3-10 振り返らずに
皮肉にも、息子さんが町を離れた原因は、食堂のおじさんの反対があったからだったそうだ。
おじさんの反対を振り切り、冒険者となってこの町を出た彼は、隣の町で見つけた冒険者とパーティーを組んだ。だがその仲間たちは、あまり素行の良い連中ではなかったようだ。
リーダーがどこからか受けてきた依頼は、あの森での月牙狼の討伐依頼、あの狼の毛皮をとって来いと、そういう内容だったそうだ。
しかし彼らの実力よりも、月牙狼は強かった。
依頼は失敗し、連中は傷ついた息子さんを囮にして逃げ出したのだ。
「ああ、なるほど。それで月牙狼はそいつを食ったんだな」
ヴィーさんの言葉に、セリオンさんは淡々と応える。
「はい。そうしてあの月牙狼は、息子さんの内にあった『黒い魔力』を取り込んだのでしょう。その『黒い魔力』に狂わされた狼は、さらに魔力を取り込もうとこの町にやってきた」
おじさんに「帰ってこい」と呼ばれ続けた息子さんの魂は、おじさんの『黒い魔力』によってレイスとなってあの家に帰った。
「あの父親は、おそらく先祖返りだろう。あの父親の祖先に『神魔族』が居たんだろうな」
……神魔族…… あの戦いの最中に聞いた名前だ。
『魔族』、なら知っている。
それは子供でも知っている物語だ。
遥か昔、この世界の裏側からやってきた異形の種族たちは、『魔族』と呼ばれた。
『魔王』と呼ばれる存在に率いられた魔族たちは、この世界を暴力を以て統べようとした。
しかし何者かによって『魔王』は倒され、『魔族』は姿を消した。
元の世界に帰ったのだとも、この世界に身を潜めているのだとも伝えられている。
「『魔族』の中でも上位の種族は『神魔族』と呼ばれる。彼らは個体差はあるが、基本的には人間とあまり変わらない姿をしている。そして『神魔族』のなかに、人の間に紛れ込んだ者もいたんだろう」
そのうちの一人が、あのおじさんの祖先にいたのだろうと、ジャウマさんは言った。
『黒い魔力』に惹かれた月牙狼がこの町に現れ、冒険者ギルドはその討伐依頼を出した。
「月牙狼を最初に倒した冒険者たちは、嘘をついたわけではなかったんだな」
「本当に倒していた、ということですか?」
ジャウマさんは、僕に頷いてみせ、さらに言葉を続ける。
「でもその時にはもう、あの月牙狼は『黒い魔力』を手に入れていた。それと月の魔力とで月牙狼もレイスになったんだろう。それ以降の討伐は、まあ失敗は当然だろう。実体がなかったんだからな」
「あの青年がレイスになったのは、父親が息子に寄せた心残りの所為もある。そして、あの月牙狼にも心残りが……」
セリオンさんはそこで言葉を止めた。
多分、僕と同じことを皆も思っている。
多分、僕と同じように、あの仔狼のことを考えている。
『願わくは、あの子を――』
それは僕にだけ聞こえた、月牙狼の最期の言葉。
あの仔狼はひどく痩せていた。
まだ自分で狩ることができないうちに、親を失って独りになってしまったのだろう。
あの月牙狼のレイスは、満月の晩にしか実体を持つことができない。
満月の晩にだけ、子供に獲物をたらふく食わせることができる。
満月の晩にだけ、子供に狩りの仕方を教えることができる。
……でもそれだけでは時間が足りなくて、少しでも存える為の魔力を求めてこの町に来ていたのだろう。
ただ、あの小さな命の為に。
* * *
ギルド長には、あの月牙狼がレイス化していたことだけを報告した。
セリオンさんが上手く公園を氷柱と霧で辺りをぼやかしたお陰で、町民からはセリオンさんが魔法で止めをさしたように見えたらしい。
約束通りどころか、色の付いた報酬金を貰って、僕らは町を後にした。ここからはさらに北に向かうのだそうだ。
町が遠目にも見えなくなってきた頃に、ヴィーさんがはーーっと大きなため息を吐いた。
そして、振り返って声を上げる。
「この先はお前の縄張りじゃねえ。付いてくんな!」
ヴィーさんの向いている先を見ても、特に誰かが居る様子もない。
と、視線の先にあった茂みがガサリと鳴った。その茂みから逃げ出したんだろう。昨日の月牙狼の仔狼が走って逃げていくのが見えた。
「ったく……」
頭を掻きながらヴィーさんは踵を返すと、また北に向かって歩き出す。
が、しばらくしてまた後方の茂みから物音がした。それを聞いて、今度は皆で立ち止まって振り返る。やっぱりさっきの仔狼だ。今度は茂みの陰から、じっとこちらの様子を窺っている。
今度はジャウマさんが仔狼に近づいていった。仔狼はジャウマさんの巨体に、怯えるようにびくりと体を震わせた。でも逃げようとはせず、グルグルと唸り声を上げる。
ジャウマさんは仔狼から大きく距離をとって立ち止まると、その場にそっと腰を落とした。
怯えて尻尾を巻きながら、それでも僕らに向かって牙を剥いてみせる仔狼に向かって語りかける。
「この先はお前にはつらい地だ。元の森へ帰れ。お前ももう独りでも生きていけるだろう?」
僕らからみると、ジャウマさんはかなり優しく語り掛けていたのだけれど、仔狼にとっては怖かったんだろう。じりじりと二歩三歩と後退すると、また振り返って走り去っていった。
「言葉、通じるんですか?」
「いや、わからん。でもあれで諦めなかったら脅かして追い返すしか――」
「ジャウパパ……」
アリアちゃんが何かを言いたげに、そっとジャウマさんの服の端を引っ張る。
「ああ、流石に脅すのは可哀そうだからな。やりたくはないが……」
その後も、何度か後ろの茂みが物音をたてた。
でももう誰も振り返ろうとはしなかった。
お読みくださりありがとうございます。
次回は閑話ですが、この話の続きになります。
更新は4月29日(土)昼前予定です。
その際に、頂き物のイラストも紹介させていただこうと思います。
引き続きよろしくお願いいたしますー(*´▽`)




