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BC1996 【愛宕橋蝙也】




 地平線が踊っていた。

 高すぎる山、深すぎる谷。

 雲ひとつない空の夕焼けよりも血に似た赤の中、ふたつ(フォボスと)(ダイ)(モス)が調子外れに流れた。


 火星。

 地球第四惑星で、太陽系内に存在する三つの地球型惑星の内のひとつ。

 もうひとつの金星ヴィーナスは、獄炎のような灼熱の大気で生物の生存すら認めず、空でただただ輝いている魔性の美女。

 火星マーズは地球の三倍の暦と三分の一の重力と、試すような戦神の御業こそあれど、赤い大地の上を地球より出でた者どもが蔓延っていた。

 その戦神マーズのヘソの上で、高笑いが響き渡っていた。


『酒が美味い、酒が美味い、酒が美味いなー♪』


 ……おや?


『酒ぇええええええ! 酒ぇええええええええええ!』


 ……火星に人間が居るなら食事も有る。

 食事の中にはオデンも有る。オデンが有るなら屋台もある。

 アルコールを飲むのも自然発生的とも云えなくはない。


 が。


 店主と客がふたりで、ウワバミもツマミにしそうな勢いで呑み交わすのは異常事態である。


「店長! 火星の酒も悪くない。最高だ!」

「聞いたよぉおお~、火星は雨が降らないから、水は配給なんだよな」

「水が違うんだよなー! オデンもうめぇよこれ! 魚肉スリミとかどうやってるんすこれ!」

「豆を潰してチョイチョイな! 全部手作り! でも今日は楽しいからな! どんどん食ってくれえへへっへ」

『うへへへへへへへへっっ!』


 客と店主、ふたりの酔っ払いが煽るように呑み続ける。

 オデンというのは地球では魚の練物が入るが、この屋台オデンは豆腐や厚揚げなど大豆由来の物、卵やラフテーなど動物由来の物が多かった。

 火星には雨が降らない。雨が無いから海が無い。海がないから魚は地球からの輸入のみ。

 青くない人類の第二の大地、それが、火星だった。


「この肉みたいなタネ、何て云うんだ?」

「ソーキ。沖縄料理の店やってる友達に教わった!」

「へぇ。その店ってどこ?」

「教えても良いけど、うちの屋台にもまた来てよ? お客さんも友達連れてさ!」

「一番のダチは死んじまったから、他の連れてくるわ!」


 不思議と陰気も肴にする客だった。

 死を事実として受け入れた、自然なやりとり。

 やっぱり酒が美味い。


「火星はお月様も二つあるから月見酒に良いよ」

「ちょっとジャガイモに似てるけどな!

