考える。彼をクローナ大陸最西端まで駆り立てたのは好奇心だろうが、危険を承知で色々と動いてくれているのは面倒見の良さゆえだ。


「アカツキの代わりですよ」とレナードは答えた。


「ユフィの保護者である研究員のアカツキ・ケイが同行できなくなったから、彼の共同研究者であるぼくが同行することにしたんです。ぼくはソトラッカ研究所ではなくヨスニル国立大学で神秘体験や心霊体験について研究しているのですが、イモゥトゥの交霊も神秘体験のひとつですから」


 共同研究はロアナに行きたいがためにレナードが勝手に言っただけの話で、アカツキは冗談として受け流していたはずだ。とは言え、オスカー卿に納得してもらうためそのまま訳して伝えることにした。


「ああ、研究をされているんですね」


 オスカー卿が妙に納得した様子でうなずいているのは、列車内で降霊会体験談をさんざん聞かされたからだろう。


「オスカー卿はリュカの正体はお聞きになりましたか?」


 今度はレナードが質問した。


「ええ。昨夜、父から。最初は呆気にとられましたが、ライナス君が生き証人だというのだから信じないわけにはいきません。ただ、以前うちの屋敷に泊めたあの男が泥人形だったというのは今でも信じられませんが」


「まったく信じがたい話ですよね。泥人形に意識が宿るだけでなく、イモゥトゥの体に入り込むなんてずいぶんグロテスクな話です」


 そう言いつつレナードは笑みを浮かべている。昨夜、ライナスが彼の部屋を訪ねて〝同居人三十四番〟について打ち明けたらしいが、そのあと明け方まで質問攻めにしたということだった。きっと充実した時間を過ごせたのだろう。


「その泥人形が当家の地下書庫で生まれたとは……。父もわたしも地下書庫など見たことも聞いたこともありませんが、本当に存在するのでしょうか」


 オスカー卿は訝っているというより、わたしたちの期待に応えられなかった時のことを案じているようだった。


「なければないで仕方ありません。イヴォンの話では、地下書庫の入り口は本邸裏の物置小屋のような場所にあるとのことでした。そばにニセアカシアの木があるはずです」


「おそらくあれだろうと見当をつけている物置小屋はあるのですが、本館裏手にはほとんど行かないので記憶が曖昧で、横に木が植わっていたような、なかったような。

 覚えているのは、その小屋が庭師の物置小屋として使われていたということです。わたしは小屋に入ったことはありませんし、父も特に関心を向けたことはないようでした。地下があったとしても、庭師もその存在に気づいていないのでしょう。

 エリオット・サザランが死んでから誰も地下書庫に足を踏み入れていないとすれば、何かが残っていたとしても良い状態ではないかもしれませんね」


「泥人形がいるかもしれませんよ。彼らは食べなくても生きていられるようですから」


 レナードのたちの悪い冗談をオスカー卿に伝える。すると、彼は引き攣った笑みを浮かべた。


「あり得ない話ではないのかもしれませんが、百年以上も暗闇の中で過ごしたら泥人形でも発狂しそうです」


「呻き声や叫び声が聞こえたりしたことは?」


「ありませんよ。泥人形よりエリオットの隠し財産でも見つかればうれしいですが」


 オスカー卿は嫌な想像を振り払うように冗談めかして言った。本当に何か見つかるとすれば財宝でも泥人形でもなく、書類や紙切れ、あとは実験器具のようなものだろう。リュカの誕生に関するものや、ウチヒスル村がリーリナ神教徒の村だったと裏付けるもの。


「アッシュフィールド嬢、もし地下書庫から禁教に関するものが見つかったらどうされるおつもりですか?」


「大聖会で保管してもらうのが良いのではと考えていますが、やはりオスカー卿は禁教と関わっていた証拠が見つかるのは嫌ですか?」


「いえ。証拠はフォルブスにも握られていますから今更です。エリオット・サザランが禁教に通じていたのは間違いないでしょう。

 わたしが気になっているのは、禁教関連のものではなくウチヒスル村関連の資料です。ウチヒスル奇病事件はこのサザラン領――つまりロアナ王国内で起こった事件。ロアナの貴重な歴史資料とも言えます。それをナスル王国のクローナ大聖会に持っていかれるのはどうかと。

 できればロアナ王家かルヴィルナグ聖殿に保管していただくのが良いのではないかと思っています」 


 言われてみれば最もな話だった。


「そうですね。そもそもわたしが資料の取り扱いについてどうこう言える立場でもありませんので、ロアナ王家の方とご相談なさるのが良さそうです。地下書庫で目的のものが見つかればの話ですけど」


 オスカー卿とのやりとりをレナードに訳して伝えている間、馬車は長い石塀伝いを走っていた。中心街から外れてまばらになっていた外灯が、再び数メートル間隔で灯っている。ガス管が整備されていると思われるこの富裕貴族の屋敷は、おそらくサザラン伯爵邸だろう。


