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終末世界で微かな救いを  作者: 山田太郎
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一握りの希望


 『魔族』人類種が台頭していた世界でその種族は突如として姿を現した。

 浅黒い肌に赤い瞳、人間と酷似したような容姿で額に角を生やしたその種族は並外れた力と魔法を持って次々と人間の国を襲い始めた。

 村が呑まれ、街が呑まれ、国が呑まれる。人類の抵抗も虚しく、数年経つころには大陸における殆どの土地を魔族が支配するようになっていた。

 大陸の支配者の地位を追われた人間たちは、魔族の食料として支配され、その命を弄ばれるようになった。

 魔族の支配を免れた人間たちは、魔族の影に怯え自害するか、食料もまともに得ることが出来ないまま、どうしようもない飢えのなかで死んでいった。

 人間にとっての地獄。少女、キサキはそんな世界で生きていた。

 行き先もわからぬまま、明日自分が生きているかすらもわからぬまま生きていたのだ。

 



 繁殖地二十二区、そこが少女の生まれた土地であり育ってきた場所であった。

 齢にして十五、その年齢の家畜には重要な選択が迫られる。

 新たな家畜の母体となるか、それとも魔族が食す食料となるか、キサキにとってこの選択はどちらをとっても地獄でしかない。

 しかし、その選択をしなくてはならない時が迫っていた。


「ここで終わるのもいいのかな」


 割り当てられた部屋の中、寝床で横になりながらキサキは呟く。

 この場所で生きてきた十数年間、キサキが嬉しいと思えた様な事などほとんどなかった。

 辛くて、苦しくて、寂しいだけの人生。それならば終わらせてしまった方がいい。そんな考えが脳裏をよぎった。

 キサキは誘われるように窓際に行くと、その縁に足をかける。

 不思議と恐怖はなかった。ただ、ようやく終われる。そんな思いがキサキの中を支配していた。

 目を瞑り、窓の外へと身を投げ出す。

 急速に落下していく体、だが、キサキが予想していたような衝撃が来ることはなかった。


「ギリギリセーフってとこか?」


 どこか安堵したかのような声、その声にキサキは自殺が失敗したことを悟ると目を開く。

 片目を隠す眼帯にくすんだ白い髪、キサキの無事を確認してほっと息を漏らしたその少年はみるからにどこにでもいそうな普通の少年だった。


「どうして助けたの?」


 お礼を言わなければならない。そのはずなのに、キサキの口から零れた言葉には敵意が満ち溢れていた。

 狂犬のような目で少年を睨みつけるキサキ、少年はそれを気にする様子もなく口を開く。


「目の前にいたからだよ。見えてて放置するのも寝覚めが悪いしな」

「……助けてもらいたくなんてなかった」

「まあそう言うな。俺は目の前で誰かが死ななくてよかったよ」

 

