1.6王子殿下とわたしの宿問題:続
「ハ、ハイド様…」
息が苦しくて絞り出すような声になってしまう。見下ろしてくる青い目はそんなことに気付かないみたいで、ただただ私を映している。
「黙って大人しくしてろ」
「そんな、むり、です」
「我慢しろ」
苦しいんですと正直に言えば、少し困ったような顔をする。そんな顔するくらいなら今すぐ楽にしてほしい。身動きの取れない身体でそう願う。
「――どうしようもないことだ。諦めろ」
広い寝台に転がされて、天井とハイド様しか見えない。
観光気分を早々に切り上げられて黙々と歩き続け、日も暮れかかったころに取ったこの宿。
初日に泊まったところは宿主さんの言う通り観光地ではない地方都市だったみたい。だって、部屋がいくつか空いていたから。今日は2部屋取れるようにと最初から換金する額を調整していたハイド様もあの宿を基準に考えていたようだけど、この街はどうやら観光地らしい。客引きの人たちが力強かったのもそのせいで、空いている部屋が1つしかないのもそのせい。何件か回ってようやく空き部屋があったくらいだ。
でも、だからって。どうしてこんなことに…。
「あの、どうして私はこうも頑丈に布団にくるまれて寝なければならないのでしょうか」
「どうしようもないことだ」
「そんなわけないでしょう?」
何とか起き上がろうとするけど、気を付けの姿勢でそのまま綺麗に布団にまかれてしまっているので動けない。部屋に入った途端にこれだ。どうして、本当にどうして。
ハイド様、くるまれたわたしにはよく見えないけどあなた布団の上から何かで縛ってますよね。不思議と広い寝台の上でごろごろ転がっても布団がはがれないもの。痛くはないのに解けない。文字通り手も足も出ない状態でウーっと唸る。
「そもそも寝具一式が1組しかないのに私に巻き付けてどうするんですか!風邪ひいちゃいますよ、ハイド様が!」
「お前ではあるまいにこの気候で風邪などひくものか」
暗にバカだと言われても引くわけにはいかない。この人は王子殿下。国王陛下と妃様方に次いで尊いお方。一介の伯爵の孫が布団巻の具になったせいでお風邪を召されるなんてあってはならないのだ。
「同名の主神と可愛い両親・弟妹に誓ってあなたに害をなしたりなどしません!」
手が出せないので誓いのポーズもできないけど心からそう言ったのに、返ってきたのは冷たい視線だった。どうして晴天の色なのにこんなにも温度が低いの。真冬の空なのかしら。あなた初夏生まれですよね?
「何もしないので、本当に何もしないのでどうか解放してください」
「お前が俺に何かできるともするとも思ってはいない。これは俺の事情、どうしようもないことだ」
「この前からちょくちょく仰っているそのご事情というのは何でしょう。一緒に考えましょう、解決策を」
「お前には関係ない」
「現時点で実害を受けているので大いに関係あります!!」
必死に被害を加害者に訴えているのに全く聞き入れてもらえない。それどころか寝台から離れてローテブルの横のソファに横になった様子だ。様子というのは音で判別しているから。布団巻の具には首を巡らすことさえかなわない。
「え、待ってください。本当にこのまま寝ろと?」
「おやすみ」
「いやです、ちょっと、ハイド様ぁ…」
懇願しても返事はない。
びちびちはねても返事はない。
ずりずり這おうとして失敗しても返事はない。
こうなったら最終奥義だと、全力で転がって寝台から落ちようとしたらすかさず押しとどめられた。
「寝台に固定する必要もあったとは…」
「なんでそこまでするんですかっいくら何でもこの恰好じゃ寝れませんよぉ」
「そうだろうな」
「『そうだろうな』?!」
「だが仕方ないことだあきらめろ」
「そんな簡単に安眠をあきらめられると思いますか?!」
