第68話 核の断片
扉の向こう側に広がる光景に、三人は言葉を失った。
巨大な円形の部屋の中央には、青白い光を放つ巨大な結晶が浮かんでいた。結晶は直径二メートルほどもあり、その内部には複雑な模様が刻まれている。結晶の周囲には、複雑な装置が幾重にも配置され、多くの技術者たちが慌ただしく作業を行っていた。
「これは…」
アイリスの声が震える。
「核の断片…!」
孝太も、結晶から発せられるエネルギーに見覚えがあった。
「確かに核のエネルギーだ。でも、核そのものではなく…」
「破片のようなもの」
リーシャが観察を続ける。
「どうやって手に入れたのかしら?」
部屋の奥には、豪華な椅子に座るルザン卿の姿があった。彼は冷ややかな表情で結晶を見つめている。その傍らには、黒の探求者の中でも特に風格のある人物が立ち、何かを説明しているようだった。
三人は部屋の入り口付近、柱の影に身を隠して状況を観察した。変身の霧の効果はまだあと15分ほど。その間に、できるだけ多くの情報を得なければならない。
「音声を拾えるか?」
リーシャが孝太に尋ねる。
孝太はデバッグモードを極力目立たないように起動し、遠隔で音声を拾う機能を使った。
`execute("enhance", "audio_reception", "target=conversation")`
[音声拡張:実行中]
[対象会話:受信中]
[解析:進行中]
ルザン卿と黒衣の人物の会話が、かすかに聞こえてくる。
「…予定通り進んでいます」
黒衣の人物が言う。
「この断片を使って、他の核との同調を試みます」
「時間はどのくらいかかる?」
ルザン卿の声は低く、威厳に満ちていた。
「二日もあれば準備は整います。その後、儀式を執り行い…」
「急がねばならん。他の国々も動き始めているという報告がある」
ルザン卿が不満げに言う。
「特に西方連邦は、すでに"変化"の核に接触したと聞く」
「ご心配なく」
黒衣の人物は自信に満ちた声で答える。
「断片さえあれば、他の核を制御することも可能です。"衰退"と"再生"の核は、すでに我々の影響下にあります」
「では、残るは"均衡"、"創造"、そして"成長"か…」
「その通りです。特に"均衡"の核が重要です。それさえ手に入れれば…」
突然、部屋の入り口が大きく開いた。数名の警備員が、誰かを引きずって入ってくる。
「閣下、逃亡者を捕まえました!」
引きずられてきたのは、ボロボロの服を着た若い男性だった。彼は抵抗しようとするが、警備員たちにしっかりと抑えられている。
「何者だ?」
ルザン卿が尋問するように言う。
「捕らえていた実験体の一人です」
黒衣の人物が答える。
「記憶抽出の儀式から逃げ出したようです」
「実験体…」
孝太は胸が痛くなるのを感じた。東区の倉庫で見た光景を思い出す。人々を結晶の箱に閉じ込め、生命力と記憶を抽出しようとしていた…。
「処分しろ」
ルザン卿が冷淡に命じる。
「もう用はない」
「いいえ、まだ使えます」
黒衣の人物が反論する。
「核の断片との同調実験のデータが必要です。彼を使って…」
「好きにせよ」
ルザン卿は興味を失ったように手を振った。
警備員たちが若い男性を別の部屋へと連れていこうとする。その時、男性が必死の形相で叫んだ。
「人々に告げろ!創造院は世界を滅ぼそうとしている!彼らは"神の座"を奪おうとしているんだ!」
その言葉に、部屋中の空気が凍りついたように感じられた。
「黙らせろ!」
黒衣の人物が怒りに満ちた声で命じる。
警備員が男性の頭を殴り、彼は意識を失ったように崩れ落ちた。そのまま部屋から引きずり出されていく。
「セキュリティを強化しろ」
ルザン卿が命じる。
「これ以上の漏洩は許さん」
「すぐに」
黒衣の人物は頭を下げ、部屋にいた技術者たちに新たな指示を出し始めた。
三人は互いに顔を見合わせた。情報は十分得られた。しかし、もう一つ気になることがあった。
「あの人を助けるべきじゃ…」
孝太が小声で言い始めたとき、アイリスが警告のように手を上げた。
「時間がないわ」
彼女が囁く。
「変身の霧の効果が切れかけてる。急いで戻らないと」
確かに、孝太は自分の手が少しずつ元の姿に戻り始めているのを感じていた。リーシャも同様だ。
「でも、あの男性は…」
孝太がまだ迷っていると、リーシャが決断を下した。
「私が行くわ」
彼女は静かに言った。
「あなたたちは先に出口へ向かって。私はあの男性を助け出して追いかける」
「危険すぎる!」
アイリスが反対する。
「私は戦闘のプロよ」
リーシャは自信を持って言った。
「それに、あの人はこの場所の内部情報を持っている。助けなければ」
孝太とアイリスは迷ったが、時間がなかった。
「10分後に西門で待ち合わせる」
孝太が言った。
「それまでに来なかったら、助けに戻る」
リーシャは頷き、警備員たちが連れていった方向へと静かに移動し始めた。孝太とアイリスは別の方向、出口へと向かった。
廊下に出ると、建物内はまだ捜索の混乱が続いていた。人々が忙しく行き来する中、二人は急いで進む。しかし、変身の霧の効果は確実に薄れてきている。
「急がないと」
アイリスが焦りの色を見せる。
二人は廊下を小走りに進み、来た道を戻っていく。しかし、曲がり角を曲がったところで、上級探求者と鉢合わせになってしまった。
「お前たち!」