 でもよぉ、桜が無いのは残念だなぁ……あるのは、ああいうガジュマルみたいな木ばっかりで」


 店主が菜箸で指した先、そこには根が血管のように絡み合った木が生えていた。

 何本かが寄せ合っているのか、一本の木なのか。枝とも根とも見える細い蔦を絡ませ合った、墓場めいた樹木。

 客の男は、店主の発言に笑顔を止めた。まるで冷え切った未来予想を聞いたように、酔いが覚めたようだった。


「――オッサン、あの木が何か知らないのか?」

「俺が知らなきゃいけないのはオデンだけだよ。どこでもそうさ。俺はオデンを売るだけ」

「マジ? ()()()ってのは……あれを生やすヤツだよ?」

「りょっかだん、ってあれか? 日本軍が最近使ってる、環境に優しいとかいうヤツか?」


 返事の代わりに、客の男がポケットからジャラジャラと弾丸を取り出した。

 大きさ……口径は様々だが、どれも表面に緑色の模様に似た亀裂が入っている。

 亀裂は幾何学模様というにも不規則で、植物というには凶悪な巻き付きかたをしている。

 どこか、あの奇妙な木に、本当にどことなく、似ていた。


「こいつは大昔、ある遺跡である国が見付けたヤツでさ。

 どんな環境でも……火星でも育つ植物の種子が組み込まれていてな、今も火星を“緑化中”なんだそうで」

「……そいつは結構なように思えるが……“でも”とか“だがしかし”がオマケに付く感じかな」

「ああ。これのせいで……」


 ごくり、と注がれていた酒を飲みほしたが、客の酔いは逆に醒めたようだった。

 客の男は、蒸気のような気合を纏っていた。


「火星も昔はサハラかゴビの親戚みたいなところでさ。

 ただ、この緑化弾が広まって水確保の目途が立ったら、今まで見向きもしなかった地球の連中まで火星の資源に注目しだした」

「……そういえば、火星の上場企業増えてたな。昔はKOB(ケーオービー)の系列企業くらいしか無かったのに」

「誰も欲しがってなかったから、火星は自由だった。

 ――多分全部、ホントに全部を差し出せば戦争になんてならないんだと思う。

 だが、命より大事なものや、差し出せば死んでるのと同じってものも有って……。

 渡せないものが一杯有るんだろうなってのもあんだよな」

「人間、そんなもんかもね。自分の生活を守るので精一杯で、海の向こうどころか、空の向こうの別の星のことになると」

「見えないところは存在してないのと同じなんだろうな、一緒っすよ」


 客の男が皿からすくい上げたのは、油揚げをカンピョウで止めた餅巾着。

 中身は見えない。見えないなら餅の存在を感じることはない、そんな寓意と一緒に客の男は一口で餅巾着を頬張る。

 そして緑色の弾丸をしまい、財布から何枚かの紙幣を取り出した。

 それは火星が発行している物ではなく、ナイスミドルの新渡戸稲造が描かれた日本銀行発行の五千円札。

 火星でも日本円は使える。というより、火星発行の金銭よりも日本円の方が使える店が多くなっているほどだった。

 それは火星の各国が明日無くなるかもしれない危機感、そして日本円は明日も使えるという確信に依るものだった。


「美味かったっす。仕事前に食えて良かった」

「そういえば、お客さん、何の仕事してるんだ?」

「――テロリスト」

「ん?」

火星人みんな地球人うちゅうじんから守るために、地球うちゅうからやって来た、テロリストだよ」


 酒臭さと一緒に殺気を放つ客、あたばしへんは立ち上がった。

 彼の向かう先、砂塵の裂け目に大きな建物が見えた。

 火星の山々に比べてあまりにも矮小な、それでいてあまりにも整然としている、銀色の建物。

 蝙也の足跡を、熱い風がさすっていた。



 ユートピア平原には【バイキング】と呼ばれる地点がある。

 かつて、宇宙開発が軍事的圧力を伴っていた時代、忘れ去るには近すぎる程度の昔。

 アメリカがソビエトとの宇宙開発の中、火星の本格的な火星地表の全体写真を撮ったバイキング計画。

 歴史的偉業、であり、人間の限界を広げる計画だったが、そこには思いもよらない映像が映っていた。


 人間。

 人面岩などの幻想的な誤認ではなく、大戦中の第三帝国軍を思わせる軍服を纏った男たちが地表を走り回っている映像。

 第三帝国と自らを呼んでいたその一団は、第二次大戦後から様々な噂が立っていた。

 曰く、空飛()()円盤()を開発しているだの、火星の大魔術を用いただの、伝説の地・シャンバラを見付けただの。

 その考えの支持者とは、夢想家の同義語だと誰もが思っていた。だがそれが、何のこともない事実だったことで、宇宙開発は加速度的に加速した。

 止まらない程の加速。二一世紀が間近に迫っても加速し続ける加速。


 火星は、人類が生息できる環境ではなかったと、多くの科学者が主張した。

 第三帝国がそれほどの技術を持っていたわけがないと、多くの歴史学者が主張した。

 何かが間違っていると誰もが主張したが、それでも、火星には人が棲んでいた。

 そして、第三帝国の軍人たちは更に、捩れ、歪んだことを話し出した。

 “自分たちが来た段階で、火星には既に多くの人間が棲んでいた”


