1.4王子殿下とわたしの宿問題
なんだか物凄く懐かしい夢を見た気がする。
そう、あの時以降、わたしはハイド様と呼んでも無視され呼ばれるときはクローブと家名で呼ばれ。
「何年かぶり以前に呼び合ってないじゃないの…」
むくりと起き上がって頭をガシガシと掻く。わたしはお母様と違って髪が短いから、手入れが非常に楽だ。教堂の歌巫女という役職についていると長い髪じゃないといけない。時々わたしの髪に櫛を入れながらいいなぁアルちゃんいいなぁというお母様は物凄く可愛い。
そんな可愛いお母様と同じくらい可愛い他の家族に早く朝のあいさつをかわそうと、着替えの動きに入ったとたん、
「むぎゃっ、ぎゃっ!!」
ソファーの方からクッションが飛んできた。剛速、それも2つが時間差で。
何も考えず、それらをつかんで投げ返そうと立ちあがったらソファーで体を起こした人と目が合った。
そうだ、ここ、家じゃない。
「あ、おはようございます殿下」
「……前、」
「はい?」
「前解けてるっ!」
「うおぅ…失礼いたしましたです、はい……」
上着の左右を合わせる紐をほどいていました。申し訳ありません。
昨日、馬車をひっくり返されたのはお昼を過ぎて何時間かたったころだったので、歩いて街に辿り着いて時には日も暮れかかっていた。脱いでカバンに詰めていた自分の服から適当に飾りを引きちぎって換金した殿下は、人通りは少ないが怪しい雰囲気の店などはない路地にわたしを連れ、腕を組んでわずかに壁にもたれてこう言った。
「問題がある」
「野宿ならどんとこいです!」
「宿をどうするかだ」
「野宿ならどんと」
「黙って聞いてろ」
「ギョイ…」
「俺の手持ちはブリオニアの金貨ばかりで、この国の金はさっき換えた銅貨だけだ」
「私は無一文です、なぜなら同行の方に財布を預けていましたので!」
「いっぺんに換金するのは危険なので避けたい」
「高そうなお召し物でしたもんね…引きちぎってましたけど大丈夫なんですか?」
「足りないんだ」
「はい?」
「それなりに安全な宿で2部屋取るには足りないんだ」
「なるほど、わかりました!」
いつも通りの無表情で、けれど本当に困っている様子の殿下に力強く応える。
「ハイド様はゆっくり宿でおやすみください、私はどっかそこらへんで適当にったい!!」
「非常に不本意だが同部屋で我慢しろ。俺は床でもどこでも寝れる。行軍演習で慣れてるからな」
「え、なら私が床にったいぃぃぃぃ」
「枕が変わるだけ寝つきが悪くなるという無駄に繊細な女に野宿や床張りを強要できると思うのか?」
「どうして私のささやかなひみつをぉ…」
「アレクからのどうでもいい姉情報だ」
「ハイド様、弟と仲いいですよね」
「そうでもない」
冷たく言い放つと同時に引っ張っていたわたしの頬をペイと放り投げる殿下、弟はあなたとお話ししたよと嬉しそうに毎回報告してくれるのでそんなこと言わないで下さい。
そんなこんなで同部屋にすることに落ち着いたわたしたちは取りあえず良心的な値段で比較的安全な部屋を用意してくれそうな宿に泊まることになった。
殿下はわたしを妹だと言ったけど、絶対そう思われてない。そもそも似てないし、宿主さん、あらあらお若いねって顔をしていたから。ともかくお金が足りてほっとする。あまり旅に出ないので、こういうのは殿下に任せるしかない。
「こういう時もう少しお父様寄なら弟とか言い張れたかなと思うんですけど、結局同じじゃないかなとも思うんですよねぇ…」
「…アレクと並んで歩いていると、知らん奴は俺に女ができたと思うらしい」
「同じでしたかぁ…アレク可愛いですよね!!」
「知らん」
「アレク、可愛いですよね…?」
「…ほとんど同じ顔で何を聞いてくるんだ」
「…え?ぜんぜん違いますよ?」
アイリスはもうほとんどお父様と一緒だけど、アレクとわたしはお母様寄りの顔立ち。そしてアレクの方がちょっとお父様成分多め。寄り、であって特に可愛くもないわたしと違ってお母様はとっても可愛いし、アレクもとっても可愛い。
なのに殿下は奇怪なものを見る目で私を見る。
「お前の家の鏡は全て壊れているのか歪んでいるのか」
「王家に比べたらささやかでしょうがきちんと収入あるのでそんな悲しい家具事情ではないです」
「なるほど、おかしいのはお前本体か……その顔はするなといっただろうが!」
「だから何でですか!」
「俺の事情だお前には関係ない」
「私の顔なのに私に関係ないってなんですかぁいたいぅ~~!!」
あなたが今つまんでいるのもわたしの頬、わたしに関係すると思いますのでどうか放してください。
