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王子殿下と想定芝居  作者: 堂 ジヨン
第一幕 誰ですか馬車をひっくり返したのは
8/15

1.8王子殿下とわたしと皇子


 広く豪華な馬車の中は沈黙で満たされている。

 向かい合わせの人が何も言わないしわたしも何も言えないから、馬のひづめと車輪の音しか聞こえない。




 あの後ハイド様は男を引きずったままわたしと子どもに付いてくるように言い、子どもが殴られていたと思われる場所に辿り着いたところで運んでいたものを放り投げた。

 複数あったうめき声が1つ追加されただけだったけど、そもそもそれなりに騒ぎになっていたようで集まっていた人たちが感嘆だか悲鳴だかを上げた。


「イオっ!」

「ねえさん」


 一緒に重ねられた兵士たちを見つめていた子どもに駆け寄る若い女性。どうやらお姉さんらしい、確かによく似ていた。


「あぁ…ひどい。腫れてるじゃない…」

「おれはへいきだよ、このねえちゃんとそこのおっかないのがたすけてくれた」

「助けてくれた人にそんな言い方しないの……本当になんて言っていいのか」

「いえ、わたし特に何もできてないのでお礼なら彼に」


 そう促せばお姉さんの顔が引きつった。そっとハイド様の方を見る。

 剣を鞘に納めることもなく浴びた血をぬぐうこともなく。無表情で自分が打ちのめした男たちの山を見つめる姿は若い女性には恐ろしく映るだろう。


 そう思ったけど、遠巻きに見ている人たちの中に結構な割合でそれなりに年を取った男性もちらほらいたので、今のハイド様は全世代にとって恐ろしく映るのかもしれない。ちなみにわたしにとっても結構怖いです。


「少しやり過ぎたな」

「少し…」

「一匹大元に連絡するように残しておけばよかった」

「あの、人なのでにんと、数えてください」

「こいつなら、足は無事だから走れるか」

「あのーこの中でお役所とかどこか宮殿に連絡できる場所を知っている人はいませんかぁ?!」


 このままでは腕から大量出血している人が駆り立てられてしまうと、大声で周囲の人に問いかける。山を形成している男たちにハイド様とおまけのわたしを探すよう命じた所に連絡が取れればそんな恐ろしい状況にならなくて済むから。


「うちのじーちゃん、むかしきゅうでんのやくにんだったからたぶん今もしりあいいるよ」

「イオ君、救世主!お姉さん、おじいさんは今どこに」

「祖父なら私が呼びに…でもどうして宮殿に」

「そ、それはですね」


 道は開けたが先に進むには難問が1つ。わたしたちの身分をこの人たちに明かして信じてもらえるだろうか。そして、信じてもらえたとして、取次先もそうだとは限らない。ハイド様と会ったことのある人ならすぐに話が付きそうだけど、そもそもそんな人簡単に会えるわけもなく。