ハイド様からしたら短いのだろうけど、わたしからしたら結構な距離を歩いたのだ。ゆっくり寝て疲れをとりたい。でないと明日、完全にお荷物になってしまう。
安眠のための戦いからわたしが下りる気がないことを察したハイド様は、いつもより真剣な顔になる。と言ってもいつもとほとんど変わらない無表情ではあるけれども。「折角父上とアカンサ様に良い顔立ちで作ってもらえたのだから少しは愛想よくしろ」とストル様に言われたときも同じような表情のまま手に持っていたグラスを握りつぶしていたこの人は、良く見れば表情が違うとわかるのに鉄面皮と陰で言われている。
「お前がその醜態を拒むのと同じ理由で俺はお前を解放などしない」
「醜態って、あなたが私を布団巻にしたんですからね?あと、さっきから私、あなたに何もしないって言ってるじゃありませんか」
「お前がお前のままでいられると困るだけだ」
「私の存在全否定ですか」
「この状態でぎりぎり平気だ。むしろそれ以下の状態になってもらいたいくらいだが」
「布団巻以下って何ですか」
こうなったら奥の手だ。最終奥義のさらに奥。
「このまま私を布団巻とするなら、私は実家仕込みの腹式呼吸と発声方法を活用して大声で騒ぎます!」
歌と楽器が式典に多く登場するわたしの実家、アルディジア主教堂。わたしは歌巫女ではないけれど、歌唱のための訓練には参加している。
ちょっといつもとは違う体勢だけど、周りのお客さんが迷惑するくらいの大きさの声なら出せるはずだ。大きく息を吸って臨戦態勢に入る。さあ、わたしを解放してください。
「本当にバカなんだなお前」
「うみゅぅっ?!」
すいこんだ空気は頬をつぶされたことで吐き出してしまった。
ひどい。戦いの場にさえ立たせてもらえない。
「さっきから十分騒いでいるだろ」
「ひゃ、ひゃひかひ」
「そもそもな、昨日の安宿と違ってここは作りがかなり頑丈だ。入った時点でそれくらいわかるだろ」
「ひゃい?」
「おまけにこの寝台は壁から離れているし、隣の部屋とも距離がある」
「?」
何の話だろう。それよりいつまでほっぺをつぶされ続けるのかが気がかりだ。引っ張られて伸びるのも困るけど、陥没もごめん被りたい。
「…お前がいくら騒いでも外に聞こえないと気づいたから、俺は困ったんだ」
そんな不思議なことを言って手を離したハイド様はまたソファの方に戻ってしまう。
「あの、ハイド様」
「これ以上くだらないこと言うのなら猿ぐつわ噛ませるぞ」
「いえ、くだらないことではなく…やっぱり寒いですよ布団なしじゃ」
もう布団巻は受け入れるしかなさそうだ。全く納得はいかないけど、ハイド様が何かに困っていてその解決策がこれしかないなら諦めるしかない。
でも、ハイド様が風邪をひくのを家臣として認めるわけにはいかない。いくら暖かくなったとはいえまだ夜の気温は低いのだから。
「昨日だって狭いソファで寝てたでしょう?体固まっちゃいますよ。ここの寝台、なんか広いし一緒に寝ても平気そうですよ?」
「…」
「布団巻は解放いただけないとのことなので掛け布団はありませんけど、一応中に熱源があるので傍にいれば寒さもしのげるんじゃないかと」
「…」
「ハイド様?」
返事がない。もしかしてもう寝ちゃったのかな。そんなに疲れているならなおさら広い寝台で寝てもらいたい。
「要するに、お前は、俺に、お前と同床しろと言うのか?」
「あ、それはさすがに不敬ですかね。じゃあ私を床に置いてハイド様が寝台使ってください。布団巻、身動きは取れないけど柔らかさはあるので床でも平気そうですから」
どうやらまだ寝てなかったらしいハイド様がなぜかいつもより数段低い声で問いかけてきたので、いつも通りの声で応える。するとさらに低い声で返ってきた。
「―――いいからさっさと寝ろこの馬鹿っ!!」
あんまりな就寝の挨拶じゃないかしら。