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「翁様はね、素敵なモノを拾ったらしいんだけど、すぐにそれを失くしてしまったらしいんだ」
楓太はカウンターの中、夢子はカウンター席のスツール、翁様はカウンターの上に置かれたミニ座布団。
それぞれが席に落ち着くと、楓太は特に前置きもなく話を切り出した。
──いや、待って。この『翁様』が何者なのか、私に対する説明は一切なしなの?
「キラキラしていて、透き通っていて、でも七色に輝いていた……でしたっけ?」
「うむ。わしはそれを、宝物の瓶の中に入れておいたのだ」
夢子にはグラス、翁様にはお猪口で水を出した楓太は、銀のポットをカウンターの定位置に戻しながら翁様に問いかける。
翁様に出したお猪口も、夢子のグラス同様、やけに使い古された雰囲気があった。端がちょっと欠けている上に、うっすらとヒビまで入っている。
──切子細工のお猪口とか使えば、同じ水でも全然印象が違うと思うんだけどなぁ……
「わしはその瓶を背負って、伊奈波の杜から麓まで降りた。善光寺の軒下に辿り着いた時に背から瓶を下ろしたら、瓶の中に入れておった欠片がなくなっておったのだ! 降りてくるまでの間に失くしたに違いない!」
「翁様が持ってる瓶、蓋がないですもんね」
「落とした区間は分かっておるのだ。だから境内をくまなく探せば見つかるに違いない! わしは自分が歩いた道筋もちゃんと覚えておるのだぞっ!!」
「……というわけでね?」
「聴いておるのか楓のっ!!」
「困ってるんだ」
「楓のっ!!! やる気がないからと言って娘子に全てを投げようとするでないっ!!」
翁様にわざわざ説明させたくせにその説明を適当に聞き流した楓太は、困り顔で夢子へ視線を向ける。
──いや、そんな顔をされても、私も困るんですが……
イケメンの困り顔は目の保養にはなると思うが、いきなりそう言われても夢子だって困る。
「……翁様が失くし物をしたというのは、何日前の話なんですか?」
夢子は少しだけ宙に視線を流して考えると、翁様へ視線を落とした。
「しばらく前じゃ」
「翁様が店に話を持ってきたのは三日前。翁様の話しぶりからするに、多分失くし物をしたのは四日前の夕方頃。そもそも『素敵な物』を拾ったのが四日前の昼過ぎくらいじゃないかな」
楓太の言葉に、夢子は目を瞬かせながら楓太を見上げる。その視線から夢子の疑問を正確に読み取った楓太は、小さく溜め息をつきながら夢子が口を開くよりも先に答えを口にした。
「翁様みたいな方は、みんな長生きだし、ヒトが決めた時間の流れに縛られていないから。翁様にとっては、昨日もおとといも、1カ月前も1年前も、10年位前まで『しばらく前』だよ」
「……え?」
「翁様の性格上、失くし物がすぐに見つからなかった時点でここに駆け込んでくると思うんだ。翁様がこの話を店に持ってきたのは、三日前の開店準備をしていた時で、開口一番に翁様は『なぜお前はもっと勤勉に店を開けておかんのか! 昨日の夕方だって……』って怒りだしたから、その前日、僕がお店を閉めてから翁様はここにその話を持ってこようとしたことが分かる」
ここ、夕方の5時に閉めるから、僕が片付けを終えて店を出ると6時くらいになるんだよ、と楓太は言葉を締めくくる。
──そっか。楓太さんは、推理が得意だ。今の状況は、その楓太さんが考えた上で『お手上げ』なんだ。
荒れ果てた坪庭を見たせいですっかり忘れていたのだが、楓太は夢子を一目見ただけで地元住民の大学生であると見抜いた推理力の持ち主だ。簡単な相談だったら、一見客である夢子を巻き込む前に解決していたに違いない。
──これは私も、真剣に考えなきゃ。
何だかんだ言いながらも、楓太には熱中症から助けてもらった恩がある。夢子で力になれるなら頑張りたいというのが、夢子の偽らざる本音だった。
「楓太さんは、翁様の『失くし物』、具体的にどんな物だと考えてますか?」
恐らく楓太が推測した翁様の行動時間帯は当たっていると思う。
今時分の日没時刻は6時半頃だから、楓太が店を後にした6時頃はちょうど西の空が橙色に染まり始める時刻だ。翁様の足で伊奈波神社からここまでどれくらいの時間がかかるかは分からないが、失くし物に気付いて即刻店に駆け付けたならば、それくらいの時刻に失くし物に気付いたと考えるのが妥当だろう。拾った時刻に関しては翁様の普段の行動から推測したという所か。夢子には根拠が見つけられない推測だが、そこは楓太を信じるしかない。
「うーん……。そんなに大きな物ではないと思うんだ。翁様が宝物を入れて持ち歩いているガラス瓶に入ったくらいの大きさだから」