 どうしようかと考えていたらカランと何かが落ちる音がした。杖を落とした老人が一人、ハイド様の顔を見てわなわなと震えている。

 どうしよう、おじいさんの心臓にこのハイド様は悪すぎる。とっさに間に入って視界を遮ろうとしたけど、おじいさんの口から飛び出したのは予想外の言葉だった。


「コ、コリウス?!」

「あ、じーちゃん?どうした?」

「なん、おま、死んだんじゃぁ!?」

「――それは俺の祖父の名だな。敬称も付けないとは」

「ひっ!そ、そうか。あいつ、いやあの方の孫………孫?!」

「はい、あの、アナスタシウス様で、」

「すなわち王子!!やばい、イオ、この馬鹿ども何しやがった?!」

「あのにいちゃんにきりかかってかえりうちにあって、あのねえちゃんになにかしようとしてかえりうちにあった」

「私なにもできてないのでその説明はちょっと」

「じゃ、あん、あなた、は、クローブ教伯のお孫さんか?!」

「え、あ、はい。アルディジア=クローブと言います」

「このあほどもぉぉぉぉ!!!!!!」


 先ほど落とした杖を拾い上げて山となった男たちをぽかぽか殴り始める老人。

驚いて固まるわたしとイオ君。

やめておじいちゃん血圧が上がるわと止めに入るお姉さん。

突然のおじいさんの行動に戸惑う周囲の人々。


そんな中、平然としたままのハイド様が静かに声をかける。


「下がれ。俺は宮殿への取次は求めたが下らん騒ぎに付き合う気はない」

「ハイド様、剣に手をかけながら言うのはちょっと」

「誰のせいで気が立ってると思ってる」

「誠に申し訳ございません」


心の底から反省していますのでどうぞ斬捨てないでください。

 ピリピリとした空気に触れておじいさんも杖を振るうのをやめようだ。コホンと咳払いして居住まいを正す。


「かつてミネオーア宮殿に務めておりましたカリストと申します。殿下並びにクローブ嬢、ともかくご無事で何よりでございます。ブリオニア王国から捜索依頼が出ているとのことで、一度宮殿にお迎えいたすことになるかと思いますが…」

「なぜわざわざ国境から離れねばならん」

「どうかご容赦ください、依頼を受けた宮殿の立場がございます。わたくしから宮殿に遣いを送るよう通達しますので…ガニメデ、部屋の準備をしなさい」


 はい、とイオ君のお姉さんが返事をして自宅と思われる建物に入っていく。

 ハイド様は無言で立ったまま。きっと承服はしてない。剣から手が離れていないもの。

 


「……どうかお鎮まりを。ご令嬢には孫娘を付けます。この阿呆どものようなものはこの街におりませんし、万一いたとしてもわたくしが近づけさせません」

「宮殿には居るだろうが」

「そ、れは、」


 いるんですか。子どもを集団で殴るような大人が、宮殿にはいるんですか。


「父――ブリオニア国王が我々の捜索を依頼した先は誰だ」

「サントウィラード様にございます。ただ、要請自体は皇帝陛下以下宮殿の者は皆知っていますし、主要都市には通達も」


 なんだかサンドウィッチみたいな名前の人だなと思って聞くわたしと違って、ハイド様は目を伏せてしばらく考え込む様子。しばらくして青空の色がのぞいたら、同時に淡々とした声が紡がれる。


「ならば、宮殿で何かあった場合あの皇子を斬ればいいわけだな。わかった、さっさと向かおう」

「そんな簡単に斬っちゃダメじゃないでしょうか、あ、ごめんなさい黙ります黙りますから斬らないでください」


 わたしの必死の懇願が功を奏しハイド様の剣のご厄介になることなく、宮殿からの使いというのを待つ間カリストおじいさんのお家にお世話になった。宮殿勤めのお役人さんってお給料がいいんだなぁというくらい立派なお家。ガニメデさんの手料理はおいしく、イオ君とのおしゃべりは楽しく。終始いつも通り無表情なハイド様にカリストおじいさんはどこか怯えているようだったけれど、それなりに恙なく1日が終わり。





 そして今、馬車の中。

 気まずい。つい先日ひっくり返された乗り物に、同じ顔触れで乗っているというのもあるけど。



 ハイド様の機嫌が昨日からずーーーーーーっと悪い。


 馬車に乗る前にこそっとイオ君が教えてくれたけど、ハイド様一睡もしてないらしい。寝不足はいろいろな不調をもたらすんじゃないかしら。そう、この場の空気の滞りのようなものまで。


