1.5王子殿下とわたしの観光(気分)
「あらお二人さん早起きね」
衝立を挟んだ着替えを終わらせた後、すぐに部屋を出て1階に向かうと宿主さんが掃除をしていた。きっと毎朝してるんだろうな。古いけど綺麗な建物だもの。
「おはようございます」
「おはよう、もう出るの?朝ごはん代貰ってるから食べてからにしたら?」
「ありがたいが急いでいるので」
「じゃあおべんとにする?」
「え、いいんですか?お願いします!」
ジトッと睨まれるが気にしない。だってお腹すいて歩くよりお腹いっぱいで歩いた方が効率良いでしょう?途中でお店屋さんもあるか分からないし。
「お兄さん体大きいからたくさん食べるでしょ、大目に詰めとくね」
「店主さん優しい…天使!」
「やだね大げさだよ。あまりものの食材処分してほしいだけかもよ?」
「食材を無駄にしない心…天使!!」
「変わったお嬢ちゃんだねぇ」
わたしの感嘆を軽くあしらいながらてきぱきと準備を終えてカゴに詰めた料理を渡してくれる。サンドウィッチだ。具材がバラバラだからひょっとしたら本当にあまりものの処分が目的なのかもしれない。でも天使なのは変わらない。おいしそうだから。
「あ、カゴ。どうやって返したら」
「いいよ安物だし。それにサンドウィッチ用のカゴはここいらじゃそこらへんで売ってるだろ」
「サンドウィッチてここの郷土料理でしたっけ?」
いいや、と返す宿主さんはもう掃除に戻っている。働き者の動きを見る。一応貴族なのでお掃除とかはしてはいけないと周りから言われているけど、自分がしたことでなにかが綺麗になるって素敵なことだなと思う。
「5番目の皇子サマがね、なんだかこれを作るのが好きらしくてね。入れ物をやたらと注文するもんだから…もしかして2人ともよその国の人かい?」
「リョコウチュウデス」
「そうか、にしてもこんな観光地でもない片田舎によく来たね。つまんないだろ」
「働き者の優しい天使さんに会えたのでつまらなくはないですよ?」
「おかしなお嬢ちゃんだね。でもまあ気をつけて旅行しな、隣のブリオニアのお偉方がこの辺りで行方不明になったっていうんでピリピリしてる連中もいるらしいから」
「……ピリピリ?」
そう聞くと働き者の手を止めて宿主さんが辺りを見回す。人がいるのを警戒しているような感じだ。
「…ブリオニアと戦争してたのはもうずいぶん前でそれなりに今は友好だけどね、ほら、国境の鉱山の権利でもめてるだろう?そのうえお偉いさんに何かあったらそれこそ火種になるんじゃないかって」
思わずハイド様を見上げてしまう。鉱山の問題はなんとなく聞いていたけれど、確かにこの人に何かあったら大ごとだ。
たとえ馬車をひっくり返したのがこの国の人たちでなくとも、この国の中で害されたとしたらブリオニアが黙っているわけがない。
「…ご忠告どうも。道中気を付けます」
不安になったわたしの手が知らぬ間に掴んでいた裾を回収してハイド様は言う。ついでに握られた手は温かい。剣ダコがあって大きい手。
「ああ、悪かったねお嬢ちゃんを怖がらせて。まあそんなに心配しなくても大丈夫だよ、さっき言ったねサンドウィッチ好きの第5皇子。あの方ブリオニアの国王サマと仲良しらしいから戦争なんて起こさないよ」
「――“仲良し”?」
そうして力強い手。仲良しという言葉に反応してわたしの手をへし折ろうとしているのはなぜでしょう。
「なんでもその人に食べさせるためにこの料理を作り続けてるって話だしね」
「仲良しですね」
「一度も食べてもらえないって泣いてるって話も聞くねぇ」
「仲良しですか?」
「友情も恋愛も初めは片思いからさ」
「なるほどぉ…お兄さま、さすがにそろそろ手が折れそうです」
「そうだろうな」
折る気でしたか。わたし、何かしましたか。
そう聞く前に手は解放され骨は無事くっついたままだった。結構痛かったけど痕も何もついてないのが不思議。きっと手加減して折ろうとしていたんだろうな。ほっぺたつままれても伸びないし、この人は器用な人だなと思う。わたしは手加減なんてできないから、全力で抱き着いて小さいころのアレクやアイちゃん…弟と妹に「いたい」と言われてばかりいた。2人とも可愛い、痛くしてごめんね。
「まあとにかく、あんたらの旅行が楽しいものになるようそれなりに祈っておくよ」
「ありがとうございます。私も店主さんの今日の幸せを祈りますね。それじゃあ!」
店主さんから有難いそれなりの祈りを貰って宿をあとにする。
ハイド様は背が高い分歩くのも早いので早々に置いて行かれそうになる。昨日も追いつくのに必死だったけど、ベッドを占領してぐっすり寝たので元気いっぱいだ。つまり、わたしは今日一日小走りでも平気というわけで、
「――あんた、お嬢ちゃんの歩幅を考えて歩くんだよ!!」
店主さんが出口から大声でハイド様に声をかける。他のお客さん起きちゃわないかしら?
