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BC1984/1994 【伊藤幽鬼】

久方ぶりのこっちの更新。


「おじいちゃん、聞いていい?」

「なんだ? 幽鬼?」


 伊藤幽鬼は幼少期、剣術が好きとは云えなかったが、剣術家の祖父・伊藤善鬼いとうぜんきが好きだった。

 善鬼は幼少期を第二次大戦の戦火の中で過ごし、軍人だった父と兄や銃後として働く母という家庭の中、剣術を磨く感心な少年と呼ばれて過ごした。

 苦労する周囲の大人たちを支えながらも時間が有れば剣に打ち込み、強くなって父や兄と一緒に闘うことを夢見ていた善鬼であれば、敗戦によって帰ってきた父兄に向けて“なぜ僕が大人になるまで戦えなかったのか”、そう叫んだのも無理からぬことかもしれない。

 三つ子というわけではないが終戦当時、九歳だった善鬼はその後のGHQの武道禁止令という向かい風を耐え、武道家として道場を構えるまでになった。

 自信に溢れ、誰からも尊敬され、優しく笑いかけてくれる祖父にはやがてできた孫娘の幽鬼はとても懐いていたし、小学校から帰ると共働きの両親が帰るまでずっと道場で祖父が門下生たちに指導するのを眺めて過ごしていた。

 そんなある日、幽鬼はあることに気が付いた。


「おじいちゃん、聞いていい?」

「なんだ? 幽鬼?」

「どうして、皆は……剣に当たりに行くの?」


 幽鬼の言葉を道場の門下生たちが理解できなかった。

 しかしながら善鬼は違った。幽鬼の言葉が戦場に行った父が兄と共に数多の戦場から生還したという技術、そして自分は老年に差し掛かってなお持ちえなかった技術であることを察した。


「分かるのか? 次の……あいつらの動きが」

「……? 当たらないのに当たりに行くよね」


 直後、善鬼は普段は夜遅くまでしごいている門下生たちを日暮れ前を帰宅させ、幽鬼を道着に着替えさせた上に木刀を持たせた。真新しい道着に身の丈ほどある木刀、どちらも華奢な幽鬼には不釣り合いだった。


「幽鬼、これから本気でお前を打つ。お前は受けても避けてもいい。とにかく防げ」

「分かったけど、なんで?」


 剣道を戦中から続けている老練した剣士に対して少女の態度はあまりにも容易い。善鬼は剣士として話しているのに幽鬼は気安い孫娘そのものとしての言葉であることは明白だった。

 問いに応えないまま呼気を整えて振り下ろされた善鬼の一撃によって木刀は叩き折れた。幽鬼のものではなく地面に叩き付けられた善鬼の木刀である。

 避けられた。渾身の一撃。防具越しでもまともに受ければ脱臼する者も出るほどの一撃を、幽鬼はなんのこともなく躱したのだ。


「わー、すごーい! 折れたね!」


 善鬼は木刀を替えて次を打つが、突きに対しても幽鬼は身を躱す。善鬼は面・突き・胴、フェイントに連打、途中からは足払いや拳撃まで併せ打ってなお、孫娘の残像を掠めるのみ。

