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第103話 歴史の修正

朝日が昇る前、孝太たちはゼノスの邸宅を出発した。

今日の目的地は都市の北区画にある研究施設—エリオット・シンの「完璧研究所」だった。


「エリオットの施設は少し…異質です」

レイヴンが一行を案内しながら説明する。

「彼の研究は次第に秘密めいたものになり、一般の視察も制限されています」


「それでも私たちは入れるのですか?」

リーシャが懸念を示す。


「ゼノス様の紹介状があれば」

レイヴンが小さな封筒を取り出す。

「エリオットは師匠の権威だけは未だに尊重しています」


一行は静かな朝の街を通り抜けていった。

北区画は他の区画と違い、より閉鎖的な雰囲気があった。

建物は高い壁で囲まれ、入口には警備員が立っている。


「この区画はセキュリティが厳しいのですね」

コウが観察する。


「ええ」

レイヴンが頷く。

「核の研究にはリスクがつきものですから」


彼らが目的地に到着すると、そこには巨大な黒い建物が聳えていた。

エリオットの「完璧研究所」は、周囲の建物とは明らかに異なるデザインで、直線的で無機質な印象を与える。

入口には「完璧への道」と刻まれていた。


「なんだか不気味だね」

孝太が小声で言う。


「彼の思想が建築にも表れているわ」

アイリスが応える。


入口では黒い制服を着た警備員が彼らを止めた。

レイヴンが紹介状を見せると、警備員は一瞬躊躇ったが、すぐに上官を呼んだ。

数分後、年配の男性が現れた。


「レイヴン殿」

男性が形式的に挨拶する。

「そして、ゼノス様の…特別な訪問者たち。エリオット様はお待ちです」


彼らは研究所の中へと案内された。

内部は外観以上に異質な空間だった。

廊下は完全に直線で、壁は黒と白のコントラストのみ。

部屋は正確な幾何学的形状で設計されており、一切の無駄や装飾がない。


「なんて…無機質な」

リーシャがつぶやく。


「完璧を追求すると、このようになるのですね」

コウが静かに言う。


彼らは中央ホールへと導かれた。

そこは円形の大きな空間で、中央には黒い台座があり、その上に黒い箱が置かれていた。

箱からは不気味な脈動が感じられる。


「『黒鉄の箱』の原型…」

アイリスが息を呑む。


「よく来たね、未来からの観察者たち」


声の主は、部屋の奥から現れた中年の男性だった。

鋭い目と引き締まった表情、整然とした黒い服を着たその人物は、間違いなくエリオット・シンだった。


「エリオット様」

レイヴンが頭を下げる。

「ゼノス様の依頼で、彼らをご案内しております」


「ゼノス…」

エリオットの表情に一瞬、複雑な感情が走る。

「私の恩師は相変わらず変わった客人を連れてくるね」


彼の鋭い視線が孝太たちを一人ずつ観察していく。

「君たちは本当に…未来から来たのかい?」


「直接は答えられませんが」

孝太が慎重に言葉を選ぶ。

「私たちはあなたの研究に深い関心を持っています」


「そうか」

エリオットが薄く笑う。

「では、案内しよう。私の『完璧』への道程を」


彼は一行を研究所内の様々な施設へと案内し始めた。

最初に訪れたのは「制御実験室」と呼ばれる場所。

そこでは科学者たちが核のエネルギーを操作し、様々な物体を変形させたり、消滅させたりしていた。


「これが『完璧な制御』の基礎研究だ」

エリオットが誇らしげに説明する。

「核の力を完全に理解し、思い通りに操ることができれば、世界のあらゆる問題を解決できる」


「すべてを制御することが可能だと?」

アイリスが疑問を投げかける。


「もちろん」

エリオットが自信満々に答える。

「不完全なものは、すべて修正できる。病気も、老いも、死さえも」


次に彼らは「再構築室」を訪れた。

ここでは小さな生態系モデルが箱の中に作られ、それを核の力で変化させる実験が行われていた。


「見たまえ」

エリオットがボタンを押す。

箱の中の混沌とした環境が、瞬時に整然とした格子状の環境へと変わった。

「無秩序から秩序へ。これが私の目指す世界だ」


「でも、この生態系は…生命力がありません」

孝太が箱を覗き込んで言う。

「植物も動物も、ただ配置されているだけで、成長や変化がない」


「成長や変化は不完全さの象徴だ」

エリオットが冷ややかに言う。

「完璧な状態なら、もはや変化は必要ない」


アイリスとコウが意味深な視線を交わした。


