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和カフェ『ふなば』の楓太さん  作者: 安崎依代
    『ふなば』春夏冬中

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16/22


 降りてきたゴンドラの扉が開いて、中から乗客が降りてくる。平日の昼下がりだというのに、乗客はそこそこに多い。


 そのゴンドラに最後まで残っていた老夫婦と二人に寄り添う()を見つけた瞬間、夢子(ゆめこ)は思わずギョッと目を(みは)った。


 ──こ、こういうキャラ、見たことある……っ!


「お手伝いしましょうか?」


 今まさにゴンドラから降りようとしている老夫婦に、いつの間にかゴンドラに歩み寄っていた楓太(ふうた)がごくごく自然に手を差し伸べる。老婦人の(かたわ)らに寄り添った老夫はそんな楓太に顔をしかめたが、老夫が口を開くよりも柔和な笑みを浮かべた老婦人が楓太に手を預ける方が早かった。


「あらぁ、ありがとねぇ。助かるわぁ」


 楓太の手を借りてゴンドラから降りた老婦人は、すぐに楓太から手を離すと己の足と杖で地面に立った。そんな老婦人を阿吽の呼吸で老夫が支える。相変わらず老夫の表情は厳しいが、老婦人の背と腕に添えられた手は老婦人を(いた)わる優しさであふれていた。


「ロープウェーに乗っても、やっぱりここまで体にガタが来ちゃうと、中々上までは登れないものねぇ」

「どこまで登ってみえたんですか?」

「ふふっ、本当は展望台の上まで行きたかったんだけど、さすがにもう無理だったわぁ。途中の休憩所まで上がって、お団子食べてくるので精一杯よ」


 老婦人と言葉を交わしながらも、楓太は老夫の邪魔にならないように体を引いた。そんな楓太に老夫がわずかに目礼を送る。


 そんな夫に気付いたのか、老婦人は夫を見遣ると柔らかく目を細めた。


「でも、お陰でとっても素敵な冥途(めいど)の土産になったわぁ。お父さん、ワガママに付き合ってくれて、ありがとねぇ」

「……冥途の土産と言うには、まだ気が早いのでは?」

「ふふふっ、お兄さん、気を使ってくれてありがとうね。でも、本当のことなんですよ」


 老婦人は、ずっと笑みを崩さない。老夫も、ずっと険しい表情を浮かべたまま動かない。


 だが老婦人が楓太にそう答えた瞬間、老婦人を支える老夫の腕が確かに強張ったのを夢子は見た。


「今度、入院することが決まったんです。病状的にも、年齢的にも、もう生きて病院を出ることはないでしょうねぇ」


 老婦人は軽やかな口調のまま言うと、わずかに背中を伸ばして真っ直ぐに楓太を見上げた。


「だから、最期のワガママと思って、お父さんに付き合ってもらったんです。ふふっ、……私ねぇ、お山の上でプロポーズしてもらったんですよ。当時、この辺りで一番見晴らしがいいのが金華山(きんかざん)のお山の上だったから」

「余計なことは、言わんでいい」


 本当に嬉しそうに、老婦人は笑う。


 そこで初めて、老夫が口を開いた。岩を連想させる硬くてざらついた声は、表情同様に口調も硬い。


「そんな話、するんじゃない」

「プロポーズのお話? 冥途の土産のお話?」

「どっちもだ」


 背筋を伸ばして楓太を見上げた老婦人とは反対に、老夫は顔をうつむけた。さらに険しくなった表情は今にも怒鳴り声を上げそうなほど歪んでいるのに、夢子にはなぜか老夫が涙をこらえているように見える。


「また、お前が来たい時にいつでも連れてきてやる。……この程度のことで、こんなにはしゃぐんじゃない。みっともない」


 そんな夫を見上げて、老婦人はふんわりと笑みを深めた。本当に嬉しくて嬉しくて仕方がないといった……まるで、恋をしている少女のような表情だった。


 そんな二人の後ろに立った影が、モソリと動く。


「あ……あ……」


 微かな声を上げながらモソリ、モソリと動く影に、夢子は恐る恐る視線を向けた。


 某有名アニメ映画で見かけた、影法師みたいなキャラに似ていた。


 楓太よりも高い背丈に、真っ黒なシーツを被せたようなシルエット。顔にあたる部分にはクワッと目を剥いた鬼のような仮面がはめ込まれていて、そこだけが某有名アニメ映画のキャラと違う。


 ──何だっけ、あの面……納曽利(なそり)? 蘭陵王(らんりょうおう)


 影は明らかに老夫婦にくっついているのに、老夫婦はその影に気付いていないようだった。老夫婦どころか、一緒にゴンドラに乗っていた乗客達も、係員も、誰一人として気付いた様子はない。夢子の目にはこんなにクッキリハッキリ見えているというのに。


 ──こ、この人が、護国(ごこく)さんと楓太さんが探していた『グダラさん』……だよね?