 既にその姿は剣の道に非ず道、孫を殴り殺そうとする狂気。 剣道ではなく非道そのものであり木刀は凶器。

 善鬼の方が格段に速い、が早いのは幽鬼なのだ。 善鬼が構える前に幽鬼は回避を始めている。寸前で回避している。

 その様子に、善鬼は噴き出した。空気が充満した風船が割れるように、感情が破裂するように笑いだした。


「幽鬼よ。お前は俺より強い、それは夢想剣だ。お前は壱刀流歴代最強になれる! 明日から特訓だ! 幽鬼!」


 ――夢想剣。かつて壱刀流の開祖が天性のものとして持っていた剣法。無意識に避け、そして無意識に斬るという一生を賭しても凡人には身に付けられないもの。

 父や兄を弾丸降り注ぐ戦場で生還たらしめ、凡人たる善鬼が欲した境地だった。しかしながら、興奮がちな善鬼に対して幽鬼は冷やかだった。


「え、ならないけど」

「……は?」

「私、人を叩きたくないもん」


 人を斬るではなく叩く。その言葉が既に剣人たりえないものであり、お腹が一杯だからオヤツは要らない、そんな軽々しい言葉だった。


「なぜだ幽鬼! お前は最強の剣士になれるのに!」

「おじいちゃん、私、人を傷付けるのが上手な人になって……どうすれば良いの?」

「違う。強さは守るためだ。お前は優しい。今後、守りたいモノと出逢うだろう。そのとき、無力ではいけない。守とは備えなければからない。そうでなければ何も守れんのだ」

「……その大きい包丁みたいに?」


 カタナという言葉も出ないような幽鬼に、善鬼は飾ってある脇差しを渡し、自分は長物を取った。芸術的な殺人包丁こと日本刀だった。


「幽鬼、力そのものには善悪は無い。故に正しい者が力を持たねばならんのだ。そうであれば、この国が敗戦することはなかった!」


 熱弁を遮るように道場の戸が開いた。ただいま、そう云って入ってきたのは善鬼の娘、幽鬼の母、麻鬼まきだった。


「……どうしたの? お弟子さんたちは?」

「麻鬼、すまんが、死んでくれ」

「え?」


 刀を抜き、鞘を投げ捨てる。狂刃に善鬼の言葉と同じ熱さが滾る。

 ダンダンと歩み進める祖父の姿に、幽鬼も手に持つ脇差に力が入っていた。


「幽鬼、お前が力を持っていないから麻鬼が死ぬ。かつてこの国が畜生共に蹂躙されたように! 弱さは罪なのだ!」

「おじいちゃん、やめて! お母さん、帰って!」

「悪はいつ襲うかわからんと云ったぞ! 幽鬼!」


 善鬼は刀を大きく振りかぶり、茫然と話を整理しようとしているらしい麻鬼に一閃した。

 だが、目にも留まらぬ動きで回り込んだ幽鬼が一拍で防ぎ、善鬼の刀は床に乾いた音を立てて落ちていた。


「おじいちゃん、いい加減にして!」


 初めて声を荒げた幽鬼に、麻鬼は苦笑いで肩を抱いた。

 あまりに理解しがたい状況に、彼女は娘を父がからかっている、その程度に理解していたようだった。


「幽鬼、大丈夫よ~、あの刀もあなたの持っている刀も、刃は潰してあるの」

「……ほえ?」

「おじいちゃんがお弟子さんにする試練らしいのよ。パパがママと付き合うときもやったけど、そのときはパパは半泣きだったわ」


 さあ、っと幽鬼の顔から血の気が引いた。

 先ほどまでの激情からの落差が大きく、背筋を冷たい物が駆け抜けた感触すらあった。


「……ごめんなさい、おじいちゃん、私……」

「良いの。あんなことするおじいちゃんが悪いんだから」

「その通り。何一つ悪くない。刃引きしてある脇差しで……まさか、な」


 善鬼の声が震えていたが、麻鬼がその理由に気が付いたのは、床に落ちた刀に目を配ったときだった。

 刀だけでない、柄にはガッシリと善鬼の右手首が巻き付いたままだった。


「夢想剣だけでなく、瓶割りまで……使えるとは……僥倖!」


 携帯電話も普及していない昭和末。

 麻鬼は叫びながら自宅へ一十九番を掛けに走り、善鬼は傷口を左腕で抑えて出血を止めていた。

 が、声には熱が宿り目はギラギラと輝き、幽鬼は目を離せなかった。


「幽鬼、今、俺の……爺の腕を落としたのは瓶割り。身技体が揃ってさえいれば大瓶に入った人間も瓶ごと両断する極意だ。潰してある刀でも人間の腕ぐらいなら切断できる」

「……瓶割りと夢想剣……」

「守るべきもののため磨け。きっといつか……守るものに出逢う」


 血塗れになりながらも孫を想い、世界を憂う姿は、浮世離れした存在感が有った。その姿は幽鬼の心に刻まれた。

 祖父の善鬼も手首を失ったことで剣の道から引退し、枯れるように老け込み、亡くなった。

 幽鬼は正しく生きようとした。スポーツとしての剣ではなく、自らの強さを目指す剣。いつか出会う誰かを守る剣。九年後、幽鬼は美しく強く育っていた。

 清く正しく。高校卒業後は警視庁民営化で荒れる東京で生きる人々を救おうとし、そして飯篠土輔に出会う。





 土輔はそんな事情も知らず、緩い舌の根を滑らせる。


「だから、殺し合い。武器を構えて急所を狙って相手を倒せば賞金。殺せとまでは書いてないけど、死んでも事故だってチラシにも散々書いてる感じ」

「――私、真面目に話しているつもりですけど」

「俺も真面目に云ってるんだけどな。俺キツイ仕事とか向いてないんだよ。他の人は違うかもしれないけど、俺は辛いことしないで毎日好きなことだけして暮らしたいんだわ」