更に奥へと進むと、彼らは「記憶改変室」に到着した。

ここでは被験者の記憶を核の力で操作する研究が行われていた。


「記憶も制御できる」

エリオットが説明する。

「苦しい記憶、トラウマ、恐怖…すべて取り除くことができる」


「それは本当にその人自身でしょうか?」

リーシャが反論する。

「記憶は人の一部であり、それを操作することは…」


「不完全な記憶は、完璧な人間を作る妨げだ」

エリオットが切り捨てる。

「真に完璧な世界には、苦しみの記憶はいらない」


最後に、彼らは中央ホールに戻った。

黒い箱の前で、エリオットは立ち止まった。


「これが私の最高傑作だ」

彼が誇らしげに箱を見つめる。

「『完璧なる調和装置』。七つの核の力を一点に集中させ、世界そのものを再構築できる」


「"黒鉄の箱"…」

コウが小声でつぶやく。


「それは危険ではないですか?」

孝太が率直に尋ねる。

「世界を再構築するほどの力を一つの装置に」


「危険?」

エリオットが反論する。

「危険なのは現状だ。病気、災害、紛争…この装置は全てを解決できる」


「しかし、多様性は?」

アイリスが問う。

「個性は?選択の自由は?」


「それらは不完全さから生まれる幻想だ」

エリオットの目に狂気的な光が宿る。

「完璧な世界では、すべての選択は最適化される。もはや選ぶ必要すらない」


孝太は箱をじっと見つめた。

この装置が、3000年後の世界で「創造院」によって再び作られ、世界を脅かすことになる。

歴史の始まりを目の当たりにしている感覚に、言いようのない重圧を感じた。


「エリオット」

彼が慎重に言葉を選ぶ。

「あなたはマイラ・カオティカとは意見が合わないようですね」


エリオットの表情が一瞬凍りついた。

「マイラ…彼女と会ったのか?」


「はい」

孝太が答える。

「彼女の『調和』の研究についても知りました」


「調和…」

エリオットが苦々しく言う。

「不完全さを美化するだけの妥協的概念だ。私は妥協しない」


「彼女が言うには」

アイリスが静かに言う。

「不完全さの中にこそ、生命と成長の本質があるとか」


「感傷的な戯言だ」

エリオットの声が冷たくなる。

「彼女は理解していない。私が何を失ったか、何のために戦っているか」


「奥様と娘さんのことですか?」

孝太が静かに尋ねる。


エリオットの顔から血の気が引いた。

「なぜそれを…」


「重要なのは」

孝太が続ける。

「彼女たちの喪失が、あなたを『完璧』への道に導いたことです」


「…そうだ」

エリオットの声が震える。

「彼女たちは救えたはずだ。この不完全な世界さえ、もっと完璧であれば」


「しかし、喪失と悲しみは人生の一部です」

アイリスが優しく言う。

「それを経験することで、私たちは成長します」


「私は成長などいらない!」

エリオットが突然怒りを爆発させる。

「私は彼女たちを返してほしいだけだ!」


レイヴンが緊張した様子で前に出る。

「エリオット様、お気持ちはわかりますが…」


「わかるものか!」

エリオットが叫ぶ。

「誰も理解していない。だから私は一人でも構わない。この箱が完成すれば、全てを元に戻せる」


「それは本当に彼女たちが望むことでしょうか?」

孝太が静かに問いかける。


エリオットは言葉に詰まり、しばらく黙り込んだ。

「何を知っている…」

やがて彼はつぶやいた。

「君たちには私の痛みがわからない」


「痛みは理解できます」

コウが一歩前に出る。

「私も大切なものを失った経験があります。しかし、それを理由に世界を作り変えようとすれば…より大きな悲劇を生むだけではないでしょうか」


エリオットはコウをじっと見つめた。

「君の目…」

彼がつぶやく。

「何かを乗り越えた者の目だ」


「はい」

コウが頷く。

「完璧を求めることの危険を知っています」


一瞬の沈黙の後、エリオットは深いため息をついた。

「もう十分だ。今日の訪問はここまでにしよう」


「一つだけ質問を」

孝太が言う。

「もし、あなたの箱が将来、予想外の危害をもたらすとしたら、どうしますか?」


エリオットは孝太をじっと見つめた。

「それは…起こり得ない」


「しかし、もしも」

孝太が食い下がる。

「もし完璧を求める過程で、より多くの命が失われるとしたら?」


「…それは」

エリオットの目に一瞬、迷いが浮かぶ。

「考慮すべき問題かもしれない」


彼はしばらく黙り込み、そして決断したように言った。

