邂逅11
一面の暗黒を青色の線が格子状に彩っていた。地上から天井まで伸びる青く発光する支柱が、地平線まで等間隔に林立する。どの方角を見ても、その景色は変わらない。
ここは俺の魂にだけ許された、俺の記憶が眠るプライベート領域。生きている者の気配は感じられず、感じる必要すらない。ここにあるのは、全てが俺に関わるもの。俺の所有物であるはずなのだから。
例外があるとすれば、リリアのような他人の記憶に侵入できる能力を持った者から干渉を受けた場合だ。卓越した能力者である彼女は、どうやってやったのか知らないが、俺の意識に潜り込んで、未来を視る力を覚醒させた。
では、これは彼女の仕業か。
異空間の次元に立つ視線の先に、影があった。人間の形をした漆黒の影。黒く染まった二本足で青色の線が走る足場に立ち、微動せずに俺と対峙している。顔はないが、それが人間であるならば、間違いなくその双眸は俺を映していた。
いや、断言しよう。これは人間だ。
俺はこの影を知っている。俺はこの影と戦う自分をイメージすることで、自分の実力を底上げしてきた。この影と互角に渡り合うだけの、倒せるだけの力を得ようとする度に、俺は飛躍的に進化できた。いつか刃を交える影に対抗するために、鍛錬を重ねて強くなった自分と能力を同期することで。
それは遠い未来の出来事だと思っていたが、この瞬間に理解した。
それは今――影と決着するのは、この瞬間なのだと。
そして、
「驚いたぜ。お前がどうしてここにいるのか。どうやってここに来れたのか。なんで生きてるのか。誰に教えられたのか。この際、そんなのはどうだっていい。俺にはわかる。お前にもわかってんだろ? お前は、俺の敵だ」
佇立する影の深淵のごとき深い黒色の顔を睨み、
「なぁ、お前もそう思うだろ。――エリゴール」
影の正体の名前を、呼んだ。
漆黒に覆われた姿が無数の粒子に分解されて、殻を纏っていた正体が姿を現した。
灼熱の赤い髪、国の秘密組織の制服たる赤い軍服。緋色の双眸を喜悦に歪めて、丸腰の彼は微かに笑みをこぼした。
「その質問には意味があるのか? ないだろう。私と貴様。それは敵と敵の代名詞だ。ようやく邪魔の入らない場所に来れた。お互い、御託はいらないだろう。ここにあるのは勝利と敗北のみ。さぁ、雌雄を決しようではないか、好敵手よ」
エリゴールが手を伸ばすと、その手元に青色の粒子が集合した。粒子は見覚えのある形を成して、実物の色合いを再現した。彼の手に、彼の愛剣である剛剣・アロンダイトが具現した。外観も威圧感も本物と遜色がなく、それが偽物ではないのだと理解した。
俺も同じように手を伸ばす。想像するは、この裏側の次元そのものを凝縮したかのような一本の刀。恐らくはこの身が滅ぶ日まで共に歩み続けるであろう、分身とも呼べる存在だ。形状を浮かべて、本質を脳に刻み、眼前の虚空を掴む。手のひらに柄の感触が広がり、集約した青い粒子が、同じ色をした鞘に納められた刀を具現させた。
左手で鞘を抜いて放り投げた。鞘は床に落ちる前に霧散して、光のない世界で抜き身の刀身が銀色に煌いた。
「俺はこの世界で影と戦った。そいつと戦う自分を重ねて、強くなった。馬鹿な話だよな。それがなけりゃあ、俺はお前と初めて会った時に殺されてたんだぜ? つまり、俺はお前に助けられたってわけだ」
「私こそ、貴様には感謝せねばなるまい。急激に腕を上げて私を圧倒した貴様を見て、私は考えた。貴様がいったい何をしたのかを。青い刀に刺された傷に触れて、私の意識は闇に落ちた。それで終わったのだと思ったが、違った。貴様の持つ刀の残滓が、私を覚醒させてくれた。そこで私も視た。〝黒い影〟と戦う自分をな」
「へっ、なるほどな。俺がお前を視ていたように、お前も俺を視ていたってわけか。なら、貸し借りはなしだな」
「元より遠慮する気などないだろう。私はこの日のために生きてきた。魂が震えるような相手と剣戟を重ねて、自らが勝利するこの日を!」
「だったら教えてやるぜ。お前のそれが――叶うことのねぇ夢だってなァ!!」
合図したわけでもないのに、俺とエリゴールは同時に駆け出した。
