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BC1994 【伊藤幽鬼と飯篠土輔】

 東京のことを日本経済の心臓部と呼び、道路群を血管と例えるのは適切すぎて伊藤幽鬼は上手いとは感じなかった。

 血管から毛細血管のように根が伸びればそれだけ空気の抜けるような隙間ができ、風が吹けば寒い時代の寒い土地だと誰もが思う。

 家もなく、道路と橋の間から風で弾き出されそうになるのを身体を押し込んで耐えるようにする人々に、伊藤幽鬼は寄り添おうとしていた。


「こちらで炊き出しを行っておりまーす! 数は充分ありますので! 順番にお並びくださーい!」


 鍋一杯の汁物とオニギリが白い熱気を放つ中、伊藤の笑顔はキラキラと輝いていた。

 野宿というのは本来の家が有るからこそ野宿であり、家が無ければそのものズバリホームレスである。二年ほど前から伊藤の個人的な炊き出しは始まり、週に一度、欠かすことなく続いていた。



 一九九四年。警察民営化から三年。東京は日本だけでなく地球規模での経済基点となっていた。

 民営警察・新鮮組の“企業”としての発展は目覚ましく警察でありながら遊園地を所有するまでになった。

 東京文京区後楽にどんと構えるかつてはプロ野球球団も本拠地にしていたほどの大遊園地。

 この頃は野球や音楽ライブに使っていたドームを江戸コロッセオと改称・改修し、大人も楽しめるというその遊園地では、ゲームの景品としてオリジナルキャラクターの描かれたメダルが渡される。

 このメダルのキャラクターはとても人気が強く、江戸遊園地の近場にはそのコイン買い取り専門の古物商まで開き、新たな雇用を生んでいた。


 見る人間が見れば容易いが、“適度に楽しむ娯楽”の店で用いられている三店方式と呼ばれるもので、他の店で換金しやすいものを用いる方便なのだが。

 大人も子供も楽しめる遊園地、江戸コロッセオパークは民営警察公認カジノも同然だった。

 多くの破産者を生みながら経済格差を拡充させ、小さな小さな日本のヘソは紙幣としては存在できないような、データ上だけの金融録を分厚くしていった。

 東京都で一万人にひとりというところまで拡充したホームレスたちは疑問に思っていた。一万人に九九九九人の家のある人々は、この時代は暖かいと感じているのだろうか、と。


「……幽ちゃん、今日、肉少なくない?」

「先週と同じですよ、ゲンさんは少し痩せましたか?」 

「そうかね、体重計なんて持ってないからね」

「お風呂屋さんとかで、計って下さいよ」

「少なくとも先週からは銭湯なんて行ってないからな」

「あら。それなら次に来るときは体重計も持ってきますよ」

「それより肉、増やしてくれた方が良いがね。鶏肉は大好物なんだ」

「これ、豚肉ですよ」

「ブーブー云っても仕方ないと……豚肉も大好きさ。豚同然の生活だからな、心も安らぐってものさ」


 この生活が気に入っていると口にするホームレスは多い。誰しもそうであるように他者が幸せかどうかを観測する手段なんてないが、少なくとも幽鬼は皆が幸せだと思える世界のために努力したかった。

 配膳を終え、テントや鍋といった白く細い幽鬼の腕には不釣り合いな大物を軽々と軽トラに積み込んでいた頃、その男は姿を現していた。


「なあ、あんた、ちょっと良いかな?」

「はい? なんでしょう?」


 その男に幽鬼は覚えが無かった。歳はまだ二〇~三〇代と若そうだが、傷みが目に付く服装に大きな肩掛け鞄に擦り切れたスニーカー、家無しの浪人然としていたが、分厚さのある身体付き、破れたジーンズから覗く足は隆々としていていた。不和めいたものを感じながらも幽鬼は変わらず接していた。

 人は決して平等ではないが対等であるというのを幽鬼は祖父から学び、彼女自身も理念としていたし、その男の目は他のホームレスたちと同じように疲れて脂が抜けていたが眼球には芯のような鈍い光りが宿っていた。危険性だけを映し出す瞳。その危険さが男自身に向いているのではないか、そう思えば幽鬼は男を無視することなどできはしなかった。


「あんたの炊き出し、食べそこねちまったんだが……他にも似たようなことをやっている人、居たりする?」

「ええ。いらっしゃいますよ。港区の田山さんとか、この近くだと……」

「例えば毎日食い繋ごうとすると、食えたりする? 一日三食とは云わなくても、毎日一食くらい食えると嬉しいんだけど」

「全部合わせても、二~三日に一度くらいですね。申し訳ないんですが、増やすのは限界が有って……」

「……ふーん、そうなんだ。それならさ、おカネ貸して貰えないかな? ちょっとばかり持ち合わせがないんだよね」


 自分で訊いておきながら興味もないといった様子でその男は初対面の幽鬼にベラベラと自分の都合を話す。が、当の幽鬼は気を悪くする様子もなく、弾ける笑顔を向けていた。


「御貸しできる金額なら大丈夫ですが、おいくらですか?」

「十万円。必要なんだよね」


 いくら世紀末でも、初対面の人間に頼む金額ではない。

 普通でなくとも断わる金額を幽鬼はどう捻出するかを考えていた。


「うーん……持ち合わせが有りませんが、家まで来ていただけますか? かき集めればあるかもしれません。お時間大丈夫ですか?」

「時間はあるよ」


 見ず知らずの男を迷いもせずに自宅まで乗せていく幽鬼も幽鬼だが、男も当然とばかりに軽トラの助手席に乗り込んだ。幽鬼は急いで鍋類の積み込みを終え、運転席に座ったところで“狭くてごめんなさい”と謝ってから出発した。