 どこかで何かが狂っている世界。

 それでもそこで生きていくしかない人々は、火星を故郷と呼んだ。

 宇宙開発における、資源調達の目途は、火星と云う明瞭かつ論決めいた抜擢を迎えた。


 そして、火星の植民地化に乗り出した国の名前は――日本。

 資源も無く造り出すことを放棄しながらも、愚鈍であることを美徳とする国。

 蝙也の、生まれ故郷だった。




「ど・け、やぁあああああああああッッ!」


 先ほど、オデン屋で酔い潰れていた男とは同姓同名の別人のようだった。

 愛宕橋蝙也は、跳ねるように飛び、門を飛び越え、正面から潜入していた。

 蝙也の予定の上では潜入だったが、この施設の職員たちは、奇襲を受けたと認識するに至る。

 鳴り渡るサイレンに、職員たちは、日本的かつ日和見ながら混乱の色を強めた。


「なんだ、なんの騒ぎだっ? ネイティブレッドのテロリストか!?」

「分からん! 警備の連中も混乱している! 敵はひとり、しかも武器は持ってないらしい!」

「なんだそりゃ? そんなもん、戦闘担当の軍人さんでなんとでもなるだろう、大尉は?」

「その百地ももち大尉が倒されたらしいから緊急事態なんだろう!」

「……ッ!? バカな! 百地大尉がっ!?」


 狼狽を割くように、廊下の先から届いた怒号の反響が職員たちの鼓膜を揺らす。

 揺らした一方は、日本の誇る“特殊部隊”だった。

 その特殊部隊が居たからこそ、日本は火星開発の急先鋒となったことは間違いない。


 ――かつて、アメリカと合同で火星探査に当たっていた日本が行ったのは、火星の占領。第二次大戦時の外地を思わせる支配。

 “火星環境の緑化”という名目ゴマカシを国民に語り、とくと実情を把握する国外には同じく資源開発を利とするアメリカと共に抑える。

 とはいえ、流石に大規模な軍事派兵を行うことはできず、派兵された大部分は日本が誇る少数精鋭の特殊部隊だった。

 自衛隊は世界的に見ても高い能力を持つ部隊で有り、一説に他国の特殊部隊員に匹敵するという。

 しかしながら、この火星に派兵された日本の特殊部隊は、そんな自衛隊をも越える最強の戦力。


 ――その最強の戦力がひとり、廊下の先で毬のように蹴り飛ばされ、地面を転がった。

 続き、ゆらりと廊下の角から現れた蝙也の目は、自然に職員たちの方を向いて来た。


「バカな! 百地大尉を始め、ここの警護に当たっているのは伊賀イガの精鋭のはずだぞ!?」

「……ああ、強かったが」「あんたたちより少しマシ、って程度だな」


 蝙也の感想は、後半は独り言になった。喋りながら跳躍した蝙也の刀のみねが、職員ふたりを殴り倒したことによって。

 蝙也は手加減のつもりで峰撃ちをしているのではなく、血や脂で刀が使い物にならなくなるのを予防するためだった。

 刀剣の切れ味とは、銃器の残弾に等しく使い減りするもの。

 蝙也ほどの人間離れした剣士で有っても、可能な限り節約ならぬ“節刃”しなければならない敵は、屋根裏から飛び降りて来る。

 黒ずくめで皮膚を一切露出させず、に手甲、背中には反りの無い日本刀を背負った“日本の特殊部隊”然とした男。


「おいおい、ちょっとは忍べよ。感情()き出しじゃないか」

「調子に……っ、乗るなっ!」


 覆面マスク越しに猛った男に蝙也は冷笑で応じた。

 男は伊賀組に所属する日本軍の特殊部隊員。ひとりの自衛隊員を育成するのにも相応の予算が掛かるとされるが、この特殊部隊員はそれを遥かに上回る予算で育成されている。

 伊賀の里と呼ばれる秘密特訓場で、親族単位で棲み、そこから卓越した技術を有る者が派兵され、その特殊技術は“ニンジュツ”と呼ばれ、伝説視されている。

 ――そう、彼らは忍者、である!