 オスカー卿は予想通り「到着しました」と塀の奥に見える明かりを指差した。馬車が門を通過すると想像以上に広々とした敷地が目の前に現れ思わず息を飲む。


 来客があるからか、常からか、左手方向の庭園はガス灯で明るく照らされていた。膝上くらいの高さの生け垣は直線的なデザインで、その間に水路が渡してある。夜風が水面を揺らし、反射したガス灯の光が幻想的な模様を描いていた。石塀際のパーゴラ((つる棚))に蔓を絡ませているのは葡萄のようだった。ちょうど収穫期らしく黒っぽく色づいた果実がところどころにぶら下がっている。


「風情がありますね」というレナードの言葉にオスカー卿はうれしそうに目を細めた。


「ロアナ南部特有の庭園です。水路は膝下くらいの深さなので足をつけて涼んだりもします」


「気持ちよさそうですね」


 観光で来ているなら水路に足を浸けてワイングラスを傾けたいところだが、そういうわけにはいかない。


「オスカー卿、例の物置小屋は裏でしたよね」


 わたしが問うと彼は「ええ」とうなずく。


「すぐ確認されたいですよね」


「できればそうしていただけるとうれしいです。昼間でも夜でも地下書庫が暗いのは同じでしょうから」


「わたしも確認しないことには食事が喉を通りそうにありません。馬車で裏門にまわるより歩いた方が早いです。荷物は先に部屋に運ばせておきましょう」


 玄関先で馬車を降り、「先に裏庭に行く」と言うと執事がランタンを手に同行しようとした。オスカー卿がそれを断ると、何かしら察したらしく使用人を引き連れて屋敷の中へ戻っていく。


「こちらです」


 オスカー卿は水路庭園とは反対方向に足を向けた。ジチ教徒の屋敷らしくサルビアと夾竹桃とがいくつかのガゼボを囲うように植えられている。それを横目に煉瓦敷の小道を歩いて行くと、こぢんまりした二階建ての建物が見えた。


「オスカー卿、あの建物は?」


「使用人の宿舎です」


「アリシア・サザランの日記にあった別棟というのはあれでしょうか。ヒューバート教司様が幼い頃に建て替えたとおっしゃっていましたが」


「おそらくそうだと思います。本館を含め敷地内の建物は適宜改修しているのですが、完全に倒して建て替えたのはあの建物だけだと聞いています」


 宿舎の窓のうち明かりが灯っているのはひとつだけだった。夜更けの来客のせいで使用人たちはまだ働いているのだろう。


 本館と宿舎の間を抜けると水路庭園と同じくらいの広さの空間がある。木材や苗木、作業用具などが置かれ、裏庭というより資材置き場のような雰囲気だ。わたしたちが歩く小道の突き当りに小屋があり、「あれです」とオスカー卿が言った。しかしニセアカシアらしき木は見当たらず、そばにあるのは鉢植えの苗木がいくつか。


「あの小屋ではなかったのでしょうか」


 訳さずともオスカー卿の不安げな口調から内容を察したのか、レナードが「問題ありません」と笑いかけた。


「ライナス・サザランの時代にあったニセアカシアが今もそのままというのはあり得ません。ニセアカシアは樹齢が百年や二百年にもなるような木ではなかったはずです」


「あっ!」


 レナードに言われるまでわたしも失念していた。樹齢のことをオスカー卿に伝えると、希望を取り戻したらしくホッと胸をなで下ろす。


 近づいてみると、小屋は古びてはいるものの本館同様のしっかりした造りのものだった。周囲には木の切り株すら見当たらなかったが、鍵のない木戸を開けてすぐ『当たりだ』と直感する。外から見た小屋の大きさに比べて、中の空間が半分ほどしかないのだ。


 残り半分の空間への扉はランタンで照らすとすぐ見つかった。壁に立てかけられた木材の奥にもう一枚の木戸がある。


「この扉も鍵はかかっていないようですが」


 木材をよけ、緊張気味にオスカー卿が扉を押し開けた。直後カサカサっと何かが足元を駆け抜け、わたしは短く悲鳴をあげる。


「ネズミだよ」


 レナードがクッと笑った。


「アカツキに後で教えてあげないといけないね」


「何をですか?」


「ユフィにも可愛らしいところがあるって」


 わたしとレナードの会話が大した内容ではないとわかっているのか、オスカー卿は先に奥の空間へと足を踏み入れた。


「アッシュフィールド嬢。虫は平気ですか?」


 暗闇の中でランタンの火に照らされているのは、そこかしこに張り巡らされた蜘蛛の巣。長い間誰も足を踏み入れていないのは間違いなさそうだった。


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