10 | 瞳の秘密
カーテンを開けて明るくなった部屋で見つめたアリアの瞳には何かが蕩けているように見えた。
「アリア、瞳が…⁈」
よく見ると、紅茶にミルクを注いだように、茶色の瞳に白いマーブル模様が静かに揺れていた。
アリアが水の魔力を持っていた時は、藍晶石のように深い青色に僅かな緑と白が混ざっていた。それが今は、元々の彼女の瞳の色の明るい茶色に、明らかに白色が混ざり込んでいた。
―――何が起こっているんだ?
「あ、あの…ライナス様?」
アリアの少しくぐもった声に我に返ると、僕は彼女の顔をがっちりと掴み、じっと覗き込んでいた。
「ああ、すまない」
僕がパッと手を離すと、アリアはホッと息を吐いた。そしてキョロキョロと周りを見回した。自分の瞳を確認するために鏡を探しているのがわかった。
―――こうして鏡を探すのは何度目だろうか
思わず笑いそうになった時、ソニアがこちらへやってきた。
「アリア様、こちらでよろしいでしょうか」
エプロンのポケットから、さっと手鏡を取り出してアリアに手渡した。化粧を担当するから手鏡は必需品ということか。
「ええ、ありがとう。……ふっ、ふふふ」
アリアは笑いながら僕を見た。
「初めて手鏡がすぐに出てきましたね。ふふっ」
「ははは、そうだな」
アリアも同じことを考えていたことに僕も笑った。何が起きているのかと不安が襲ってきそうだったが、こうして二人で笑ったことで僕は気持ちを落ち着けることができた。
「さて」とアリアは手鏡を自分に向けて瞳を確認し始めた。正面から、少し横から、反対からも、顔を左右に動かしたり、鏡を離したりしながら。
その様子を見ながら、僕は頭の中を整理した。昨晩、手を繋いだ時は確かに魔力が全く感じられなかったが、あの瞳の様子だと、アリアに魔力が戻っているのは間違いないだろう。それならどうすべきか。
―――黒魔術結社の中心的な者達は一掃した。残党がいても力はかなり削いだはずだ。万が一の対策もユトレフィスに頼んできた。そして___
「白…ということは、治癒の魔法が使えるのかしら」
鏡を見ながらアリアが呟いた。
「やはり魔力があるのか?」
「ええ、そうだと思います」
そう言ってアリアは僕の方に手を差し出した。ゆっくりと手のひらを合わせると――
「ああ、確かに魔力を感じるな」
思った通り、アリアに魔力が戻っていることを感じとれた。ただ、前のように溢れていく様子はなく、容量に対して余裕を持って止まっている感じがした。
「使ったら、また湧いてくるのだろうか」
この魔力がなぜ戻ったのか。アリア自身が作り出したのかはわからない。何か一時的に魔力が戻っただけで、使い切ったらもう戻ってこないことを僅かながら期待していた。
「試してみてもいいですか?」
アリアは、僕の指先を見ながらそう言った。
指先には昨日の執務中に紙の端で切った小さな傷があった。
「ああ、やってみてくれ」
アリアは小さく頷いて、その傷に手をかざした。ふわっと光が僕の指先を包み、傷はスッと消えた。
予想通りの結果に、僕もアリアも特に言葉もなく見つめ合った。僕が手のひらを上にして差し出すと、アリアはその上に手を重ねた。魔力量は…
「……よくわからないな」
「傷が小さくて、使った魔力が少なすぎたようですね」
アリアも自分の魔力量に注意を向けているようだが、眉を顰めていた。
「では、前のように魔力もらってもいいか」
「はい」
繋いだ手から魔力を引き寄せると、以前と同じように僕の方へと流れてきた。柔らかな感じがする彼女の魔力はやはり心地よかった。
アリアが持っていた魔力の四分の一ほどを受け取ったところで止め、しばらく手を繋いだまま魔力量に集中する。
「………………あっ」
僕たちはハッと見つめ合った。
「増えましたね」
「ああ」
