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その後、結婚式はつつがなく進み、ラグナとアルテナは夫婦となる。ラグナは婿入りという事になり、姓がルクサレイトに変わった。
式の後、何人かが二人に直接、祝の言葉を述べに来た。しかし、自分に起こったことを受け止めきれていないラグナは生返事ばかりで誰が何を喋ったか全く覚えていない。そんなラグナをみて、今日は疲れただろうからとアルテナは何十人もいるそんな参列客をどうしても断れない数人だけに絞り、祝辞の受け付けを締め切った。そんなアルテナをラグナは意外といいやつと一瞬思ったが、こんなになったのはこいつのせいだと思い直したのだった。
式も終了し、二人も純白の衣装を脱いだ。だが、ラグナの人生の進む先が大きく変わったであろう今日という日はもう少し続く。
「ここか······」
教会から馬車に揺られて来た場所は都会から離れた静かな場所にある白い壁と赤い三角屋根の家の前だった。芝生の生え揃った少し広め庭があるため解放的な雰囲気だ。
「うむっ、私たちの愛の巣だ」
アルテナは自慢げに胸を張る。
ラグナとアルテナは夫婦になった以上、当然のごとく一緒に生活することになる。ここはそのためにアルテナが用意した家だった。
「意外と小さいな」
それがラグナが最初に思ったこの家に対する感想だった。
「不満か?」
「いや、勇者様の家だからな。もっと巨大な豪邸だと思っていた」
夫婦の新居は一般的な人間から見れば立派なものだ。しかし、それは養父から受け継いだラグナの自宅よりも小さく、世界の最高戦力が稼ぐ収入を思えば随分とこぢんまりしている。
「それでは使用人を雇わなければならないだろう?」
「雇えばいい」
「夫婦に水入らずがいいんだ」
今日一日ラグナを殴り回した女とは思えないほど新妻らしく可愛らしい理由だった。それを自覚しているのかアルテナの頬は僅かに赤く染まっている。
「そっ、それに私は神に使える人間だからなっ!節制は重要だっ!」
気恥ずかしさに堪らなくなりアルテナは慌てて取り繕い始める。
「そうか·····、いい家だな······」
アルテナの照れる様子を視界に入れながら家を見ていたラグナはただなんとくなく感じた事を口にする。ここで過ごす家族の姿を想像し、このまだ空っぽの家に孤児だったラグナには得られなかった幸せがあるような気がしたのだ。
「よかった······」
呟かれた飾らないラグナの言葉にアルテナは安堵を漏らす。その表情はもう勇者の顔をしていなかった。きっと不安だったのだろう。
アルテナはラグナの事を愛していると言った。しかし、ラグナは今日一日それを拒絶し続けてきた。それは結婚式の最中も変わらず、最後は剣を使って説き伏せたのだ。それは今日最初に花嫁衣装に袖を通した時にはきっと想像もしていなかった展開なのだろう。
(少し悪いことをしたかもな······)
ラグナは今だに結婚には納得していない。だが、結婚式でのラグナはアルテナの気持ちを考えずにただ逃げたい一心だった。もう少しきちんと向かい合えばよかったと後悔し、そしてそれを今からでも遅くないとラグナは改めてアルテナの顔を見据える。
「アルテ「金にものを言わせて、二日で建てさせた甲斐があったなっ!」
「おいっ!!節制はどうした!なまぐさ勇者っ!!」
安堵しきった勇者は数秒前の自分の言葉すら忘れてしまったらしい。そして、つっこむラグナも数秒前の後悔を忘れてしまいそうだった。
◆
新居は家具から食器、食料まで十全に用意せれ、今日突然に住むことになったラグナでも不自由がないようになっている。もちろん、元の家から持って来たいものはたくさんあるため、後日に荷運びの必要はあるだろうが一日、二日滞在するくらいなら問題ない。
しかし、アルテナと向き合うと決めたラグナは今後の事よりも、まずはこれまでの事を知りたかった。
「アルテナさん、お話があります」
現在、夕食を済ました二人はリビングの別々のソファーに向かい合って座っており、アルテナはワインボトルを開けて晩酌の最中だ。寛いだ時間にラグナは話を切り出す。
「おい、となりに座れ」
しかし、ラグナが向かい側に座ったのが気に入らなかったのか、アルテナは自分の隣の席をポンポンと叩いて催促する。のっけから躓きたくはなかったラグナは素直にそれに従う。
「むふぅ」
ラグナがとなりに座るとアルテナは嬉しそうに腕を絡め、ラグナの肩に頭を預ける。アルテナのいろんな部分が当たる状況をラグナは拳を強く握って何とか平静を保つ。
「話があるんだけども」
