5 ゲーム的にはチュートリアル中
朝ご飯のサンドイッチをしっかりと食べた私は、エネルギー満タン状態で教室に入った。
入学式の日と同じく1番後ろの窓際の席を確保し、ヒロインであるミズキの姿を探す。彼女が私をバッドエンドへ導く疫病神になるもしれないから、可能な限り情報を集めておきたい。
というのは建前で、〈ドキラブ♡魔法学園〉には私の萌えポイントを刺激するカップリングが大量発生しているゲームなので、可能な限り全て見たい。脳という記憶媒体にがっつりしっかり焼き付けたいと言うのが本音だったりする。
さて、私の煩悩は置いておくとして、授業まで時間に余裕があるためか、教室内の人はまばらだ。それにもかかわらず、ヒロインの姿が見当たらない。もしかしたら、ゲームのチュートリアルで行う花瓶の水替え中だろうか。
乙女ゲームでは入学式翌日、つまり今日はチュートリアルで1日使われる日だった。
庶民として生きてきたヒロインは、豪華な内装の寮や学園内に緊張していたせいか、教室に誰よりも早く到着してしまう。入学式の顔合わせの時に、1番前の座席は人気が無いことに気付いていたため最前列に座ると、教壇近くの窓際に白い花の入った小さな花瓶が置いてあることに気が付くのだ。
ヒロインが、自宅にも花瓶があったなあと耽っていると、ジーニア先生が教室に入って来る。ヒロインの様子に気を利かせたジーニア先生が、ヒロインに話を聞き、ならば花瓶の水替えを頼むといった流れで進んでいくのだ。
別に、エリエル・マーリアノルトのように、ヒロインを貶めたいだとか、虐めようとしている訳ではないので安心して欲しい。
このチュートリアルで、ジーニア・コメットという人となりを表しているの、と、ジーニア先生推しの友達は昔熱く語っていたことを思い出した。……元気にやっているといいのだけれど。
ちょっぴりホームシック? 的なものに陥りかけたので、気分を変えるためにも、チュートリアルで説明される内容を簡単におさらいしておこう。
チュートリアルでは、教室にひっそりと置いてある真っ白な花が刺してある花瓶の水を、新しい水と入れ替える、というミニゲームしてポイントを稼ぎ、一定数溜まるとストーリーを読むことが出来るということが説明される。
どうでもいいかもしれないが、花瓶は空っぽであれば片手で持てるくらいに小さく、軽いらしい。ご都合主義である。
これはチュートリアルでは説明されない隠し要素なのだが、この花瓶に生けられた花のめしべとおしべのある花弁の中央部分はゲームが進むにつれ、色が変わっていく。
ルドア・フォン・ラフテンシアなら銀色、アデル・カムベルトなら黒に近い紫色、テオ・オキシスなら赤色、ロット・レッシュならダークブラウン、ジーニア・コメットであれば青緑、と言った具合に、個別ルートに入った攻略対象の髪色に染まっていくのだ。
ミニゲームは他にも、教室を綺麗に掃除したり、授業内容として設定されていた貴族マナーを学ぶというものがあり、それぞれ得られるポイント数が違っていた。
花瓶の水替えは1日に1回しか出来ないが、得られるポイントが高い。花瓶の水替えは2回行うと、次のストーリーを読むことが出来る程だった。
教室の掃除は、ゴミが時間経過により溜まるのを待たなければならないが、30回ほどで新しいストーリーを読むことが出来る。
貴族マナーのミニゲームはいつでも出来る代わりに、50回行わなければストーリーが進まない。
最初から最後まで、どの攻略対象を選んでも、ストーリーを進めるためのポイント数が変わらなかったのは良心的な方ではないだろうか。
ほら、話数が増えるごとに必要なポイントも比例して増えるのはよくあることだし。
寮に戻ったら一応ノートにメモしておこう、というメモを、授業用ノートに書き込んだ。少し首が痛くなったので、ぐるりと首を回してみる。丁度入り口の方に向いたその時、花瓶を持ったヒロインが目に入った。
やはりチュートリアルの花瓶の水替えを行っていたのだろう。残念ながら、ヒロインとジーニア先生の最初の掛け合いは見逃してしまったようだ。
私としたことが……と、悔しさで一杯になりながらも、次のストーリーは見逃さないよう、心の中で誓ったのだった。
そんな私の心中など知らないヒロインは、時折人にぶつかりそうになりながらも、花瓶を落とさないようしっかり手で持ち、窓際へと運んで行く。
当たり前だが、花瓶の中の花は真っ白な花弁をしていた。
久しぶりに授業を受けた感想は、しんどい、きつい、眠いだった。