何やかんやで宿でのご飯は美味しく、お湯まで用意してもらえた。先に使っていいと言われたのでありがたく服を脱ぎかけたら頭叩かれた。廊下で待つと言われたのでそんな必要はないと思いますといったらもう一発もらった。おまけってなんでもうれしいものかと思ってたけど違うのね。
殿下の分は別にして、桶に分けたお湯にタオルを浸してゆったり体をふく。のんびりしてたら冷めちゃうからゆったりはしていてものんびりはしない。
あらかた拭きおわって残った分に着ていた下着を入れて簡単に洗う。洗剤を使いたいところだけど、すすぎ用のお湯がないので我慢する。暑くはないとはいえ、着てたら汗はかくものだ。取りあえず洗った気になって目につかないところに干しておく。
さて、このままこの格好で殿下をお呼びしたら絶対に怒られるので、宿で準備されている寝間着を着よう。ごわごわもしてないしなかなかいいお宿ではないです、か。
………。
そっと扉の方に行って殿下に声をかける。
「なんだ。服は着ろよ」
「いや、着てます。宿の方が準備してくれたの着てます。肌触りなかなか良好です、が」
「が?」
「閉まりません」
「は?」
「あの、上着の前が閉まらないんです。あ、見た方が早いですか?」
「待て、おま、それじゃ声かけた意味がないだろっ」
確かに。
でももうノブに手をかけてひいちゃった。扉に寄りかかってたらしい殿下がたたらを踏みながら入室してきたので受け止めようと慌てて両手を広げたけど、よく考えたらわたし、殿下より結構背が低い。支えきれずに共倒れ寸前までいって、殿下がくるっと体勢を変えて上下を逆転してくれた。
一目でわたしが伝えたかったことがわかったらしい殿下はさっと手で顔を覆ってついでにそっぽを向く。
「…中で待ってた方が安全だったわけか?」
「あの、大丈夫ですか?頭打ってませんか」
「どうでもいい、良いから降りてくれ」
「あ、はい、すいません」
「ついでに前隠せ」
「あの、無理に閉じると逆にいかがわしい感じにですね、ほらこのとおり」
「なんでそんなにサイズが合ってないんだ」
「日中出歩くときは押さえつけてるので宿の人は悪くないんです…」
「なんでそんなに無駄に一部分肉付きがいいんだ」
「お、お母様見れば分かるでしょう!あ、だからってお母様をそういう目で見ないでくださいねっそういう目でお母様を見ていいのはお父様とわたしだけです!!」
「何を言ってるんだお前は」
「私にもわかりません!!」
身長のわりに目立つ胸囲は、ちょっと恥ずかしいのでいつも押さえてごまかしてるのだ。お母様は恥ずかしがってると逆に恥ずかしい、堂々としましょうというけど、まだそこまでの段階にはいけない。何なら見せていきましょうと言った途端にお父様が怒ってお母様のほっぺたをつぶしに来て、お母様はとても嬉しそうだった。
ともかく、ちょっと恥ずかしくて仕方ないのでしょんぼりシーツにくるまって廊下を目指す。すぐに頭をつかまれて進めなくなる。なぜ。
「そんな恰好でうろつくな」
「でもハイド様、お湯使うでしょう?」
「…物陰に隠れるから問題ない」
「え?じゃあなぜ先ほど廊下に」
「お前、もう寝ろ。俺は疲れた」
「お疲れなら肩もみでもします?」
「寝ろと言われて寝れないなら鳩尾に一発くれてやるぞ」
「おやすみなさい、良い夢を!!」
本当ならここでベットどっちが使うか問題を精査すべきだったのだけど、このままだと本当に気絶させられそうだったので、大人しくベッドに飛び込んでそのまますんなり寝てしまった。
そして冒頭に至る。
結局2度も御前にさらしてしまって申し訳ありません。
「ブリオニアに辿り着くまで毎晩服のサイズ合わないと気まずいので押さえつけるのやめようかと思うんですが」
「却下」
「なぜでしょう」
「目立つな衆目を集めるな」
「そ、そんなにはないですぅっ!!」
「…母親ともう大して変わらないだろ」
「お母様をそういう目で見ちゃダメなんです、お父様が許しても私が許しませんっっ!!」
「事実をありのままに言っただけだ」
ひどい、まだお母様の方が大きいもん。この前一緒に測ったから間違いないもん。
でもそれをよその息子さんに言うのはおかしいので黙って睨みつけていると殿下が微妙な顔をしている。そんな顔したってお母様をそんな目で見てはいけないったらいけない。
「…お前、自分に関しては何も言わないのな」
「…ほっぺは抓まないでほしいですけど」
「いや……もういい」
お顔立ちは全く似てないのに、はぁと溜息をつく姿がいつかの陛下の姿と重なるのはなぜだろう。