 とにかく気まずいのは仕方ないとして宮殿のある首都に着くまであまりに暇なので、勝手にしゃべろう。


「えー、……本日はお日柄も良く」

「…」

「こ、このクッションどこ製でしょうね?ほどよい柔らかさで長時間でも座れ、そ、う…」

「…」

「――この前アイちゃんが初めてお茶を入れてくれたんですけどね、」

「うるさい」


 特に大きな声でもない、どちらかと言えばささやきのようなものなのにひゅっと心臓をつかまれたような感じがする。

 昨日言いつけを破ってからずっと、音が固いから。

低いのは平気。でも、この固さはなんだかとても、嫌。


 でも、悪いのはわたしだから何も言えずにうつむいてしまう。ガタガタと車輪の生み出す音は規則的で、1人きりの夜にふと目が覚めて聞こえてくる時計の針の音の様だ。聞こうとしてないのに聞こえてくる。





 そんな音に包まれてどれくらい時間が経ったのか。

 ハイド様が息を吐くのが聞こえた。これも、大きな音ではないけれど代わりに長く長く続く。


「もし今また何者かから襲撃を受けた場合、俺もはもうお前に逃げろとも隠れろとも言わない。なぜならば言ったとしてもお前は全くいうことを聞かないということがこの数日間ではっきり証明されたからだ」


 唐突に物騒な話を始めたハイド様は、そのままわたしの所業を糾弾する。これは王族の命に逆らったということで厳罰が下される流れでしょうか。痛いのも怖いのも苦手だけど、痛い方がまだ我慢できるかな。怖いものは泣いちゃうので痛い方でお願いします。


「代わりに、襲撃者を狩る際はお前を抱えて行うことにする」

「そんなお荷物抱えていこうとしないでください」

「余程の相手でない限り、片腕で十分だ」

「余程の相手って例えばどなたでしょう」

「王城詰め騎士団の団長、またはストル」


 ストル様、一国の城を守る長並みにお強いんですね。ドキドキしちゃいます。


「奴らほどの腕の人間がそう大量にいるとは思えん。よって万一の場合は抱えられながら振り落とされないよう注意しつつ血しぶきが目に入らない様に自分で調整しろ」

「難易度が高すぎませんか?あと、血しぶきってなんでしょう」

「それから」

「血しぶき…」

「どうして俺の言うことが聞けなかったのか説明しろ」


 突然の問いかけに息が止まる。寒さが胸から広がって指先が冷える。思わず両手を膝の上で握りしめて下を向いてしまう。


「アルディジア」

「……申し訳ありま」

「アル」


 咎める音色ではないのに、体が固まってしまうのはきっと私が悪いのだ。


「ごめん、なさい」


 そうして謝ることしかできないのも、やっぱり私が悪い。





 またも沈黙が車内を満たしてしばらくの時間が経つ。

 馬車が緩やかに速度を落とした。扉に近寄る足音が聞こえて、ハイド様が即座に剣を抜きやすい体勢をとる。


 軽快なノックののち、のんびりとした声が聞こえてきた。


「ウス君、今開けたら斬りかかったりしてくるぅ?」


 途端にハイド様が自ら扉を開け放った。

既に刀身が鞘から出ているように見えますが、なぜでしょう。


「あ、斬りかかってくる気だねぇ?まっけないぞ~」

「サント様、無謀でございますっお下がりください!!」


 後ろの方から従者と思われる人たちの必死の制止の声が聞こえるけど、サント様と言われたどこかのほほんとした雰囲気の人は気にも留めない。

 どうも顔見知りらしく、ハイド様は抜き身の剣をそのままに話し始める。背後からしか見てないわたしでも今のハイド様が非常に怖いのに、近い距離で向き合っている人はどこ吹く風だ。すごい、きっとすごい人物だ。


「皇子自ら出迎え頂けるとはな」


 実際すごい人だった。ミネオーアの皇帝様はわたし達のおじい様と同じくらいの年齢らしいから、目の前の皇子様がお父様たちと同じくらいの年齢に見えるのも当然ね。この国は沢山皇子様と皇女様がいるらしいけど、この人は何番目の誰だろう。