日本に居た頃は仕事が事務職だったこともあり、座り続けること自体は苦にならなかった。
しかし、だ。ゲームでは出て来なかったこの世界の歴史や地理を学ぶことは、私にとってかなり辛いものだった。昔から、暗記がとても苦手なのだ。このまま寮に帰ってベッドで寝たいくらいに疲労した頭を、お昼ご飯を食べることで覚醒させなければならない。お昼ご飯を食べた後は眠くなるのがセオリーだと分かって入るんだけれどね。
どうやらこの学園は、午前中に2時間、お昼休憩を2時間挟んで午後にも2時間の、合計4回授業がある時間割らしい。
日本より1日の授業時間が少ないことはハッピーだけれど、週に6日は授業があるので、手放しで喜べる物ではなかった。
あ、この世界の日にちは、7日間で1週間、30日でひと月、12か月で1年という流れ方である。
日本で作られた乙女ゲームだから日本に近くなるのも仕方が無いだろう。
ちなみに、クリスマス、新年、バレンタインが存在する。バレンタイン以外は、ゲームでパーティーが行われていたので、恐らくパーティーすると思われる。
後でシーアにそれとなく確認しておこうかな。
イベント関連のことはまた考えることにして、今は待ちに待ったお昼休憩だ。
何を待っているのかって? それは勿論豪華な昼食……ではなくて、チュートリアルのミニゲームをプレイし、クリアすることで見ることの出来る、ルドア・フォン・ラフテンシアとヒロインの、初めて会話をするストーリーである。
食堂の入り口からは見辛いが、こちらからはよく見える席を見付け、昼食を速攻で完食し、ヒロインが来るのは今か今かと待ち構える。
暫くして、ヒロインことミズキが食堂に現れた。
ゲームのモノローグの内容を思い出しながら、私はことの成り行きを見守ろう。
魔法学園には食堂があり、基本的に生徒達はここで昼食を摂る。
代金は、基本貴族か王族しか入学しないからか、家紋を見せることで家に請求が行くシステムがとられており、ヒロインには手も足も出ない価格設定。
今日、学園内を迷いながらも初めて食堂にやって来たヒロインがその事実に気付き、食事抜きを覚悟して食堂を後にしようと、入り口の方を向いた直後、攻略対象の1人、ルドア・フォン・ラフテンシアが現れる。
暗い表情で食堂から出ようとするヒロインを心配して、話を聞いたルドア王子はヒロインに向かってこう言うのだ。
「君は確か、ミズキ嬢だったかな。そのような暗い顔で、どうかしたのか? 王族として、悩む貴女を放ってはおけない。もし良ければ話を聞かせて貰えないだろうか」
「えっ、ル、ルドア様?! 私の名前を覚えて下さっていたんですか」
昨日の顔合わせの時間に、自己紹介をしたけれど、まさか名前を覚えてくれているなんて。と、感動するヒロイン(を見て感動する私)。驚きと喜びがない交ぜになっているヒロインは、つい昼食を抜こうとしたと、ルドア王子に話してしまうのだ。
「じ、実は、食堂のお料理があまりにも素敵すぎて、私には手が出せそうにないんです。だから、今日はお昼は我慢しようかなって」
気まずさを笑って誤魔化そうとするヒロインを見て、ルドア王子は少し考える素振りをした。直接値段が高いです、とは言っていないが、ルドア王子は、庶民にとってあまりにも値段が高すぎることを察したのであろう。
「成る程。確かにこの食堂は貴族や王族を前提としているな。……ふむ。国の大切な宝である民を餓えさたままでいては王族とは言えないな。ここは私のためにも、奢らせてくれないだろうか」
「そ、そんな訳にはっ」
「シェフに伝えてくれないか。ミズキ嬢のために本日のお勧めを頼む。私はこの白身魚のソテーをいただこう」
慌てて断ろうとするヒロインよりも先に、注文を済ませるルドア王子(に私、悶絶)。
「……このご恩は、必ずお返し致します」
「ミズキ嬢が気にする必要は無い。これは単なる、私の我が儘だからな」
「ルドア様……」
そしてヒロインは、律儀な性格からルドア王子に積極的に関わっていくことになるのだ。
どうしよう。既に尊い。
ゲームではここで、影から様子を見ていたエリエル・マーリアノルトが、怨みを込めた目でヒロインを睨みつける描写があるのだが、今の私は絶対そんなことできないな。勝手にニヤけそうになる顔を引き締めるのに精一杯なのだから。
そんな風に思っていたのだけれど。
「エリエル、君も食堂に来ていたのか。困っているミズキ嬢を助けただけだ。他意は無い」
いつの間にか私の座る席まで来ていたルドア王子に、何故か非難するような目を向けられてしまったのだった。