皆一番なんて幻想だ。平等。
堤防が終わる。
藍子から、そんな言葉が出てくるなんて思いもしなかったから、俺は驚いてしまう。
藍子が。そして藍子も。みんなそう思っているのかもしれない。既得権益にまみれた老人とかは違うかもしれないが。――「生きにくい」。
「物心ついた時から、思っていたような気がするの」
「……」
「私ってほら、なんでもできちゃうでしょ? だから、私はつまらなかった。何をやっても肩透かし。何にも熱中できない自分が嫌だった。こんなにも簡単な世の中が嫌だった。だから、『絶対にできない』って言われた総理大臣になるってことを目標に据えたの。
別になんでもよかったのよ。宇宙飛行士でも、ノーベル賞でも、神でも。とにかく、私は『できない』が欲しかった。
だけど、こんなことをね、新米議員が言うのもなんだけど、私はきっと『できて』しまう。」
「それは、大きく出たな」
「そうね。ほかの人には言わないでね。炎上するから」
「ははっ。今時だな」
海に足を投げ出し、堤防の前でプラプラとしている藍子は、昔みたいににこやかに笑っていた。
藍子の苦しみは、凡人の俺にはわからない。ただ俺みたいな凡人は想像力を働かせることしかできない。それは妄想と何ら変わらず、それは経験とはなりえない。
「だけどね、洸祐。私はあなたといれば、それも忘れられた。ごめんね。洸祐。あなたって、何もできないから。そんなあなたがいれば、私は『できない』の世界にいることができたの。」
「そうか。別に謝らなくていいよ。俺は凡人だからな」
正直そんな気はしていた。藍子がしきりに俺をひいきにする理由。それはきっと、恋とか愛とか、そういうことだけではないことはなんとなしにわかっていた。
けれど、そんなことはどうでもよかった。
幼馴染だぜ? そんな打算的なことを考えなくても、いつも一緒にいるのが当たり前だったから、どうでもよかったのだ。
たぶん、俺はもう藍子のことを、嫌いになれない気がしている。
「でも、そんな洸祐も、『生きにくい』って思うんだね。それはきっと私たちのせい。政治家が、この国をより良い方向に変えられていないせいなんだ。」
「そんな……そこまでは言ってないだろ。お前のせいではないぞ」
「洸祐は優しいね。でも、これは私たち、私の責任になるんだよ。そういうのが、政治の世界なんだよ」
藍子はハイヒールを脱いだ。
「私はなんでも上手くいく。けれど、多分一番望んでいることは、うまくいかないんだ。二番だけがうまくいく。一番はうまくいかない」
「……総理大臣になれないってことか?」
多分、言ってはいけないことだったのだろう。でも、俺は焦っていた。藍子の口から出た『全能』の発言。きっと藍子は本当の意味で理解していないが、自覚はしている。それが俺には怖かった。『エゴイスティックサマー』の言葉と、成都海先輩、薄群青の手紙がよぎっていく。
「そう。それは、ありえないことだから。時間が解決するものだから。まだ、この世の中では私は『総理大臣』になれない。私の一番はいつだって私の指から零れ落ちていく。」
藍子は、砂をすくって、落としていく。波の音が心地いい。
携帯が鳴る。
きっと、しずくだろう。時間を見れば、午前三時になっていた。あの酔いつぶれた夜から帰っていないのはさすがに心配をかけている。
「出ないの?」
藍子に言われて、ドキッとした。俺が携帯をポケットにしまってやり過ごそうとすると、藍子が携帯をひったくってしまった。
「もしもし」
『もしもし? どこにいるの!?って、誰よ』
「私―――」
藍子が自分の名前を名乗る前に、俺は携帯をかっぱらって、海に投げ捨てた。
別にやましいことはない。だが、しずくのことを巻き込みたくなかった。俺の大切な人だから。
「『しずく』って見えた。もしかして雨森しずく先輩……?」
「知らない。多分人違いだ」
「嘘。洸祐、嘘つくときわかりやすいからわかる」
やはり、携帯を海に投げ捨てておいてよかった。もったいないけど。ただでさえ機種代払い終わっていないのに。
「そっか。洸祐も、そうなんだ。
―――――やっぱり、一番は手に入らないんだね」