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引所

作者: 尚文産商堂

引所(ひきところ)というのは、砂賀家と手野家の当主で引退した人の呼び方だ。

大引所(おおひきところ)は砂賀家前当主、手野家前当主は引所と呼ばれることとなっていた。

いわゆる隠居というのは、春雷会以前ではほぼ病気や老化に伴って行われていた。

あとはごく例外として、家臣団による強制された隠居である主君押込がある程度となっている。

春雷会が組織されて以降では、ほぼ定型化され、一定の条件に達すると、ほぼ自動的に隠居し、引所となるようになる。

それは、第一に年齢が60を越えること、隠居する意思があることが前提となっている。

その上で、後継者となるべき人物がすでに元服をしていること、春雷会が認めた者であること、隠居後に政務などに口出ししないという誓約書を提出することなどがあった。

これらの条件は、あらかじめ春雷会文書という形でまとめられており、それに沿った運営がなされていた。


明治期となると、隠居が法制化され、それを前提とした上で、なおかつ春雷会の認証がいるということとなる。

いわゆる家督相続ということとなることが、ここで明文化されることとなった。

グッディ家やテック・カバナー家が春雷会へと参与するようになると、彼らを除いた会員によって、これらのことが議決されるようになる。


しかし、終戦で隠居制度が消滅すると、江戸期のように春雷会がほぼ決定するという形式へと戻った。

現在では、引所や大引所と呼ばれる人物は、75歳超で手野グループの一線を退いた、手野家や砂賀家の当主ということになっている。


ちなみに、手野市には、引所となった元当主が住むための邸宅があり、町名区分として、その建物が現存している。

砂賀町では大引という地名で残ってるが、建物は戦時疎開により、兵庫県の山手に移築された。

今では、手野不動産がそれぞれの管理をしている。

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