「子供は最低三人だ」
結婚はしたものの今だ納得していないラグナに対して、アルテナは新妻面でアホ面だ。酒も入ってすっかり気分よくしている彼女に現実を突きつけるのは気が引けたが、ラグナもこのままにしては置けなかった。
「違う、そう言う事じゃない。僕が聞きたいのは僕達がなんで結婚する事になったのかだ」
「そうか、ラグナは覚えてないんだったな」
アルテナは表情を作り変え、ラグナに寄りかかっていた居住まいを正す。ラグナは自分で切り出して起きながらアルテナの熱が離れていくのが少しだけ名残惜しかった。
「何処まで覚えている?」
「出会った時の事も覚えていない。僕の記憶があるのは朝、ベッドの上からだ」
「そうか······」
アルテナの残念そうな声がラグナの胸を締め付ける。ラグナの心に罪悪感が根を張り、芽吹きはじめる。
「では、最初から話そう」
そう言うとアルテナはワインを一口飲み、喉を潤わせた後、ラグナの失われた夜について語り始めた。
◆
勇者とは正義の象徴であり、大きな力を持つ存在だ。しかし、その力が頻繁に求められるほど世界は混沌としてはいない。故に普段は教会に飾られ、時々、式典の権威付けに飾られるのが勇者の職務内容だった。
アルテナはその事が不満だった。無論、自分がただそこに居るだけで保たれる秩序があるのは理解していた。しかし、自分の力が求められるほど不幸がないからといって世に溢れる小さな不幸を拾いに行けないのは納得いかなかった。
その不満の解消法としてアルテナが行っているのが街の自主的な見回りだ。休暇には、地区一つを一日かけて散策しながら見回りを行う。その行為は散歩と言い換えることもでき、実際に何か起こらなくとも人々の営みをその目で見て、触れ合う事は天上に至ってしまったアルテナにとって貴重な経験だった。
その日、アルテナは王都西にあるロットストーンという名の地区を見回り、街の様子を眺めていた。王都の中でも治安が良くない方だと聞く場所ではあったが、日中に人目も気にせずに犯罪行為が起こるような荒れた場所ではなく、この日は結局一日かけて物見遊山をしただけだった。
この見回りにはいくつかのルールをアルテナは自身に課している。その内の一つがその日の食事を見回る地区の店で調達することだ。何事もなく日が暮れて見回りを終了したアルテナはルールに従って夕食をとるために目についた酒場に入ることにする。
「いらっしゃい」
まるで引退した歴戦の傭兵のような屈強な肉体の店主が笑顔で入店したアルテナを歓迎する。書き入れ時の店内は窮屈には感じないほどに客が入っていた。
「エールをくれ」
適当な席についたアルテナはとりあえず酒を注文しゆっくりと壁に張られたメニューを眺める。すると、空席を一つ挟んで隣に座る黒髪の男と目が合った。どうやら男は自分のことを覗き見ていたようだ。男はしまったと言葉が聞こえてきそうな表情をしていた。
「この店は初めてなんだ。何が旨い?」
アルテナはすっかり目をそらすタイミングを逃してしまっている男に質問してみる。
「えっ?ああ、僕も何度もここに来ている訳じゃないが、シチューは旨かったな」
「ではそれを頼もう。······すまない、シチューをもらえるか」
アルテナは男の言うままに注文を行い、男は用は済んだとちびちびと酒を飲み始めた。作り置きができるシチューはそれほどアルテナを待たせることなくパンと一緒に出される。
まずアルテナはシチューを木製のスプーンで掬い口に入れる。
「うん、旨い」
「それはよかった」
そして二人はただの他人に戻り、アルテナはまた一口、二口とシチューを食べ始め、時々パンを挟みながら食事を進めていく。
そして、口の中をリセットするためにエールの入ったコップを手に取る。
「それで、なんで私を見てたんだ?」
「ブフゥッッ!!ゲホッ、ゲホッ······、スルーしてくれたんじゃないのかよ······」
アルテナの不意討ちで酒を気管に入れてしまった男は涙目になりなが言う。
「いや、少しお前をからかってやろうと思ってな」
「ひでぇ」
「それで、なんでなんだ?」
「うっ、それは······」
男は言いにくそうにどもる。
「それは?」
「それはっ、君があんまりにも美しかったからさっ」
男は目一杯にキメ顔を作って、芝居がかったセリフを吐く。男はからかうと言ったアルテナをからかい返したかったのだ。
「は?」
しかし、アルテナにはそれが意味不明の奇行にしか見えなかった。
アルテナの反応にキメ顔を作ったままの男の瞳に涙が浮かび始める。
「は?」
「二回言うなっ!!傷つくだろうがっ!!!」