 そんなわたしの疑問を読み取ったのか、ハイド様の陰からひょっこり顔をのぞかせてわたしと目を合わせてきた皇子様はにっこり笑いつつハイド様の言葉に応じる形で話を進める。


「うちの血気盛んなおバカさんたちが君たちに失礼を働いたってきいてねぇ~。いちお、シオンから直接お願いされたの我だから、我が顔出すのが筋かなってぇ~…。君が、ああ、後ろの女の子ね、教伯?のとこの子?」

「はい、アルディジア=クローブと申します」


 さっきは気づかなかったけど、ブリオニアの公用語で話しかけてくれてる。わたしはミネオーアの言葉をほんの少ししか理解できないから大変ありがたい。


「そっか~、我はサントウィラードというよ。この国の皇帝の9番目の子で5番目の王子なんだぁ」

「あ、サンドウィッチの」

「おい」


 つい漏れ出た言葉にハイド様からにらまれる。すみませんと口の中でつぶやいて身をすくめる。

 それにしてもサンドウィッチ好きのサントウィラード様かぁ…。覚えやすいような、混同しそうな。


「そう、サンドイッチ皇子って間違われるよ。君たちの王サマ、人の名前覚える気が全くないよねぇ。どうでもいいことは完ぺきに覚えるのにねぇ」

「そ、うなんですか」

「我の作ったサンドウィッチも一向に食べてくれないし、酷い人だよぉ…2人はおなかすいてるぅ?」

「結構です」


 ぴしゃりと言い放ったハイド様を見て、サンドウィッ…サントウィラード皇子はふーっと息を吐いた。もしかして溜息かしら。それにしては重くないというかなんというか。


「そゆとこ、お父サンにそっくりねぇ。わかったよ、とりあえず父上に挨拶してくれる?面子立てないといけないからぁ…そんな怒らないでよぉ、お宿はいいとこ取ってるから」

「宿?」

「ウス君、うちに泊まるのはお勧めしないよぉ。シオンが怖いからって父上の病気がそんな簡単に治るわけないしぃ」


 ちらっとわたしを見てすぐにハイド様の方に視線を戻したサントウィラード皇子はふんわり笑う。


「君に父上や我が斬られたら結構大変だからさぁ…。我の経営してるとこだよ、いいとこ。若い子たちから熟年まで大好評ぅ」


 そして続く言葉はなぜかミネオーアの言葉で、わたしには聞き取れなかった。

いつもなら「何ておっしゃってるんですか」ってハイド様にこっそり聞くんだけど、今回はそれもできない。


 聞いたとたんにハイド様が一瞬固まって、すごい勢いでサントウィラード皇子を蹴り上げたので。

…斬らずとも蹴ったらそれなりに大変な問題じゃないですか、ハイド様。





「足がすぐ出るのもお父サンにそっくりねぇ」


 蹴られた顎をなぜかニコニコなでながらサントウィラード皇子は言う。

 陛下は人のこと良く蹴るのね、知らなかった。わたしがお会いするときはいつも柔らかく笑っていらっしゃるから。


「…たまたまいい位置に顎があったからで、あの人と同じとされるのは承服できない」

「そうだねぇ、シオンは跳び蹴りもしてくるからねぇ…ちょっと違うかぁ」

「跳び蹴り」

「そうそう、きれーな回し蹴りもしてくるよぉ」

「仲が、よろしいんですね?」

「我は友だちになりたいんだけどねぇ」


 えっと。それはつまりそういう気質の方なのかしら。


「あ、その顔は勘違いをしているねぇ?我は別にそういう趣味はないよぉ。話せば長くなるけど、我の母はこの国の中でも田舎出身の低階級の女でねぇ」

