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和カフェ『ふなば』の楓太さん  作者: 安崎依代


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22/22


「……あっつい」


 暑い。とにかく暑い。『暑い』という単語以外が脳から溶け出ていくくらい、あっつい。


「岐阜の残暑、ナメてたわけじゃないけど、これはやっぱしんどいわ……」


 季節は9月。空には時々秋の気配が見えてきたものの、気候はまだまだガッツリ夏。むしろ7月・8月の暑さよりも9月の暑さの方が個人的には(こた)える夢子(ゆめこ)だ。


「でもやっぱり、卒論の草稿が(まとま)ったお礼は、しておかないとね」


 夢子はえっちらおっちら伊奈波(いなば)神社の階段を上りながら呟いた。


 こんなあっつい昼下がりにお参りに来ようという物好きも珍しいのか、境内に人の気配はない。


 神門まで登り、お賽銭を投げ、二礼・二拍手・一礼。感謝の念を捧げると、今日も涼やかな風が夢子の髪を揺らしていった。


 ──ここから全部が始まったんだよなぁ……


 神門を額縁にした景色の先にニョッキリと生える鉄塔を見上げ、今年の夏の初めにここで楓太(ふうた)と並んでお参りしたことを思い出す。


 ──色んなことが、あったよなぁ……


 不思議な存在との出会い。ギュウギュウたくさん心を揉まれたこと。


 それらを通して自分は、少しでも成長することができたのだろうか。


 ──なーんて。そう思ってる間の成長なんて、ほんっと微々たるものなんだろうけどね?


 夢子は口元に笑みを浮かべると、もう一度礼をしてから神前を辞した。途中で黒龍社(こくりゅうしゃ)にもお参りに寄って、今日も晴れやかな街を見下ろしながら石段を下りていく。


「……ん?」


 その先、左手にある朱色の塊に視線を奪われた夢子は、お太鼓橋の(かたわ)らで足を止めた。


 黒龍社の横を流れる小川が滝になって降り注ぐすぐ隣。小さな池にかかる橋を渡った向こう側。


 いつも夢子は通り過ぎてしまっていたのだが、そこには朱も鮮やかな鳥居を幾つも従えた小さなお稲荷(いなり)さんが鎮座ましましている。


「……ん!」


 普段は通り過ぎてしまうのだが、なぜだか今日は心を引かれた。その直感に従って夢子は鳥居をくぐる。


 小さなお(やしろ)の前に立つと、降り注ぐ滝がちょうど正面に見えた。真夏の昼日中でもお社の周囲には涼やかな風が吹いている。


 夢子は鞄から財布を取り出すと小銭を漁った。500円玉しか入っていないことに気付いて一瞬躊躇(ためら)ったものの、これも何かの御縁だと思って500円玉をつまみ上げる。


 お賽銭箱に500円玉を差し入れて、二礼・二拍手・一礼。


 自然と思い浮かべたのは『自称・お稲荷さん』である楓太のことだった。


 ──本当にお稲荷さんであるのかどうかは別として、不思議な人であることに変わりはないもんなぁ……


 そして、夢子を救ってくれた『頼りになるカミサマ』であることにも間違いない。


 夢子は楓太に助けられた。


 最初に熱中症で倒れかけた時のことだけではなくて。卒論や卒業制作のことだけでもなくて。


 もっと、心の深い所にあった、何かを。


 ──ま、相変わらず、閑古鳥(かんこどり)が鳴く和カフェの店主ってことに変わりはないんだけどね。


『いつか人気店になったら嬉しいなぁ』とも『でもそうなったら、楓太さんとのんびりお喋りできる時間がなくなるのか。それはイヤだなぁ』とも思いながら、夢子は朱色のトンネルを抜けていく。


 この後の目的地はもちろん、楓太がいる和カフェ『ふなば』である。今日は草稿が纏まった卒論の話を聞いてもらう予定だ。


 ──私からの話を聞いてもらったら、新作メニューの話をしてもらおう。お店の坪庭計画の話と、あとは……


 そうだ、このお稲荷さんの話もしよう、と思い立った夢子は、最後の鳥居の外へ跳ね出ると振り返って掲げられた神額を見上げる。


「えっ、とぉ……?」


 金で縁取りされた黒地の立派な神額には、縁取りと同じ金の文字で『楓稲荷』と揮毫(きごう)されていた。


 その名前に脳内の楓太がいつものように小首を(かし)げて涼やかに微笑み、お狐様サインを掲げながら『コンッ!』と鳴く。


「……いやいや、まさかね?」


 そんな妄想を自分で笑い飛ばして、夢子は今日も『ふなば』に向かうべく跳ねるように坂を降りていく。


 そんな夢子の後ろ姿を、お社の(きざはし)を守るように配された陶器作りの白狐が、釣り目ぎみな目尻を(なご)ませて見送っていた。





【和カフェ『ふなば』の楓太さん・了】



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