恐らく翁様に直接訊ねるよりも楓太に訊いた方が早いだろうと踏んだ夢子は、翁様を素通りして楓太に向かって問いを投げる。楓太も楓太で夢子と同じことを思っているのか、特に夢子の態度を咎めることもなく自身の考えを教えてくれた。
「翁様の宝の瓶は、ジャム瓶みたいな瓶でね。多分、誰かが捨てた瓶を、たまたま拾って綺麗にしたんだろうけど……。翁様はその瓶に自分が拾った宝物を詰めて、時々気に入った場所に持ち出しては眺めるのが趣味らしいんだ。背中にくくりつける感じで持ち運んでいるらしいよ」
だからサイズで言うとこれくらい、と楓太は親指と人差し指を伸ばして大きさを示す。
確かに翁様の背丈なら持ち運べるのはその大きさまでが限界か、と納得した夢子は続けて問いを口にした。
「その時瓶の中に入っていたのは、その『素敵な物』だけだったんですか?」
「それだけだったみたいだね。話を聞いた限りでは」
「入れて口からはみ出しちゃってて、そのせいで落とした感じですか?」
「そうではないみたい。瓶にスポッと入ってたって言ってたから」
だから正味の大きさではこんなもんじゃないかな、と楓太は広げた指を心持ち狭めた。
「キラキラしていて、透き通っていて、でも七色に輝いていて、翁様が拾える物。僕はガラスの欠片とか、ビー玉とか、そんな感じの物かと思ったんだけど……」
「あ。私もそれ、思いました」
楓太と視線で頷き合った夢子は、翁様に視線を落とす。
だが当の翁様は、二人の視線を受けても『はて?』と首を傾げただけだった。
「どうだったかのぉ?」
「へ?」
「ガラスのように尖っていたようでもあり、ビー玉のように丸かったようでもあり、それ以外であったような気もする」
「……は?」
夢子は思わず口をぽかりと開いたまま楓太を見上げた。何だかさっきから、翁様と楓太の間を行ったり来たりしているような気がする。
「いや、探すつもりはあるんだと思うよ? そうじゃなかったら、あの庭を使ってまで連日ここに押しかけてきていないと思うし」
──これが連日なのか。そりゃあ適当に聞き流したくもなるわ。
思わず夢子は楓太に同情した。最初は楓太の態度はいかがなものかと思っていたが、こんな調子の翁様に付き合って4日目になるのかと思うと、逆によく付き合ってあげているものだと思う。夢子だったらもうやんわりとお断りしていそうなレベルだ。
「いくらあの庭を使っているとはいえ、翁様の大きさだと伊奈波神社からここまで飛んでくるのも大変だろうし、そろそろ解決してあげたいんだけど……」
「これだけの情報じゃ、何を探してるのかも分からない状態ですもんね……」
夢子の感覚で言えば伊奈波神社はすぐ近くなのだが、背丈が小さな翁様と夢子達では世界のスケールが違う。きっと翁様にとって伊奈波神社からこの店までの距離はとてつもない大冒険であるに違いない。楓太の言葉から考えるに何やらあの庭を使って翁様はここへきているらしいが、その秘密を探るのはとりあえず後だ。
「翁様の手で拾えたってことは、固体だったってことですよね?」
「さすがの翁様も、液体や気体は拾えないと思うよ?」
「楓太さん、現場には行ってみました?」
「一通りは。でも、場所が境内の中に限られていて、翁様が歩いたルートが分かっていまても、それだけじゃ埒が明かないくらい、伊奈波神社も広いからねぇ……」
それに、成人男性が一人で地面に這いつくばって探し物をしていたら、すぐに不審者として通報されてしまうだろう。
『神社』と聞くと人気が少ない印象を受けるが、案外伊奈波神社は日が沈み切る間際くらいまで神職や巫女、交通整備員、参拝客などで常にそこそこ人目がある。楓太も散歩を装ってゆっくりと沿道を歩くのがせいぜいだったのではないだろうか。そんな状態で手のひらよりも小さな正体不明の落とし物を探しても見つけられるはずがない。
「翁様、その『素敵な拾い物』、もう一度直接見れば『これだ!』って分かります?」
夢子は意を決すると再び翁様へ顔を向けた。
いつの間にかお猪口の水を飲み干していた翁様は、そんな夢子に向かって胸を張ってみせる。
「分かるとも! あんなに素敵なモノが、そうそう世の中にあるはずがないからな!」
その言葉に小さく頷いた夢子は、姿勢を正して楓太に向き直る。夢子が何をしようとしているのかもう分かっているのか、楓太は心配そうに表情を曇らせた。
「夢子ちゃん、体調は大丈夫なの?」
「水分もちゃんと取ったし、涼ませてもらったのでもう大丈夫です。むしろ、倒れる前より元気なくらいです」
両手握りしめた夢子は、ふんっと気合を入れると楓太に答えた。
「ここまで来たら、乗り掛かった舟です。このままここで話を聞いていても埒が明きません。……私、翁様と一緒に現場捜索に行ってきます!」