第101話 完璧への執着
「青の塔」への道は険しかった。
アイリスと孝太は森を抜け、北へと続く山岳地帯を進んでいた。
黒鉄帝国の軍隊を避けるため、彼らは主要道路を避け、山間の細い獣道を選んだ。
「このあたりは"断崖の道"と呼ばれている」
アイリスが急な坂道を上りながら説明する。
「山賊も多いけれど、帝国軍は滅多に来ないわ」
「山賊より軍隊の方が危険だからね」
孝太が周囲を警戒しながら返答する。
途中、彼らは小さな洞窟で休息を取ることにした。
外は雨が降り始め、先に進むには危険すぎた。
「これからどうするつもりなの?」
アイリスが小さな火を起こしながら尋ねる。
「まずはリーシャと合流し、それからコウを探す」
孝太が答える。
「最後にフィンを救い出して、元の時代に戻る」
「単純に聞こえるけど、実際には難しいわね」
アイリスが微笑む。
「そうだね」
孝太も苦笑する。
「特にフィンの救出は...」
「私が気になるのは」
アイリスが真剣な表情になる。
「この世界の"完璧への執着"がどこから来たのかということ」
「ダリウスの話によれば、エリオット・シンという人物からだろう」
孝太が思い出しながら言う。
「でも、なぜ彼はそこまで"完璧"を求めたの?」
アイリスが火を見つめる。
「何が彼をそうさせたのか...」
その時、洞窟の奥から微かな光が漏れているのに気がついた。
「あれは...?」
孝太が立ち上がる。
二人は慎重に洞窟の奥へと進んだ。
壁面に沿って進むと、奥は意外にも広く開けており、小さな地下湖があった。
湖の水面は七色に淡く光り、天井からは結晶が垂れ下がっていた。
「ここは..."記憶の間"ね」
アイリスが驚きの声を上げる。
「"記憶の間"?」
孝太が不思議そうに尋ねる。
「この世界の重要な場所には、過去の記憶が刻まれている場所があるの」
アイリスが説明する。
「私がメイラの記憶の断片を見たように」
彼女は「青の調和石」を取り出した。
結晶が湖の水面に反応し、より強く輝き始める。
「この場所には何かがある」
アイリスが静かに言う。
「過去の重要な記憶...」
彼女は湖の岸辺に座り、瞑想を始めた。
「青の調和石」を掲げると、それが七色に輝き、湖全体が反応して光る。
孝太もその隣に座り、デバッグモードを起動した。
```
Memory_Access_Protocol(
target: "Ancient_Memories",
filter: "Perfection_Origin",
depth: "Maximum"
);
```
青い光が湖面に触れ、水面が揺れ始めた。
やがて水面に映像が浮かび上がる。
それは古代アルカディアの光景—しかし、彼らが訪れた繁栄した都市ではなく、建設初期の姿だった。
映像の中に、一人の若い男性が映っている。
鋭い目と知性に満ちた表情—後のエリオット・シンだろう。
彼は実験室のような場所で、何かの研究に没頭していた。
「彼が...エリオット?」
孝太が尋ねる。
アイリスが静かに頷く。
「彼の初期の姿ね...まだ"完璧"に取り憑かれる前」
映像は進み、エリオットが若い女性と共に研究する様子を映し出した。
女性は優しい笑顔を持ち、彼女もまた熱心に実験に取り組んでいる。
「メイラ・ハーモニアね」
アイリスが言う。
「彼らは共に核の研究を始めた」
二人の科学者は、七つの小さな結晶を調査していた。
それぞれが異なる色で輝いている—核の原初の姿だ。
「彼らの目的は何だったんだろう?」
孝太が尋ねる。
映像は次の場面へと変わった。
エリオットとメイラは大きな会議室にいた。
周りには多くの学者や政治家らしき人々がいる。
エリオットが情熱的に話している。
「核の力は限りない可能性を秘めています。私たちはこの力で世界の全ての問題を解決できるのです」
メイラも頷きながら補足する。
「しかし、慎重に進めるべきです。核の力は自然の調和を乱す可能性もあります」
二人の間には既に微妙な意見の相違があることが窺える。
映像はさらに先へと進み、悲劇的な場面を映し出した。
街の一部が崩壊し、人々が避難している。
どうやら実験が失敗したようだ。
エリオットとメイラは緊急会議を開いていた。
「障害は付き物だ」
エリオットが言う。
「しかし、それを乗り越えて前進しなければならない」
「いいえ、エリオット」
メイラが反論する。
「私たちは自然の摂理に反することをしようとしているのかもしれない。核の力には限界を設けるべきです」
「限界?」
エリオットの表情が変わる。
「完璧な世界を創るのに、限界などあってはならない!」
「完璧な世界?」
メイラが驚く。
「私たちの目的は人々を助けることであって、世界を作り変えることではないはず」
この議論が、二人の決別の始まりだった。
映像は次に、エリオットの個人的な悲劇を映し出した。
彼の妻と幼い娘が病に倒れ、彼は必死に治療法を探していた。