僅かながらアリアの魔力が増えるのを感じた。すぐには元の量に戻らないだろうが、こうしている間にもじわじわと増えていた。
「魔力が戻ってしまったら、またライナス様に迷惑を…」
アリアが申し訳なさそうに俯いた。彼女の魔力を狙う者達の標的に再びなることを心配しているのだろう。しかし、ユトレフィス公国でのことは黒魔術結社の歪んだ思想によるもので、彼女のせいではない。
―――まだ残党が残っているとしても、僕が彼女を守る
そう改めて気持ちを固め、繋いでいた手を両手で包み込んだ。
「アリア、僕は迷惑だなんて思っていない。顔を上げてくれないか」
不安げな表情でこちらを見るアリアにできるだけ穏やかに語りかけた。
「僕はそれほど不安がる必要はないと思っているよ。
ユトレフィスのアイヴァン殿をはじめ、騎士団や魔術調査班が黒魔術を徹底的に取り締まるんだ。我が国も、国内で黒魔術の脅威に国民が晒されないよう彼等と連携する。残党がいたとしても、活動はさせない。
それと、万が一に備えて、あらゆる黒魔術の解呪の魔法陣を用意するんだ」
「解呪の…?」
「ああ。黒魔術結社から押収した資料には様々な魔術について書かれていて、それぞれ解呪についても記載されていたんだ。その中で、我々に害を成しそうな魔術の解呪の魔法陣を予め用意するよう作業を始めている」
「前もってそのようなことができるのですか?」
まだ不安そうなアリアに僕は微笑んで頷いた。
「魔法陣に魔力を込めておけば、必要な時に呪文を唱えればその魔術を発動させることができるんだ。黒魔術結社が、大昔の魔術師が残した魔法陣を使った方法だよ。
奴等の残党がまた黒魔術を掛けてきた時に備えられるよう、ユトレフィスには魔法陣が描ける者達がいるから、必要そうなものを選んで描いてもらって、それに僕が魔力を込めておく予定だったんだ。僕の魔力量だと、だいぶ時間が掛かるだろうと思っていたけど…」
「では、私が魔力を込めれば…!」
アリアは戻った魔力の使い道を見つけて、繋いでいた手に力を込めた。でも、僕は首を横に振った。
「アリアには、人前で魔力を使わないようにしてほしい。貴女の魔力は、ユトレフィスでの騒動の間に尽きてしまったとなっている。どこに何を企む者がいるかわからないから、そのままの認識にしておきたいんだ」
「魔力が戻ったことを知らせなくていいのですか?」
「もちろん必要な人には知らせるが、できるだけその範囲は狭めるつもりだ」
「でも……魔力を使わなくても、知られてしまうのでは…」
アリアは手鏡に視線を向けた。瞳に揺らめく白い靄を心配しているのだろう。
「それなら___」
僕は繋いでいた手を離し、両手を彼女の頬に添えた。鼻先が触れそうな距離で、暖かな茶色の瞳に揺れる白いマーブル模様を見つめながら言葉を続けた。
「この近さなら、魔術師特有の瞳だとわかるが___」
次に腕をいっぱいまで伸ばして離れてみせた。
「この距離で、もうマーブル模様はわからないよ。僕や化粧をしてくれる侍女達以外で、これより近い距離で見られることはないだろう?」
「え、ええ、そうね」
納得してくれたようで僕はほっとした。アリアは少し顔が赤くなっていた。照れているように見える。顔を近づけたのが、近すぎただろうか。
たまらなく可愛らしく思えて、彼女を抱きしめた。
「不安に思えばキリがないけど、できるだけの準備をして貴女を守るから」
アリアは僕の腕の中で頷いた。
「魔力を使わないといけない時は全部僕がやるから、アリアの魔力は秘密にさせてくれ」
僕の言葉にもう一度頷くと、顔を上げた。
「では、私の魔力はライナス様が使ってくださいね」
「ああ、そうさせてもらえると助かるよ。僕の魔力量では途方もなく時間が掛かりそうだからね」
途方もなくとは少し大袈裟だが、そう冗談めかして言うと、アリアはふふふと笑った。




