02 | 従者のジレンマ(前編)
チェスターが僕の影武者であることを知っているのはごく限られた者だけだ。この宮殿の使用人では、執事とメイド長の二人だけが知っている。今日のような日は、他の者達は僕らの側に来ないよう配置される。
アリアにもつい先日説明をしたばかりで、彼女がチェスターの王子姿を見るのは今日が初めてだ。
どこに間諜が潜んでいるとも限らない。だから、この宮殿内でもチェスターが王子の身なりを整えれば、その時から彼が王子として振る舞う。僕は従者の一人だ。
執務室で出発前の最後の確認をしていた。チェスターが僕の机に座って今回の日程と警護計画を記した書類を広げ、僕と護衛長のロバート、事務補佐を主に担うシャーマン、今はアリアの護衛となったケインの四人がその周りに立った。
往路の日程は、レトーリア第二の都市リトレスの離宮で今晩は一泊し、明日は国境手前の街まで行く。そして明後日はユトレフィス公国へ入国し、首都のユトレフィス公宮殿に入る予定だ。
「……の配置は騎士団の馬車の後方の護衛、シャーマンはここに残る。以上で間違いないな」
「「はっ」」
チェスター――王子の問いかけに僕らは返事をした。
「あと、この書類だが…」
とその時、扉がノックされた。
「入れ」
「失礼いたします。殿下、馬車のご用意ができました。アリア様もご準備ができ、お部屋にてお待ちでございます」
「わかった。すぐ行く」
執事は王子に一礼すると、扉を大きく開けた。
「シャーマン、この書類を今日のうちにフィリップ兄上に届けてくれ」
「かしこまりました、お預かりいたします」
王子はシャーマンに書類を挟んだファイルを手渡すと、僕とケインへ指示を出した。
「私はロバートと馬車に向かう。お前達はアリアを迎えに行ってくれるか」
「はい、かしこまりました。それでは行ってまいります」
ケインが返事をし、僕も頭を下げた。そして部屋の隅に用意された外套を羽織ると部屋を出た。
◇ ・ ◇ ・ ◇
「馬車のご用意ができました」
ケインがアリアの部屋の扉をノックし、出てきた侍女にそう告げた。侍女が奥にそれを伝えるとすぐにこちらへ歩いてくる気配がした。
普段は戸口まで行ってアリアを迎えるところだが、今日の僕は従者の一人だ。ぐっと我慢してその場にとどまり、目立たぬよう少し下を向いて彼女を待った。
「ありがとう、ケイン」
耳慣れた明るくて優しい声と共にオフホワイトの暖かそうな外套を羽織ったアリアが廊下へ出てきた。そして出迎えたケインに微笑むと、エントランスホールの方へと歩き出した。僕には気づかなかったようだ。
アリアの一歩下がった隣には侍女のエレンが。その反対側の数歩後ろにケインが続いた。
僕は、いつもなら背を伸ばして視線を少し遠くへ置いてゆったりとした歩き方をするが、今は視線は周りを確認しやすい少し低めに保ち、足音はできるだけ立てないようアリア達の後ろを歩いた。
開け放たれたメインエントランスの扉の向こうには馬車が待っているのが見えた。周りには騎乗した騎士団の兵らが準備を整えていた。
ケインはエントランスホールよりも手前でアリアの後ろからすっと離れて騎士団の列へと合流していた。アリアもその段取りを聞いているから、ケインが離れていく気配は感じただろうが特に反応することなくホールを抜けて馬車へと進んだ。
馬車の横では、今回の護衛隊の長を務めるエイゼルが待っていた。アリアはエイゼルに差し出された手を借りて馬車に乗り込んだ。続いて侍女のエレン、そして僕も乗り込んだ。
◇ ・ ◇ ・ ◇
馬車は執事とメイド長に見送られてゆっくりと走り出した。宮殿の正門を抜けて広い通りに出ると、馬車は速度を少し上げて走り出した。
カラカラと石畳を走る馬車の車輪の音が車内に響いた。
アリアは正面に座る王子の格好をしたチェスターと、その隣の僕を見比べていた。遠目に見れば気づかないだろうが、必死に驚きを隠した瞳は左右に小さく動いていた。
「アリア様、普段通りのお話いただいて大丈夫ですよ」
「……ええ。お話には伺っていたのですが、お二人を目の前にすると驚いてしまって」
アリアはぎこちなく笑った。
馬車の中だけは流石に間諜も潜り込めないだろうから、普段通りの口調で思うことを話してもよい。ただし、車内の様子を窺われている可能性があるため、基本的には王子とアリアが会話をして、護衛として同乗している僕は控え目にする必要がある。
が、僕は堪えられなくなった。
「ふっ、くくくっ、ふははは……」
「殿下……」
下を向いて笑う僕の横から呆れたチェスターの声が聞こえてきた。
「すまない。アリアがそんなに驚くとは思っていなくて…くくくっ」
だめだ。堪えようとするほど笑いが漏れてしまう。
「アリア様にこの姿をお見せするのは初めてですからね」
「私、馬車に乗り込む時、ライナス様が座っていらっしゃるように見えて…」
「チェスターは上手に化けるだろう?」
「ええ、驚いて思わず立ち止まりそうになってしまいました。それと、ライナス様…、もしかして私の部屋まで迎えにきてくださいましたか?」
「ああ、ケインと一緒にいたが、やはり気づいていなかったんだな」
「ケインが今日は違うところに配置されると聞いていたので、別の方が護衛に付いてくださっているとは思っていたのですが、まさかライナス様だったなんて。気づかずごめんなさい…」
アリアが申し訳なさそうに下を向いた。
「アリア様が謝られることはないですよ。かつらを被って髪色を変えていますし、殿下の悪戯心で貴女様を驚かせようと、わざと気づかれないように振る舞ったに決まっていますから」
「そうなのですか?」
「えっ…と、最初からそのつもりでいたわけじゃないんだが…部屋から出てきた時、僕に気づかずにケインだけに笑いかけただろう?だから……」
説明していてだんだんと恥ずかしくなってきた。ただの嫉妬ではないか。
「ふふふ、気づかなくてごめんなさい」
アリアはもう一度謝ったが、今度は申し訳なさはなく、まるで拗ねた子供を宥めるようだった。
「いや、僕の方こそ大人気なくて悪かった」
ぼそぼそと謝る僕を見て、アリアは「本当に別人みたい」と明るく笑った。




