第105話 最後の選択
眩い光が収まり、四人は硬い石の床の上に横たわっていた。
目を開けると、そこは「記憶の神殿」の内部だった。バルドールの、彼らが時間旅行を始めた場所に戻ってきたのだ。
「成功したのか…」
孝太が頭を抱えながら体を起こす。
「みんな無事?」
アイリスが周囲を見回す。
「どうにか…」
リーシャが唸りながら立ち上がる。
「場所は合っているが…」
コウが神殿内を観察する。
「時間はどうだろう?」
神殿内は彼らが出発した時と同じように見えたが、微妙な違いがあった。
壁に刻まれた模様が少し変わっており、床の七色の紋様もより鮮明になっていた。
「何かが変わっている」
アイリスが感じ取る。
「核の力が…より安定しているわ」
「おそらく私たちの行動の結果だろう」
コウが理解を示す。
「過去のエリオットの選択が、現在に影響を与えたのだ」
彼らが状況を確認していると、神殿の扉が開き、二人の人影が入ってきた。
「本当に戻ってきたのね!」
オルガ婆さんの声が響く。
「みんな!」
その隣にいたのは、フィンだった。
「フィン!」
四人が驚きの声を上げる。
少年は嬉しそうに駆け寄り、孝太に飛びついた。
「戻ってきた!みんな無事で!」
「フィン、君も…!」
孝太が安堵の表情で彼を抱きしめる。
「どうして?君は時間の流れではぐれたはずだが」
「僕も別の時代に行ったんだ」
フィンが興奮した様子で説明を始める。
「未来だったよ!すごい技術があって、空飛ぶ乗り物とか、話せる機械とか!」
「未来?」
リーシャが驚く。
「ええ、彼は一週間前に戻ってきました」
オルガ婆さんが説明する。
「何かを追いかけられて逃げてきたようでしたよ」
「追いかけられた?」
コウが警戒する。
「"黒い影"に」
フィンが少し怯えた表情になる。
「それが僕を捕まえようとしたんだ。でも、"希望の橋"というのが現れて、そこを通って戻ってこれたんだ」
「"希望の橋"…」
アイリスが考え込む。
「時間の裂け目のことかもしれない」
「時間旅行の記録」
オルガ婆さんが古い本を取り出す。
「フィンが戻ってきた時、我々は君たちも間もなく戻ると考えていた。そして、神殿のエネルギーが急増した今日、ここで待っていたのです」
「どのくらい経ったんですか?私たちがいない間に」
孝太が尋ねる。
「出発してからちょうど一ヶ月です」
オルガ婆さんが答える。
「一ヶ月…」
リーシャが驚く。
「古代アルカディアでは一週間ほどしか過ごしていないのに」
「時間の流れは不思議なものです」
オルガ婆さんが微笑む。
「さあ、ギルドに戻りましょう。ギルドマスターが待っていますよ」
彼らは神殿を出て、バルドールの街へと向かった。
街の景色は基本的に同じだったが、ところどころに微妙な変化があった。
建物のデザインがより洗練され、七色の装飾が増えていた。
人々の服装も少し変わっており、古代アルカディアの影響を思わせるデザインが見られた。
「街が…変わっている」
コウが周囲を見回す。
「でも、根本的には同じバルドールよ」
アイリスが言う。
「歴史の大きな流れは変わっていないみたい」
冒険者ギルドに到着すると、ギルドマスターが彼らを出迎えた。
「よく戻ってきた」
彼が温かく迎える。
「成功したようだな」
「はい」
孝太が頷く。
「過去を見て、多くのことを学びました」
「そして、少し変えたのではないか?」
ギルドマスターが鋭い洞察を示す。
「微調整程度に」
コウが控えめに言う。
「興味深い」
ギルドマスターが微笑む。
「私たちの歴史の記録も、少し変わったのだ」
彼は古い書物を開き、ページをめくる。
「"大災厄の日、二人の天才が最後の選択を下した"と書かれている」
彼が朗読する。
「"一人は自己犠牲により街を救い、もう一人は調和の力を後世に伝えた"」
「エリオットとマイラ…」
アイリスが静かに言う。
「そして、こうも記されている」
ギルドマスターが続ける。
「"時を超えた旅人たちの導きにより、完璧への執着が調和への理解へと変わった"」
「私たちのことが歴史に?」
リーシャが驚く。
「名前は記されていないが、おそらくそうだろう」
ギルドマスターが頷く。