 敵意に満ちたキサキの言葉に少年は飛び切りの笑顔で返す。

 普通の人なら機嫌を損ねたとしてもおかしくない態度、それでも笑顔で言葉を返してくる少年を見ているとキサキは自分が怒っているのが酷く馬鹿らしく思えた。


「……はぁ。もういいわ」


 キサキはため息をつくと少年へと忌々しそうに目を向ける。


「理不尽に怒ったのは謝る。それだけ」

「おう。今度は俺に見つからないようにしろよ」


 そういって少年は去っていくキサキへと手を振る。

 それを横目で見ながらキサキは自分の部屋へと戻ろうとするが、ふと何かを思い立ったかのように途中で足を止めた。

 なんてことはない。ただ、少し部屋に帰るのが億劫になっただけだ。

 キサキは自らを納得させるように言い訳を並べると、少し戻り地面へと座った少年の横に腰掛ける。


「戻るんじゃないのか?」

「別に、面倒になっただけよ」


 少年の追及にキサキは目をそらしながら答える。


「ふーん」


 少年も深く聞くつもりなどないようにキサキの言葉を軽く流した。

 今だけはその適当さが好ましく、ただキサキは孤独ではない夜を数年ぶりに味わっていた。


「ねえ、どうしてこんなところに居たの?」


 ふと、キサキは気になっていたことを少年に聞く。今の時間は深夜も深夜、普通の人たちはもう寝静まっている時間だった。

 脱出しようとしているならまだわかる。だが、少年はそんな様子も見せずに外に居た。それが気になっていたのだ。

 少年はその問いかけに恥ずかしそうに頭を掻きながら答える。


「まあ、夜空を見るのが好きなんだ。だから夜空を見に来てた。俺の部屋じゃ窓がなくてみえないしな」


 ほら、見てみろよ。少年は空を指さしながら言う。

 キサキはその言葉に従うと少年と同じように空を見上げた。

 広大な大空一面に広がる星々に雨のように空に降る流れ星、眼前に広がる夜の芸術にキサキは思わず目を奪われた。


「いいもんだろ?」


 少年がそう語り掛けるとキサキは小さく頷く。

 正直に言えばキサキは夜が嫌いだった。キサキにとって夜とは恐怖を運んでくる悪魔。孤独を運び込み、寂しさを、悲しみを持った記憶を呼び覚ます悪魔だった。

 だが、今キサキを照らす月明かりと夜空に広がる芸術はキサキの心に安らぎを届ける天使のようでもあった。


「……ええ。存外悪くないわ」


 唯一言葉に出せたのはそれだけで、キサキの胸の中はこの一言だけでは表せぬほどの感動で満ち溢れていた。

 静かな空間に風の吹く音だけが聞こえる。

 二人で夜空を見上げているだけの空間、二人は何も言葉を発していなかったが、それは決して嫌な沈黙ではなかった。


「……あんたはずっとここに居て幸せになれると思うか?」


 ふと、少年が口に出した言葉、キサキはその問いかけに戸惑いを隠せずに答えた。


「いきなり何よ?」

「暇つぶしだよ。こういう問答も面白いだろ?」


 ニヤリと笑いながら言う少年に何処か納得できないながらもキサキは答える。


「少なくともここに居るなら最低限の暮らしは出来るわ。寝床もあるしご飯も食べれる」

「だから幸せか?」

「……」


 少年の言葉にキサキは言葉を詰まらせた。

 少なくともここに居れば衣食住に困ることはない。家畜用の餌は自給自足され、衣服や住居も魔族によって用意されている。

 だから幸せなのか、それについてはキサキは首を縦に振ることはできなかった。

 ここでの生活にはいつ死ぬかもわからぬ恐怖が付き纏っている。

 昨日話していた人が明日にはいなくなっているなんてことも繁殖区では当たり前のこと。

 故に、この場所で過ごせて幸せ。そんな嘘はキサキには口が裂けても言えないことだった。

 

「……ここは地獄よ。地上の地獄。でも、私達はここで生きることしかできない」


 昔、この繁殖区で魔族の支配から抜け出そうという動きがあった。いくら魔族と言えども数百人が束になり戦えば勝てるっていう動きが。

 だが、その結果は悲惨なものだった。数百人いた人間のほとんどがほんの数十秒でミンチとなり命を散らした。辛うじて生き残った人間も魔族から呪いを受け、死ぬまで苦しみもがき続けた。

 それを見てキサキは理解したのだ。あれはああいう生き物だと、魔族を倒して支配から逃れようなんて不可能なのだと。

 この繁殖区では最低限の生活が保障されている。食事もとれれば服も着れる。それだけでいいのだ。変化は要らない、幸せも必要ない。苦痛なく死ねる時を待てばいい。それが短い人生の中でキサキが思い立った答えであった。


