01 | 期待と不安の先
「アリア、おはよう」
僕はアリアが眠る寝台の横に座ると、彼女の手を取って甲にゆっくりと口付けた。華奢なその手に僕は額を寄せ、彼女が目覚めてくれるよう願った。
昨日も、一昨日も、その前もそうしたように。
旧首都からここユトレフィス公宮殿に戻って五日が経っていた。昨晩、アイヴァン公子からアリアの魂を戻すための魔法陣が間もなくできると聞いてよく眠れず、今朝も夜が明ける前から目が覚めていた。朝日が昇り始めるのを待ってアリアの顔を見にきたが、気持ちは不安が勝っていた。
もちろんアリアを取り戻せるかもしれないとの期待はある。当初聞いていたよりも早く魔法陣を完成させてくれたこの宮殿の魔術調査班にも心から感謝している。しかし――
「ライナス様_」
遠慮がちに呼ばれてそちらを向くと、侍女のエレンが前室へと続く扉の方から歩いてきた。
「ああ、エレン」
「来られて早々に申し訳ございませんが、そろそろ診察の時間でして…」
今、その連絡を受けていたようだ。
「わかった。少し顔を見たかっただけだから、構わないよ。ありがとう」
僕は立ち上がると、アリアの額を撫でて前髪を分けると、そっと口付けた。
「アリア、また後で」
口ではエレンにわかったと言ったのに、すぐに足が動かなかった。たとえ眠っていてもアリアの側にいて、その手を握っていたかった。
アリアの魂だと思われる光の粒が僕が持つ懐中時計の石の中にある、この不自然で不安定な状況がいつまで持つのか。その魂を彼女に戻せるのか。彼女は目を覚ましてくれるのか――不安に思えば思うほど、ただアリアの側にいたくなった。
コン、コン、コン___
僕はハッと顔を上げると、少し離れたところでエレンが申し訳なさそうにこちらを見ていた。
「診察を少し後にしていただきましょうか」
「いや、すぐに出るよ。すまなかった」
アリアのことをエレンに頼み、僕は部屋を出た。
◇ ・ ◇ ・ ◇
特に予定もなく、遠くの空に残る朝焼けを見ながら宮殿の庭のタイル敷きの小道を歩いていた。少し後ろをロバートがついてきていた。僕が考え事をしているのを察して護衛に徹していた。
僕は古い石積みの塔まで来ると、足を止めた。
視線の先には転移ポートがあった。地面に埋められた白濁色の石は、大きく割れていた。僕が旧首都から転移した時、地面の感触を足の裏に感じると同時に《ビシッ》と音がした。遥か昔に埋められた石は、疾うの昔に役目を終えていたのだろう。
___『ライナス様がお戻りになるまで持ち堪えていてよかったです。その前に割れていたらどうなっていたことか…』
魔術調査室長のスコットが、僕が帰還したその日に割れた石を確認しながらそう胸を撫で下ろしていたのを思い出していた。転移する時に割れていたらどうなっていたのか、彼らの持つ資料にはその記述はないらしく、僕が転移に失敗して行方不明になっていたら――それはユトレフィス側にとってかなり厄介なことだろう。
「もう、転移はできない…か」
僕はぼそっと呟いた。
「はい、おやめください」
「えっ?」
後ろに立つロバートが僕の独り言に珍しく返事をしたので、少し驚いて振り返った。
「殿下とチェスターが目の前で消えてから戻られるまで、お止めすべきだったと思っておりましたので」
淡々とした口調で話すが、真っ直ぐにこちらに向ける視線からは抗議に似た強い気持ちを感じた。
「…そうか。不安に思わせて申し訳なかった」
「いえ、あの時は必要であったと理解しております。ただ、他のポートもこのように脆くなっていると思われますので、今後は殿下が転移されようとしてもお止めいたします」
ここが使えないなら、旧首都へ行く準備の中で見た地図に記されていた近くのポートはまだ残っているだろうか、などとチラッと頭をよぎっていたことを見透かされていたようだ。
―――何かあってもすぐには旧首都へは行けないか…
アリアの魂を戻すのに難航したら、旧首都に何かヒントを探しに行けるだろうか。チェスターの様子も見に行けるだろうか、などと考えていたが、その選択肢は捨てなければいけないようだ。
もう一度割れた転移ポートを見つめて、ふぅ、っと息を吐いた。
―――きっと上手くいく。チェスターも大丈夫だ。
後ろ向きの気持ちをぐっと押し込めて、ロバートの顔を見た。
「さあ、戻ろうか。そろそろ朝食の時間だ」
いつのまにか空は澄んだ青色になっていた。
久しぶりの更新となりましたが、お読みいただきありがとうございます。
こんなにも期間が空いてしまうと思いませんでしたが、話の流れが上手くいかず、悩みながら書き直しを繰り返すうちに時間が経ってしまっていました。ようやく流れが見えてきましたので、更新いたしました。物語はだいぶ終盤に差し掛かっていると思います。最後までお付き合い頂けましたら嬉しいです。
千雪はな