「え、それは私が聞いてもよろしい類のお話ですか…?」

「父上に相手にされない時期が長くて母に育てられた影響で、我の使う言葉も訛りがあるらしくぅ」

「この話になるとだれも止められないそうだから、大人しく聞いてろ」

「ハイド様は聞いたことがおありですか」

「5回ほど。剣に手をかけようとも口を閉じなかったから聞き流すことにした」

「数いるきょうだいたちからも結構馬鹿にされていてぇ使用人たちもなかなか冷遇してきてぇ」

「この手の話を聞き流すってどうやってですか?」

「忍耐と無関心」


 わたしとハイド様のひそひそ話も何のその。サントウィラード皇子のお話は止まらない。


「我、それなりに傷ついていた中でブリオニアで開催された式典に参加したんだよぉ。行く予定だった上の兄たちが急用ができてねぇ、シオンも即位したばかりだったから父上も軽く見てたんだなぁ」

「これは臣下として怒るべきですか?」

「黙って聞いてろ」

「我も、年下だからとそれなりに舐めてかかってたんだけどねぇ」

「お、怒るべきでは?」

「黙る」

「母の出身地の言葉で話しかけてきたからホントびっくりしたんだよぉ。それもきれーな発音でねぇ、どこで習ったのって聞いたらどこでしょうってはぐらかすだけで。教えてほしくて話しかけ続けたら、話は面白いし質問には一向に答えないしぃ。以降、何やかんやで友だち申請してるんだけど蹴られてばかりさぁ」


 にこにこと話を続ける皇子を、ハイド様は何とも言えない顔で見ている。


「他の国の出席者も何やかんやで手なずけてたねぇ。我、感心した」

「手なずける…」

「うん。まあこの国で手なずけられてるの我だけじゃないし」


 仮にも皇子様が隣国の王様に手なずけられていいのかしら。それも複数。


「クライブ義兄上に至っては下僕だしねぇ」

「げぼく…?」

「…俺をそんな目で見るな。父上が仕出かしたことだ、俺は関係ない」

「ブリオニアに戻るまではそう長いことかからないだろうけど、何かあったら我かクライブ義兄上に言ってねぇ。我は死なない程度に助力するよぉ」

「陛下は何をしたんでしょうか」

「知るか」

「義兄上は命かけそうだけどぉ」

「ハイド様、」

「俺が聞きたい」


 陛下が一体何をしたのか気になる中、ミネオーア皇帝への目通りの準備が整ったという知らせが入ってお話はそれまでになった。気になる。お父様たちなら知ってるかしら。帰ったら聞いてみよう。








**************************


 どこの国でも、頂点に立つ人に会うための部屋はそれはそれは立派なもの。

ブリオニアでは謁見の間という名前で、色鮮やかな花や草木をかたどった装飾で彩られているけれど、このミネオーアはきらきらぎんぎら。鉱物が有名だから眩しい装飾が至る所に施されている。


直視してたら目が痛くなりそうだけど、現在わたしは深く頭を下げているから床しか見えてない。さすがに絨毯にまで宝石はちりばめられていないから、大人しくハイド様の挨拶を聞いている。


「我々の――のために力添えいただき――――」


 嘘です。ミネオーアの言葉なので聞き取れないところばかり。簡単な文法なら知ってるけれど、皇帝への挨拶って日常会話に入らないよね。わたしが不勉強なわけじゃないよね?