「他の場所で暮らしたいって思ったことはないのか?」

「あるわ。何度も何度もそう思ってきた。でも無理。身体が震えて動かないの」


 今でも夢を見るのだ。

 人がミンチになる夢を、人が腐り果てていく姿を。だから、キサキは諦めた。反逆することを、幸せを願うことを。キサキの心はもう完膚なきまでに叩き折られてしまったのだ。


「あなた、ここの人間じゃないでしょ?」


 半ば確信しての問いかけだった。その問いかけに少年は笑顔で答える。


「そうだよ。よくわかったな」

「違うもの。あなたの目にはまだ光があるわ。私達にはない光がある」


 この世界に居ると知らず知らずのうちに目が腐ってしまう。希望のない明日に打ち震えいつの間にか光を失ってしまう。

 だが、この少年にはそれがあったのだ。最初は誰もが持っていて誰もが失くしてしまうものが、だから焦がれ、それよりも疎ましく思えてしまう。


「あなたはここに何をしに来たの?」


 外で暮らせていた人間ならこんなところに来る意味などない。だが、少年はここに来た。何かをしにここに来たのだ。

 その理由をキサキは知りたかった。自由な生活を捨て、この地獄に降り立った理由を。

 キサキの真剣な目に気圧されてか、笑みを浮かべていた少年の顔は真剣なものへと色を変えていく。


「俺はこの繁殖区を壊しに来た。魔族を追いやって人間の世界を作るために」

「……不可能だわ」


 その言葉はキサキが思っているよりもすっぱりと出た。

 人間の世界を作る? そんなことは不可能だ。キサキの中にある過去の記憶がそれを主張してくる。

 人間の世界など作れやしない。人間は魔族に支配されることしかできない。そんな世界に焦がれているからこその否定が絶え間なくキサキの頭に浮かび上がった。

 

「人間が魔族に勝てるわけがないわ。無駄死にするだけよ」

「でも何もしなければ変わらないだろ? 何もしなければ何も始まらない。零を一にしなくちゃ変えられない」


 強い意志を宿した瞳で少年が語る。

 何もしなければ変わらない。何もしなければ望む明日は来ない。少年が言っているのは至極まっとうなことだとキサキは思った。

 だがこうも思ってしまったのだ。何もしなければこれ以上酷い世界に住まなくていい。魔族を下手に刺激してより酷い世界にしなくていいと。

 希望を見て辛い目に合うくらいなら、目を瞑ってこの世界に希望はないのだと思い込んだままで過ごしていた方がいいと。

 

「あなたは知らないだけ。魔族の怖さを知ったらあなただって動けなくなる」


 負け惜しみのように出た言葉はそれだけだった。

 少年は魔族の強さを知らないのかもしれない。けれど前に進もうとしている。

 その勇気と強さを知りながらキサキは自分の弱さから目を逸らすことしかできなかった。


「……俺はあんたがどんな目にあったかなんて知らない。想像も出来ない。でもいつか作ってみたいんだ。みんなが笑って過ごせる世界を」

「……そんなの無理よ」


 口に出来たのは想像よりも弱い否定だった。

 みんなが笑って過ごせる世界、そんな世界が出来たらどれだけ幸せなのだろう。

 少年が語る夢を信じてみたい。心からそう思う。だが、それでも、魔族への恐怖がキサキを縛り付ける。


「私はこんな世界じゃ夢を語れない」


 そう言い残すとキサキはその場から去る。

 酷く歪んだ顔を見られぬように、情けなく零れる涙を見られぬように。







 判別の日、その日を迎えたキサキの心情は驚くほどに穏やかだった。

 荷物とも言えぬ自分の数少ない持ち物を片付けるとキサキはほっと一息つく。

 随分と物の少ない部屋、キサキは自らの部屋を見回していると、机に一つ置かれていた髪飾りが目についた。


「これは姉さんの」


 それは少女が処分される前にキサキに渡した贈り物、いつも彼女が着けていた髪飾りだった。

 彼女のことを思い出さぬようにと無意識に避けていたもの、キサキはそれを手に取ると何となしに髪に着けた。

 人生の数少ない黄金の思い出、思えばそれは彼女と共にあった。

 夜中に部屋を抜け出して二人で夜空を見上げたのを覚えている。ボロボロの絵本を読み聞かせてくれたことを覚えている。

 血のつながりなどはなかった。しかし、キサキにとって彼女こそが自分の姉だった。

 感傷に浸りながらも、キサキは古くなりページが擦り切れてしまった絵本を読む。

 それはありふれたお話。お姫様が悪い魔物に攫われて王子様に助けられるというお話だった。

 単純明快な作り話、それはご都合主義にまみれた物語。

 それでも、誰も傷つかずに誰もが救われたその物語はキサキの目には輝いて見えた。


「みんなが笑顔でいられる世界。か」


 ポツリとキサキが呟く。少年が願った世界、それが叶わぬものだと知りながらもキサキはそんな世界に思いを馳せた。


 夕刻、太陽が沈み始めたその時にようやくキサキの生死を決める儀式が始まった。

 その姿かたちは人間そのまま、しかしその頭から生えている大きな角と血に染まったように赤い瞳がその生物が人間でないことを証明している。

 目の前にいるだけでわかる生物としての圧倒的格の違い。

 キサキはその生物の前に跪くと言葉を待つように頭を下げた。

 重く、押しつぶされるような重圧の中、その魔族が口を開く。


「久しいな。クーデターの首謀者だったか?」

「……はい。あれは愚かな行為だったと猛省しております」

「良い。あれのお陰で我の魔法を試せたのだからな」


 愉快なものを思い出したと魔族は声を抑えながら笑う。


「出来る限り苦しんで死ぬように調整したのが上手くいったようで良かったよ。あの愉快な悲鳴は今でも時折思い出す」


 邪悪に歪む魔族の顔、キサキは自分の中にあった魔族への恐怖が怒りへと変わっていくのを感じた。

 

