BC1998 【芹沢火門】
芹沢火門が、自らの民営警察を新鮮組と名付けたのはダジャレ以外の何物でもなかった。
“かつて芹沢という名の男が始めた新撰組という一団があり、そこには近藤や沖田という男たちが居た”
世間での警察の信頼の低下から始まった新鮮組だったが、続けていると、土方や原田、永倉など奇妙なほどに符合する面々が集まっていった。
運命的というべきか、諧謔的というべきか、だが芹沢は興味を示さなかった。
というのも、芹沢は地球の歴史に疎かった。
地球出身でないのだから、それは当たり前かも知れない。
「……今、なんと云った、近藤……?」
鍋底を伝う水滴のような、温い小雨の降る夜だった。
国営警察が終わってから居抜きで使っている、元警視庁の新鮮組の大きな庁舎の中でのこと。
夜とはいえ多くの民営警察官が働くその建物、最上階の会議室のように広さの個室で近藤が切り出した言葉は、あまりにも衝撃的だった。
この大きな部屋に、今は三人の男しか居ない。
ひとりはもちろん理心流・近藤で、残るふたりも士衛館理心流の沖田と松崎だ。
史実の沖田と同じように肺を患いながらサイボーグ手術で生き永らえた沖田総治。
そして、新鮮組幹部で唯一、史実の新撰組幹部に同姓が居ない男、松崎仁。
「芹沢火門を暗殺する――そう、云った」
「理由は聞かせていただけるのでしょうね?」
松崎は、幼少の頃から知っている沖田の忌まわしい言葉に、そしてその言葉に驚けない自分に嫌悪した。
――理由の如何では同じ修羅場をくぐった芹沢でも殺しても構わないのか。
松崎は、沖田という男が目的のためなら手段を選ばず、それどころか目的にも頓着せず、斬り合いをしたがっている節があることにも気が付いていた。
とはいえ、職場の上司から他の上司を殺せと諭されて、それを沖田は容易く受け入れたが、そんな沖田を受け入れるのは松崎にとっては容易いことではない。
「芹沢は戦争を起こそうとしている。それを防ぐためだ」
「どういう意味の戦争だ?」
「この流れで“アイドルの人気比べ戦争”とか“ラーメン派閥の覇権”とかで芹沢を殺せとか云うか?
そのままだ。国家単位で殺し合う、あの戦争だ。芹沢は日本国民を戦争に巻き込もうとしている」
「分かり易すすぎてサッパリ分からん、順を追って説明しろ」
「芹沢は、火星の出身だ」
薄っぺらいほどに重々しい最初の一言は、あまりにも簡素だった。
太陽系第四惑星・火星。人類が地球以外で初めて生活環境を築いた星。常識だ。
そもそも沖田も松崎も、芹沢が火星から来たことは本人から聞いたこともある。だからなんだ、というのが感想だった。
「火星にはアポロ計画でアメリカと、技術協力のあった日本が最初に入植した、が、そこで原住民が居た話は?」
「都市伝説だろ? 第二次世界大戦でアメリカ軍が目撃していた空飛ぶ円盤、それでアーリア人が火星に逃れていた……まさか……?」
「そのまさか以上だな。それは実話で……更に、その前から人類は火星に住んでいた。芹沢はその原住民の子孫だ」
冗談であるはずの冗談ではありえない言葉に、言葉を失った。
火星で生活する人間にとっては常識だが、地球の人間にとってはそれは衝撃的な事実。
火星までは近くても七万キロ、遠すぎるその地での人類の系図なんて、事実だとしても噂や伝説と大差ないのだ。
「何百年、いやもしかしたら何千年前かもわからないが、とにかく大昔、火星に人類は行って、生存していた」
「……面白いお話ですが、それでなぜ、芹沢さんを殺さなければならないのか、僕にはよくわかりません」
「火星は常に戦争状態にある。原住火星人同士の生活水を廻っての紛争から、新火星人の戦闘、地球の代理戦争まで、な」
代理戦争。
大国同士が戦争すればABC(核・生物・化学)兵器の応酬で領土は潰滅する。
それを防ぐために大国同士の戦いは、貧しい国へ支援という形で成立し、大国の思惑で小国同士が殺し合う。
ABC兵器が発明される以前から、そして人類が滅びない限り無くならない悪しき風習であり、惑星単位で異なる地である火星は、絶好の代理戦争用の国。
戦神マルスの名を冠する火星は、地球の様々な汚れと欲望によって戦火の噴煙で、絶え間なく赤く燃えているのだ。
遠い国の他人事、平和な日本の大部分は、そう考えている。
「――芹沢は三日後、手続きを終えて日本国籍を取得する。
通常は火星住民が日本国籍を取るのはもっと手間と時間が掛かる……事実上不可能だが、日本の治安を一身で改善している新鮮組の指導者である芹沢ならば可能だ。
現在、火星の緑化という名目で軍事活動を行っているが、芹沢の一族が日本国籍になるなら、更なる武力介入が可能となり……」
「日本本国も全面戦争に参入、そうなれば本国でのテロも横行する、というわけですか」
「それを防ぐには、もう芹沢を殺すしかない。日本国籍取得のその日、暗殺する」
「……ほう、そうか」
危機が迫り、鬼気迫る顔になっている沖田と近藤を、松崎は落ち着いた、どこか冷ややかですらある息遣いで遮った。
「腹を割って話してくれているところ申し訳ないが近藤。俺は参加しない。暗殺なんてする気はない」
「な……っ! 何を云っているんですか松崎さん! 芹沢を生かしておけば罪のない日本人が火星の戦争に巻き込まれるのですよ!?」
平然と呼び捨てにしている沖田の態度に、漏れ出そうな溜息を抑えられたことに松崎は安堵した。
これは近藤に調子を合わせているわけではない、本気で芹沢を悪と認め、尊称など要らないと確信しきっている。
剣と正義だけを標榜する沖田という男の危うさだが、松崎はそれを正せるとも、正すべき悪癖と断言することもできなかった。
なぜならば、松崎は――。
「だろうな。お前たちの云う通り、日本全国で火星のテロは起こるだろうし、一般人の死者も出るな」
「だったら……!」
「それも国民が選んだことだろう。火星人を同志と呼び、関係ないと戦争を知ろうとしなかった結果だ。
それを下心があったにせよ、これまで日本の治安を守ってきた芹沢を暗殺して防ぐ……? それが本当に正しいと思っているのか、沖田?」
「第一に守るべきは日本人の命です。そのためなら芹沢であろうと抹殺すべきです」
自分が正しいと断言できる人間は、どれほどいるだろう?
少なくとも松崎は悩んでいたし、近藤や沖田の主張にも一定の理があることも理解している。
だが、沖田は違った。
日本人を死なせないためならば、法を侵して人を殺しても構わないと本気で思っている。
沖田だけではない。
ここ、東京では自分以外の人命に対して軽薄すぎる。
それがコロッセオでの人間同士の殺し合いをテレビ放送するようになってからなのか以前からなのか。
自分もそんな冷徹な人間ではないのか。
松崎は、既に自分と新鮮組が、かつて目指していた正義と平和の防人たりえないことを確信していた。
「……俺は、新鮮組を抜ける」
松崎仁は、正義が分からなくなっていた。