「それでは創造院は?」
孝太が心配そうに尋ねる。
「依然として存在している」
ギルドマスターの表情が厳しくなる。
「しかし、その本質に変化があるようだ」
彼は彼らをギルドの奥、作戦室へと案内した。
そこには大きな地図が広げられ、創造院の拠点が示されていた。
「彼らの活動パターンが変わった」
ギルドマスターが説明する。
「より…複雑になっているのだ」
「複雑?」
コウが尋ねる。
「創造院の内部に分派が生まれたようだ」
ギルドマスターが地図の異なる印を指さす。
「一つは従来通りの"完璧"を求める過激派。もう一つは"制御された調和"とでも呼ぶべき穏健派だ」
「エリオットの最後の選択が、創造院の思想にも影響を与えたのか」
孝太が理解を示す。
「しかし、これでより状況が複雑になった」
オルガ婆さんが言う。
「単純な敵対関係ではなくなった」
「どういうことでしょう?」
リーシャが尋ねる。
「過激派は依然として危険だが、穏健派は対話の可能性がある」
ギルドマスターが説明する。
「しかし、どちらを信じるべきか、どちらと同盟を結ぶべきか…それが新たな問題となった」
「最後の選択…」
アイリスがつぶやく。
「私たちはまた岐路に立っているのね」
ギルドマスターは重々しく頷いた。
「そして、それだけではない」
彼は窓の外を指さす。
全員が窓に近づき、外を見る。
空には、かすかに七色に輝く「希望の橋」と呼ばれた光の帯が見えた。
「"大収斂"の余波だ」
ギルドマスターが説明する。
「次元の壁が薄くなり、異なる世界への通路が開きつつある」
「東京への…?」
孝太が息を呑む。
「可能性はある」
オルガ婆さんが言う。
「しかし、その通路はまだ不安定だ。核の力を適切に使わなければ、異なる場所や時間に飛ばされるリスクもある」
「それに」
ギルドマスターが厳しい表情で付け加える。
「創造院も、この通路に気づいている。彼らは既に利用を試みている」
「何のために?」
コウが警戒する。
「東京…あなたの故郷の世界に干渉するためだ」
ギルドマスターが孝太に向かって言う。
「彼らは"大収斂"を両方の世界で同時に起こそうとしているようだ」
「それは許せない」
孝太の表情が引き締まる。
「今夜、詳細な計画を立てよう」
ギルドマスターが提案する。
「まずは休息を取るといい。長い旅だったのだから」
彼らはそれぞれの部屋に案内された。
孝太は窓辺に立ち、「希望の橋」を見つめていた。
あの光の向こうには東京があり、そして家族や友人たちがいる。
しかし、創造院も同じ橋を狙っている。
ノックの音がして、アイリスが入ってきた。
「考え事?」
彼女が隣に立つ。
「ああ」
孝太が窓の外を見つめたまま言う。
「私たちの行動が、本当に正しかったのか考えていた」
「後悔しているの?」
アイリスが静かに尋ねる。
「いや、そうではない」
孝太が首を振る。
「ただ、予期せぬ結果に戸惑っている。創造院が分裂するとは…」
「でも、それは良い兆候かもしれないわ」
アイリスが希望を込めて言う。
「"完璧"だけを追い求める一枚岩の敵より、内部に"調和"の芽が生まれた方が、対話の可能性がある」
「確かにそうだけど…」
孝太が深く息を吐く。
「これからの選択がより難しくなった」
「それが"調和"というものよ」
アイリスが微笑む。
「単純ではなく、複雑。一方的ではなく、双方向」
彼らの会話は、別のノックによって中断された。
今度はコウが入ってきた。
「すまない、邪魔をするつもりはなかった」
彼が謝る。
「いいんだ、入って」
孝太が招き入れる。
コウも窓際に立ち、三人で夜空を見つめる。
「"希望の橋"…」
彼がつぶやく。
「東京への道」
「僕たちはどうするべきだろう?」
孝太が二人に問いかける。
「この橋を使って東京に戻るべきか、それともここに残ってバルドールを守るべきか」
「難しい選択ね」
アイリスが静かに言う。
「私は…」
コウが言いかけて止まる。
「いや、これは孝太自身が決めるべきことだ」
「でも、君はどう思う?」
孝太が彼に尋ねる。
コウはしばらく考え、そして静かに言った。
「私は残るつもりだ。この世界には、まだ私の務めがある」
