邂逅4
庁舎本館の自動扉を抜けて、エントランスに足を踏み入れた。日中は多くの住民が訪れる各種手続きの窓口も、閑散としてきな臭い空気に包まれている。
室内のあらゆる場所が銃弾で穿たれていたが、かろうじて損傷を免れた電球が闇に沈みかけた空間を微弱に照らしていた。濁った白い光が映し出すのは、皮が破れて綿が露呈した待合スペースのソファに、散乱した書類、赤色の飛沫が付着した床、そして二度と動かなくなった〝モノ〟。
転がっている死体の大半は正規兵だった。赤服も数名混ざっていたが、仲間の亡骸は見渡した限りでは見つからない。
遠くから銃声が連打した。味方が上階で交戦中のようだ。
「先ほど騎士連中が本館からぞろぞろと出て散開する様子を見かけた。ここには映像機器も多い。正規兵達は状況を把握しきれないまま、口封じを図った奴らに殺されたのだろう」
「背中を任せてた身内から急に撃たれたってわけだ。だとすると、正規軍の連中は大したもんだ。後手に回りながら応戦して、何人か道連れにしたんだからよ」
「ああ、そうだな。君もここに勤めていたのだろう? 顔見知りはいたか?」
「そこでくたばってるよ」
首を振って示した先、掲示物がかかっている正方形の柱にもたれかかるようにして、緑色の軍服を着た男が倒れていた。男は標準装備のライフルを抱いたまま息絶えていた。
瞼を閉じて安らかに眠るその口元は、凄惨な状況とは不釣合いに緩んでいた。
「俺の相方だった男だ。優秀でも真面目でもないが、正義感は誰よりも強かった。俺が軍を辞める時に一緒に行こうと誘ったが、断られてな。勘もよかったから、自分達の背後で暗躍する存在があることに気づいていたのかもしれねぇ」
「応戦した痕跡がある。騎士連中を道連れにしたのは、この男の功績だろう。素晴らしい友人を持ったな」
「……ああ」
片膝をついて、瞼に隠れる男の瞳を見た。
その満足そうな最後の顔に、彼を慕っていた相棒として静かに誓う。
「あとは任せろ。お前の正義、俺が引き継ぐぜ」
立ち上がり、口を結んだリリアに目で合図した。
意を酌んでくれた彼女は、一般市民は侵入が禁止されている奥の区画に歩みを進めた。上階から届く銃声が止んだ室内に、二人分の足音は妙に高く響いていた。
十三階で交戦中の味方と合流した。十三階は会議室が大半を占める構成となっており、最後の一部屋の制圧に苦戦しているようだった。残っていたのは百人は入れそうな大会議室。扉の入口から内部を覗けば、その瞬間に命を落とすことが目に見えていた。
「グレネードッ!」
手前の壁に張り付いていた味方の足元に、室内から跳ねてきた手榴弾が転がった。
反射的に距離を取って防御姿勢を取ったが、最寄の位置にいた男は片足を爆風で焼かれてしまった。幸い命に別状はなさそうだったが、これ以上の戦闘は無理だろう。
重症を負った味方は、それでもなおライフルを強く握り、苦悶を浮かべて焼けた足で必死に立とうとする。その肩を、リリアが片手で押さえた。
「休んでいろ。次は死ぬぞ」
「構いません。戦いに貢献できるのであれば、この命は惜しくありません」
「勇敢だな。そんなに活躍したいか?」
「はい。腐った国を立て直した功労者の一人であったと、誰よりも自分自身に信じさせてやりたいんです」
「そうか。――ならば、やはりここで休んでいろ」
リリアはアサルトライフルの銃身を左腕で支え、男が張っていた位置に陣取った。
命令に背いて、男は銃を杖代わりに膝をあげようとするが、
「戦いは今日で終わりではない。命の花をそんなに散らしたければ、次の戦場で存分に咲いてから散らせ」
冷徹でありながら温かな色を帯びた一言に、男は抗議もなく座り込んだ。
俺は助力しようと扉を挟んでリリアの反対に回ろうとしたが、リリアは他の味方同様に俺の接近も拒んだ。
「この程度、私だけで充分だ」
壁に頬付けして、気配を殺したリリアは潜む敵の動向に網を張る。
硬直した空気を裂いたのは、再び投擲された手榴弾の地面を跳ねる音。
爆弾はリリアの足元に転がった。
彼女の反応は早かった。
いや、それは本来、ありえない反応速度だった。
手榴弾が視界に映る前に、彼女は入口の扉から姿を晒した。
飛来した手榴弾を蹴り返して、構えたライフルの引き金を引き絞る。
雷のような炸裂音と豪雨のような銃声。
一秒か二秒の急襲を終えて、リリアはライフルの銃身を下ろした。
無防備を晒す彼女に、反撃は返ってこなかった。
「――次の階に向かうぞ」
階段と廊下での応戦を繰り返して、最上階を目指して先へ進む。