ハイド様はビクッとして振り返る。そうして少し遅れた位置にいるわたしを見てちょっと困った顔をする。そんな顔しないでください、あなたの一歩は私の大股くらいあるんです。駆ければ追いつきますからわざわざ戻ってこなくても。
「…悪い、お前の脚が短いことを忘れていた」
「そんなことは永久に忘れてくださって構いませんけど。というかそんなに短くないですからね身長に比した適正範囲の長さですから。あなたが背が高くてそれ加味しても足が長いだけですから!」
そもそもなんでわたしの足の長さを知っているのかと聞こうと思ったけど、つい昨日スカートの中身を公開したような気がする。ついでに他の部分も公表した気がする。忘れてくださいなにもかも。
「…その顔もするな」
「どの顔ですか。先に仰っていた顔との違いとしてはならない理由はなんですか」
「死んでも言わないし言うくらいなら自害する」
わたしの顔がどうして王子殿下の死因になるの。
困惑を抱えたわたしとハイド様の距離に満足したらしい店主さんはいつの間にか宿に戻っていた。
途中でいただいたお弁当を有難くお腹に収めて、宿のあった町から少し離れた街に着いた。人通りが多い。出店もある。ここはもしや観光地?色鮮やかできれいな建物が目に楽しい。
「そこのかわいいお嬢さん、串焼きはいかが?」
「お弁当食べたばかりなのでごめんなさい。でも美味しそうですね」
「食えないものを買おうとするな」
「お兄さん、可愛い恋人にこの首飾り贈らない?」
「恋人ではないしイミテーションにしても質が悪いものをよく臆面もなく売れるものだ」
「その分安いですしデザインは可愛いですよ。ほら」
「俺にかざすな…というかいちいち客引きに反応して立ち寄るな」
「だって『旅行中』でしょう?『観光』を楽しまないと」
現在「旅行中の兄妹」という設定なので全力で演じているだけです。
決して素で楽しんでいるわけではありませんとも、ええ。
そう思っているとほっぺたを片方抓まれる。ひどい。ちょっと魔がさして綺麗な青いガラス玉の入った髪飾りを純白の髪を収めた帽子に当てただけなのに。ちょっと似合うんじゃないかとか、ほんのちょびっと思っただけなのに。
「…流石にお兄さんにそれは似合わないんじゃないかなぁ。お嬢さんがつけたら?」
「私の髪、色が強いのでこういうのは合わないですね。お兄さまの方が髪の色、合うと思うんですけど」
「いや、男の人用のじゃないからこれ。男前に花の髪飾りはある意味嫌がらせだよ?」
「そうですか?私の知ってるとてもお顔立ちの綺麗な男性は、大輪の花のヘッドドレスがすごくよく似合ってましたけど」
「なかなか特殊な事例じゃないかなぁ…ところでこっちの指輪はいかが?」
「あ、この石はそこそこいい質ですね。流石は宝石が有名なミネオーア」
「この国に来たなら買わない手はないよ?」
「この店で買わねばならない理由はないしそもそも買う予定はない」
ばっさり切られてもめげない商人魂は強い。にっこりとした笑顔のまま客の目の肥え具合で出す商品を変えているみたいだ。さっきまではどう見ても色を付けたガラス玉か何かだったのに今出しているのは宝石と言える部類の石だ。質としては王族に出すものではないけれど、店主さんは目の前の人物が隣国の王子さまだって知らないから無理もない。
「女の子なら宝石贈られたいと思うよね、お嬢さん」
「そうなんですか?」
「やだなぁー手ごわいなー。こっちならどうかなぁ?」
「もういくぞアル。この店主何か買うまで商品出してくるつもりだ」
「むしろどこまで出てくるか気になりません?」
「お前のような迷惑な客は早々に出ていくべきだとは思わないか?」
「確かにそうですね、お兄さまは営業妨害だし」
そうして去っていく盛大な冷やかしにも「ありがとうございましたまたどうぞ~」とあいさつをする店主さんに会釈しつつ、また歩幅の大きくなったハイド様を追いかける。追いついたところで何かに気付いたように途端に歩みを遅くするものだから、追い越してしまう。慌てて戻ると鼻をつままれた。なぜでしょう。
「わざわざ戻らなくてもいい」
「さっき戻って頂いたので」
「脚の短いお前を慮って歩行速度を調整するのは俺の義務だ」
「思いやりの方向を少し変えていただけませんか?たとえば、足の長さの話をやめるとか」
「短い脚での移動速度を考えて寄り道をさせないよう気を配るのも、俺の義務だ」
「み、短くないもんっ……!背が低いだけだもん……っ!!」
「……お前にもそういったことを気にする情緒があったんだな」
ハイド様の中でのわたしはどういう生き物なのだろう。ちょっと怒って抗議する。
「誰だって歩くの遅いって言われたら嫌な気持でしょう」
「前言撤回だ。やはりお前は思っていた通りだ」
「どういうふうに思ってるんですか…置いてかないでくださいよ!」
わたしのいつも通りの歩きよりは早く、自分のいつもの歩きよりはずっと遅く。そんな速さでわたしを置いて行こうとする人の背中を慌てて追いかける。
こんな早く歩いたら観光も何もできないじゃないですか!