「来週、研究所で重要な実験を行う。『完璧なる調和装置』の初期テストだ」


「私たちも見学できますか?」

アイリスが尋ねる。


「ああ」

エリオットが意外にも頷く。

「君たちの視点も…参考になるかもしれない」


一行は研究所を後にした。

外に出ると、レイヴンは明らかに安堵の表情を見せた。


「無事で良かった」

彼が言う。

「エリオットは最近、感情の起伏が激しくなっている」


「彼の中の葛藤が見えました」

アイリスが静かに言う。

「『完璧』への執着と、人間としての感情の間で揺れている」


「次の実験…」

孝太が考え込む。

「これが創造院の実質的な始まりになるのかもしれない」


「歴史の分岐点だ」

コウが同意する。

「この実験が成功すれば、エリオットの思想は確固たるものになる」


「でも、失敗すれば…」

リーシャが言葉を濁す。


彼らは静かにゼノスの邸宅へと戻った。

到着すると、ゼノスは書斎で彼らを待っていた。


「どうだった?」

ゼノスが心配そうに尋ねる。


「想像以上に…進んでいます」

孝太が答える。

「『黒鉄の箱』は既にほぼ完成していました」


「そして、来週重要な実験があるそうです」

アイリスが付け加える。


ゼノスの表情が曇る。

「なるほど…時が来たようだ」


「ゼノス様」

リーシャが切り出す。

「私たちは何をすべきでしょうか?この実験を…止めるべきですか?」


ゼノスは窓の外を見つめ、深く考え込んだ。

「難しい質問だ」

彼がやがて言った。

「歴史の流れに干渉することの危険は計り知れない。しかし、見過ごすことの責任も同様に重い」


「私たちは観察者として来ました」

コウが言う。

「しかし、もし行動しなければ、未来の悲劇を防げないかもしれない」


「歴史の修正…」

ゼノスが静かに言葉を紡ぐ。

「それは両刃の剣だ。小さな変化が、予想外の大きな結果をもたらすことがある」


「でも」

孝太が決意を込めて言う。

「何もしなければ、創造院は確実に生まれ、3000年後の世界を脅かします」


「私の提案は」

ゼノスが慎重に言う。

「直接止めるのではなく、別の方向に導くことだ」


「どういうことでしょう?」

アイリスが尋ねる。


「エリオットを完全に止めることはできない」

ゼノスが説明する。

「彼の痛みと決意は強すぎる。しかし、彼の研究を『調和』の方向へと微調整することは可能かもしれない」


「マイラの協力が必要ですね」

孝太が理解を示す。


「そう」

ゼノスが頷く。

「二人の天才の協力が、歴史の修正への鍵になる」


その夜、彼らはマイラを再び招き、状況を説明した。

もちろん、未来についての詳細は伏せたまま。


「エリオットの実験…」

マイラが心配そうに言う。

「彼は最近、研究の詳細を私に話さなくなりました」


「彼の箱には、『調和』の要素が欠けています」

アイリスが説明する。

「完全な制御だけを求めるあまり、生命の本質である不確定性を無視しています」


「私にできることがあるなら」

マイラが決意を示す。

「協力します」


彼らは深夜まで計画を練った。

直接実験を妨害するのではなく、エリオットの研究にマイラの「調和」の要素を密かに取り入れる方法を。


「これは歴史の修正になるのか?」

コウが自問する。

「それとも、元々歴史はこうだったのか?」


「時間の流れは複雑だ」

ゼノスが哲学的に答える。

「過去と未来は固定されているようで、実は常に変化している。君たちの行動も、すでに歴史の一部なのかもしれない」


計画が固まり、各自が役割を引き受けた。

マイラは実験の前にエリオットに接触し、和解を試みる。

孝太たちは実験を観察し、必要に応じて介入の準備をする。


「小さな変化が、大きな違いを生む可能性があります」

アイリスが希望を込めて言う。

「エリオットの思想を完全に変えなくても、少しの『調和』があれば、未来は変わるかもしれない」


「私たちにできる最善のことをしよう」

孝太が決意を固める。

「歴史を修正するのではなく、本来あるべき方向に導くために」


窓の外では、二つの月が静かに輝いていた。

一つは銀色に、もう一つは淡い七色に。

それは「完璧」と「調和」の対立を象徴するかのようだった。


来週の実験—それが歴史の分岐点となり、未来の世界の姿を決めることになる。

孝太たちの選択と行動が、3000年後の世界に波紋を広げていくのだ。

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