第107話 現在への帰還
バルドールの街が見えてきた時、太陽はすでに西に傾きつつあった。
孝太、アイリス、リーシャ、フィンの四人は息を切らしながら丘の上から街を見下ろした。
「何か…変だ」
リーシャが鋭い目で街を観察する。
確かに、異変は明らかだった。
街の中央広場の上空に黒と七色が混ざった渦が形成され始めており、建物の一部が歪んで見えた。
人々が混乱して走り回る様子も、かすかに見て取れる。
「始まっている…」
アイリスが恐れを込めた声で言う。
「"大収斂"の前兆よ」
「急ごう!」
孝太が叫び、四人は丘を駆け下りた。
東門に到着すると、そこは混乱に包まれていた。
市民たちが続々と街から避難し、門兵たちは秩序を保とうと懸命に努めている。
「何が起きているんだ?」
孝太が一人の門兵に尋ねる。
「中央広場に黒装束の集団が現れました」
門兵が答える。
「奇妙な装置を組み立て始め、空に異変が…」
「創造院の儀式だ」
リーシャが歯を食いしばる。
四人は混乱する人々を避けながら、逆方向に、街の中心へと向かった。
街の様子はさらに異常さを増していた。
建物の一部が半透明になったり、色が変わったりしている。
地面には亀裂が走り、そこから七色の光が漏れていた。
「核の力が暴走し始めている」
アイリスが警告する。
「空間が不安定になっているわ」
中央広場に近づくにつれ、空気が重く、呼吸しづらくなっていった。
まるで水中にいるような感覚だ。
「ここからは慎重に」
リーシャが剣を抜く。
「創造院の警備がいるはずだ」
彼らは建物の陰に隠れながら、少しずつ広場に近づいた。
ついに広場の端に到達すると、そこには信じがたい光景が広がっていた。
広場の中央に、黒い金属で作られた大きな箱が設置されていた。
それは間違いなく"黒鉄の箱"の複製だった。
箱の周りには黒いローブを纏った数十人の創造院メンバーが円を描き、詠唱を行っている。
そして、箱の前には一人の男が立っていた。
黒と金の装飾が施された豪華なローブを着た男性——おそらくゼインだ。
「彼がゼインか…」
孝太がつぶやく。
「そして、あの箱が複製された"黒鉄の箱"」
アイリスが確認する。
「エリオットの遺産を歪めたものね」
「どうやって近づく?」
フィンが周囲を見回す。
「警備がたくさんいるよ」
確かに、広場の周囲には武装した創造院の兵士たちが配置されていた。
正面からの突入は不可能に思えた。
「地下通路を使おう」
リーシャが提案する。
「ギルドと中央広場をつなぐ緊急用の通路がある」
「そうか、忘れていた」
孝太が思い出す。
四人は目立たないように移動し、冒険者ギルドの裏手にある小さな扉に辿り着いた。
リーシャが特殊な鍵を使って扉を開け、彼らは薄暗い地下通路へと入っていった。
「この通路はどこに出るの?」
フィンが小声で尋ねる。
「中央広場の噴水の下」
リーシャが説明する。
「緊急時のために作られた秘密の通路だ」
通路は狭く、湿っていた。
壁には古い魔法のランプが取り付けられており、かすかな光を放っている。
彼らは慎重に前進し、やがて上へと続く階段に到達した。
「ここから上は広場の真下」
リーシャが言う。
「音を立てないように」
階段を上ると、石の天井に小さな格子があった。
リーシャが静かに格子を開け、外の様子を確認する。
「噴水の内側だ」
彼女が報告する。
「儀式の真横に出る」
「作戦を立てよう」
孝太が言う。
「正面から挑むのは危険すぎる」
「"黒鉄の箱"を止めなければ」
アイリスが考える。
「儀式が完了する前に」
「ゼインを拘束できれば」
リーシャが提案する。
「儀式は中断するはずだ」
彼らは最終計画を立てた。
リーシャが注意を引きつける役となり、アイリスが「青の調和石」で箱の力を抑制する。