「どうしてあなたは、魔族は、人間をゴミのように扱うの?」


 敬語で話すことなど出来なかった。ただ目の前存在する害獣への怒りがキサキの頭を支配していた。

 キサキが睨みつければ、魔族は愉快なものを見るように口角を上げる。


「それが仕事だからだ。と言いたいところだが、単純なことだ。お前らが嘆き、傷つくのを見るのが好きだから。たったそれだけの事だ」

「良心が痛まないの?」

「良心が痛む? そんなわけないだろう。お前は蟻を踏み潰すだけで良心が痛むのか? それが答えだ」


 さも当然のように答える魔族にキサキは完全に理解した。

 いくら姿かたちが似ていようがこの生物は人間とは全く違う生物なのだと。

 彼らにとっての娯楽が人間を殺し、嬲ること、根本のところで人とわかり合うことが出来ない生物、それが魔族なのだと。

 歯を食いしばり飛び出そうになる拳を抑えながらキサキは魔族への最後の問いを投げかける。


「姉さんの子供を目の前で食べたのも楽しかった?」

「姉さん? ああ、お前が世話役だった母体か。あれは傑作だった」


 おかしいものを思い出すかのように魔族は手を叩き笑いながら答える。


「子を失った母親はああも壊れるのだなと学んだよ。確か子の亡骸を抱き微笑みかけていたっけな」


 最大限馬鹿にするように魔族はその母親のまねごとをして架空の子を抱くように胸に間を作り何もない空間へと微笑みかける。

 その微笑みがあまりにも邪悪で、小馬鹿にしているように感じて、キサキは拳を抑えることが出来なかった。

 怒りのままに振るわれた拳は魔族の指一本によって止められる。

 全力で放ったはずなのに指一本で止められる脆弱さ、あまりにも隔絶した力の差にキサキは悔しさから涙を流す。


「泣いたか! 愉快! 愉快!」


 目の前で大笑いする魔族、それを見るキサキの頭の中は怒りに満ち溢れていた。

 それは目の前に存在する魔族に向けられたものだけではない。この最低な魔族を倒すことを出来ない自分の弱さに、心の隅でようやく終われると思っている自分の心に、キサキは強い怒りを覚えていのだ。

 

「我を存分に楽しませてくれた褒美だ。お前には我らが食糧となる栄誉を与えよう」


 そういうと魔族の手がキサキの前に翳される。

 濃厚に感じる死の気配。こんなところで終わるのか、そう思ったキサキの頭に流れ出したのはなんてことのない走馬灯のようなものだった。


「え? 貴方の名前の由来?」


 それを聞いたことに特に意味はなかった。

 ふとした時に気になったから聞いただけの事、キサキがそれ聞くと少女は嬉しそうにほほえんだ。


「貴方がね、絵本に出てくるお妃様みたいに綺麗だったからそう名付けたの。それにキサキって名前って一文字変えるとキセキってなるんだよ? それがいいなって思ってね」

「……」


 何処か不貞腐れた様子で頬を膨らませるキサキ、少女はそんなキサキを見ると優しく頭を撫でる。


「安直だと思う? でもね、貴方が無事に生まれてくれたことも育ってくれたことも私にとっては奇跡だったの。キサキはこの世界に希望も奇跡もないと言うけどね、私にはあったわ。だってあなたがこうして私の前にいてくれるのだもの」


 そういって笑った少女。壊れてしまった彼女を見て封印していた記憶、この地獄を過ごすにはあまりにも眩しかった記憶をキサキは思い出した。

 いい人だった。救われなければいけない人だった。だがこの世界ではそんな人も救われない。家畜のように生きて死ぬことしかできない。

 そんな世界を変えたくて、魔族へと反逆を決意して、そして、折れた。圧倒的な差、根本的な生物としての差を見せつけられた虐殺はたった一匹の家畜を証人として残し終幕したのだ。


