第106話 時を超える絆
東の森は、バルドールから半日ほどの距離にあった。
太陽が高く昇る頃、孝太、アイリス、フィンの三人は森の入口に到着した。
「ここが"希望の橋"へと続く森…」
孝太が深い緑に覆われた森を見上げる。
「この森は変化が激しいわ」
アイリスが警戒しながら言う。
「"変化"の核の影響を強く受けている場所だから」
「僕が通ってきた時も、道がどんどん変わったよ」
フィンが頷く。
「迷子になりそうだった」
三人は慎重に森の中へと足を踏み入れた。
一見普通の森のようだったが、じっと見ていると木々が微かに位置を変えているのが分かる。
道は曲がったり、伸びたり、時には完全に消えてしまうこともあった。
「方向を見失わないよう気をつけて」
孝太が言う。
「コンパスも役に立たないかもしれない」
アイリスは「青の調和石」を取り出した。
石が七色に輝き、一筋の光が森の奥へと伸びる。
「この光に従って進みましょう」
彼女が提案する。
「核の力同士は共鳴するはず」
彼らは光の導きに従い、変化し続ける森の中を進んだ。
風は不規則に吹き、時には一瞬だけ異なる季節の香りが漂うこともあった。
「フィン、"黒い影"について教えてくれないか」
孝太が少年に尋ねる。
「どんな姿だった?」
「うーん」
フィンが思い出そうとする。
「形は人間みたいだったけど、顔がなくて…全身が黒い霧みたいだった」
「《エレイザー》の一種ね」
アイリスが静かに言う。
「次元の狭間に存在する消去プログラム」
「僕を消そうとしてたの?」
フィンが不安そうに尋ねる。
「おそらくね」
アイリスが優しく説明する。
「あなたが時空を旅したことで、"アノマリー(異常)"と見なされたのかもしれない」
「怖かったよ…」
フィンが震える。
「でも、"希望の橋"が現れて、僕を守ってくれたんだ」
「"希望の橋"は時空の裂け目ではあるけれど、保護機能も持っているのね」
アイリスが興味深そうに言う。
彼らが森の奥深くへと進むにつれ、周囲の風景はますます奇妙になっていった。
木々は半透明に見えることがあり、時には完全に消えて別の木に入れ替わることもあった。
地面もふわふわとした感触になり、まるで別の次元を歩いているかのような感覚だった。
「近づいてきているわ」
アイリスが「青の調和石」を見る。
石の輝きが強まり、七色の光が鮮やかになっている。
「僕も感じる!」
フィンが前方を指さす。
「あれ!」
彼らの前方、森の木々の間に、七色に輝く光の筋が見えた。
まるで空中に浮かぶ虹のようだが、直線的で幾何学的な模様を描いている。
「"希望の橋"だ…」
孝太が息を呑む。
三人は慎重に近づいた。
光の橋は地面から空へと伸び、その先は霧のように曖昧だった。
近くの空間は歪み、時折別の風景がかすかに透けて見える。
「東京の景色だ!」
孝太が興奮した声で言う。
懐かしい高層ビル群、道路、そして一瞬だけ見えた東京タワーの姿。
「本当に東京へと繋がっているのね」
アイリスが驚きの表情で言う。
「僕が来た時も、こんな風に見えたよ」
フィンが頷く。
「でも、その時は都会じゃなくて、森みたいな場所が見えたんだ」
「橋の行き先は固定されていないのか」
孝太が考え込む。
「時間や条件によって変わるのかもしれない」
アイリスは「青の調和石」を橋に近づけた。
石と橋が共鳴し、橋がより鮮明になる。
「核の力で安定させることができるわ」
彼女が集中しながら言う。
「でも…」
その時、森の中から不気味な風が吹いてきた。
冷たく、なんとも言えない違和感を伴う風だった。
「これは…」
アイリスの表情が変わる。
「"黒い影"だ!」
フィンが恐怖に声を上げる。
木々の間から、黒い霧のような人型の存在が現れた。
顔のない黒い影が、ゆっくりと彼らに向かって近づいてくる。
「《エレイザー》…」
孝太が身構える。
「フィンを守れ!」
黒い影は前方に手を伸ばし、不気味な声を発した。
「アノマリー…検出…消去…開始…」
「させるか!」
孝太がデバッグモードを起動する。
```