 厳選された戦闘力、卓越した精神力、常識では捉えられない特殊能力を古から受け継いだ戦闘・諜報部隊。

 彼らの技量から慮れば、表面的な歴史上では滅んだとするのは妥当であり、簡単なこと。

 忍者の存在から日本政府は平和憲法というルールを表向きに発表し、実際的な国防を忍者に特化させたというのは、現代国防の秘密裏ながら常識である。


 しかし。その国防的特化戦力は、蹂躙されていた。

 普段は忍者たちが一般的な軍人相手にそうするように、理不尽で理解しがたい速度だった。


 速すぎる。

 移動が、攻撃が、思考が。

 忍者が一歩進む間に蝙也は跳躍し、忍者が一度攻撃する間に蝙也は三人を撃破し、忍者が守るか攻めるかを考える頃には忍者の殺害方法を決めていた。

 目には留まる。忍者の視力ならそれが叶う。だが、見えるだけで防げない。死と同じだった。


 蝙也は殴り倒し、あるいは斬り倒し。

 対象の生死にすら頓着せず、動かなくなった相手には追撃しない。


 邁進、直進、驀進。横スクロールのテレビゲームを思わせる明瞭な進撃。

 飛び跳ねて、罠を解いて、敵をシンプルな技で倒す。蝙也の足は襲い来る敵が増えれば増えるほど、その闘志を燃やしている。

 そしてもちろん、ゴールには多数の銃口が待っていた。十や二十ではない、忍者ではない銃器を携えた軍人たち。

 後方に守られるように、しかも中二階のような、気持ち高めの位置に陣取っているのだから本格的な、ボスキャラのような男が座っていた。

 メガネに柔和な笑み、イマドキな知略タイプのボスキャラのステレオ・タイプ。

 無意識に、蝙也がその男が慇懃で残忍な男であるということを、なんとなしに予測していた。


「――いらっしゃいませ。侵入者さん。噂は本当だったのですね」

「どんな噂だ?」

「政府の緑化計画を妨害する反逆者の中に火星最速の剣士が居る、というのが、ね」

「それは俺だけじゃないが……で? その噂じゃ無声拳銃カクニくらいで仕留められるのか?」

「できないでしょうね。あなたの技術は高速体術。火星は地球の三分の一とはいえ……忍者たちですらできない技術ですから、本当にお見事です。

 あなたが倒した忍者の代わりに雇いたいくらいですよ。日本政府としては、ね」

「それは良い提案だが、俺にもっといいアイデアが有る」

「ほう? お聞かせ願えますか?」

「今、銃を構えている連中、そのお手手を回れ右して頭を吹っ飛ばしてくれ。俺が斬るより楽に死ねるぞ」

「……交渉するおつもりはないということですか?」

「最後通牒か余命宣告かな。出す気があるのは」


 では、と飛び出したのは、ボス格の男の言葉ではなく、星から出た重力子だった。

 重力子は、地球に置いては観測すら困難である素粒子の一種だが、火星では条件を満たせば観測・操作ができる。

 熱を空気が放散させてみせ、音が水面に波紋を作るように、重力を伝播させる素粒子。


 火星で人類が生息できているひとつの要素として、この重力子の制御がある。

 室内など限定的な空間では地球重力にすることで、低重力下で頭に溜まった血液を足に戻し、休んだ筋肉を鍛える。

 ――室内の重力は、先ほどまで地球の三分の一でしかなかったが、一瞬にして地球重力と同じにまで調整された。

 暗がりに光が満ちるような速度と確実さで、蝙也は身体に掛かる圧力が増したことを感じ取っている。


「これで体重は三倍。地球重力では例の高速体術は使えませんよね?

 命乞い……をしないタイプと存じますので、あなたの所属を喋って頂けますか?