孝太はデバッグモードでゼインの制御下にある装置を無効化し、フィンは別の方向から逃げ道を確保する。
「準備はいいか?」
孝太が全員を見回す。
三人が頷く。決意の表情だ。
「行くぞ!」
リーシャが最初に飛び出し、広場に向かって声を上げた。
「ゼイン!儀式を止めろ!」
彼女の突然の登場に、警備兵たちが驚いて武器を構える。
ゼインも詠唱を中断し、彼女の方を向いた。
「青剣の将軍か…」
彼の声は低く響く。
「手遅れだ。儀式はすでに最終段階に入っている」
アイリスはその隙に噴水から抜け出し、反対側から接近した。
「青の調和石」を掲げ、箱に向かって力を放つ。
「"調和"の力よ、暴走を抑えよ!」
七色の光が石から放たれ、箱を包み込む。
箱の黒いオーラが弱まり始めた。
「何だと!?」
ゼインが怒りの声を上げる。
その隙に、孝太も噴水から飛び出し、デバッグモードを展開した。
```
System_Override(
target: "Black_Iron_Box_Replica",
command: "Force_Shutdown",
priority: "Emergency"
);
```
青い光が箱に向かって伸び、内部のメカニズムに干渉していく。
箱の振動が弱まり、放っていた光も暗くなり始めた。
「やった!」
フィンが喜びの声を上げる。
しかし、ゼインは冷静さを失わなかった。
彼は手を翳すと、黒い靄が彼の周りに現れた。
「愚かな…」
彼が冷たく言う。
「私は単なる人間ではない。"完璧"そのものだ」
靄が彼の姿を包み込むと、彼の体が変容し始めた。
黒と七色が混ざり合い、半透明の姿となっていく。
「《エレイザー》と融合している!?」
アイリスが恐怖に目を見開く。
変容したゼインは手を伸ばすと、アイリスの「青の調和石」に干渉した。
石からの光が途絶え、アイリスが痛みに顔を歪める。
「アイリス!」
孝太が叫ぶ。
「私は新しい世界の創造者となる」
ゼインの声はもはや人間のものではなかった。
「完璧な世界…二つの世界を一つに…」
彼が空に向かって両手を掲げると、上空の渦が激しく回転し始めた。
渦の中心から、東京の風景が見え隠れする。
「コウは止められたのか?」
リーシャが不安そうに空を見上げる。
「信じよう」
孝太が言う。
「彼なら、東京側を守ってくれるはず」
しかし、事態はさらに悪化していた。
ゼインの変容した姿が箱と一体化し始め、より強力なエネルギーを放出している。
広場全体が揺れ、空間の歪みが広がっていく。
「このままでは街全体が消失する!」
アイリスが警告する。
孝太は必死に考えた。
直接的な攻撃は通じない。
デバッグモードも効果が弱い。
残された選択肢は…
「アイリス、リーシャ、フィン」
孝太が決意を込めて言う。
「私に力を貸してほしい」
「何をするつもりだ?」
リーシャが尋ねる。
「究極のデバッグ」
孝太が説明する。
「私の"プログラム言語の加護"の力を最大限に引き出す。でも、一人では足りない」
「私たちの力が必要なのね」
アイリスが理解を示す。
「ああ」
孝太が頷く。
「四人の絆と、各自の特性を組み合わせれば…」
「やろう!」
フィンが手を差し出す。
「僕たちならできるよ!」
四人は手を取り合い、円を形作った。
孝太はデバッグモードを起動し、その青い光が四人を包み込む。
「それぞれの思いを集中して」
孝太が指示する。
「リーシャの勇気、アイリスの調和、フィンの希望…そして私の技術」
四人がそれぞれの思いを込めると、彼らの周りに新たな光が形成され始めた。
青、赤、緑、紫…そして、それらが混ざり合って七色の光となる。
孝太は最後のコードを入力した。