「私、名乗ってませんでしたよね? 伊藤幽鬼と申します」

「あー、良いよ。大丈夫。誰だってそういう失敗するから」


 男は自分から名乗る気配はなく、勝手にカーラジオのスイッチを入れ、チャンネルを探す。


「……そういえば、十万円は何に使うんですか? おカネ以外なら、もう少しお力になれるかも知れません」

「あれ? 云ってなかったっけ……ラジオ入らないな。これだわ」


 助手席で男はその肉付きのよい身体を折り曲げて鞄の中からチラシを取り出し、運転中の幽鬼に見せた。それは江戸コロッセオと名称を変えた文京区後楽の遊園地にあるドームでのイベントのチラシ兼申込書だった。

 そのドームは日本で唯一の風船式の野球場として有名であり、空気を入れて膨らませるという方式を用いる。イベント中は空気が抜けるのを防ぐために回転扉での出入りを徹底する、最新鋭の世紀末的ビッグエッグだった。


「参加費が十万円、ということですか?」

「うん。勝てば倍以上になって戻ってくる対戦イベントなんだわ」

「それは凄いですね。何をして競うんですか?」

「殺し合い」

「……え?」

「だから、殺し合い。武器を構えて急所を狙って相手を倒せば賞金。殺せとまでは書いてないけど、死んでも事故だってチラシにも散々書いてる感じ」


 その言葉に幽鬼が押し黙った頃、車は幽鬼の自宅に到着していた。

 小さいがよく手入れと掃除の行き届いた一軒家で、幽鬼は軽トラックから荷物を降ろし始め、男は玄関に寄り掛かりながら凍り付いている幽鬼に視線を動かしてカネを催促する。

 いつの間にか幽鬼の様子は今までの朗らかで気弱な姿とは打って変わっていた。憤怒すら滲ませて。


「……ねえ、おカネ、貸してくれないわけ?」

「死んだら、人間は死ぬんですよ…?」

「死なない人間同士が殺し合っても面白くないでしょ」

「面白いって、そんなこと……ッ!」


 幽鬼は冗談だとは思わない。

 冗談でそんなことが有って良いはずがなく、この世は冗談では済まないことも幽鬼は知っている。


「……もしかして、マジでカネ貸してくれない系?」

「納得できないんです。命を懸けて戦わせるようなことに、自分が手を貸すのが」

「いや、だって、カネ、無いと困るだろ」

「普通の仕事ではダメなんですか? お仕事探しのお手伝いなら手伝えます」

「斡旋してくれるなら良いけど……月の休みが一五日以上、一日の就労は四時間くらいかな。それで年収一千万くらいあると生活に困らないな。それでストレスが溜まらないで体壊すこともない、簡単な仕事が良い」

「……私、真面目に話しているつもりですけど」

「俺も真面目に云ってるんだけどな。キツイ仕事とか向いてないんだよ。他の人は違うかもしれないけど、俺は辛いことしないで毎日好きなことだけして暮らしたいんだわ」

「それで、殺し合い、ですか?」

「負けたら死ぬだけだし、勝てば毎日働かなくても良いんだぜ? 最高じゃないか?」


 幽鬼には正しいとは思えない理論だったが、それを否定する気も無かった。徐々に増えているホームレス、そして彼らの疲れ切った心身には仕事や社会に対する“しがらみ”の影を感じることが多々あったからだ。

 男からは疲れを感じ取ることはできず、年齢には不相応の我儘にしか聞こえないが、それでも、幽鬼は自分の取るべき選択肢を決めていた。


「……わかりました。おカネはお貸しします」

「本当? 助かるわ」

「この軽トラックを売ります。二十万円にはなると思います」

「あれが無くなったら炊き出しもできなくなるんじゃね? それに二十万貸してくれるなら借りるけど、十万で良いんだぜ?」

「私も出ます。その大会」


 幽鬼の衝撃発言にも衝撃を受けた様子もなく、男は平然としていた。


「良いけど、武器とか有る? 貸出とか別料金らしいよ? カクニとか有るの?」


 カクニは正式名称はもっと長い無音拳銃で、火星で一九九二年で作られたことから、火九二、カクニと呼ばれている。

 もちろん所持すれば法律に触れるが、東京ではそこまで苦労せず入手できるものになっている程度。

 しかしながら、幽鬼が取り出したのは一本の菜切り包丁。古そうだが研ぎ磨かれ、光沢のある良い物だが、炊き出しに使っている普通の包丁だった。


「……それ?」


 応えず、幽鬼は運び込んでいた寸胴鍋に目と刃先を向け、無造作に包丁を振り降ろした。速くもなく遅くもなく、力が入っていたとも思えないその一振りは、簡単に鍋の分厚い鉄を切り裂いて両断して見せた。


「業物の包丁だね」

「ええ。毎日研いでいますから」


 もちろん包丁の性能ではないことは明白だった。

 男は幽鬼の手から包丁を預かると、その包丁を幽鬼の家の窓ガラスにするり、と差し込んだ。

 最初から穴が開いていてそこに通しただけとでも云うような滑らかさで。幽鬼はどこぞのタルにナイフを刺す危機一髪ゲームを連想した。

 ヒビもなく、傷もなく、通り抜けるような鮮やかな技だった。


「……まあ、今は切れ味の鋭いフォトンエッジが有るから、役立たない技量だとは思うけどね……」

「そういえば、お名前、伺っていませんでしたね」

「俺? 俺は飯篠土輔。この歳まで剣術しかしてこないで……これからも剣術だけで生きていきたい男だよ」


 男の、飯篠土輔の口元がだらしなく、不愉快な三日月のように歪んでいた。

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