 捕らえるか殺すかはその情報次第……少なくとも、喋っている間は、あなたを殺しません」


 ボス格の傲慢ごうまんで単純な物言いに、蝙也は眉をひそめた。

 喋ることは決めているらしいが、蝙也は嫌そうに自分の刀を眺めながら喋り出した。まるで刀に語り掛けるように。


「……死んだ親友ダチは、お前らも使っている無声拳銃……カクニの設計者だ」

「!? ほう?」


 セイキューニー式拳銃ナハトヴィント。通称・

 火星でも地球でも、最も汎用的で優秀な拳銃として評価されている物だった。

 人間を殺すには充分なサイズとパワー、人命と決して吊り合わないリーズナブルさ、整備不要・組み立て簡単の構造、そして銃声がほとんどしないという利便性。

 火星を飛び出し、東京でも大ブームを起こしている流行の犯罪道具は、制式拳銃でこそなくとも、この場で火星の軍人たちに使われる程度にはメジャーになっていた。

 特許権利パテント不明でコピーされ続けている拳銃は、善悪を除けば天才の仕事であることは間違いなかった。


親友アイツは造った拳銃を封印するために殺されたようなもんだ。

 それなのに、気付いたらお前らみたいなクズが緑化弾なんてもんをばら蒔くために使ってやがる。

 金属探知機にも掛からず、音もなく、ただ人間を殺す道具として、な」


 銃を造ることは罪なのか。

 ならば、包丁職人や薬品メーカーは、品物が犯罪に使われた時点で業を背負うべきか。

 人を轢き殺した自動車に罪があるなら、サスペンションを磨いた町工場のアルバイトが責めを負うのか。


 そんなトンチめいた詭弁を論ずる意味は、少なくともこの場にはない。

 確かなのは、蝙也がカクニの流通を親友を冒涜されることだと信じ、そのためになら他者の命を顧みないという一点である。


「俺は、カクニをばら撒いた奴を見付けて始末する」

「……なるほど。ですが……私たちはカクニの出自なんて知りませんよ?」

「今日はもう一個の案件だ。俺たちは元々、ダチと俺たちは元々、緑化弾を潰していた」

「それはまた、なぜ? 火星を緑化する素晴らしい道具なのに?」


 緑化弾を火星緑化の聖なる器具と信じる男たち。

 緑化弾を火星を汚す悪魔の平気で有ると確信する蝙也。

 会話の破綻は、どちらかにとっての死を意味していた。


「本気で云ってる……んだろうな。だから俺たちは戦うんだ」

「ええ、そして緑化弾で死にますね」


 シンプルすぎる合図に、カクニから火線が束になった。

 革靴が人を踏みつける程度の音と気軽さで、弾丸は蝙也に殺到した。

 蝙也に着弾した位置から、次々に無数の蛇が踊るように蔦が巻き付いた。

 その発芽は、射出時の熱と着弾時の熱量を切っ掛け(トリガー)によって行われる。

 緑化弾はどんな場所でも発芽する万能生物だが、そのたねの中の栄養は、大樹となるには足りない。


 ハエトリグサは何匹かのハエを食べたら枯れてしまう。

 それだけ動くというのは植物にとっては過酷な行動であり、代替えとなるエネルギーを必要とする。

 そう、周囲にある生物を他の生き物と同じように“捕食”することによって、その場に根を張るのだ。


 日本軍が、忍者が、火星で行っている緑化とは、これだった。

 火星に溢れる資源の有効活用という名目で、その場に居る人間たちを植民地として使う。

 文字通り、()()だ。地球上には一切戸籍すらない人々を、植物の苗床へ転用する。

 火星を人間を苗床にした死神の大木が立ち並ぶ樹海に貶める兵器。

 これを悪魔の発明と呼ばずに何を呼ぶのか。

 樹の鎖は蝙也を捉え、巻き付き、その境界を緑に染めていく。


「せっかく発芽して頂きましたが……困りましたね、ここでは日が当たらず、枯れてしまいそうです」

「そりゃあ、気の毒だな」


 茂る木の蛇たちが、ハチミツの詰まった蜂の巣のようにボトリと落ちた。

 蝙也が服を脱いだ。ただの服ではない。ガシャンと音を立てて合金を編み込んだ鎧。


 ボス格の男は、その光景の意味を反射的に考察・察知した。。


 ――なるほど、殴り込みを掛けるなら防弾チョッキくらいは着ているか?――

 ――いや、やはりおかしい、あれだけの重量の物を身に着けて、ヤツは高速で動いていたのか?――