「ごめんね。姉さん」


 私は何も変えられなった。あなたのような人が生まれる世界を変えられなかった。そんな後悔を背負い、終わりに備え目を瞑る。

 永遠にも思える刹那、いくら待とうともキサキに衝撃が来ることはなかった。

 何か起こったのかと疑い、恐る恐る目を開ける。薄らとした視界の中、キサキの目に映ったのはボサボサとした白髪に意志の強そうな目をした一人の少年の姿だった。


「あなた、どうして……」

「言ったろ? 俺は目の前にいる人間を見捨てないってな」




 


「お前何者だ?」


 突然の乱入者、更に攻撃を防いだものの乱入に魔族は鋭い視線を向ける。

 そんな視線を向けられた当人はそれを気にするでもなく、散歩に来たような雰囲気を纏わせ、震えるキサキに声を掛けた。


「任せとけ」


 たった一言だった。

 優しく、慈しむように少年はキサキに言うと振り返り、魔族へと言葉を贈る。


「殺されにでも来たのか?」

「まさか。こっちが殺しに来たんだよ」

「……人間が、生意気なことを」

「そう言っていられるのも今の内だがな」


 ニヤリと少年が笑みを浮かべる。それは、キサキに向けた様な純粋な笑みではなく、敵に向けるような邪悪さが宿ったような笑みだった。


「戯言を」


 その言葉と共に魔族は攻撃を仕掛ける。

 小手調べのように少年の周囲を襲う魔法、灼熱の炎に雷撃、少年はそれをくらうことなく、キサキを抱えながらも綺麗に避けていく。

 

「避けていても話にならんぞ!」


 当たらない攻撃に苛立ちを滲ませながら魔族の攻撃はどんどん苛烈になっていく。

 浮かび上がる魔法陣は二つから五つへと増え、そこから放たれた攻撃は少年を追尾するようになっていく。

 だが、当たらない。魔族の放つ攻撃はすらりすらりと避けられていく。

 そのあまりの当たらなさに、魔族は自分の放つ魔法が少年の事を避けているとも思えてしまった。


「ノーコンかよ。あたる気配すらしないぞ?」


 あからさまな少年の挑発に乗り、魔族の魔法は威力が強くなっていく一方、少年へと当たる気配が更になくなっていく。

 人間に舐められるということが魔族の怒りを深めていき、無尽蔵とも思える魔族の魔力を消費させていく。

 当たらぬ攻撃、こちらを煽る少年、魔族はその二点を思い、思い切り自らの頭を殴った。

 額から零れる血液、突然の自傷に少年は戸惑いながらもいつでも回避できるように体勢を整える。

 瞬間――濃密に漂う死の気配、それを感じるとともに少年は回避を行うと、いままで少年のいた場所には大きな破壊痕が出来上がっていた。

 舞い上がる土煙の中から一つの影が出てくる。

 額の大きな角は赤黒く変色しており、赤黒い魔力が魔族の周りに漂っていた。


「昔からそうだ。魔法に頼るとどうも弱くなる」


 魔族が一歩踏み出すごとに周りの空気がひりつく。

 数秒前とはあまりにも違う雰囲気とその強さに少年は警戒をより深めた。


「おいおい戦闘中にイメチェンか? 似合ってねえぞ。その角の色」

「挑発にしては見えすぎてるな。時間稼ぎか? あの家畜がこの場から逃げるための」


 読まれている。少年は確信しているような魔族の問いに息を呑んだ。

 この魔族がキサキを庇って戦える程度の相手ではないと理解した少年はキサキをこの場所から逃がしていたのだ。

 出来るだけ時間を稼いだ後に魔族と戦う。その少年の意図を魔族は読み取り、それを鼻で笑った。


「そう警戒するでない。今はあれが逃げるのを邪魔をするつもりはない」

「信じられるとでも思うか?」

「信じなくともよい。我はただ貴様の本気を見てみたいだけだからな」

「俺は嫌だよ。お前みたいな物理ゴリラ相手にするの」

「そういうな。楽しませてもらおう。久方ぶりの『戦い』だ」


 そういうと魔族は少年の視界から掻き消える。

 転移などではない。ただの早さでの瞬間移動、少年は攻撃の気配を感じ取るが、それを避け切ることが出来ず吹き飛ばされる。

 軽く掠っただけでこの威力。もろに喰らったらおしまいだなと少年は一人ごちる。

 自分の目で追うことはできない。だが、気配自体は感じることが出来る。それなら勝機はあると少年は自らに活を入れる。

 