「コウ…」
孝太が驚く。
「創造院との戦いは終わっていない」
コウが続ける。
「そして、私は一度、彼らの思想に取り込まれた者として、その危険性を誰よりも理解している」
「私も残るわ」
アイリスが決意を込めて言う。
「核の管理者として、この世界を守る責任がある」
孝太は二人の決意を感じながら、自分自身の心の内を探った。
東京への思い。家族や友人たちへの思い。
そして、バルドールでの冒険と絆。
「明日、創造院の分派について詳しく調べよう」
孝太が提案する。
「そして、最善の道を見つけよう」
三人はそれぞれの思いを胸に、休息を取ることにした。
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翌朝、彼らはギルドの作戦室に集まった。
ギルドマスター、オルガ婆さん、そしてリーシャとフィンも加わり、創造院の新たな動きについて情報を共有した。
「穏健派のリーダーは、ルークだ」
ギルドマスターが地図を指さす。
「ルーク?」
リーシャが驚きの声を上げる。
「冒険者ギルドのあのルーク?」
「そうだ」
ギルドマスターが頷く。
「彼は元々創造院の一員だったが、過激派の行動に疑問を持ち、穏健派を率いるようになった」
「彼は接触を求めている」
オルガ婆さんが付け加える。
「対話の場を設けたいと」
「それは罠かもしれない」
コウが警戒する。
「可能性はある」
ギルドマスターが認める。
「しかし、真剣な申し出かもしれない」
「過激派はどうなんですか?」
フィンが尋ねる。
「彼らのリーダーは、ゼインという男だ」
ギルドマスターが説明する。
「彼は"完璧なる世界の創造者"を自称している」
「新しい名前だな」
孝太がつぶやく。
「しかし、彼の背後には別の存在がいるという噂もある」
オルガ婆さんが不安そうに言う。
「"黒い影"と呼ばれる存在…」
「"黒い影"?」
フィンが震える。
「僕を追いかけてきたのと同じかも」
「《エレイザー》の影響かもしれない」
アイリスが心配そうに言う。
「時間と次元の裂け目から漏れ出しているのかも」
「さらに問題なのは、これだ」
ギルドマスターが別の地図を広げる。
「"希望の橋"が現れている場所がある。ここ、東の森の奥地だ」
地図には、東の森の奥深くに印がつけられていた。
「そこで、次元の壁が最も薄くなっている」
ギルドマスターが説明する。
「創造院の両派が、この場所に関心を持っている」
「私たちはどうするべきでしょうか?」
リーシャが尋ねる。
「まず、ルークとの対話を試みるべきだ」
孝太が決断する。
「彼の本当の意図を確かめる」
「賛成だ」
コウが頷く。
「そして、"希望の橋"の場所も調査する必要がある」
アイリスが言う。
「それが安定しているのか、危険なのか」
「二手に分かれましょう」
リーシャが提案する。
「私とコウがルークとの接触を担当します。孝太とアイリスは"希望の橋"を調査してください」
「僕も行く!」
フィンが手を挙げる。
「"希望の橋"のことなら、僕が一番よく知ってるよ」
ギルドマスターは彼らの計画を審議し、最終的に承認した。
「危険な任務だ。十分に注意してくれ」
それぞれの準備が整い、二つのグループに分かれて出発することになった。
出発前、孝太とコウは短い会話を交わした。
「気をつけてくれ」
孝太が言う。
「君こそ」
コウが微笑む。
「"希望の橋"が見つかったら…帰るつもりか?」
孝太は空を見上げた。
「まだ決めていない。まずは橋を守り、創造院から両方の世界を守ることが先決だ」
「理解した」
コウが頷く。
「また合流しよう」
リーシャはアイリスとも短い会話を交わした後、コウと共に西へと向かった。
ルークとの接触地点は、バルドールから一日の距離にある中立地帯だった。
一方、孝太、アイリス、フィンの三人は東の森へと向かった。
"希望の橋"の調査、そして、もしかしたら東京への道を探すために。
彼らの前には、再び重要な選択が待ち受けていた。
過去での経験を活かし、未来のために最善の決断を下さなければならない。
そして、その決断が二つの世界の運命を左右することになるのだ。