「―――のこと、――――。また、――――――――」

「そう――――。友好国の―――――の―――、当然の―――――――――――」


 だめだ、何言っているか全然わかんない。


「ところで、そこの―――――は?先ほどから――――――?」

「…アル、」

「ひゃいっ?」

「皇帝がお前に挨拶しろと言ってる」

「わ、わたし上手く話せませんが?!」

「挨拶ぐらいは知ってるだろ。“ごきげんよう”と言ってあとは名前だ」

「あ、それぐらいなら」


 あわあわしていたのをごまかして、スカートの両端をもってちょこんとお辞儀をする。


「“ご、ごきげんよう。私はアルディジア=クローブとも、うします”」


 たどたどしさは笑顔でごまかせたかしら。ミネオーア帝も怖い顔をしていないから大丈夫だと思うけど、なんだか―――。

 傍で見守っているよと言っていたサントウィラード皇子がさっとわたしたちと皇帝の間に入ってのほほんと声を発する。


「さて、あいさつも―――し、この――――は――――――――――――に案内させていただきます」

「なんと――――だ。―――の相手に――――――――――――!」

「陛下、それはちょっと困ります。―――――――――よ?」

「なにを、――――――――――――か!少々―――――――くらいで」


 何やら揉めている気がする。気がする、というのは皇帝が怒鳴っている感じなのに対してサントウィラード皇子が変わらずのんびりとした話し方だから。

 それはともかく。ひょっとしなくても、わたしの挨拶がおかしかったからこの言い合いになっている?


「この者は私の――――――です」


 横からハイド様の声が聞こえて思わず身震いしてしまう。

 さっき、馬車で聞いた声とは比べ物にならないくらい低くて固い声だ。わたし、そんなまずいことしました?


「そのことを――した上で―――――――――――していただきたい」

「…なるほど、―――――か。それならば――――が。おい、娘」

「え、あ、“はい”」

「お前、本当にアナスタシウス王子の―――か?」

「えっと…」


 質問されていることはわかるけど、肝心の質問ないようが聞き取れない。

 わたしが、ハイド様の、何だっていうんでしょう?


「この国の―――さえわからないような―――――が―――――――――に選ばれるか?」

「陛下、きっと――――になって日が――――。我もシオンから―――ませんから……アル君」

「はい」

「ウス君の―――って言うのはホント?」

「えと、」

「聞き方を変えるね。ウス君が言ったことはホント?」


 ハイド様が言ったこと?私がハイド様の何とか、って言ってたような。

 その何とかがわからないから答えられないのに、サントウィラード皇子はどこか楽しそうにしているだけ。


 ――良く分からないことを分からないまま肯定も否定もしてはいけないよ。きちんと確認した上でしっかり考えて答えること。


 お父様がいつか言っていた言葉がよみがえる。

それに従うなら、ハイド様に目で問いかけるべきかもしれないけど。なんだかそれをしたらいけないような気がする。ミネオーア帝はハイド様の言葉を疑って、わたしに質問してきたのだ。


それに。なにがあってもきっとわたしの答えは変わらないから。


お父様に心の中で言いつけを破ってごめんなさいと謝ってからわたしは口を開いた。


「“はい”」

「――おや、ホントに?」


 コクリと頷く。

 それを見てミネオーア帝は忌々しそうに何かを吐き捨てて席を立ってしまった。

 ぽかんとその姿を見送る間もなく、サントウィラード皇子に案内されて宿に向かう準備が進められる。わたしたちを乗せる馬車を用意させながらなぜかすごく上機嫌な皇子はしきりに“おめでとう”と言っている。とてもうれしいらしく鼻歌まで歌っている。今の会話のどこにそんな楽しいことがあったのだろう?


「サントウィラード皇子って陽気な人ですね」

「…アル」

「はい、なんでしょう?」

「お前、なんだかわからないまま“はい”って言っただろ」

「そうですね…まずかったですか?」

「いや…あの時はあれで助かったんだが……少しは俺に確認するなりしたらどうだ。良く分からないまま安易に肯定するもんじゃない」

「えーと、これは怒られています?」

「苦言を呈している」

「なるほど…。でも、確認してもしなくても言うことは一緒だと思いますけど」


 それはどういう意味だと目だけで問いかけられる。わざわざ説明しなくても分かると思うのに。


「ハイド様が正しいと思ったことならきっと間違いはないですから」


 そう何の気なしに言ったらハイド様は黙ってしまった。晴天の空に陰りが見えたような気がする。

 どうしましたと声をかけたときにはもうその色はなくなっていたから、きっとわたしの気のせいだろう。


 わたしの言葉なんかで、この人が悲しそうにするはずないもの。


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