「まさかこれで終わりとは言うまいな」

「それこそまさかだ。それにすぐ追撃しないなんてまだ俺の事を舐め腐ってんのか?」

「いいよる。ならそれだけの価値を見せてみろ」


 再び少年の視界から掻き消える魔族、少年はその気配を察知すると、今度はその攻撃を避けるではなく受け流すとカウンターとばかりに魔族の顎を殴り上げた。

 部屋中に響く轟音、その音とともに魔族の巨体がゆっくり倒れる。

 少年は存分に警戒しながらも止めを刺すべく魔族へと近づく。

 確実に息の根を止める為に頭を刈り落そうとしたその時、少年の腹部に予想だにしない衝撃が襲った。


「昔人間の本を読んだ。顎を攻撃して脳に衝撃を与えるんだってな。だから我はお前の攻撃を受ける瞬間に衝撃を喰らいすぎないように首を反らせた。一か八かだったが勝利の女神は我に微笑んだようだな」

 

 勝利を確信したかのように笑みを深める魔族。

 少年は攻撃を喰らい膝から崩れ落ちると、何かおかしなものをみたかのように声をあげながら笑った。


「……狂ったか?」


 血を吹き出しながら笑う少年に魔族は気が触れたかと疑う。

 

「使うつもりはなかったんだけどな」


 そういうと同時に少年は何かを唱え始める。纏う空気が変わり、辺りに濃密な死の空気が漂い出す。

 膨れ上がる恐怖心、闘争心を震え上がらせるほどの空気感、魔族は気付かぬうちに震え上がっていた身体を押さえつけると、息の根を止めるべく少年に襲いかかる。


「」


 少年が何かを唱える。

 それを認識した時、魔族の意識は消えてなくなった。







 

 キサキは走る。戦場から身を遠ざけるように。キサキは走る。建物の中にいる他の人間たちを巻き込みつつも。走って、走って、そして止まった。

 キサキは皆をつれ建物の外へ出ると、未だ戦っているであろう少年の事を思う。

 あの場に留まったところでキサキに出来ることなど何一つとしてなかっただろう。むしろ少年の足を引っ張るだけ、だから逃げることは正しかった。

 それでも思ってしまうのだ。もし自分に力があったら少なくとも援護は出来たのではないかと、少しでも魔族との戦いで有利に進めていたのではないかと。

 そんな後悔をしてキサキは建物へと目を向けた。

 建物から出てくる一つの影、血まみれでボロボロになりながらもこちらへと進んでくる影、足を引きずりながらを進むその少年の姿が見えた瞬間、キサキは少年に駆け寄っていく。


「あなた、その傷!」

「あ? まあ、擦り傷だよ」

「足取りふらふら! それに顔色も酷い。治療するから来なさい!」


 少年の顔は死人のように青白く、今でも止めどなく血液が流れ出している。素人目で見てもかなり危険な状態だった。

 死なせない。キサキは強い思いを持って少年を治療していく。キサキは自らの『能力』を使い、他の人のを借りながらも少年の治療を完遂させた。

 キサキは眠りにつく少年の顔を見つめる。

 まだあどけなさが残る自分と同じくらいの年齢の少年、キサキ少年の寝顔を見つめると、そっと頬を撫でた。

 意識を取り戻すのに最低でも数日は必要だろう。そんなキサキの見込みは外れ、少年は治療が終わった後、数時間で意識を取り戻した。

 少年の回復力にキサキは驚きつつも、しっかりと治ったことに安堵して、ほっと息をつく。

 

