06 | 待ち焦がれた時
「アリア、なんでも遠慮なく言ってくれないか」
着替えを済ませてから僕と過ごすことになっているのに、アリアは先程までの格好のまま扉をわずかに開けてこちらを覗いていた。予定通りではないことを申し訳なさそうに下を向いてしまった彼女に、僕はできるだけ優しい口調で問いかけた。
じっと足元を見つめていたアリアは、ゆっくりと顔を上げて僕へ一歩近づくと、口元を隠すように手を頬に添えて背伸びをした。何か耳打ちをしたいようだ。
僕は少し屈んで彼女に耳を近づけた。すると、微かな声で__
“いつも通りにくっついてもいいでしょうか?”
アリアの囁き声は、思った以上に僕の心臓を大きく鳴らした。ここで驚いてはアリアを困らせ「いえ、なんでもないです。忘れてください!」と離れていってしまうのが容易に思い浮かんだ。だから僕は平静を装って、ひとまず姿勢を元に戻した。
ドキドキドキドキドキドキドキドキ…
アリアの側にいたい、早く彼女を抱きしめたいと道中ずっと思っていたが、アリアも同じようにこの時を待っていてくれていたのかと思うと嬉しさが溢れ出して彼女に飛びつきたくなった。
その衝動とやけに大きく響く鼓動を必死に隠しながら、穏やかな表情を意識して僕は両手を少し広げて答えた。
「ああ、もう大丈……ゔっっ!!」
言い終わる前にアリアが飛び込んできて声が詰まった。
「はっ、ごめ…っん゛な、さい」
慌てて離れようとするアリアを僕は引き戻してぎゅっと抱きしめると、僕の胸に顔が埋まって、彼女の謝る声は途中からくぐもった。
「大丈夫だ。話してるところだったから声が裏返っただけで、全く痛くもない。アリアが謝ることは何もないよ」
ほんの数日なのに、気安く触れることができない立場で側にいることがひどくもどかしかった。そんな気持ちの後でアリアの方から胸に飛び込んできてくれるなんて、夢じゃないかと思うほど嬉しくなった。
腕の中にいる彼女が愛しくて髪にそっと口付けると、アリアは顔を上げて僕を見た。
綺麗な深い青い瞳に僕が映っているのが見えた。
アリアは何かを言おうと口を開きかけたが、僕はその言葉が出るまで待てず、引き寄せられるようにその艶やかな唇に口付けた。
唇の柔らかさ、抱きしめた体から伝わる心地よい温かさを感じながら、僕の中で燻っていた説明しようのないモヤモヤした感情がほぐれて消えていくようだった。
ゆっくりと唇を離すと、アリアは「はぁっ」っと息を漏らした。
口付けが長くて息が苦しかったのか、それとも違う理由なのか。頬を紅潮させたアリアは、再び僕の胸元に顔を隠した。
「ライナス様…、」
顔を埋めたまま不安そうに僕の名前を呼んだ。
「ん、どうした?」
「私、……上手に振る舞えていましたか?」
アリアは僕にしか聞こえないだろう小さな声で聞いた。
「え?」
「普段、ライナス様と過ごしているのと同じようにできていたか心配で…」
普段の彼女ならこの旅が終わるまで影武者に関することなど口にしなかっただろう。それを聞かずにはいれないほど、彼女が不安に思っていたことを感じた。ここまでの道中の彼女の笑顔を見て、隣が僕だろうとチェスターだろうと同じ気持ちでいるのではないかとすら思っていたのに、一生懸命演じていたとわかって安堵する自分がいた。
「ふっ、ふはははは…」
笑い出した僕を、アリアがキョトンとした顔で見上げた。
「…ライナス様?」
僕も周りには聞こえないように、アリアの耳元に顔をぐっと寄せて囁き声で答えた。
「貴女がチェスターのことが好きになってしまったかもしれないと不安になるくらいに可愛らしい笑顔を向けていたぞ」
「ええっ⁈そんなことはありません!私、ライナス様を…っ!」
湯気でも上がりそうに真っ赤になった顔で、慌てて僕が言ったことを否定しようとするアリアの唇を塞いだ。本気でアリアの気持ちがチェスターに向かっていただなんて思っていない。ただ、別の男にも平気で笑顔を向けているのかと思って嫉妬していただけだ。
アリアが僕のために一生懸命に王子の横で普段通りの自分を演じていたことを確認できただけで、僕は十分に安心していた。




