向かい合う赤い傘と青い傘
これから学校ということで、俺は支度を進めていた。けれども頭の中は校長の長い話がどうだとか、運動部のみんなはきっと日焼けをしているんだろうなとか、そういうことではなく、たった一人のことでいっぱいだった。
それに付随するように、ほかの面々も俺の頭の中に姿を現してくる。それは気障な男だったり、ちっこい先輩だったりしたけれど、それでもやはり、たった一人の少女が現れては消えるのだった。
どうすればいい。なんとなく学校に行きたくない気持ちがあるが、これはきっとただの現実逃避。ただ彼女に会いたくないという気持ちだけのような気がしてならない。そんなのはだめだ。そう思う俺もいれば、ガッコ王なんて行かなくてもいいだろうという俺もいた。そして全部放り投げて、このまま寝てしまいたい。そう思う俺だっていた。
俺は通学路を歩く。自転車で行こうかとも思ったのだが、生憎空はそれを許してくれそうになかった。合羽を着るのも面倒だと思ったので、傘をさしていくことにしたのだ。
家を出るとき、癖になった「行ってきます」を誰もいない家に向かっていう。青い傘を俺は手に取り、門を出ようとする。すると隣の家の門がガシャリと閉められる音がした。
俺はその隣人が出てくるのを、気にしないようにして、雨音に耳を澄ませながら通学路を歩く。
ローファーの音。カツンカツンとアスファルトをたたく音。雨がビニル傘をバタバタとたたく音。そして、朝起きた時から離れない、俺の記憶をたたいてくる音。どれが俺を悩ましているのかは必然だった。
幼馴染の赤い傘が俺を追い抜こうとする。
俺は思わず傘を傾け、その幼馴染の顔が見えないようにした。いや、もしかしたらこんな顔をしているところを見てほしくなかったのかもしれない。
藍子は堂々としていたように思う。俺みたいに卑怯なことはせず、まっすぐと前を見ている。しゃなりしゃなりと歩く様子は、凛として見えた。
こうして顔を隠すように傘を傾けている俺とは、なんだか生きている世界が違うような、おいて枯れたような気持になっていた。俺がこんなにも悩んでいることは、藍子にとっては取るに足らないことである、と突きつけられている気分だった。どうしようもない現実を。
そりゃ、俺だって、ああやってまっすぐに歩いていきたいさ。堂々と、目標に向かって、折れることなく。主人公みたく。
だけど、俺には無理だってわかってしまった。ここで藍子ならば、「無理だっていうから無理なのよ」なんて平然と言ってのけるんだろうけれど、俺にはそんなことを言う主人公さなんて持ち合わせていないんだ。
例えば、学校のテストの点が平均点を割ったとき。体育の授業で保健室に運ばれるとき。駅で困っている人を見過ごしたとき。落ちているハンカチをそのまま放置したとき。親が自分のことではなく妹のことを自分の手柄のように話していた時。そして――藍子の隣にいるとき。
常に感じていたから、よくわかっていなかったんだと思う。こうして離れてみてよくわかった。俺は藍子の隣にいてはいけない人物だ、と。
ああして完璧とか、理想とかを追い求められる、一廉の人間にはなれない。藍子みたいな人間の隣にいるべきなのは、例えば――。
そこまで考えて、俺はやめた。これ以上は足が家に向かってしまうと思ったから。
いつの間にか、目の前にとらえていた藍子の傘は、閉じられていた。
俺は雨がきれていることにも気づけていなかった。