「それで、殺し合い、ですか?」

「負けたら死ぬだけだし、勝てば毎日働かなくても良いんだぜ? 最高じゃないか?」


 彼も、守り救うべきひとりだと幽鬼は思った。

 しかしながら、飯篠土輔は幽鬼の手から包丁を預かると、その包丁を伊藤の家の窓ガラスにするり、と差し込んだ。

 最初から穴が開いていてそこに通しただけとでも云うような滑らかさで。幽鬼はいつぞや遊んだタルにナイフを刺す危機一髪ゲームを連想した。

 彼は、守るべき相手ではなく自分と同じく卓越した剣才の持ち主だった。

 そして、傷付く人をひとりでも減らすべく、幽鬼は闘戯場に立っていた。


《さあー! 本日第三試合は初出場の伊藤ちゃんの登場だ! 武器は木刀! カクニ相手にどう立ち回るか! 注目です!》


 以前は野球の聖地だった東京のドーム、今は人間同士の殺し合い、馬やバイク、船を用意する必要のない利率の良いギャンブル。

 今回、幽鬼が参加したのはリングと呼ばれ、十人が首にリングを付けて三〇分間戦い、集めた数だけファイトマネーが支払われるゲーム。

 平均的な賞金獲得者は三~四人。リングを取られても取り返せば良いというシステムから、試合時間中は戦意喪失者への攻撃も認められ、五体満足で帰られる参加者は少なく、そのまま転落していくように更なる人生の底へと落ちる者も少なくない。

 荒くれ者や腕自慢も多いが、生活苦からの参加も多く老若男女揃っての殺し合い。

 乗り手はここから何人残るか、誰が残るか、誰が一番稼ぐか。その予想にベットする。若者が残るか、逆に集中攻撃を浴びるか?

 興奮がドームの中に充満し試合が始まるが、多くの参加者はカクニなどの銃器で武装はしているが、急に発砲したりはしない。

 ドームの端から端まで撃っても当たるものではないし、かといって早めに仕掛けてリングを奪っても弾が切れたところを逆襲されては意味が無い――しかしながら、幽鬼は動いていた。


《ベッティング終了! それでは! 試合! 開始だあああ!》


 幽鬼の夢想剣は、無意識に最も殺意の強い相手、発砲する確率の高い男を見出し、そちらへ身体を躍らせた。

 銃器の扱いに慣れ、欧米での銃撃訓練も受けた男だったが、そのことは本来、誰一人知ることのできないことで、もし幽鬼が十人の中に居なければ、彼ひとりだけが生き残っていたと推察される正圧力を持つ男だった。

 急速に迫る幽鬼に男もカクニによる反撃を試みるが、幽鬼は木刀で容易く弾丸を弾き落とす。夢想剣による力ではない、幽鬼の剣力によるものだ。

 流れるように拳銃とリングをむしり取り、幽鬼は続けざまに次に殺気の大きい方へと向かう。

 多くの参加者が幽鬼に注目するが、チャンスとばかりに不意を突こうとする参加者も出る。

 その隙間を縫うように、幽鬼の澄み切った、それでいて大声がドーム内に響き渡った。


「女性の方! 後ろからおじいさんが狙ってます! 逃げてください! そちらの方、カクニ以外の隠し武器は危険です! やめてください! 傷付ける気は有りません、避けて下さい!」


 幽鬼は戦場に居る参加者を牽制しつつ、次々とリングと武器を奪い取り、開始四分で全ての参加者は戦う術を失った。


《これはスゴイ! 新規参加の幽鬼ちゃん無双! 誰にも止められない!》


 あとの時間はただ過ぎていくかと思いきや……先ほど以上の大声を幽鬼が発した。


「皆さん! こんなゲームは最低です! おカネが無く生活の苦しい方々を戦わせる、人のすることではありません! 今すぐ世界は変えられます! 皆さんが持っている優しさを、少しずつ隣の人に分けてあげて下さい!」


 演説に続いて制限時間が切れる寸前、幽鬼は他の参加者たちにリングを返したものだから、会場は沸いた。

 優しさと思いやりに満ちた幽鬼への惜しみない拍手、そして怒涛のようなブーイング。

 普段の生活から気晴らしや一攫千金で賭け事をすることへの全否定、それは反感を買いもする。


「私は戦います! このバカげたゲームが終わるまで! 誰にも傷付けさせはしません!」




 この一戦から、伊藤幽鬼はアイドルとして、アンチヒーローとして、江戸コロッセオに君臨することになる。

 ヒーローの存在が派閥を生み、それがまた江戸コロッセオを盛り上げてしまうことを知りつつも、愚直な幽鬼は、戦い続けることになる。

 名前:伊藤幽鬼イトウユウキ

 流派:伊藤派壱刀流

 役職:学生→アルバイト→闘戯場剣士

 プロフィール:1975年生まれ。

 :清く正しい剣客。



 元ネタ:

 戦国時代末期に活躍したとされる伊藤一刀斎という伝説の剣客。

 伝説は多数存在するものの、多すぎて“これは本当に一人の人間なのか?”と思うレベル。

 エピソードが盛られているとしても、後に分派する小野派一刀流など、多彩な流派を生み出した開祖として剣豪が居たことは間違いない。

 (伝説の上では)無我のまま避けて斬る夢想剣の極意を身に着け、大瓶に隠れた人間を瓶ごと両断する剣力の持ち主。

 ちなみに瓶割りは、このときの一刀斎の剣力での大技のことだが、成し遂げたときの刀の名前でもある。

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