「待ちくたびれたわ」

「わりいな。でも、ちゃんと仕事はしてきたぞ」


 ニカッと笑みを浮かべると少年、それを見て、キサキは少年が魔族を倒してくれたということを理解した。


「……終わった。のよね」


 現実感のないまま、噛み締めるようにキサキは呟く。

 まさか魔族の支配から解放される日が来るなど夢にも思っていなかったのだ。ずっとずーっとあの狭い牢獄で死ぬのだと本気で思っていた。

 だが、それも終わった。キサキは魔族の支配から解放された今日を生きている。

 やっと終わったのだ。死にゆくものを見ていることしかできない毎日が、光はないのだと自分に言い聞かせる毎日が。

 そう思うとずっと押し込めていた感情が零れだした。


「……怖かった」

「ああ」

「寂しかった。苦しかった。もう死にたいって思ってた」

「ああ」


 溢れ出す。言葉と涙が。魂の慟哭が。

 十数年間溜まっていた膿を吐き出すかのようにキサキは涙を流し続けた。

 泣いて、泣いて泣き疲れて、そっと貸される胸に身を預けると、キサキは数年ぶりにぐっすりと眠った。


「忘れなさい」


 一通り泣いた後、キサキは頬を朱色に染めながら少年を指さした。

 一生の不覚だ。辱めだ。あって間もない男に身を預けるなど。

 キサキは先程の自分の行動を思い出すと羞恥心で頭がおかしくなりそうになった。


「まあまあ、減るもんじゃねえしな」

「減るのよ! 私の中の何かが!」


 キサキはそう言いながらどうでもいいだろうという顔をしている少年に詰め寄る。

 

「いい? 忘れなさい」

「はいよ」


 キサキが言えば少年は非常に面倒くさそうに返事する。

 二人がそんなくだらない会話をしていると。どこからか声が上がってきた。

 

「朝日だ」


 崩壊した建物の隙間から日光が漏れ出してくる。眩い光が辺りを照らし始める。

 夜が更け、日が回り、朝がやってくる。それはいつも見ていた当たり前の光景、だが、その朝日はいつもより格段に綺麗に見えた。


「ねえ、あなたはこれからどうするの?」


 それはキサキがずっと気になっていたことだった。

 みんなが笑える世界を作る。それは分かったが少年がそのためにどうするのかがわからない。

 その質問に少年は頭を掻きながら答える。


「まあ、また旅に出るかな。そして繁殖区を壊す。その繰り返しだ」


 なんでもないように振舞う少年。

 だが、キサキにはそう語る少年の空気が何処か淀んでいるようにも見えた。まるで絶対に成し遂げなければならない。そんな強迫観念にも似たようなものがそこにあるように思えた。

 だからだろうか、キサキがその言葉を口にしたのは。


「私も連れてって」

「無理だ。危険すぎる」


 強い拒絶の感情、それを受けてもなおキサキの意思は固かった。


「私は魔眼を持ってる。能力は生物と物の時間を止めること」


 魔眼、その言葉を聞いた後、少年の顔に驚きが浮かぶ。

 魔眼というのはその持ち主に特殊な能力を与えるもの、その魔眼によって異なる能力を有し、決して魔法などでは再現することの出来ない能力を生む希少なものだった。

 魔眼は誰にでも備わるものでなければ、そう生まれるものでもない。

 故に人間魔族問わずそれを狙うものは多かった。


「それを俺に言ってどうして欲しいんだ?」

「この魔眼に気付かれたら人間にも魔族にも狙われる。だから私を助けて」


 この言葉はズルい。キサキはそう思いながらも口にした。

 沈黙。少年はキサキの言葉を聞くと、考える様な素振りを見せる。

 そして、大きくため息をつくと、頭を抱えながら口を開いた。


「戦闘には参加させない。言うことを聞く。それが出来るならいい」

「わかったわ。それと、ありがとう。あなたのおかげで私達は救われた。本当に、ありがとう」


 溜め込んだ想いを込めてキサキは少年に感謝を伝える。

 あなたがいなければ自由になどなれなかった。あなたがいなければ姉さんの仇を取れなかった。

 キサキの言葉に込められた強い感謝の想いに少年は照れくさそうに顔を逸らす。


「別にいいよ。目の前で困ってるやつを放っておくのは寝覚めが悪いからな」

「そうだったとしてもありがとう。あなたが居てくれて本当に良かったわ」

「……そっか。それなら良かった」


 その言葉を聞くと、少年は嬉しそうに頷く。 

 キサキは、ずっと気になっていたことを聞くように少年に声を掛けた。


「ねえ、あなたの名前なんて言うの?」

「……シロ。ただのシロだ。あんたの名前は?」

「私はキサキ。ただのキサキよ」


 晴れ渡る空を見上げると、小鳥達が空を飛び、新たな場所へと旅立っていく姿が見える。

 小鳥達の新たな門出、キサキには、それがここに居た自分達の新たな門出を祝っているようにも見えた。



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