『やっぱりヒトじゃなかったんだ』とか『(おきな)様より、何というか、あっち(・・・)()()住人(・・)っぽいよね』とか『というか、その見た目で神様なんデスネ?』とかいう感想が忙しく胸中を跳ね回っていたが、夢子はそれを全て全力で胸の奥に押し込める。


 今は言ってはいけない。絶っ対に言ってはいけない。万が一グダラさん本神(ほんにん)に聞かれてしまったらうっかり(たた)られてしまいそうな雰囲気がある。


 ──というか、何なの? ここ最近の私何なの? 生まれてかれこれ20年以上そう(・・)いう(・・)モノ(・・)とはご縁がなかったのに、ここ最近の遭遇率の高さって何なの……っ!?


 グダラさんが見つかった安堵(あんど)と、グダラさんが想定外の姿をしていたことに対する驚きと、自分と楓太にしかグダラさんが見えていないかもしれないというこの状況に対する恐怖。


 とにかく色んな感情に心を揉まれてどう反応したらいいのか分からない夢子は棒立ちのまま凍り付いたように一行を見つめ続ける。


 だがふと、あることに気付いてシパシパと目を(しばたた)かせた。


 ──あ、れ? あの腕の動き……


 相変わらず楓太は老婦人と柔らかく言葉を交わしていて、老夫は厳しい表情を浮かべながらもそれを見守っている。グダラさんは老夫婦の後ろに立って、何やら先程からモソリモソリと腕のような物を動かしていた。


 ──まるで、おばあさんの背中をさすっているみたいな……


 あるいは、老婦人の背中に積もっている何かを払い落としているかのような。


 そんな仕草が、老婦人を支える老夫の腕と同じくらい優しさにあふれていて、それ以上に焦っていることに気付いた夢子は、自分の気付きに思わず大きく目を見開いた。


「ずっと健康の願掛けをしてきた護国さんと愚多羅(グダラ)愚多羅(グダラ)さんに最後のご挨拶もできましたし、もうこれで思い残すこともありませんよ」


 老婦人と楓太の会話が、終わろうとしている。


 その言葉を聞いた影の動きが、ビクリと震えて止まった。


「最後に、こんな親切にしてもらって。お兄さん、ありがとうねぇ」


 老婦人は柔和な笑みを浮かべたまま、小さく頭を下げた。そんな老婦人に(なら)うかのように老夫もわずかに頭を下げる。


 そんな二人に、楓太は笑みの中にわずかに寂しさを混ぜた。


「……どうか、安らかに」


 楓太に見送られて、老夫婦は歩みを進め始める。そんな二人に追いすがろうと影は動くが、何かに引き留められたかのように影は不自然な角度で動きを止めた。


「……ヒトの世には、僕達(・・)ではどうにもできない定めがあるんです」


 ヒソリと、細い雨の音にかき消されてしまいそうなほど微かに、楓太の声が聞こえた。


「だから、グダラさんがどれだけ頑張っても」


 楓太の指が、影の腰辺りをつまんでいた。その指に引き留められたから影は動きを止めたのだろうと、夢子は(さと)る。


「……『グダグダを取り払う』ことを本分とするグダラさんでも、祓えない『グダグダ』が……どれだけ真剣に願を掛けられて、どれだけ真剣にこちらが応えたいと望んでも、応えられないことが……応えてはならないことが、ヒトの定めの中には存在するんですよ」


 老夫婦が、夢子の傍らをゆっくりと通り過ぎていく。


 それと入れ違うように待合に入ってきた人影が、ゆっくりと影と楓太の方へ歩み寄った。


「……探しましたよ、愚多羅(グダラ)さん」


 黄ばんだ白いワイシャツにカーキ色のズボン。ズボンと同じ色の使い古された武骨な傘を数本腕に掛けた護国は、少しだけ寂しさを混ぜた笑みを影に向けた。


「……帰りましょう、私達の(もり)へ」


 楓太を見、護国を見た影は、次いで老夫婦の背中を探すように入口へ顔を向けた。ゆっくりと進む二人は、今まさに外へ出ようとしている。


 影の腕が、そんな二人に向かってゆっくりと伸びた。


「あ……あ……」


 影が、鳴く。


 先程と変わらないトーンで。先程と変わらない、(ささや)くような音量で。


 仮面の顔は動かない。表情も出ない。


 だけどなぜか夢子には、影が泣いているように思えた。


「あ……あ……」


 細い雨の向こうに老夫婦の姿が消えていくまで、影が腕を降ろすことはなかった。護国と楓太も、そんな影に何かを言うことはなかった。


 ただサァサァと降り続く雨の音だけが、一行を包み込むかのように鳴り響いていた。


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