肉体の概念に囚われない世界で、移動速度は音速に達する。一秒にも満たず刃は邂逅して、甲高い鋼の音を時間の停止した世界で幾度も響かせる。
「強くなったじゃねぇかッ! さっきとは大違いだぜッ! お前も魂の同期したってわけかッ! 俺を倒すためにッ!」
「私は貴様を超えようとして、貴様は私を超えようとする。ああ、やはり私達の間には敵と味方である事実だけだ。それ以外は必要ない。貴様を倒すためならば、私はどこまでも強くなれる」
「物騒なこと言いながら笑ってんじゃねぇよッ! 気色わりぃなッ!」
「ふっ、そう言うのは、自分の口元を結んでからにしろ!」
笑っていた。
裏次元での死は、現実の死に直結するとリリアは言っていた。裏次元で死ねば魂が消滅する。魂が消滅すれば、肉体は動力を失い、絶命する。
これは模擬戦ではなく、互いの命を懸けた殺し合い。負ければ未来が奪われる。戦いである以上、どちらかが終わり、どちらかだけが先に進むことを許される。相手に勝ちを譲るなどありえない。冗談では済まされない、負けられない戦いだ。
だというのに、俺は笑っていた。
勝利する未来が視えたわけでもない。そもそも未来など視る暇はない。現実では裏次元にいる間は時間が停止するが、裏次元にいる今、記憶を覗く行為は戦闘の隙に他ならない。視ようとすれば、途端に俺は命を落とす。
勝てる確証などなかった。
確証なんていらなかった。
持てる力の全てをぶつけられる相手が目の前にいる。ただそれだけが、純粋な喜びとなって俺の思考を支配する。
「エリゴールッ! お前がどんなふうに生きてきたのかなんて知らねぇッ! 何を見て何を知ってるかなんてどうだっていいッ! 俺は負けねぇッ! ここでお前を倒して、俺は先に進まなくちゃならねぇんだよッ!」
「何のためだ? 未来なんぞどうだっていいだろう。この瞬間だけを見ろ。でなければ視えてしまうぞ。私の刃が、貴様の身体を貫く光景が」
「視えねぇよッ! お前に視えるわけがねぇッ! 視えてたら矛盾しちまうだろうがッ!」
「貴様は視たのか? いや、視なかったはずだ。未来の記憶で、影に勝利する自分の姿を」
指摘は、真実だった。
俺は一度も裏次元で影に勝ったことはなかった。毎回、どれだけ強くなっても、影の凶刃が目前に迫ったところで記憶は終わっていた。
いま思えば、あれはつまり、俺はどう足掻いても影には勝てないということか。
影の正体であるエリゴールに、最後には敗北するということか。
「私は視た。死闘の果てに、影に打ち勝つ未来を。好敵手を倒し、歓喜の渦に包まれる自分を視た。貴様に視えなかったのなら、そういうことだろう」
「今を見ろとか言ってたくせに、今度は未来にこだわるのか。ブレブレだな」
「確かに。無粋だった。この瞬間においては勝敗は無価値に等しい。だが、事実は事実。貴様は私を超えてみせた。次は私の番だ」
「知るかよそんなもんッ!」
たとえ確定した未来が視える能力だとしても、本当の結果は、実際にその瞬間を迎えるまではわからない。未来を信じて、未来から力を借りておきながら都合が良すぎるかもしれないが、別に構わないだろう。
自分に都合が良いように生きることこそ、生き物の本懐だ。
百回以上は交えたであろう刃を止めて、俺は始めの位置で立ち止まった。エリゴールも応じて、幅広の剣を垂らして足を止めた。
「未来なんて、普通は視えるもんじゃねぇんだ。なのに未来に期待して生きてる奴はいくらでもいる。どうなるかなんてわかりゃあしねぇのに、夢見た光景を現実にしようと必死で生きてんだ。結果が決まってる? それがどうした。やりたいようにやるのが俺の流儀だ。気に食わねぇ結果なら変えてみせるさッ! この手でなァ!」
「立派な考えだ。それでこそ倒しがいがあるというもの」
「それでいいぜッ! そうじゃなくちゃあ、お前を超える価値だってなくなっちまうもんなァ!」
剣戟を重ねる音が再開する。先ほどまでは互いに力を絞っていたかのように、より激しく、より速く。
いや、これは絞っていたわけではない。一合ごとに、俺の限界が上限をあげていた。相手もきっとそうなのだろう。
