第七話 ガゼボの密談(二)
__ロアナ王国王都ハサ郊外サザラン伯爵邸__555年9月7日
「神殿と禁教が絡んでいることは予想していたが……」
第二王子はそう口にし、意外にも気遣うような眼差しでサザラン伯爵の様子をうかがった。伯爵は顔を上げたもののその唇から言葉は出てこない。
「殿下はなぜ神殿と禁教が関係しているとお考えになったのです?」
慎重な口ぶりでライナスが問い、王子はしばし思案した後に口を開いた。
「伯爵から〝霧の銀狼団〟について聞いていたからな。それに、サザラン家当主に引き継がれる極秘資料というのを見せてもらった。ライナスは霧の銀狼団のことは知っているのだろう?」
「はい。神殿の本性はそっちですから。ところで極秘資料というのは?」
「それは伯爵の口から聞くべきだ。話すか話さないかは伯爵の自由だが」
サザラン伯爵はハンカチで首の汗を拭い、暑さのせいでわずかに赤みの戻った顔をライナスに向けた。
「ライナス君から聞いた話に比べれば大した内容ではありませんが、その話の裏付けになる記録が資料の中にありました。
極秘資料というのは神殿と霧の銀狼団に関する取引記録と調査記録で、その大部分がフォルブスに関するものです。歴代当主は霧の銀狼団と距離をおきつつ、折を見ては団員を買収し、情報を仕入れていました。
当主による記録はライナス・サザランの代から始まっており、先ほどライナス君が話した〝ウチヒスル城にいたエリオット・サザランそっくりの子ども〟のことも書かれています。
ライナス・サザランが残した記録には、その子はエリオットの私生児で、エリオットと一緒にウチヒスル城に引っ越したとありました。サザラン家の系譜に該当する人物はいません。フォルブス家の家系図にもそれらしき人物は記録されていません。
ですが、ウチヒスル城に住む正体不明の青年のことに歴代当主全員が言及しています。と言っても実際に目撃したわけではなく、すべて人伝ての話です。噂に登場するのはいつも青年で、老いることはありません。その人物がエリオット・サザランに似ているという記述もあります。
わたしを含め、歴代当主はみなその正体不明の青年をエリオットが作り出したイモゥトゥだと考えていました。エリオット・サザランは不老不死に執着したが、死が避けられないと悟り自分そっくりのイモゥトゥを残そうとしたのではないかと。それが、まさか泥で作られた人形だったとは」
「しかも泥人形がイモゥトゥの体を乗っ取るなど、にわかには信じがたい」
伯爵の言葉に被せるように第二王子が言った。わたしはライナスがいつも通りの詐欺師まがいの話術で応じると思っていたが、耳に届いたのは予想外の言葉。
「わたしが生き証人です」
「どういう意味だ?」王子の眉間に皺が寄る。
「ですから、殿下の目の前にいるイモゥトゥは泥魂人形に体を乗っ取られたイモゥトゥだということです。
わたしはリュカ同様エリオットの泥魂人形としてこの世に生まれましたが、その存在理由はリュカに何かあった場合に補修するためのパテ。好き勝手動き回れるはずがなく、ウチヒスル城の半地下で軟禁生活を送っていました。
そして、何も聞かされないままある日突然フォルブスの手によって無理やりこの体に入れられたのです。泥魂人形がイモゥトゥの体が乗っ取れるか実験するためリュカが命じたようでした。
この体の本来の持ち主はカラック村孤児院のイモゥトゥ、三十四番。三十四番の意識はこの体の中でまだ生きています」
王子も伯爵も言葉を失ったまま、舐めるようにライナスを観察した。ライナスは自嘲気味の笑みを浮かべ、さらに言葉を重ねる。
「先ほどの伯爵様のお考えは的外れではないと思います。エリオットは不死を望んだけれど、残念ながら不老不死術で自分が不死になることはできなかった。それで、自分の分身を残そうと泥魂術を使うことにしたのでしょう。より長く自分の分身を残すために補修用の泥魂人形まで用意して。
泥魂人形で他者の意識が乗っ取れることがわかったのはエリオットの死後かなり経ってからのことなので、イヴォンの体を乗っ取るというのはリュカが望んだことです。まあ、エリオットの泥魂人形にはエリオットの性質が受け継がれますから、リュカがエリオットと同じように不死を望むのは当然かもしれません。それだけでなく、ロアナ王国まで欲しているのかも」
「そなたは違うのか? 今の話が本当なら、そなたもエリオットの性質を受け継いでいるということだろう」