```
Ultimate_Debug_Protocol(
targets: ["Zein", "Black_Iron_Box", "Dimensional_Anomaly"],
mode: "Harmony_Restoration",
power_source: "Bonds_Of_Four",
final_command: "Return_To_Balance"
);
```
七色の光が一斉に放たれ、ゼインと箱を包み込んだ。
ゼインが苦痛の叫びを上げる。
「何をする…この力は…!」
「"調和"の力だ」
孝太が言う。
「完璧ではなく、不完全さの中のバランス」
「拒否する…完璧こそが…」
ゼインの姿がさらに変容し、人間の形を取り戻しつつある。
「受け入れろ、ゼイン」
アイリスが優しく言う。
「"完璧"への執着が、あなたを苦しめているのよ」
「エリオットも最後には理解した」
リーシャが続ける。
「真の救いは"調和"にあると」
「お願い、聞いて!」
フィンも懸命に呼びかける。
「みんな一緒に幸せになれるんだよ!」
ゼインの体から黒い靄が剥がれ落ち、《エレイザー》の部分が分離していく。
彼の本来の姿——中年の疲れた男性が現れた。
「私は…ただ…」
彼が弱々しく言う。
「完璧な世界を…苦しみのない世界を…」
「苦しみがなければ、喜びも深くは感じられない」
孝太が静かに言う。
「それが生きるということだ」
七色の光が"黒鉄の箱"を完全に包み込み、箱が輝き始めた。
黒い金属が溶け、形を変えていく。
やがて、箱は七つの小さな結晶体へと変化した。
「七つの核…」
アイリスが驚きの声を上げる。
空の渦も徐々に収束し、歪みが正常化していく。
広場に集まっていた創造院のメンバーたちは、混乱して四散していった。
最後に残ったのは、膝をついたゼインだけだった。
「終わったのか…」
彼がつぶやく。
「私の夢は…」
「終わりではない」
孝太が彼に手を差し伸べる。
「新しい始まりだ」
ゼインは驚いた表情で孝太を見上げた。
「なぜ…私を助ける?敵ではないのか?」
「敵か味方かは、考え方次第だ」
孝太が静かに言う。
「"調和"とは、対立するものの共存でもある」
ゼインは迷った後、孝太の手を取り、立ち上がった。
「私は…何をすればいいのだ?」
「それは自分で見つけるべきことだ」
アイリスが答える。
「ただ、"完璧"を強制するのではなく、多様性を受け入れる道を」
リーシャは警戒を解かず、ゼインを見つめていた。
「彼をどうする?」
「ギルドマスターに委ねよう」
孝太が言う。
「ルークの穏健派との対話も必要だろう」
この時、広場の上空に再び光が走った。
今度は静かな、美しい七色の光だ。
光は「希望の橋」のように伸び、そこから一人の人影が降り立った。
「コウ!」
全員が驚きの声を上げる。
コウは少し疲れた様子だったが、満足げな表情を浮かべていた。
「東京側は安全だ」
彼が報告する。
「"大収斂"の試みは阻止した」
「どうやって?」
孝太が尋ねる。
「東京側でも同様の装置が設置されていた」
コウが説明する。
「しかし、メイから受け継いだ技術で無効化することができた」
「メイ…いや、マイラの遺産が役に立ったんだね」
孝太が微笑む。
「そして、大事なニュースがある」
コウの表情が明るくなる。
「"希望の橋"が安定した。東京とバルドールの間を、より確実に行き来できるようになった」
「本当に?」
アイリスが希望に満ちた声で尋ねる。
「ああ」
コウが頷く。
「両世界での"大収斂"の試みが同時に止められたことで、次元の壁がより強固になった。そして同時に、特定の場所での通行が可能になったんだ」
「それは素晴らしい!」
フィンが飛び跳ねる。
