13 | 悪夢
『悪夢』はアリア視点のお話です。
ハッと目が覚めて寝台の天蓋を呆然と見つめていた。
手の震えを止めようと上掛けをぎゅっと握りしめたが小さく震えたまま、その手にはドキンドキンと落ち着かない鼓動が伝わっていた。
「はぁ……また同じ夢……」
寝台の上で体を起こし、抱えた膝に顔を埋めた。悪夢から覚めた安堵と共にどっと疲れも感じて、ため息が漏れた。
突如暗闇に引き込まれ、何か狭い空間に閉じ込められたような閉塞感。助けを求めようとしても声が出ず、どんどん暗闇の奥底に落ちていくような感覚。夢だとわかっているのに、まるで本当に乱暴に掴んで引っ張られたような手首のヒリヒリした感じや肩が痛い気がして自分の腕をさすった。
数日に一度、そんな夢を見ては夜中に目を覚ましていた。
震えがおさまり、ゆっくりと顔を上げた。この夢を見るようになってから、寝室は一つだけ小さなランプを灯したままにしていた。柔らかな灯りのある部屋を見ると、あの悪夢から抜け出せたことを実感できた。
正面の壁には、隣のライナス様の寝室に繋がる扉がある。『怖い夢でも見たらいつでも来ていいよ』と仰ってくださったから、鍵は開いているはず。でも今は寝ている時間だから、当然、扉の隙間から明かりが漏れることもない。
―――明かりがついていたとしても、こんな時間に煩わせてしまってはだめね
寝台からゆっくりと下りて、ナイトテーブルに用意された水を一口飲んで息を吐いた。
グラスをテーブルに戻すと、カタンとグラスと大理石の天板の当たる音が静まり返った部屋にいやに大きく響いた。
ふと目の入ったテーブルの上のブレスレットをそっと持ち上げると、透き通った石にランプの灯りが反射した。よく見ると石の中心でライナス様が込めてくださった魔力が揺らめいていているのが見えてほっとした。
―――大丈夫…
石を両手で包んで自分に言い聞かせた。少しずつ気持ちが落ち着いてくると、一緒に疲れも襲ってきてその場にへたり込んだ。
―――寝台に戻らないといけないわ
しかし、体が鉛のように重たく感じて動けなかった。
「アリア、どうした!」
ライナス様の声に体がビクッと緊張した。
―――いけない、心配させてしまう。早く立ち上がらないと…
そう思っている間にふわりと抱きかかえられて、そっと寝台の上に座らされた。
「どこか痛いのか?熱は?」
慌てた様子でライナス様は私の腕や背中をさすったり、額に手を当てて熱がないかを確認した。
「お嬢様…?」
物音に気づいたのか、エレンもやってきた。
「ああ、エレンか。部屋の明かりをつけてくれないか」
「かしこまりました」
ライナス様とエレンのやりとりの間も、部屋の明かりが灯されていく間も、私は言葉を発せずにいた。
―――大丈夫、って言わなければ。ちょっと目が覚めてしまっただけって
そう思っても、声が出てこない。
―――これも悪夢の続きなの…?
夢からまだ抜け出せていないのかと思ったら、また恐怖が襲ってきた。
その時、ライナス様にそっと抱きしめられた。
「アリア、怖い夢でも見たのか?」
ライナス様の落ち着いた低いトーンの優しい声が、私の髪に寄せられた頬から響くように伝わってきた。私はその腕の中で小さく頷いた。
「そうか。もう大丈夫だ」
ライナス様の胸元にもたれかかり、優しく抱きしめられるうちに緊張が少しずつ解けていくのを感じた。
「…うっ……うう……」
「我慢しないで泣けばいい」
ライナス様にそう言われて初めて自分が泣いていることに気づいた。
「こ、こわ…か…った……まっ、くら……で…」
私の嗚咽混じりの途切れ途切れの言葉にライナス様は相槌を打ちながら、ゆっくりとトン、トンと背中を叩いてくれた。大きな手が優しく触れる感触や、寄り掛かったところから伝わる温かさが先程まで私を覆っていた恐怖を押し流し、体から力が抜けていくのを感じた。
◇ ・ ◇ ・ ◇
―――いつのまにか眠っていたのね…
明るい陽の光を感じながらゆっくりと目を開けた。
「おはよう」
「お……はようございます…」
目の前には、並んで横になるライナス様の笑顔が迫っていた。
ドキドキと鼓動がうるさい。しかしそれは悪夢から覚めた時の苦しさはなく、くすぐったくて落ち着かない感じだった。顔が赤くなっている気がして、それを隠そうと私はライナス様の胸に顔を埋めた。
―――待って、この方が恥ずかしいかもしれないわ
額に触れる薄いシルクの寝巻越しの鍛えられた胸板から、寝台で自分から男性にくっついていったことに気づいて耳の先まで熱くなった。間違いなく真っ赤になっている。
くくっ、とライナス様の笑いが漏れるのも聞こえてきた。
言い訳をしようと顔を上げたら、ライナス様が私の額にゆっくりと口付けた。柔らかな唇が額から離れ、真っ直ぐにこちらに向けられる優しい笑顔から私のことを大切に思ってくださることが伝わってきて蕩けそうになった。
「アリア」
「はい!」
ふわふわとした気持ちでいるところに名前を呼ばれて慌てて返事をしたら、必要以上に歯切れ良い返事になってしまい、私はますます赤面した。
ライナス様はそんな私の髪を撫で、頬に手を当てて優しく言葉を続けた。
「これからは僕もここで寝てもいいかな」
「……え?」
「前から悪夢にうなされていたことは知っていたよ。いつでも僕のところに来てもいいと言ったけれど、扉を隔てていては来づらいだろう?」
「………」
悪夢で夜中に度々起きることをエレンは知っていたが、ライナス様には言わないように頼んでいた。
「エレンが告げ口をした訳じゃないよ」
私の考えていたことを読んだように笑った。
「あ、あの……、ライナス様がこの部屋で、私と一緒に……?」
「嫌かい?」
「いえっ、嫌ではないです。ないですけど…」
恥ずかしくて尻すぼみする声から、またライナス様に気持ちを読まれるのだろう。
「アリアが悪夢にうなされていないだろうかと夜中に気になってしまうんだ。隣で貴女が寝ているのを確かめられたら、僕もゆっくり休めると思う。婚姻の儀まではアリアの心の準備が整っていないことはしないと誓うから」
「それなら……」
ライナス様が、私を心配して寝られないのは問題だ。私はその提案を受け入れることにした。
「では、今晩から」
ライナス様は、満足そうに微笑んで私の頬に口付けた。
―――……あれっ?
ふとさっき聞き流したことが引っかかった。
「…婚姻の儀まで…は?」
ここレトーリアでは婚約をすれば寝室を一つにするのが一般的だが、ライナス様は成人して間もない私を気遣って当座は隣り合った別々の寝室を用意してくださったとエレンが言っていた。もちろん正式な婚姻後は一緒に寝るものと漠然とは思っていたが……
「夫婦になったら、遠慮はしないからそのつもりで」
ライナス様は悪戯っぽくそう言って笑った。改めて言葉にされると、ドキンと心臓が跳ねた。