 ――どちらにしろ、第二射を命じなければならない――


 ボス格の男は、そこで気が付いた。

 蝙也の足元に落ちた木の根の動きがあまりに遅い。蝙也に襲い掛かる気配すらない。

 いや、遅いのはそれだけではなかった。部下たちに指示を出すための言葉すら出ない。

 部下たちの動きも遅い、まるでスローモーションの映像のような……。


 ――これってもしかしてアレですか、死ぬ直前に見えるという――


 「し・ね」


 ゆっくりと動いた蝙也の唇の刻んだ言葉を、ボス格の男と部下たちはハッキリと理解していた。

 重厚な鎧は、重苦しい拘束こうそく衣。脱ぎ去った蝙也の速度は高速こうそく

 死を予期して限界を突破した脳が、辛うじて影を捉えられるほどの、文字通り目にも留まらぬ速さ。

 ボス格の男も部下たちも隔たりなく、ここまで蝙也が温存していた刃によって自らの首が跳ねられる非現実的な映像を、加速化した脳が捉えていた。


「重力を地球に合わせてくれて助かったぜ。

 火星じゃ軽すぎて地面が踏み込めなくてな。鎧を着ないと加速(・・)でき(・・)なか(・・)った(・・)んだ」


 云いながら蝙也は首の亡くなったボス格の男の懐を漁り、小奇麗な手帳を取り出した。

 念のため、他の死骸も漁るが目を引いて光る物は無かった。

 出てきた物と云えば、女の子の写真。


 娘か妹か恋人か孫かも分からない。何せ死体は蝙也が作った首なし品。

 首も無い死体の年齢を当てられたら刑事や検視官は要らない。

 蝙也は自分が作った死体たちを見下ろした。善悪も正誤も問わず、死体に出来るのはそれしかないから。


 漁ったメモ帳の中にひとつの名前に目が留まった頃、他の基地からの助っ人が来る時間を考え、蝙也は撤退を決めた。

 実際には救援を呼ぶ間も無く蝙也が全員を斬り殺していたのだが、それを蝙也が知る由も無い。



 刃のけがれを拭い、工業用潤滑油のスプレーを吹きかける。

 刀が武士の魂と思うつもりはない。伝統的な玉鋼の日本刀ですらなく合金製の工業用品だからそれでも良い。

 大量生産の工業品でも刀は武士の魂なのだろうかと蝙也は自らに問う。

 蝙也は自らの意思で人間を斬る。善悪を問わず、ただ親友の無念を晴らすためにと自分を誤魔化す自分の魂は、量産された合金製。


 返り血は無い。

 靴底に残る血糊は赤い砂が擦り落としていく。血生臭さは火星の錆臭い風が流しきっていく。

 淀んだ気持ちと皮膚を焼くような汗だけが、重々しい鎧に充填されている。

 フワリと乗った、オデンの香りと酒臭さに、蝙也が蝙也に戻ってきた気がした。


「あれ? 仕事って云ってなかった? お客さん」

「終わったから、さ」

「随分と早い仕事なんだな。テロリストさんってのは」


 冗談だと思ってくれているのが、少なくとも冗談だと思っているように見えるのが、蝙也にとって空腹という形の安心感に現れていた。

 ソーキとウィンナー。沖縄オデンのダネを、和風ダシで煮込んでいる、この店の味だった。


「……次は里帰り、か」

「ん? どうかしたの?」

「行き先が決まったってことさ」


 蝙也は、奪い取った手帳に記された名前に齟齬を感じ取っていた。

 あの連中は火星開発を進める日本政府の機関、だが、手帳の中で輝いていたのは、日本の民営警察組織・新鮮組ボス、芹沢の名前。

 そして、【緑化弾の取引緊急】という走り書きだった。


「どんどん――斬らなきゃいけないヤツが増えてくじゃねえかよ。」


 火星の風は、今日も乾いていた。




 名前:愛宕橋蝙也アタゴバシヘンヤ

 流派:我流

 役職:テロリスト

 生年:1960年

 元ネタ:手元に資料があったので、蝙也斎から名前を取って苗字は近所の地名。



 元ネタ:松林蝙也斎

 昔の著名な剣豪は、大概がどこかで鐘捲自斎とかタイ捨流とか、他の剣術・剣豪と横や縦で繋がってたりすることが多いが、この人はそういうのがほとんど見られない。

 夢想願流といえば彼の形容詞であり、男一代剣士という印象。とにかく身軽で相手の刀の上に乗ったり落ちる木片をコマギレにしてみたりする。

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