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青星の水晶〈下〉  作者: 千雪はな
第3章 水の魔術師と隣国の公女
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01 | 出立の朝の憂鬱

目が覚めると、どんよりと曇った空が見えた。ユトレフィス公国への出発の朝を迎え、できることなら行くのを避けたいと思う僕の心を写しているようだった。


昨晩また悪夢でうなされていたアリアにはもう少し眠ってほしい。僕はそっと寝台を抜け出し、アリアの寝室の扉を音を立てないように閉めた。


 ◇ ・ ◇ ・ ◇


「はぁ…、アリアをここに残してはいけないだろうか」


自室で身支度をしながら独り言を呟いた。


「アリア様の帯同はフィリップ殿下の命令ですので、それを出立の当日に覆すのは無理でしょうね」


「……わかってるよ」


どうしようもできないことはわかっている。口に出したかっただけなのに、ご丁寧に返事をされて僕は拗ねてチェスターを睨んだ。


チェスターは、僕のその顔を見て笑った。


まあ、兄上にぶつけるわけにいかないモヤモヤとした気持ちの相手をしてくれているのだ。僕が子供っぽく拗ねることで気持ちに折り合いをつけることをわかってチェスターはさっきの返事をした。


彼に甘えている自分にため息を吐いた。


「…ありがとう、チェスター」


「いいえ、頼っていただき光栄です」



チェスターとは幼い頃から一緒に育ってきた。僕と同じ髪色、背格好の子供達の一人として。


つまりは影武者候補だ。


僕が成人する時に、残っていた数名の候補の中から最側近としてチェスターが選ばれた。騎士学校の成績も首席だったし、人当たりもいい。選ばれて当然だと思うのだが、彼はそれを望んでいたのかとずっと心の奥に引っかかっていた。


チェスターは伯爵家の長男だから、普通なら爵位を継いで当主になるはずだったのだ。それを僕と似ているという理由で彼の未来を奪ったのではないかと。


一度だけ、僕の側近になってよかったのかと聞いたことがある。彼は『はい、殿下にお支えすることができて大変光栄です』と即答したが、それが本心だと信じきれずにいた。


―――今更、どうにもできないのだが


アリアをユトレフィス公国へ連れて行く不安から、色々と後ろ向きな考えが浮かんだのだろう。僕はそれを振り払うように、少し強めに息を吐き出した。


「殿下、またどうでもいいことをお考えではありませんか?」


「…どうでもいいこととは失礼だな」


「ですが、私のことをお考えのように思えましたので」


「はははっ、お前には敵わないな。………そうだな…、前にも聞いたが、」


僕はいつのまにかチェスターから視線を逸らしていたことに気づいた。改めて視線を向けると、真っ直ぐに僕の言葉を待っていた。


チェスターに僕の胸の内を見透かされ、なんだか開き直って素直に思っていたことを口にした。


「僕の側近になってよかったのか?」


「はい、」


また以前と同じように即答し、同じように光栄ですと答えてくれるのだろう。今度こそ彼の答えを信じて、この引っ掛かりは忘れよう。そう思ったのだが、続く答えは少し予想と外れた。


「私は殿下の側近に選ばれるよう努力しましたから」


「え?選ばれるように…?」


「体格や顔立ちがより殿下に似ている者達がいる中で、騎士学校の成績だけでは長男の私は不利でしょうから、いかに殿下に似せることができるか、歩き方や仕草、立ち姿の癖を体に叩き込みました」


「…そうだったのか」


「はい」


そんな、当然ですという顔をされても…


「何故、そうまでして…」


「何故、と言われましても、一言でご説明するのは難しいですね。あ、馬車の中でご説明いたしましょうか。ユトレフィス公国に到着までにはお話できるかと」


「公国までって、三日も掛かるじゃないか」


「はははは」


チェスターは、笑いながら用意されていた上着を羽織った。


いつもはタイトにまとめている前髪を下ろして横に流し、いつもの濃紺の王子直属の騎士の制服ではなく、王族だけが許された金糸の装飾が施された明るい青色の上着を身に纏っていた。その姿はもう見慣れたが、鏡を見ているようだ。


瞳の色だけ違うが、薄いグレーの彼の瞳は遠目で見れば、僕のとの違いを気付かれることはまずないだろう。


僕の側近は、見事に第七王子ライナスに化けていた。



ユトレフィス公国への道中、万が一に備えてチェスターが僕の代わりに行動するのだ。普段訪れない場所、特に国外を訪れる時は当たり前とされているが、今日は本当にそれでいいのか考えてしまった。


王子といっても、王位継承の可能性なんてこれっぽっちもない。そんな自分を守るために彼を危険に晒していい理由を僕は見つけられなかった。


「影武者なんて理不尽だな…」


僕の呟きに、チェスターは少し困ったような顔をして笑った。


「私はそのように思ったことはありませんので、理不尽だなんて仰らないでください。私は、貴方様の真っ直ぐで思いやりのある人柄や、王位継承順位に関係なくこの国のことを思う責任感の強さなど、長年お側に支えていて心より尊敬申し上げております。殿下の側近として選ばれるよう努力したことは私の誇りであり、この立場に就けたことは何よりも光栄だと思っております」


「そのように考えてくれていたのか」


「やはり言葉では言い尽くせないですが」


チェスターが珍しく照れくさそうな顔をして、僕から視線を逸らした。


僕に対して『光栄です』とは日常的に向けられる言葉で、以前チェスターにそう言われた時も形式的に感じていた。それが彼が望んでいたことで、そのために努力までしていたことを聞き、そして彼の今の表情から初めて『光栄』という言葉に現実味を感じた。


「そうか。チェスター、これからもよろしく頼む」


「はっ、命をかけて殿下をお守りいたします」


「ありがとう。でもお前の命も大切にしてくれ」


「はい、長く殿下のお側に支えたいと思いますので、簡単に死ぬつもりはございませんよ」


いつものチェスターの調子で、ははっと笑った。


「では、そろそろ参りましょうか」


「ああ、そうだな」


僕は濃紺の上着を羽織り、廊下への扉を開けてチェスターを通した。

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