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青星の水晶〈下〉  作者: 千雪はな
第4章 因縁と対峙
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01 | 闇黒

アリアが倒れた。



あれからどれ程の時間が経ったのかもよくわからない。


真っ暗な室内、小さなランプの灯りに仄かに照らされたアリアの頬をそっと撫でた。額にかかった前髪を横に流し、そのまま毛先までさらりと指を通した。


「アリア……」


枯れて力のない声と共に涙も溢れてきた。


胸元に置かれた右手を僕の両手で包み込んだ。いつもよりひんやりとする彼女の体温を感じると背筋が凍る思いがした。


―――呼吸……している。鼓動は……感じられる


不安に駆られて何度も何度も確認した。



「…頼む、目を開けてくれ……」


華奢な手をきゅっと握りしめ、その指先に額を寄せた。


___『難しい顔をして、皺が寄っていますよ』


アリアなら、少し心配しつつも笑って僕の眉間の皺を伸ばすように額を優しく撫でてくれるだろう……


寝台に横たわる目の前のアリアは、まるで陶器の人形のようだった。苦痛で顔が歪むことも、呼吸が乱れることも、ピクリと動くことさえなかった。


その瞳はいつ開くのだろうか。


その柔らかな頬にまた赤みがさすだろうか。


あの優しい声で僕の名を呼んでくれる時が再び訪れるのだろうか。


考えれば考えるほど気持ちは沈んでいった。




僕は、アリアの左手もそっと取った。


その手には包帯が巻かれていた。


―――包帯の下は……


僕はアリアが倒れた時を思い出して唇を噛んだ。




___エレーナ公女が僕らを見送る準備ができるまで、廊下に飾られたクリスタルの工芸品を見ながら待っていると、アリアが手にしたクリスタルの中に黒い(もや)が見えた。


それが黒魔術を思い起こさせたので、僕はそのクリスタルを放すように言おうとした。それと同時に、準備を終えて廊下に出てきた公女も触れてはいけないと叫んだ。アリアを止めようと前のめりになったのだろう。車椅子から転げ落ち、その大きな音に僕も公女の方を向いた。その時――


『痛っ…』


背後からアリアの小さな声が聞こえた。



慌てて振り返ると、彼女が手にしていたクリスタルが落ちていくところだった。


ガシャン!


大理石の床に落ちたクリスタルは、大きな音を立てて砕け散った。


アリアはプツンと糸が切れた操り人形のように、その破片が広がる床に倒れ落ちようとしていた。


『アリアっ!!』


僕は咄嗟に駆け寄り、床に倒れ落ちる寸前で彼女を抱き止めた。


『アリア、アリアっ!どうしたんだっ⁈』


腕の中の彼女はぐったりとして、僕の呼び掛けに全く反応しなかった。



『殿下!大丈夫ですか!!』


チェスターの緊迫した声と、僕を立たせるように両側から脇を支えられて、周りに人がいたことを思い出した。



アリアをケインに任せて、僕はアルコーブのベンチに座らされた。視界に入った僕のスボンは、膝から下が血が滲んでいた。割れたクリスタルの破片の上に膝を付いたようだ。


『すぐに治療いたします』


チェスターは、携帯していた救急用品を取り出し、ピンセットで僕の足に刺さったクリスタルの破片を取り始めた。幸い、細かく砕け散ったクリスタルは深くは刺さらず、かすり傷程度だった。


僕はその様子を見ながら、クリスタルの中に見た黒い靄を思い出していた。


―――あの靄は何だったのだろうか?やはり、黒魔術か?呪いだろうか…?


僕の足にはガラス片が刺さっただけで、痣などの異変は見られなかった。安堵する一方、ハッとした。


『ケイン!アリアの手を見せてくれ』


クリスタルを手にしている時に、痛みを訴えたのだった。その角で指先でも切ったのかもしれない。


僕は立ち上がって、アリアを抱きかかえて東の塔の部屋に戻ろうとしていたケインの方へと歩き出そうとしたが、チェスターに険しい顔で止められた。


『殿下、応急手当てだけここでさせてください』


その様子を見たケインがこちらに戻ってきた。



僕はアリアの手を確認した。まずは右手には異常なく、次に左手――


『これは…』


左手の指先が黒ずんでいた。薬指の先に小さな切り傷が。その傷から暗紫色(あんししょく)の変色が手の甲の中程にまで広がっていた。そしてゆっくりだが、それが更に広がっているのがわかった。



僕は治癒の魔法を放った。


しかし、白い治癒の光は変色した皮膚に吸い込まれるように消え、変色の広がりは止まらなかった。


闇雲に治癒の魔法を使っても効かないことが多い。わかっていたが、無意識に治れと念じていた。


僕はふぅと息を吐いて気持ちを落ち着け、アリアに手をかざして不調の核を探った。


核があってくれと願った。核があれば、アリアが倒れたのは体の不調によるものだ。治癒の魔法で治せるかもしれない。そう思ったのに――


『核は………、ない?』


僕は落胆と共に力無く手を下ろした。


―――やはり、黒魔術なのだろうか…


どうか違っていてほしいと思っても、クリスタルの中に見えた黒い靄から、黒魔術によるものと思わずにいられなかった___




僕は何度も何度もアリアが倒れた時のことを思い出しては、ため息を吐いていた。


アリアをこの部屋に運んでから、ケインには彼女が手にしていたクリスタルについて調べさせていた。何度か報告に戻っているが、(かんば)しい情報は何も上がっていなかった。


アイヴァン公子もユトレフィス公国で集めた資料をかき集めて調べていると言うが…


―――アリアを取り戻す方法は見つかるのだろうか


僕は、包帯が巻かれたアリアの左手をそっと撫でた。


暗紫色の変色は、手首の近くまで広がっていた。


この宮殿の医官が用意した湿布をあて指先から手首にかけて包帯が巻かれていた。湿布は、黒魔術による苦痛を和らげるというユトレフィスの王家に伝わる薬草から作られたものだ。元々はエレーナ公女のために用意されたもので、アリアの症状に有効なのかはわからない。ただの気休めかもしれないが。


「…すまない……」


僕が魔法(ぎょく)を渡して以来、何度もアリアを危険な目に合わせてきた。せめて今後は穏やかに過ごせるように、僕ができることを考えてきたつもりだった。


常に側についていれば守れるのではないかと思っていた。


僕だけが表立って魔術を使っていれば、その悪意は僕に向けさせることができるのではないかと思っていた。


やはりアリアはレトーリアに残して、出来うる限り黒魔術を操る悪の集団から遠ざけるべきではなかったのか。


何故、もし、あの時………、後悔と不甲斐なさばかりが渦巻いていた。



カチャリ



背後で扉が開いた音がしたような気がした。


またチェスターが寝台で寝るように言いにきたのだろう。だが、僕はここを離れる気になれなかった。


ツカツカとこちらへと向かいながら何かを言っているが、振り返る気力もなかった。



「はぁ、いい加減にしろよ…」


すぐ隣からのチェスターとは違う聞き覚えのある声に顔を挙げるのと同時に、僕は胸ぐらを掴まれて立ち上がらされた。

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