Eraser_Containment_Protocol(
target: "Approaching_Entity",
barrier_type: "Isolation_Field",
power: "Maximum"
);
```
青い光の壁が《エレイザー》の前に形成され、その進行を一時的に止めた。
「アイリス、橋を安定させて!」
孝太が叫ぶ。
「フィン、僕の後ろにいなさい!」
アイリスは「青の調和石」を使って「希望の橋」に働きかけた。
七色の光が強まり、橋がより実体的になっていく。
《エレイザー》は光の壁に手を伸ばし、徐々にそれを壊し始めた。
「抵抗…無意味…消去…不可避…」
「何を消そうとしているんだ?」
孝太が問いかける。
「私たちか?それとも橋か?」
《エレイザー》は一瞬止まり、そして応えた。
「アノマリー…すべて…多元接続…危険…消去…」
「多元接続?」
アイリスが理解を示す。
「複数の世界を繋ぐ橋が、システムエラーとみなされているのね」
「私たちは消されるべき"アノマリー"じゃない!」
孝太が強く主張する。
「これは危険ではなく、可能性だ!」
《エレイザー》は構わず、光の壁を破り始めた。
「機能…実行中…停止…不可能…」
その時、「希望の橋」が突然強く輝いた。
橋からまばゆい光が放たれ、《エレイザー》に向かって伸びていく。
「何が…?」
孝太が驚く。
橋の向こう側、東京側から何かが接近してくるのが見えた。
光の中から、一人の人影が浮かび上がる。
「それは…」
アイリスが息を呑む。
「もう一人の孝太!」
フィンが指さす。
確かにそれは、東京に戻ったはずの「もう一人の孝太」——コウだった。
彼は橋を渡り、彼らの前に立った。
「間に合ったか」
コウが安堵の表情を見せる。
「どうして?」
孝太が驚きながら尋ねる。
「東京にいたはずでは?」
「説明している時間はない」
コウが《エレイザー》を見る。
「こいつを止めなければ」
彼はポケットから小さな装置を取り出した。
それは「デコーダー」——メイが使っていた銃型の装置に似ていた。
「メイから受け継いだものだ」
コウが装置を《エレイザー》に向ける。
「データ実体に干渉できる」
彼が引き金を引くと、虹色の光線が《エレイザー》に命中した。
《エレイザー》の体が歪み、一部が崩れ始める。
「今だ!」
コウが叫ぶ。
孝太はデバッグモードを再度使用した。
```
System_Rewrite(
target: "Eraser_Entity",
command: "Function_Override",
new_directive: "Protect_Bridge"
);
```
青い光が《エレイザー》を包み込み、その内部に新たなコードを書き込んでいく。
《エレイザー》は震え、その形が変化し始めた。
「機能…改変…中…新…指令…確認…」
黒い影が徐々に色を変え、七色の透明な存在へと変わっていく。
「希望の橋…保護…モード…起動…」
変化した存在は彼らに一礼すると、橋の近くに立ち、警備するような姿勢を取った。
「成功した…」
孝太が安堵の息を吐く。
「ギルドマスターの予測通りだな」
コウが微笑む。
「《エレイザー》は消去プログラムだが、再プログラミング可能だった」
「でも、どうしてここに?」
アイリスがコウに尋ねる。
「ルークとの会合は罠だった」
コウの表情が曇る。
「彼は確かに和平を望んでいたが、過激派に捕まっていた。私たちも危うく捕まるところだったが、リーシャの機転で逃げ出せた」
「リーシャは?」
孝太が心配そうに尋ねる。
「彼女は負傷したが無事だ」
コウが安心させる。
「バルドールに戻って治療を受けている」
「それで、東京からどうやって?」
フィンが好奇心旺盛に尋ねる。
「私は東京とバルドールの間を行き来できるようになった」
コウが説明する。
「メイ…いや、マイラから受け継いだ技術と、"再生"の核の力のおかげでね」
「それはすごい!」
フィンが目を輝かせる。
「しかし、常に可能なわけではない」
コウが付け加える。
「"希望の橋"が出現する特定の時にだけだ」
