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8話 ハスカ見学

「たしかにテュルクの涙です」

 僕が袋から取り出したものをひとしきり見たり触ったり匂いをかいだりしたあと、『顧問』たちはそう結論付けた。


 ロザの人々は香りが大好きで知られている。

 彼らが使う香料は、例えば花や木の実から抽出されたもの、香りのする木を乾燥させたもの、動物由来のものなど多岐にわたるが、その中でも香りの王と呼ばれているのが、アムルザの角だ。アムルザは、北のかなたルク海に浮かぶ孤島にのみ生息する大型の哺乳類で、体型は牛のようだが鹿のような立派な枝角を持っている。


(余談だが、『ルク』とは古代ハイタ語で「海」という意味であり、『ルク海』という呼び方は「海海」という意味になってしまうのでやめるべきだとホルク老人はいつも憤慨していた。ただ『ルク』と呼ぶべしというのが老魔道士の主張である。しかしここではわかりやすさを優先させるためルク海と呼ぶことにする。)


 オスのアムルザはその頭に立派な二本の角をはやしており、その角は戦いの武器であるとともに、メスの気を引くための特殊な匂いを分泌する器官でもある。発情期のアムルザの放つこの匂いは特に人気が高く、角は親指サイズのかけらであっても庶民が1年は暮らせる金額、角一本丸ごととなると一生かかっても買えない値段になる。


 アムルザの角は通常はわずかに赤みがかった黄土色だが、時折乳白色で半透明の角を持つアムルザが生まれる。そのような乳白色の角はとくに「テュルクの涙」と呼ばれる。香りそのものは一般的なアムルザの角と変わらないが、ロザにはテュルクの涙を手にしたものは王と並ぶ栄達が約束されるという古い言い伝えがあり、伝統を重んじる貴族たちには喉から手が出るほど欲しい代物なのだ。


「なるほど素晴らしいものだ」

『主任』は角を手に取り眺めながら言った。

「だがトゥルデ石のほうが高い値段が付くだろう。これを欲しがるのは貴族だけだ」

「かまいません」


 何かを探るように僕の顔を2、3秒ほど見つめてから仮面の男は

「いいだろう」

 といった。


「競売は明後日の夜です。昼過ぎまでには品物をもってまたここに来てください。」

 すっかり丁寧な態度になった使用人に見送られて僕は邸宅を後にした。


 どっと疲れが噴き出す。あの『主任』はなかなかの人物だ。コミュニケーションが苦手な僕にとっては相対しているだけで神経が磨り減る相手だ。今日はもう宿に戻って休もう。そうだ、南北通りから一本入った道に豆スープとパンのうまい店があった。久々に行ってみよう。



 翌日、僕は宿であまりおいしくない朝食を食べ終え、部屋でしばらくゴロゴロして昼頃に外に出た。競売まではまだ1日ある。だが今日はやらなければならないことがあった。



 僕は一軒の酒場に入った。


 昼間だというのに店内は薄暗く、何人かの客が食事をとりながら世間話をしている。昨日も見た顔だ、地元の常連客だろう。奥にはレンガ造りのカウンターがあり、その向こうで店主がだるそうに帳簿をつけていた。


 僕がカウンターの前に腰を掛けると、店主は「なんだ来てたのか」という顔をして、


「昨日と同じでいいか?」


 と聞いてきた。


 無言で頷くと店主は奥に引っ込み、しばらくしてからぐつぐつと音を立てる素焼きの器をもって帰ってきた。この町の名物の一つ、羊肉と香草の煮込みだ。この料理に使う香草はアマラサ周辺の乾燥地帯では育たず、すべて商人が持ち込んだものである。そのためこの町ではどれだけ香草を使えるかが一種のステータスになっており、有名店ともなれあ10種類を超える香草を使うことも珍しくないが、ここみたいな小さな店ではせいぜい2、3種類がいいところだ。ただ、僕はこういう素朴な味のほうが好きだった。


 ぐつぐつと煮えたぎる器の横に、一枚のいびつな形のメダルのようなものが置かれているのが目に入った。

「これが?」

「そうだ、それが切符だ」

 

 この世界では、酒場というのは酒や料理を提供するだけの場所ではない。地元民が集まる場所では多くの情報が飛び交うので、酒場の店主というのはたいていの場合情報屋としての副業を持っている。またこの店のように、客に依頼されたものを合法、非合法問わず様々な手段で用意する者もいる。


 僕が店主に依頼したので、ハスカの試合の切符だ。

 ハスカというのは、アマラサの人々が好む一種のレスリングだ。見た目は元の世界のレスリングと似ているが、相手が降参するか死ぬまで続く。そのため5試合に1人は死者が出るといわれている血なまぐさい競技だ。ハスカはこの町の数少ない娯楽の一つで、貴族も平民も観戦することが許されている。貴族はそれぞれ専用の特等席が用意されているが、平民がハスカを観戦するためには切符が必要だ。この切符はお金で買うものではなく、役所が優良な市民と認定する市民のうち、抽選で選ばれたにのみに役所送られるものだ。とはいえ、全員が全員ハスカが好きなわけではないので、せっかく送られた切符を非合法なルートで売って金に変える市民もいる。そのおかげでこうして僕が手にできているわけだ。