廊下に面した窓から眼下の敷地内を見下ろすと、状況が落ち着きつつあることが窺えた。
勝利は目前だろう。難関と思われた庁舎本館も、あと二階で完全に制圧が完了する。
浮き足立っているのかもしれない。
この国に反旗を翻したところで、勝機などあるはずがない。国は反乱を未然に防ぐために、圧倒的かつ絶望的な兵力を国民全員に見せつけてきた。一縷の望みさえも許さない完全な支配体制を保ってきた。それがいかに強力であるか、防衛装置の一部に組み込まれていた経験のある俺はよく知っている。
知っているからこそ、成就しようとしている反政府組織の作戦に、感慨を覚えずにはいられない。
拳銃を構えて、十九階に繋がる階段を一段、また一段とあがっていく。頭上に注意を向けるが、敵が姿を見せることはなかった。
最後の段も踏み終えて階段室の床に立った。折り返している階段をのぼれば最上階に行けるが、まずはこの階の制圧が優先だ。後ろに続くリリアを先頭にした味方達に安全であることを示して、階段室に面した廊下の様子を確認した。
電気は死んでおらず、長い廊下を眩い明かりが照らしていた。廊下に生き物の気配は感じられなかったが、中央辺りの床に赤色の〝何か〟が落ちていた。白塗りの床と壁に囲われて、それは俺の意識に強烈な違和感を与えた。
濃い赤の布切れと、その周りを彩る鮮やかな赤。
あまりに想定外の出来事で、即座には理解できなかった。
廊下に落ちている布切れは二つ。それは、胴体を境目に綺麗に裂かれた人間の上半身と下半身だった。赤い布は、アンドリヴァ・ナイツの制服だ。
隣に並んだリリアが、同じものを眺めて眼光を鋭くした。
「およそ人の手による所業ではないな。こんな死に方を見たのは私も初めてだ。凶器も並みではないが、扱う腕も半端ではない。このような行為ができるとすれば、あの男しかいないだろう」
それが誰を指しているのかは、考えるまでもなかった。
「エリゴール=エリンゴス……あいつならやるな」
「ああ。何があったのかは知らんが、昨日会った時も纏う空気に狂気を孕んでいた。気まぐれで味方を殺害したとしても、そう驚くことではない」
「てことは、あいつが近くにいるわけか。見たところ、気配は感じねぇが」
十九階には歪な死体が転がっていたが、他の階と異なり、いつまで経っても敵が攻撃を仕掛けてこなかった。倒した覚えのない敵の魂の抜け殻に困惑しつつも警戒は怠っていないが、死角から害意が迫り寄ってくる気配はなかった。
「不自然だな。念のため確認しておこう。この階は……ラウンジか。庁舎に休憩所を設けるのは構わんが、費用を血税で賄っていると思うと良い気はしないな」
当然の不満をこぼしながら、リリアは軽い足取りでラウンジと廊下を仕切る扉の一つに手をかけた。俺も同感だが、彼女も敵はいないと半ば確信しているのだろう。緊張の欠けた所作で伸ばした腕が、閉ざされていた扉を開いた。
リリアの腕が、凍てついたように硬直した。
唐突に動きを止めた彼女の強張った身体の横から、室内の様子を窺った。
てっきり大勢の敵が潜伏していて、一斉に銃口を突きつけられでもしたのかと推測したが、室内には生死を問わず誰の姿もなかった。高価そうな調度品が、ラウンジらしく配置されているだけだった。
「なんだよ。待ち伏せでもされてたかと思ったが誰もいねぇじゃねぇか。いったいどうしたんだよ」
「……時間切れだ」
「ああ? 時間切れ? 時間切れって何の話だよ」
「君にも聞こえるだろう。我々が超えねばならない、最大の脅威の足音が」
濁した言い方ではあるが、彼女が言っている意味は明瞭だった。
歩き出そうとした足を止め、呼吸の音を抑えて、沈黙した世界に耳を傾ける。
微かな銃声と爆発音。戦場の音色が響く頻度は、戦闘開始直後と比較すると大幅に落ちていた。状況終了までは、そう時間を要さないだろう。
ただ、リリアが俺に聞けと言っているのは、その音じゃない。
沈黙の時間が経過するにつれて、戦場の音色よりも小さかった〝異音〟のボリュームが上がっていく。間もなく〝異音〟は、戦場で最も大きく響く轟音に発達した。
ラウンジから踵を返して、廊下の窓側に駆け寄った。
無傷で割れずに残っているガラス越しに夜空を仰いだ。曇り空に星の瞬きは介在せず、空は一面が不気味な薄闇に覆われていた。
異質な音の正体は、高速回転するローターが重なり合って奏でる不協和音だ。その発信源が庁舎本館の上空を通過して、俺達の瞳の前に姿を現した。
夜空を占領する闇より深い巨大な影――アーク・ソロモンが、希望の色を塗り潰すように、戦場に絶望の色を落としていた。