「ハハッ、すまんな。だが言っただろう?お前をからかってやると。しかし、本当にそんな理由で見ていたのか?」
「いやまぁ、あんたはここら辺じゃ目立つよ。着てる服の質が違う。生地が良いだけじゃなく綺麗な刺繍まである。靴もピカピカ、髪も纏まってる。容姿もいいが、それ以上に身なりが綺麗すぎる。見てたのは別に僕だけじゃないと思う」
「容姿もいい······」
アルテナはさりげなく入った誉め言葉に思わず反応してしまう。勇者である彼女は幼い頃を教会で禁欲を尊ぶ聖職者たちの周りで育ち、彼女自身も修行詰めの毎日だったために容姿を誉められ慣れていなかった。
「どこに引っ掛かってるんだよ。今ので照れるなら、なぜさっきのに反応しない」
「いや、あんな気持ちの悪い事を言われてもな······」
「これ以上僕を傷つけないでくれ······」
男は気落ちして肩を落とす。騒がしくて愉快なやつだ、アルテナはそう思った。
「フフッ、お前名前は?」
「ラグナだ」
男はやや投げ槍に名乗る。
「私はアルテナだ」
名前を交わし合った後、アルテナは二人の間を隔てていた空席を詰めてラグナと隣り合う。ラグナは少し嫌そうな顔をしたがそれ口にすることはなかった。
「しかしラグナ、お前の身なりも悪くないようだが、何をやってるんだ?」
無地で目立たないがラグナの衣服も上等だ。この地区の住人の中でも羽振りの良さが伺える。
「しがない傭兵だ。だけど、金を持ってるのは父親が金持ちだったからだ」
「ふむ、傭兵という割には貧相な体だが?」
「僕は魔術師だから貧相でもいいんだ」
「それは凄い」
この世界に置いて魔術と言うものは学べば誰にでも扱えるものだ。故に魔術師と名乗り、魔術だけで生計を立てられる人間は珍しい。傭兵であるラグナが肉体よりも魔術を鍛えることを優先していることは彼の魔術に関する才能が優れていることを示していた。ラグナは自分の羽振りの良さを父親の金だと言っていたが、総じて高収入な魔術師である彼の金回りも良いはずだ。
「そういうあんたはどうなんだ?身なりが良い割には貴族や商家のお嬢様には見えないが」
アルテナは少し言葉に詰まった。勇者であることをここで告げれば、もしかしたらラグナの態度は翻ってよそよそしくなってしまうかもしれない。それは何となく寂しい。
「話したくないな」
だから、きっぱりと拒否した。
「え~、僕に話させておいて。何だよそれ」
「話したくないのだからしょうがない」
「ったく、でも気を付けろよ。あんたがどこの誰でも若い女が一人で出歩く時間じゃないよ」
ラグナのそう言うと僅かに顔をしかめる。自分が女であることで侮れることがあるためアルテナは自分が生物学的に女であっても、女呼ばわりされることが好きではなかった。
「ほう、この私を女扱いするとはな」
「この私ってどの私だよ。言わなかったのはあんただろ?」
アルテナの僅かな不快感をラグナは気がついた風もなく受け流す。そしてラグナの指摘にアルテナはそれもそうだと思い直した。だから、少しだけ自分の事を語っておくことにした。
「私は女を捨てたんだ」
アルテナは自分の顔についた傷をなぞりながら話す。この傷は自分が女を捨てて勇者となった事の証だった。
「なんでまた?」
「強くあるためだ」
アルテナは自分の覚悟を確かめながら答える。
「強くって、騎士か何か「それは話さんといったはずだ」
一度拒否したラグナの問いをアルテナは食い気味に再び拒否する。
「うっ、そうか。だけど分からないな。女であることと強いことは両立しないのか?」
「しないな。私が女々しく怯えたり、守られることは許されない」
勇者であるアルテナは人々の希望となり、守護する存在だ。自分が人々に勇気づけられたり、守られることは立場が逆転してしまう。そうなれば自分の存在意義はない。その辺りの町娘のように自分の容姿に気を使い、恋愛事にかしましく騒ぐことはアルテナの研ぎ澄ました信念に隙を作る。
「あんたが言う女というものがどんなものか分からないが、男だって怯えることはある。そして、そもそも人間は助け合う生き物だ。誰かを支えるだけ、支えられるだけの人間なんていない。もし、あんたが誰の助けもなく生きていると思っているのなら傲慢だ」
「そいう話じゃない。心構えの問題だ」
アルテナだって自分を支えてくれる人間なしでは自分が成り立たないことは理解している。しかし、だからと言ってそれに居直って、もたれ掛かるような真似をしたくはないのだ。
「同じことだよ。その心構えは女ではできないことなのか?」
アルテナはラグナの言葉を受けて僅かな間考え込み、その間にラグナはコップに僅かに残った酒を飲みきる。