上級探求者の目が二人の姿を捉えた。その瞬間、彼の表情が変わる。
「変身の霧…スパイか!」
「走って!」
孝太が叫ぶ。
二人は全力で走り出した。背後からは警報の音が鳴り響き、追手の足音が聞こえてくる。
「出口はどっちだ?」
孝太が混乱の中で方向を見失いそうになる。
「右よ!」
アイリスが方向を示す。
「もうすぐよ!」
二人が荷物搬入口にたどり着いたとき、変身の霧の効果はほぼ切れていた。扉を開けて外に飛び出すと、夜の闇が二人を包み込んだ。
「西門へ!」
アイリスが指示を出す。
「リーシャが待ってるわ!」
二人は息を切らしながら、東区の路地を駆け抜けていく。背後からは追手の声が遠ざかっていった。どうやら、闇に紛れて逃げ切ることができたようだ。
西門に到着すると、門はすでに閉じられていた。日が沈んだ後は、街の門は基本的に閉鎖される。しかし、門の横には小さな脇道があり、そこにリーシャの姿が…。
「リーシャ!」
孝太が安堵の声を上げる。
しかし、近づいてみると、リーシャは一人ではなかった。彼女の隣には、先ほどの若い男性が立っていた。彼は疲れた様子だが、意識ははっきりしている。
「間に合ったわね」
リーシャが安堵の表情を見せる。
「彼はジェイク。創造院に捕らえられていた人よ」
「どうやって?」
アイリスが驚いて尋ねる。
「説明している時間はないわ」
リーシャが急かす。
「彼らがすぐに追ってくるわ。安全な場所に移動しましょう」
四人は西門の脇道を抜け、街の外へと出た。そして、人目につかない森の中の小道を通って、バルドールの東側に回り込み、東門から再び街に入ることにした。
「ここなら安全でしょう」
アイリスが言う。
「当分の間、彼らは西側を探すはず」
一行は東門から街に入り、人目を避けながら月影亭へと向かった。オルガ婆さんなら、彼らを匿ってくれるだろう。
月影亭に着くと、店はすでに閉店時間を過ぎていた。しかし、裏口には小さな明かりが灯っている。アイリスが特殊なノックを三回すると、ドアが静かに開いた。
「よく戻ってきたね」
オルガ婆さんが彼らを中に招き入れる。
「大きな騒ぎになってるよ。東区で不審者を探して、大勢の黒い服の連中が動いてるって」
「彼を匿ってもらえませんか?」
リーシャがジェイクを紹介する。
「創造院から逃げてきたんです」
オルガ婆さんは一瞬だけジェイクの顔を見つめ、静かに頷いた。
「奥の部屋を使いなさい。誰も入れないよう、錠をかけておくから」
四人は月影亭の奥にある研究室のような部屋に入った。オルガ婆さんが温かいスープと食事を持ってくる。ジェイクは飢えていたように、むさぼるように食べ始めた。
「落ち着いたら、話を聞かせてほしい」
孝太がジェイクに優しく言う。
「君が知っている創造院のこと、あの結晶のこと…すべて」
ジェイクは口を拭いながら、深くため息をついた。
「僕は…創造院の実験体だった。記憶と生命力を抽出される予定だった」
「東区の倉庫にいたの?」
アイリスが尋ねる。
「ああ、あそこで何日か過ごした」
ジェイクの声は少し震えていた。
「でも、その前は別の場所にいたんだ。北方王国の国境近くにある創造院の本部で」
「本部?」
三人は顔を見合わせた。
「そう。あそこには何百人もの"実験体"がいる」
ジェイクの表情が暗くなる。
「彼らは核の力を利用して、世界を書き換えようとしている。そのために、多くの人々の生命力と記憶を必要としているんだ」
「なぜ北方王国が関わっているの?」
リーシャが尋ねる。
「ルザン卿は創造院の創設者の一人だよ」
ジェイクの言葉に、三人は衝撃を受けた。
「彼は表向きは北方王国の宰相だが、実際は創造院の指導者の一人なんだ」
「そして、あの結晶は?」
孝太が尋ねる。
「核の断片」
ジェイクが答える。
「三年前に"衰退"の核から切り取ったものだ。それを使って、他の核を操作しようとしている」
オルガ婆さんが静かに部屋に入ってきた。彼女はジェイクの話を聞いていたようだ。
「核から断片を切り取るなど…前代未聞だ」
彼女の顔には深い憂いの色が浮かんでいた。
「それは核のバランスを著しく狂わせる。世界の歪みが加速するだろう」
「すでに始まっています」
アイリスが言う。
「各地での異常現象、これは核のバランスが崩れた証拠です」
「彼らは何を目指しているんだ?」
孝太が問いかける。
ジェイクは静かに答えた。
「彼らは"神の座"を目指している。世界を思いのままに操る力だ」
「そんなことが可能なのか?」
リーシャが疑問を投げかける。
「それには、七つの核すべてを制御下に置く必要がある」
オルガ婆さんが説明する。
「そして、膨大な生命力と記憶のエネルギーを集める必要がある」
「彼らは既に"衰退"と"再生"の核を手に入れている」
ジェイクが言った。
「そして、明後日には大規模な儀式を行う計画だ」
「何の儀式?」
孝太が身を乗り出す。
「"均衡"の核を奪取するための儀式」
ジェイクの言葉に、オルガ婆さんの顔が青ざめた。
「それは…バルドールの中心部で行われる」
オルガ婆さんが震える声で言う。
「そして、街全体が犠牲になる可能性がある」
四人は重苦しい沈黙に包まれた。
創造院の計画は、想像以上に進んでいた。そして、彼らの目的は、この世界そのものの支配だった。
明後日までに、彼らは何ができるだろうか?
バルドールを、そして世界を救うために——。




