11 | 悪夢からの目覚め
黒いローブを纏った人影が僕の前を横切った。
目深に被ったフードに隠れて顔は見えなかったが、体格から男であることはわかった。僕には全く興味を示さず、すぐに背を向けて歩き去って行こうとした。僕も、その不気味な誰とも知らぬ者から離れようと一歩を踏み出そうとした時――
風にたなびくローブの向こうにちらりと見えたものにハッと足を止めた。人混みの中に、見慣れた茶色の髪が風に揺れていた。着ている淡色のワンピースも僕が選んだものだった。
―――アリア⁈なぜこんなところに…
背筋が寒くなった。黒いローブの男が向かっている先にアリアがいた。しかし、彼女はこちらに背を向けて気づいていない。
僕は走り出したいのに、体が重くて動けなかった。魔術を使おうと思っても魔力が底をついていた。
―――アリアっ、逃げろっ!!
「はぁ、はぁ、はぁ……」
ずっと息を吸えなかったように息が乱れ、額や背中にはじっとりと冷や汗が滲んでいた。
「ライナス様⁈」
声の方へ目をやると、アリアが心配そうに僕の顔を覗き込んでいた。
「ア、アリア…」
「ライナス様、随分とうなされて…」
僕はゆっくりと体を起こし、息が乱れたまま周りを見回した。見慣れない部屋の寝台の上にいた。
「どうぞ、お水です」
アリアから差し出されたグラスを受け取った。手がわずかに震えていた。こぼさないようにゆっくりと口に運ぶと、カラカラに渇いた喉奥に、よく冷やされた水が気持ちよく落ちていった。
ようやく呼吸が落ち着き、僕は大きく息を吐いた。
「アリア」
グラスを寝台の脇のテーブルの上に置き、彼女に手を伸ばした。
気持ちを察したアリアが、その手が届くところまで寄ってきてくれた。僕はグッと彼女を抱きしめた。
「はぁ…ありがとう。悪夢を見ていたようだ」
そう、あれは悪夢――夢の中にいる時から現実世界ではないことはわかっていた。
でも、夢だから大丈夫とは片付けられなかった。黒魔術なら、夢に入り込んで害を為すかもしれない。そんな記述があったわけではないが、まるでそれが真実であると感じて、夢の中にいるとわかっていても恐怖の只中にいた。
「ライナス様、もう大丈夫です」
温かな手が僕の背中にそっと添えられ、優しくさすってくれていた。緊張して体中に入っていた力が少しずつ抜けていった。
しかし悪夢の恐怖が落ち着いてくると、今度はエレーナ公女の解呪をしている最中に意識を失ったことを思い出した。
彼女の前で倒れれば、慌てて僕に治癒の魔法をかけるだろうと思ったから、魔力切れは起こさないように気をつけてはいたのだが……、公女を苦しめていた呪いの核がもう指先ほどの大きさまで小さくなっていたのに、魔力が切れそうだからと解呪を打ち切ることができなかった。
解呪の最後は意識が途切れて覚えていないが、以前のように魔力切れを起こして血を吐いたのではないか。今、こうして生きているのは___
「アリアっ、もしかして――」
―――治癒の魔法を使ったのか⁈
そう聞きそうになった言葉を僕は飲み込んだ。今、僕がどこにいて、周りに誰がいるのかよくわからない状況で不用意なことを言うべきではない。でも___
「…えっと、…僕が倒れたから、君が、いや…、その……」
「ライナス様、落ち着いてください。ご覧の通り、私は大丈夫です。ライナス様との約束を守って、ずっとお側におりました。何もできず、ただここにいるだけでしたが…」
そう言って、アリアは優しく微笑んだ。
「僕は魔力切れを起こさなかったのか?」
「はい。倒れられたのは本当に心配しましたが、医官の診察でも内臓には問題ないことを確認していただきましたから」
「そうか…」
僕との《約束》、それはアリアが魔術を使えることを知られないこと。他の者には見えない魔力の受け渡しは問題ないが、それ以外の魔術は使わないのが今回の帯同の条件として彼女に固く守るよう求めていた。
アリアもそれを了承していた。ただ…
___『ライナス様のお命に関わる時は、如何なる魔術も躊躇いなく使います。ですから、私が魔術を使わなくてもよいようにライナス様ご自身の安全を一番にお考えくださいませね』
彼女の帯同が決まった時に交わした約束の言葉を思い出し、治癒の魔法が必要な状況にならなかったことに安堵した。
「でも、それなら…」
僕が魔力切れを起こす手前で解呪が途切れたのなら…
「エレーナ殿の呪いは?」
「呪いはライナス様が全て解いてくださいましたよ」
「……本当か?」
「ええ、ライナス様が最後に絞り出された魔力で」
「そうなのか…?」
意識が途切れた辺りの記憶が曖昧で、解呪が成功した実感が持てなかった。その僕に対して、アリアは説明を付け加えた。
「医官とエレーナ様の侍女の方々で痣が全て消えていることを確認されたそうです。先程伺った話では、ご自分で体を起こせるほど回復されているそうですよ」
「そうか…、それはよかった」
アリアの表情を見れば、エレーナ公女の中に蔓延っていた呪いの核までなくなったことを彼女が密かに確認したことを察せられた。
「心配されることは何もございませんから、ライナス様ご自身の体を休めることを今は一番にお考えください」
「ああ、そうだな。明日朝までに回復しないとな」
彼女が人前で魔力を使っていないとわかり、公女の解呪も成功し、安心して改めて自分の体に意識を向けてみた。確かに全身が重くて、体を起こすのが精一杯だった。しかし、前に魔力切れを起こした時のような、体の奥が焼けたような違和感はなかった。一晩休めば、明日、予定通り帰国の途につけるだろう。
「そういえば、ここでの滞在を数日伸ばした方がよいかとチェスター様が検討されていました」
「そんな!公女の解呪が済んだのなら、今すぐにでもここを発ちたい」
思わず出た僕の大きな声にアリアは驚いて少し後退った。