しかし、彼の努力にもかかわらず、二人は亡くなってしまう。
「彼の家族が...」
孝太が心を痛める。
エリオットの悲しみは、やがて怒りへと変わった。
「不完全な世界が彼女たちを奪った」
彼が研究室で独り言つ。
「もし世界が完璧なら、病も苦しみもなかったはず」
それから彼の研究は過激になっていった。
核の力を使って世界を完全に作り変えようとする試み。
自然の摂理に反してでも、「完璧」を追求する姿勢。
メイラはそれに強く反対した。
「エリオット、あなたは道を踏み外している」
彼女が懇願する。
「完璧への執着は、新たな苦しみを生むだけよ」
「お前には分からない!」
エリオットが怒りに任せて叫ぶ。
「私は二度と誰も失いたくない。そのためには、この不完全な世界を作り変えるしかないんだ!」
ついに二人は完全に別れた。
エリオットは「黒鉄の箱」の製作に着手し、メイラは「調和の石」を作り始めた。
「彼の悲しみが"完璧"への執着を生んだのか...」
アイリスがつぶやく。
映像は最後の場面を映し出した。
年老いたエリオットが巨大な装置の前に立っている。
彼の顔には疲労と狂気が混じった表情があった。
「私の作品は完成した」
彼が言う。
「これで世界は完璧になる。もう誰も苦しまなくていい」
しかし、彼の試みは失敗した。
装置が暴走し、エリオット自身も巻き込まれる大爆発が起きた。
「最初の"大災厄"...」
アイリスが静かに言う。
映像は消え、湖面は再び静かになった。
二人はしばらくの間、黙って座っていた。
「エリオットの思いは理解できる」
孝太が静かに言う。
「大切な人を失った悲しみから、世界の不完全さを憎んだんだ」
「でも、彼の間違いは"完璧"そのものを追求したこと」
アイリスが答える。
「完璧な世界には多様性も成長もないわ。生命の本質は不完全さの中にこそある」
「それがメイラの言う"調和"...」
孝太が理解を示す。
「そう」
アイリスが頷く。
「不完全さを受け入れながらも、全体のバランスを保つこと。それが"調和"の本質」
彼らは洞窟から出て、再び旅を続けた。
雨は止み、空には虹がかかっていた。
「エリオットの思想が創造院に引き継がれ、ルザンを通じて3000年も続いたんだ」
孝太が考え込む。
「人の悲しみと怒りは強力よ」
アイリスが応える。
「特に"完璧"という甘美な誘惑と結びつくと」
「我々が戦っているのは、単なる悪ではない」
孝太が理解する。
「深い悲しみから生まれた歪んだ願いなんだ」
二人は山を登りきり、遠くに「青の塔」を見つけた。
しかし、その周囲には黒い点々が見える—帝国軍だ。
「リーシャが危険だ」
孝太の声に緊張が走る。
「塔は包囲されているわ」
アイリスが厳しい表情になる。
「どうする?」
孝太が尋ねる。
「"変化"の力で近づきましょう」
アイリスが「青の調和石」を取り出す。
「でも、その前に話しておきたいことがある」
彼女は真剣な表情で孝太を見つめた。
「"完璧への執着"は誰の心にも潜んでいる。私たちでさえね」
「どういう意味だ?」
孝太が不思議そうに尋ねる。
「フィンを黒鉄帝国から救い出したいという気持ち」
アイリスが静かに言う。
「それは正しいけれど、その裏には"全てを思い通りにしたい"という願望も潜んでいるかもしれない」
「...なるほど」
孝太が少し考え込む。
「私たちの使命は世界を"完璧"にすることではなく、"調和"を守ること」
アイリスが続ける。
「それは時に、痛みや喪失を受け入れることも意味するわ」
「フィンのことを言っているの?」
孝太が鋭く尋ねる。
「いいえ」
アイリスが首を振る。
「彼を救うつもりよ。ただ、その過程で"完璧"への執着に陥らないように警告しているだけ」
孝太は深く息を吐いた。
「分かったよ。"調和"の道を忘れないようにする」
「では、行きましょう」
アイリスが微笑む。
「リーシャを助けに」
「青の調和石」が輝き始め、二人の周りに霧が生まれた。
その霧の中を歩きながら、彼らは塔へと向かった。
霧は彼らを敵の目から隠し、安全な通路を作り出す。
塔に近づくにつれ、孝太は考え続けていた。
エリオットの悲劇、彼の「完璧」への執着、そして創造院への道。
それは単純な善悪の物語ではなく、人間の深い感情から生まれた歪みだった。
「我々は同じ過ちを繰り返さない」
孝太は心に誓った。
「不完全さの中の"調和"を守るために」
塔の壁に到達すると、アイリスはさらに力を使い、壁に小さな開口部を作った。
二人はそこから塔内に滑り込んだ。
「中に入れたぞ」
孝太が安堵の息を吐く。
「リーシャを探しましょう」
アイリスが言う。
「そして、"完璧への執着"の連鎖を断ち切るのよ」
塔の内部は予想外に広く、螺旋階段が中心部を上下に伸びていた。
二人は静かに階段を上り始め、リーシャを探した。
そして、この世界の歴史を変える戦いへと向かっていった。
不完全でありながらも調和する世界—その価値を守るために。