「わたしの半分は三十四番です。イモゥトゥとして生まれたがために過酷な環境に置かれた者が、どうして不死を望むのでしょう。ましてロアナ王国を欲するなどあり得ません。強いてエリオットとの共通点を探すとすれば、国外を飛び回っているのが性に合っていることでしょうか」
「謀略を巡らせるのもエリオットに似たのではないか?」
「謀略を巡らせる者など、そこら中にいるではありませんか。タルコット侯爵領のオングク炭坑跡地で神殿がコソコソやっていることは把握しておられますよね?」
ライナスが挑発するような口調で言うと、第二王子とサザラン伯爵は苦々しげに顔を見合わせた。
「その件、タルコット侯爵は関与しているのか?」と第二王子。
「いえ。今もご存知ないはずです。わたしたちも昨日ダン・ヒチョンから聞いて知ったばかりです」
どうやらレナードからの情報だということは伏せるつもりらしい。
「なるほど。あの新聞屋もなかなか有能だな。だが、この件については下手に軍や警察を動かせば向こうの思う壺だと考えている。だから真実新報を利用して王都民の目を覚まそうとしていたのだ。悪いが、こちらの思惑通りに利用されてくれ。
ダン・ヒチョンに流して欲しい情報はふたつ。ひとつ目は王族と中央クローナ貴族とサザラン伯爵が中庭のガゼボで密談していたこと。ふたつ目は茶会にラァラ派貴族は誰も招待されていなかったということだ。
それから、オングク炭坑跡地の記事はまだ出さないで欲しい」
「おそらくですが、ダン・ヒチョンなら炭坑跡地の件はタルコット侯爵が無関係だという証拠を入手してから記事にするでしょう。それに、タルコット侯爵が神殿との対決を辞さない覚悟でいることは彼にも話したので、侯爵の不利になるようなことは書かないと思います。ですから、記事が出るまである程度は時間に猶予があるかと」
「癪な話だが、すべておまえの手のひらの上で踊らされている気がするな。こうしてタルコット侯爵とサザラン伯爵が同じタイミングで神殿との関係を切ろうとしているのは、おまえの告発文書のせいだ。そして、ロアナ王家はこの機会を逃すつもりはない。もうじき、ロアナが大きく動くぞ」
「殿下、わたしを突き動かしているのは個人的な復讐心です。この三十四番の口を借りてロアナの未来を語るつもりはありません。しかし、もしわたしがしたことが少しでも王家の役に立ったと思われるのでしたら、サザラン伯爵様の領地邸宅にある地下書庫を見せていただきたい。
リュカはその地下書庫で生まれました。すなわち、そこには禁術に関するものが残っているかもしれないということです」
ライナスの正体を知ったからだろうか。こうして王族とも臆さず交渉し、自分の目的のために突き進む姿を目の当たりにすると、『エリオット・サザランもかつてはこんなふうだったのかもしれない』と考えずにはいられなかった。大胆で狡猾なこの男は、思いのほか親しみやすく場を仕切るのが上手い。そして、胸の奥に熱い炎を秘めている。もし、エリオット・サザランがライナスのような雰囲気を持っていたなら、彼と同時代を生きたイヴォンが最終的に彼を許したことも理解できないではなかった。
わたしはサザラン伯爵と第二王子がヒソヒソ話をしている間そんなことを考えていた。それもほんの一、二分のこと。サザラン伯爵は片手を上げて執事を呼ぶと「オスカーをここへ」と命じ、茶会会場へと向かわせた。
「ライナス君、ユーフェミア嬢。息子のオスカーを紹介しますので、サザラン領へは彼を一緒にお連れください」
「イヴォンのこともあります。明日にはハサを発ちたいのですが問題ありませんか?」
「問題ありません。わたしもその地下書庫が気になるのです。本当はわたしが行きたいところですが、まだハサでやるべきことが残っていますし、聖地でヒューバート教司様にお会いする必要もありそうです。
オスカーなら見た目はお二人と同年代ですから、意気投合して領地に招待したということにすればいいでしょう」
ルーカスがオスカーと会った時、オスカーは十八歳だったはずだ。一つ年下で、髭を生やして眼鏡をかけているせいか自分より老けてるというようなことをルーカスは話していた。しかし、ルーカスから現当主についての話は聞いたことがない。
「伯爵様」
「なんでしょう、ユーフェミア嬢」
「先ほど、子爵様が話したルーカス・サザランという男のことですが、その人物が泥魂人形のリュカなのです。彼は去年の春頃この屋敷の別館で十日ほど過ごしたと聞いています。ご存知ありませんか?