彼らは橋の近くに集まり、状況を確認した。
橋はより安定し、東京の風景がはっきりと見えるようになっていた。
「今なら渡れるわね」
アイリスが静かに言う。
「ああ」
コウが頷く。
「しかし、長くは持たない。数時間後には再び不安定になるだろう」
孝太は橋を見つめ、深く考え込んだ。
東京への道。故郷への帰還。
しかし、バルドールでの冒険はまだ終わっていない。
「どうする?」
コウが孝太の肩に手を置く。
「東京に戻るか?私ならバルドールと東京の間を往復できるが、君はその保証はない」
「でも、僕はどうすれば…」
フィンが不安そうに尋ねる。
「フィン」
アイリスが優しく言う。
「あなたはバルドールにいるべきよ。この世界があなたの居場所だもの」
「でも、みんなと離れたくない…」
少年の目に涙が光る。
孝太はフィンの頭に手を置いた。
「フィン、心配しなくていい。離れていても、私たちはつながっている」
「時を超える絆があるからね」
アイリスが微笑む。
「約束する」
コウも優しく言う。
「どんな選択をしても、私たちはまた会える」
フィンは涙を拭い、頷いた。
「うん、分かった。みんなが幸せになれるなら…」
孝太は橋と仲間たちを交互に見つめた。
そして、心の中で決断を下した。
「私は…」
彼が口を開く。
その時、森の向こうから慌ただしい足音が聞こえた。
木々の間から、リーシャが現れた。
「みんな!」
彼女が息を切らして叫ぶ。
「大変なことになった!」
「リーシャ?」
全員が驚いて振り返る。
「怪我は?」
コウが心配そうに尋ねる。
「問題ない」
リーシャが息を整える。
「それより、創造院の過激派が動き出した。"大収斂"を強行しようとしている!」
「何だって!?」
孝太が驚く。
「ゼインが"黒鉄の箱"の複製を完成させたらしい」
リーシャが緊急事態を説明する。
「そして、"希望の橋"を利用して、東京側でも"大収斂"を同時に起こそうとしている」
「そんな…両方の世界で?」
アイリスが恐怖を覚える。
「二つの世界を同時に再構築すれば、完璧な支配が可能になると考えているようだ」
リーシャが続ける。
「彼らは既に動き出している。バルドールの中央広場で儀式の準備を始めている」
「時間がない」
コウが決断を促す。
「今すぐ選択しなければ」
孝太は眉を寄せ、決意を固めた。
「私の選択は明確だ」
彼が力強く言う。
「両方の世界を守る。それが私の責任だ」
「どうやって?」
フィンが混乱して尋ねる。
「コウ」
孝太が真剣な表情で言う。
「君は東京に戻れるか?」
「ああ」
コウが頷く。
「東京側の"大収斂"を止めてほしい」
孝太が依頼する。
「そして、必要ならば私の家族に説明を」
「任せろ」
コウが決意を見せる。
「東京は私が守る」
「私たちはバルドールへ」
孝太がアイリス、リーシャ、フィンを見る。
「ゼインを止めなければならない」
アイリスが孝太の手を取った。
「一緒に戦いましょう。最後まで」
「もちろん」
リーシャも剣に手をかける。
「僕も手伝う!」
フィンも決意を示す。
彼らは最後の作戦を立てた。
コウは「希望の橋」を渡り、東京側の防衛を担当する。
孝太たちはバルドールに戻り、ゼインと対決する。
「もし…もし成功しても、橋が消えてしまったら」
コウが心配そうに言う。
「二度と会えないかもしれない」
「大丈夫」
孝太が確信を持って言う。
「私たちの絆は時を超える。必ずまた会える」
二つのグループに分かれる前、彼らは円になって手を重ね合わせた。
「調和のために」
孝太が言う。
「完璧ではなく、調和を」
全員が復唱した。
コウは「希望の橋」へと向かった。
振り返り、最後に手を振る。
「また会おう、必ず」
彼が橋を渡り、東京側へと消えていく。
その姿を見送った後、孝太たちはバルドールへの帰路についた。
木々の間を駆け抜けながら、孝太の心には新たな決意が芽生えていた。
どんな世界に生きるにしても、大切なのは人との絆。
時を超え、世界を超えても変わらない絆。
それこそが、「完璧」ではなく「調和」を選ぶ理由だった。