アルテナはこれまで女であることで理不尽な侮りをうけてきた。故に、自分はそこら辺の女とは違うと声高に叫びたかったのかもしれない。それが勇者としての心構えといつの間にか混ざりあっていたのだろう。
「ラグナは私に女になれと言いたいのか?」
「会ったばかりのあんたの人生に口を出したりしないよ。強いことと女であることは矛盾しないと思うと言っただけだよ」
ラグナの言葉を全面的に肯定することはまだできなかったが、自分が女であっても強さを認めてくれる存在に出会えた今日は人生で幾度とない幸運な一日だとアルテナは思う。そんな男は今までアルテナの前に現れなかった。
「ラグナ、先ほど私の容姿を誉めてくれたよな?」
「えっ?いや、まぁ、そうだな」
故に、アルテナが女としての自分を取り戻すためにはこの男が必要だ。幸い、この男は自分の容姿を気に入ってくれたらしい。自分のことを誉めてくれるラグナにアルテナは何かを返したくなる。
「なんだ、コップがもう空じゃないか。······店主!この店で一番強い酒を頼む!!!」
だから、酒を奢る。強い酒は簡単に酔えるいい酒だ。
「えっ?、えっ?」
ラグナが戸惑っているうちに注文の品が出ていくる。
「飲め、奢りだ」
「あ、ああ」
ラグナは多少戸惑っていたが、出された酒に口をつけ始める。ラグナは今まで感じたことのない酒精の強さに顔を真っ赤にする。
「それで、ラグナには想い人などはいるのか?」
「い、いないけど······」
どうやら、恋人や伴侶のような存在も居ないらしい横恋慕にならずに済んで好都合だ。
「そうか、そうか。······これでは足りないだろう。店主!同じものをジョッキで頼む!!!」
「おいっ、俺はもう······」「遠慮するな!」
アルテナの奢りの酒も遠慮して断ろうとする。慎ましい所も好印象だ。
ゴンッ
そしてラグナが断りきる前に店主はテーブルに小さな小さな樽のような器をを叩きつける。
「飲め」
アルテナがそう言うと、出された物は仕方がないとラグナは口をつけ始める。その様子を見つめながらアルテナは求婚を決心する。
「もっ、もし、ラグナだったら私のような女はどうだ?結婚したいか?」
緊張して多少遠回しになっているが、意図は伝わるだろう。
「あっ、ああ、あんたと結婚する男は幸せだろうな」
顔をひきつらせながらラグナは答える。きっと同じように緊張しているのだろう。しかし、答えは是。
これで私たちは婚約者だ。
アルテナは戦場でも感じたことない胸の高鳴りを感じ、もうどうしていいか分からない。
(素晴らしいこれが両想いというやつか!)
「そうか、ありがとう。·······店主!同じやつ!!!」
先ほど出された酒も飲みきっていないにも関わらず、アルテナは嬉しさを我慢できずに酒を注文する。流れからラグナに飲ませようとしているのは明らかだった。
そして、あっという間にその酒はラグナの前に置かれる。
「なんだラグナ、まだ酒を飲みきってないじゃないか。次があるぞ早く飲み干せ」
アルテナは笑顔で酒を勧める。
「僕はもういらないんだけど······」
「遠慮するな、飲め」
「いや、でも······」
「いいから飲め」
そういってアルテナは笑顔のままラグナに迫る。それとは反対にラグナの顔は青くなっている。
「は、はいぃぃ」
ラグナはアルテナの説得に負け、酒を飲み始める。
しかし、直ぐに手が止まり体が飲酒を拒絶し始める。もうラグナは自分の意思で飲み続けることは不可能だった。
「しょうがないな、飲ませてやる」
そう言って、アルテナの首に腕を回し首を上に向けさせ、無理やり飲ませ始める。そのほとんどが口からこぼれ、ラグナの体を伝って床に落ちていくが、僅かに喉を通っていく酒が遂にはラグナの意識を刈り取る。
ラグナはテーブルの上に倒れ伏し、酒だか涎だか分からないものを口から垂れ流している。
「おや、もう酔いつぶれてしまったのか」
アルテナはわざとらしくそう呟くとラグナの襟首を掴み、引きずり始める。
「仕方ない、私が介抱してやろう」
そして、アルテナはラグナを引きずりながら店をでて、宵闇に包まれるの町中に消えていった。
◆
「こうして、私たちは結ばれたのだ」
アルテナは自慢げに話を結びを告げ、ラグナの反応を待つ。すると、ラグナは何かを堪えるようにフルフルと震えていた。さぞ、感動しているのだろうとアルテナは思う。
「ほとんど犯罪じゃねーかぁぁぁ!!!!!!」
一夜のラブストーリーような物を期待していたラグナにとってその驚愕すぎる話は恐怖を呼び起こし、悲鳴のような叫びを辺りいったいに響かせた。