 ハスカが行われるのは、貴族の住まいのある丘のふもと、「栄光の家」と呼ばれる競技場だ。数千人ほど入るであろうこの正六角形のスタジアムはこの町では珍しく石造りでできていて、中央には白と黒に塗り分けられた二つのゲートを持つ六角形の競技エリアがあり、床には砂が敷き詰められている。それを囲むように作られた観客席は、正門から向かって左右に分かれていて、左側が丘に面した貴族席、右側が市街に面した平民席になっている。歴代優勝者の石像が飾られた大きな正門は貴族専用で、平民は市街側に無数に開けられているアーチ状の出入り口から入ることになっている。


 入り口の役人にメダルをわたし、中に入る。


 長い階段を登り観客席に出ると、闘技場内は既にものすごい熱気に包まれていた。平民席は8割がた埋まっていて、中央では前座なのか筋骨隆々の大男たちが順番にパフォーマンスをしている。木でできた大きな枠があり、大きな水瓶が何個か吊り下げられている

 一人の大男が大きな掛け声上げたぁと思うと水瓶に突進した。水瓶は勢いよく割れ、中に入っていた香油のようなものを男は全身で浴び、ガッツポーズをする。うおお、という地響きのような歓声が湧き上がった。

 正直言って何が楽しいのか僕にはまったく分からなかったが、それはいい。別に今日は楽しみに来たわけじゃない。僕が来た目的は、明日のターゲットの顔や恰好の確認だ。シフォード公はこのハスカが大好きで(闇競売と違いこれについては本人も公言している)一度も欠かさず観戦しているというのがブロウンウィッチ卿からの情報だった。僕は適当に空いている席をかけると貴族席の方を見回した。

   

 紋章を目印に探すと、それはすぐに見つかった。平民席なら30人は座れそうな大きなバルコニーに足の折れた鷲の旗ががかかっている、ここだ。バルコニーの4隅には儀式用の飾り槍を持った兵士が立っている。立ち上がって覗き込んでみるが肝心の貴族殿の顔は見えない。


「どうました?」

 いきなり声をかけられた。振り向くと壮年の人の良さそうな男性がいつの間にか隣に座っていた。たしかにハスカも見ずに貴族席の方を覗いているんじゃ怪しい人物だと思われても仕方ないな、と僕は思った。


「実は友人が最近シフォード公お付きの兵士になりましてね、今日来てるはずなんですが」

 とっさにしょうもない嘘をついた。

「可哀想な方ですね」

「どういうことですか?」

「ここだけの話」

 この大歓声の中で他の人に聞こえるとは思えなかったが、男は声のトーンを下げた

「あのお方は部下へのあたりが強いことで有名なんですよ。父君も祖父君も大公に上り詰めた名家の生まれでしょ?でもそれと比べるとどうにもぱっとしない。本人もその自覚があるから自分に自信がない」

 歯に衣着せぬ人だな、と思った。当人の耳に入ったら大事になるぞ。

「実はお目にかかったことがなくて、どんな見た目の方んですか?」

「じきにわかりますよ。この大会の表彰はシフォード公直々にするので」

 そういう男は競技場に向き直り、

「さあ始まりますよ」

 と言った。


 一試合目から白側の戦士が相手を絞め殺し、会場は大盛り上がりとなった。2、3試合目はお互い譲らず互角のまま時間切れとなり、4試合目では逆に黒側が白側の利き腕を折っての勝利となった。会場のボルテージが最高潮に達したところで、最終試合が始まった。


 入場を知らせる角笛の音に合わせて、大男が白のゲートから走りでてくると

「クフード・オライバルだ!」

 と観客たちが叫んだ。先ほど水瓶を粉砕した選手だ。


 黒のゲートからは、マントを羽織った男がゆっくりと出てくる

「ターン・シムオス!」

 こちらも有名人のようだ。


 ターンはマントを脱ぎ棄てると、いきなりクフードにタックルした。その勢いのまま押しこんでいく。ハスカの競技場はそれほど大きくないので、すぐにクフードは壁際に追い詰められた。ターンは相手を壁際に押し付けると、そのまま肘で首を絞めつける。

「殺せ!殺せ!殺せ!」

 観客から大きな声が上がる。

 やられっぱなしになったクフードが反撃に出る。頭突きで相手をひるませたかと思うと、その背中を両腕で抱えそのまま締めあげた。ターンの体が宙に浮く。

「殺せ!殺せ!殺せ!」

 コールが一層大きくなる。ターンの体が雑巾のように締め上げられ、顔から血の気が失せていく。

「殺せ!殺せ!殺せ!」

 クフードが腕を離すと、相手は地面に崩れ落ちた。

 今日最大の歓声が沸き上がった。


 本日勝利をおさめた三名の戦士たちが中央に集まると、表彰式が始まった。踊り子たちのパフォーマンスが終わると角笛が鳴り響き、白のゲートから兵士がぞろぞろと現れる。兵士たちが2列に整列すると、その間から一人の身なりの良い男が肩を揺らしながら現れた。


 シフォード公だ。

 王妃の不倫相手だというので、なんとなくすらりとした美丈夫を想像していたが、公は中背で恰幅がよく、四角い顔に似合わない顎髭を蓄えた、百歩譲っても美形とは言えない中年男性だった。


 染みついているのか、まるで物乞いに食料を与えるかのような横柄な態度でメダルを選手に授与していく。


「確かに、性格が態度に出ていますね」

 僕は横の男に話しかけたが、返事がない。振り向くといつの間にか男はもういなかった。


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