「みんな一緒にいられるね!」
孝太は静かに空を見上げた。
「東京とバルドール…二つの世界を行き来できる」
「選択を迫られることはないわ」
アイリスが彼の手を取る。
「どちらの世界も、あなたの一部だから」
「そうだな」
孝太が微笑む。
「どちらも大切な場所だ」
広場に集まった人々から歓声が上がった。
危機は去り、バルドールは安全になった。
翌日、彼らはギルドマスターに全ての報告をした。
ゼインは監視下に置かれたが、厳しい処罰は避けられた。
彼の知識と経験は、むしろ今後の「調和」の研究に役立つかもしれない。
ルークとの対話も再開され、創造院の穏健派との和解の道が開かれた。
彼らは「完璧」ではなく「調和」を受け入れる準備ができているようだった。
「希望の橋」は東の森の奥深くに安定して存在するようになり、特別な許可を得た者だけが通行できることになった。
孝太とコウは、その特別な許可を持つ最初の人物となった。
そして、すべてが落ち着いた一週間後、孝太は決断を下した。
「東京に一度戻ろうと思う」
彼がアイリス、リーシャ、フィン、そしてコウに告げる。
「家族に会い、状況を説明したい」
「賛成だ」
コウが頷く。
「私も一緒に行こう。これまでの説明だけでは、彼らも混乱しているだろう」
「どのくらい滞在するの?」
フィンが少し不安そうに尋ねる。
「長くても一週間だ」
孝太が安心させる。
「そして、必ず戻ってくる」
「私たちはここで待っているわ」
アイリスが微笑む。
「そして新たな冒険の準備をしておくわね」
「待ってるよ!」
フィンが元気よく言う。
出発の日、孝太とコウは東の森へと向かった。
アイリス、リーシャ、フィンも見送りに来ていた。
「希望の橋」は以前よりも安定し、七色の光が美しく輝いていた。
橋の向こうには、東京の風景がはっきりと見えている。
「行ってくるよ」
孝太が仲間たちに別れを告げる。
「気をつけて」
アイリスが彼の手を握る。
「そして、必ず戻ってきて」
「約束する」
孝太が彼女の手を強く握り返す。
「次はもっと強くなって戻ってくるから!」
フィンが元気よく手を振る。
「期待してるわ」
リーシャが微笑む。
孝太とコウは最後に手を振り、そして「希望の橋」へと足を踏み入れた。
七色の光が二人を包み込み、彼らの姿は徐々に透明になっていく。
橋を渡る間、孝太の心は穏やかだった。
これは別れではなく、新たな始まり。
二つの世界を繋ぐ存在として、新しい冒険が待っている。
「東京に着いたら何をする?」
コウが尋ねる。
「まずは家族に会って、それから…」
孝太が考える。
「プログラマーとしての仕事も続けたい。デバッグの技術を活かせる仕事があるはずだ」
「二足のわらじだな」
コウが笑う。
「そうだね」
孝太も笑顔を見せる。
「東京では孝太、バルドールではコードマスター」
光が強まり、彼らの前に東京の風景が広がっていく。
高層ビル、車の音、人々の声…懐かしい故郷の光景。
「さあ、行こう」
孝太が一歩踏み出す。
「そして、また戻ろう」
こうして、古代アルカディアへの旅を経て、孝太は現在へと帰還した。
しかし、それは終わりではなく、二つの世界をつなぐ新たな冒険の始まりだった。
東京とバルドール。
プログラマーとコードマスター。
現実と異世界。
そのすべてを繋ぐ「調和」の力と、時を超える絆。
次なる冒険は、もうすぐそこに待っていた。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
いろいろと紆余曲折しながら執筆してきましたが、次が最終章になります。
ここまでのストーリーを整理して、書いていきたいので、少し時間をいただきます。
どうぞよろしくお願いします。