停止した時間で、俺達は進化していた。
それはある意味、当然のことだった。何故ならば、俺達が飛躍的に強くなれたのは、互いを倒すためだったのだから。それだけが目的で、それ以外はどうでもいいとすら思っていたのだから。
だから、雌雄を決しようとするこの場所で、限界はとうに置き去りになっていた。
どこまでいけるかなど、俺にも、恐らく相手にもわからない。
ただ――
それが戦いである以上、終わりは必ず訪れるもので、
俺よりも一歩先に進化した相手の刃が、一層の鋭さで閃光となって迫り来た。
その瞬間、無意識のうちにわかってしまった。
手にした短刀に、視せられてしまった。
この一撃は防げない。
この一撃は避けられない。
この一撃で、俺は死ぬのだと。
――決めつけんなよ。
音速から光速と化した相手との交錯を前に、俺は他ならぬ自分自身に語りかける。
俺に敗北する記憶を視せる、無意識に繋がれた未来の自分に。
――俺はお前にはならない。
――お前が負けたんなら、俺は負けない。
短刀を握る手に渾身の力を込めた。柄を握りつぶすほどに強く、この身に残った力を惜しみなく注ぎ込む。
見据えた。正面から迫る、俺にとっての最大の障害を。
瞳に映したのは、エリゴールではない。
俺が奴に敗北する幾千通りもの未来だ。膨大な未来を一枚の絵にして目を通す。
――なるほど。お前が言っていたのは真実だったな。どこにも俺が生き残る未来は存在しねぇらしい。
どの未来を視ても、自分は一瞬後に終わっていた。
勝てる未来がないのだから、たとえ魂の同期したところで結果が覆ることはない。
ならば、
答えは、決まった。
――どこにも求める未来がねぇってんなら、
どこにも、救われる未来がないというのなら、
「俺が、この手で作ってやらァ――――――ッッ!!!!!!!」
接近するエリゴールの全身を捉えて、対面から閃光と交わった。
剣戟の音はない。交錯した相手と背中を向け合った状態で、
気力が底をついた俺は、身体を襲う負荷に耐えられず、片膝を地面についた。
精神力で具現化していたのか、異空間の成分で構成された短刀が霧となって空気に溶けた。
この身には、もう戦えるだけの余力はない。
背面に立つ男を、振り返る力さえも。
けれども、いちいち目で見なくとも、互いに高めあった男がどうしているのか、手に取るようにわかった。
男が愛用していた剛剣は健在だった。でなければ、奴は俺を葬れない。奴が視たという未来を、現実にすることができない。
トドメを刺しに来られたら、もう抵抗はできそうになかった。
けれども、背後から近づいてくる足音はなかった。
一切の音が消えた静寂の世界で、沈黙を破り、俺は背面に立つ男に宣言した。
「――俺の勝ちだぜ、好敵手」
「……ああ」
剛剣は寸分のズレもなく、俺の身体を貫こうとしていた。防ぐことも避けることも叶わない、暴力とも言える絶対的な死の運命だった。運命と重なる瞬間を迎えれば、俺の魂は終わりを遂げて、転生すらできない完全な死が待っていた。
だから俺は、俺と奴の刃が触れ合う寸前に、魂だけでなく存在も同期した。裏次元に流れる時間を〝未来に移動〟した。それは僅かな時間だったが、その僅かな体感時間の差――その一瞬に満たない時間だけ、俺の速さはエリゴールを上回った。
胴体を袈裟に裂かれたエリゴールは、俺の勝利宣言に、深く噛み締めるような相槌を打ってから、どこか満たされた声色で続けた。
「――貴様の勝ちだ、アレス」
それが耳に届いた直後、
俺の意識は、来た時と同じように、強制的に現実へと引き戻された。
見渡せば、誰もが俺の姿に注目していた。
意識が異次元に引きずり込まれた途端に現実の針は停まり、また動き出した。
惜しみない歓喜と祝福が送られる渦中で、好敵手が立っていた場所を見た。
好敵手は前のめりに、通路から演習場に出た地点で倒れていた。
もう一度、観衆達に視線を巡らす。眼下にいる髪飾りを付けた女性、漆黒のドレスを着た少女、演習場の片隅にいる組織の頭目の顔を順番に眺めて、
俺は、この戦いの結末を誇示するように、
固く握りしめた己の拳を、高々と上空に突き上げた。




