第39話 明日への一歩
東の森から戻る道すがら、誰も言葉を発さなかった。
メイが残した二つの《デコーダー》を、孝太は静かにバッグに収めていた。
バルドールの街が見えてきた頃、リーシャが足を止める。
「今夜は、ゆっくり休みましょう」
孝太も疲れを感じていた。深い喪失感と共に、体の芯まで疲労が染みついている。
「ええ、そうですね」
「それと」
リーシャが意外な提案をする。
「私の家で夕食をご馳走するわ。考え込むのは、よくないでしょう?」
アイリスが孝太の耳元で囁く。
「賛成よ。あなた、表情が暗すぎるわ」
「でも、リーシャさんの迷惑に……」
「構わないわ。それに——」
リーシャが照れくさそうに言う。
「実は料理、趣味なの」
夕暮れ時のバルドール。
リーシャの家は、意外にも市場に近い、小さな一軒家だった。
「お気に入りの店で食材を買い集めましょう」
リーシャが、普段より柔らかな表情を見せる。
市場は閉店間際の活気に満ちていた。
店主たちは値引きの声を張り上げ、主婦たちは熱心に品定めをしている。
「あら、リーシャちゃん!」
八百屋のおばさんが手を振る。
「珍しいわね、この時間に」
「今日は特別なの」
リーシャが新鮮な野菜を選びながら答える。
「友達を招くから」
「まあ!」
おばさんが目を丸くする。
「あなたが誰かを家に? 珍しいわぁ」
リーシャが頬を赤らめる。
「も、もう! からかわないで」
孝太は、少しずつ心が軽くなるのを感じていた。
メイのことは確かに辛い。しかし、彼女は笑顔で去っていった。
その想いを、これからの戦いに繋げていかなければ。
「あ、このキノコ、シチューに合うわ」
リーシャが目を輝かせる。
「それと、パン屋でまだ温かいうちのを買いましょう」
買い物を終え、家に戻ったリーシャは手際よく調理を始めた。
包丁を操る姿は、剣術の動きを思わせる。
「手伝えることは?」
「ええ、野菜を刻んで」
料理を作りながら、自然と会話が生まれる。
冒険の思い出、好きな食べ物、些細な日常の話。
「できたわ」
テーブルには、香り高いキノコのシチューとサラダ、温かいパンが並んだ。
窓の外では、街に夜の灯りが灯り始めていた。
「いただきます」
最初の一口で、孝太は思わず声を上げた。
「美味しい! これ、本当にリーシャさんが?」
「失礼ね」
リーシャが怒ったように言うが、目は笑っていた。
食事を終えた後、二人は明日からの計画を立て始める。
メイの《デコーダー》の解析、新たな歪みの調査、そして"世界の真実"を探る旅。
「でも、その前に」
リーシャが立ち上がる。
「デザートがあるのよ」
リーシャがテーブルに小さなケーキを並べる。
「市場のマリーおばさんの店で見つけたの。この季節限定なのよ」
淡い紫色のクリームの上に、森で採れる野いちごが飾られている。
「へぇ、リーシャさんって甘いもの好きなんですね」
孝太が意外そうに言う。
「な、なによ。私だって普通の女の子よ」
照れ隠しに、リーシャがケーキを一口。
「……美味しい」
思わずこぼれた笑顔が、少女らしい。
「そういえば」
アイリスが声を上げる。
「明日は街のお祭りですよ。収穫祭って言うんでしょうか」
「ああ、そうだった」
リーシャが目を輝かせる。
「露店が並んで、夜には広場で踊りもあるの。去年は任務で参加できなかったけど……」
「じゃあ、明日は」
孝太が提案する。
「少し休んでお祭りを見に行きませんか?」
「えっ、でも……」
「メイも、そう言うと思います」
孝太は窓の外を見る。
「彼女は言ってましたよね。世界の真実は、人々の笑顔の中にあるって」
リーシャはしばらく考え込んでいたが、やがて頷いた。
「そうね。それに、お祭りなら色々な情報も集められるかも」
「情報収集のためだけじゃないでしょ?」
アイリスが茶化すように言う。
「楽しみたいって素直に言えばいいのに」
「もう、アイリスまで!」
三人の笑い声が、小さな家に響く。
窓の外では、お祭りの準備を始める人々の明かりが、夜空に揺らめいていた。
明日は、きっといい日になる。
そんな予感と共に、穏やかな夜は更けていった。