変装してヴィンセント・フォルブスの友人を名乗っていたとか」
「ヴィンセントの――」
伯爵は何か言おうとしたが、前庭の方から話し声がして口を噤んだ。
本館の陰から現れたのは執事と、ロアナ人にしては少し背の高い青年。二人は渡り廊下で別れ、執事は本館へと姿を消した。一人やって来たのは伯爵と同じ濃いブラウンの髪に鼻髭のオスカー・サザラン。彼の丸眼鏡が陽光を反射して眩しく光った。
「父上、お呼びでしょうか」
オスカー卿は砕けた口調で伯爵に話しかけたが、妙に強張った立ち姿からは緊張がうかがえる。見た目は二十二、三歳くらい。実年齢より三歳ほど年上に見えるとはいえ、『老けている』という表現はそぐわない落ち着いた雰囲気を持った青年だ。
「オスカー卿、この者たちもわたしの素性を知っている。演技は不要だ」
「あっ、それは失礼をいたしました」
オスカー卿が謝罪しているのは第二王子に対してだが、わたしたちも高貴な身分と勘違いしたようだった。目が合うと畏まった態度で低頭する。そんな息子に伯爵が問いかけた。
「オスカー。ヴィンセント・フォルブスの友人が別館に滞在した時のことを覚えているか?」
オスカー卿もフォルブスに対して良い感情を抱いていないらしく表情を曇らせた。
「去年の春頃に一週間ほど泊まられた方ですね。名前が確かリュカ・タナー。平民で、神殿の聖職者の息子だったと思います。体が弱いからと言ってほとんど別館から出てこられず、一度だけ本館の見学をされていた時にお会いしました。交わしたのは挨拶程度です。報告書を父上にお渡ししたはずですが」
オスカー卿が父親を見ると、自然と伯爵に視線が集まった。「報告書とは?」と王子が尋ねる。
「その当時わたしは国外にいて、フォルブス絡みのことは逐一報告するようにと息子に言ってありました。リュカ・タナーに関する報告も受け取って目を通しましたが、その男について詳しく調べる必要性は感じなかったのです。まあ、わたしの目が節穴だったということでしょう。
男はほとんど別館で過ごし、抜け出した様子もなかったので、神殿からの軽い警告だろうと考えたのです。ルヴィルナグ聖殿改修の件が一段落した頃でしたから」
フムと低く唸って腕組みをした第二王子は、ふと思い出したように「美男子だったか?」とオスカー卿に聞いた。
「ええっと、……美男子といえば美男子だったかもしれません。会った時は喉の調子が良くないからとスカーフで口元まで覆っていましたので」
事情を知らないオスカー卿は、説明を求めるように視線を巡らせた。しかし応える人は誰もおらず、サザラン伯爵は「領地に発つ準備をしなさい」と息子を下がらせる。彼の姿が見えなくなると、第二王子がテーブルに肘をついてニヤと笑った。
「望みは聞いてやった。案内役まで付けるのだから今後も情報を共有してくれるだろう? ライナス」
「相応の情報をこちらにも提供していただけるなら」
そうして、同行人となったオスカー卿とはまともに話せないまま茶会が終わる時刻になり、密談もそこで終了。翌日午前にハサ駅でオスカー卿と落ち合うことだけ決めて伯爵邸を後にしたのだった。
次回から第二章サザラン伯爵領に入ります。
更新までしばらくお待ち下さい。




